喪失
『馬野! 待ちなさい!』
バトラーさんは止めるが俺は止まることができなかった。なんのためにここにきたのか! なんのためにこの星に留まったのか! お嬢様を検知できない異常状態を前に衝動的に駆け出していた。
そして俺は廊下の突き当たりのドアを勢いよく開け放った。
そこで見た光景は、右肩から先を喪失し顔面蒼白となっている松尾さんと、実につまらなさそうに俺の方を見ているスチュワート。そして……絨毯に出来た赤い染みの中に横たわる、『白い何か』。背中を向けているそれは下着姿で、一度として見たことがない素肌であったが、幾度となく見ていた背中であった。血の気を失った皮膚は見慣れていた色よりも青白かったにも関わらず誰であるのか直ぐに理解できた。
「……あなたも来ていたのか」
スチュワートは視線を俺の背後に移すと口を動かす。
「バトラーさん……オレ、オレッ………」
松尾さんが嗚咽を漏らしながら、バトラーさんに謝るように言葉を吐く。
「五月蝿い」
スチュワートは縋りつくようにバトラーさんの名前を出した松尾さんに一蹴りくわえて部屋の彼方にはじき飛ばした。なにが起きているんだ?
「松尾と子作りの一つでもすれば解放してやると言ったんだが……。当の松尾が逆らって逃げようとしてな。流石の下男でも抱きたくなかったらしい」
スチュワートが面倒くさそうに頭を掻く。
「粛清の一撃を出したら、肝心要のお嬢ちゃんが身を挺して庇った所為で殺しちまったよ。普通、元使用人を庇うかねぇ」
心底残念そうなスチュワート。いったい何を言っているんだ?
「顔面が抉れている所為で晒し首にしても誰かわからんから意味がない。非常に面白くないと思わんか?」
「復讐を終えて満足ですか?」
俺の背後から何時もと変わらぬバトラーさんの声。なんで冷静でいられるんだ?
「満足?」
「……」
「満足だって?」
二度ほど問いを発したスチュワートは癇癪を起こしたかのように激しく髪の毛を引っ掻き回す。
「お前は知ってるだろ! あいつの所為で全てを失った俺が! あんな形で失くした俺が! 何十年も我慢し続けたのに! こんなもので満足するはずがないって!」
スチュワートが激昂している。なんでアイツが激昂しているんだ? 違うだろ。
「復讐を終えたらこんな命は不要、そのつもりで生き続けて来たのに! その復讐すら満足に出来なかったんだぞ!」
スチュワートは一息おくと、俺の背後を指さした。
「お前の所為だ! バトラーに成れていれば、復讐はもっと早く、いとも簡単に、しかも完璧に出来たんだ。お前の所為で俺はバトラーになれなかったんだぞ! さらに俺の邪魔をしてきただろ! それさえなければもっと早く、満足のいく形で終わらせられたんだ!」
喚くスチュワート。
「お前も殺してやるよ! 主人に殉じて死ね!」
「てめぇが死ね!」
無意識に叫んだ俺は、好き勝手に喚くスチュワートに対して右腕を向けていた。全力で放つ光線を当ててやるつもりだった。
「拡散執事ビーム!」
そんな俺の背後で声がしたかと思うと、部屋中に亀裂と炎が走り、屋敷の崩壊が始まった。
「来い!」
そして、バトラーさんに左腕を掴まれると強引に引っ張られる。
「でも……」
「従えと言ったはずだ!」
何時にない剣幕のバトラーさんに気圧されて、俺は身を翻した。
前を行くバトラーさんは体中からビームを放ちながら走る。その度に屋敷は破壊されていく。スチュワートが追って来ないのを不思議に思っていると、バトラーさんが答える。
「本来の彼は入念で慎重なのです。それこそ石橋を叩いても渡らないくらいに。今頃は私兵に集合かけている頃です。その間、約三分。私の足の速さも知っているので、それで問題がないという考えなのでしょう」
そして窓から外に出るバトラーさん。どこに向かっているのかと思いながらも続く俺。
そんな俺達の前に居たのは、スチュワートの屋敷の使用人服に身を包んだ今井さんと藤井さんだった。
彼らは俺達に道を譲ると、そのまま窓に向かって構えた。
「松尾達の君への暴行は私が許可をしたのです。『死んでも構わない』つもりでやりなさいと」
バトラーさんは走りながら続ける。
「それくらいやらないとスチュワートの信頼は得られなかったでしょうから。彼らを恨まないでください」
そう言われても、お嬢様を失う原因となった俺に何かを言う資格なんてない。
バトラーさんが足を止めた先は、屋敷の裏手の川に掛かる一本の橋であった。
「ここでお別れです」
息を切らしたバトラーさんが唐突に切り出した。
「彼らはこの程度の川なら容易に跳び越えるでしょう」
百メートルはある川幅だが、この世界の住民ならそうなのかもしれない。
「ですが私が残って足止めをすれば、跳び越える連中はビームで撃ち落とせます。ここを通さないことが出来るのです」
「何を言っているんですか⁉ 全部俺の所為なんだし、バトラーさんが逃げてください!」
だいたい、俺が逃げた先に何があるというのだ。
「此処から先には君にしか出来ないことがあるのです。私でも五月女様でもルゥ様でもリチャード様でも誰であっても出来ません。君にしかできないのです」
「何を言っているのか……」
「後は矢印に従って進んでください」
バトラーさんが矢印に気が付いていたことは今更だが……問題はそこじゃない。
「なんだ、まだこんな場所か。随分と走るのが遅くなったな」
スチュワートがゾロゾロと人を引き連れてやって来た。
「その小僧の所為で遅かったのか?」
スチュワートに一瞥された。無力であることがこれほど悔しい事だったなんて知らなかった。
「行きなさい」
バトラーさんに優しく言われた。俺にだって光線があるんだ。一矢報いたい。
「何度、同じ失敗を繰り返すのですか?」
俺の心を見透かす様にバトラーさんが注意を寄越す。
「失敗はしても構わないのです。焦らないでください。何時か挽回の機会は訪れます」
バトラーさんが苦笑いを浮かべた様に見えた。
「時間がありません。急ぎなさい。なにがあっても振り返らずに走り抜けなさい」
そして、俺の肩に手を置くと耳元で囁いた。
「頼みましたよ、『瀬野悠馬』」
そして矢印が橋に向かって浮かびあがった。俺には拒否権がない。そんな気持ちと共に俺は走り始めていた。
「あ、おい!」
「捨て置け」
俺の背後でスチュワート達の声が聞こえたが。俺は構わずに走り続けた。
どれほど走っただろうか? 以前の引きこもり生活からは信じられない距離を走ったはずだ。矢印に従っていたら、いつしか俺は森の中に居た。壁を潜らないで、こっちから侵入した方が良かったのではと思える程に鬱蒼とした森だった。でも、どのみち間に合わなかったか。自問の果てに泣きそうになったが、今は我慢だ。
注意:武装者がこちらを注視中↘
黄色い文字が浮かんだ。文字の最後の矢印が一本の木を示す。
個体識別名:クロウ
続けて新たな情報。捕まる訳には行かない。よし、殺そう。俺は右手人差し指で光線を放っていた。
木が動いた。そして光線が外れたと思った時には、木はクロウに姿を変えていた。
「よく見破ったな。大した餓鬼だ」
俺は余裕綽綽としたクロウに指先を向けて、二度、三度と連続して光線を放つ。しかし、軽々と避けられてしまった。
「中々に面白い技だが、学校で見せちまったのは失敗だな。指先と殺気に注意しとけば当たる方が難しいくらいだぜ」
小男の笑みは見る者を不快にさせた。だが、何を言われようとも俺にはこれしかない。構わずに光線を撃ち続けるしかないのだ。
「バトラーがこの森に足繁く通ってたんだけどよ、何をしてたか知らねぇか?」
光線を最小限の動きで躱しつつクロウが質問してくる。知るか。
「お前はそこに行くんだろ? ついて行こうと思ったんだが……まさか見つかるとはなぁ」
光線を避けつつ接近するクロウ。光線を撃ち続けた指先は、もはや痛みすら感じない。
「黙って案内するのと、この鉤爪で頭と心臓と肺だけになるまで体を解体されるのと、どっちがいい?」
俺に鉤爪を見せつけたかと思うと姿が消えた。次の瞬間、クロウの顔が俺の真ん前にあった。
「縮地って言うんだ。バトラーは教えてくれなかったか?」
クロウが左手を俺の右腕に絡めると同時に激痛が走った。堪らずに膝をついてしまった。
「なんだ、随分と痛がりなんだな。今のは普通に折っただけだぜ。折角なら痛みを増す様に折れば良かったな」
俺を見下ろす小男は嬉しそうに顔を歪めていた。次の瞬間、その小男が横に跳んだ。代わりにナイフが地面に突き刺さる。
「そんなに殺気を漏らしちゃダメだなぁ」
小男が呆れた様に言ったかと思うと、続ける。
「いや、オレの注意をガキから逸らす為にあえて殺気を漏らしたかな? 少なくともオレはそんな未熟な訓練は施してないからなぁ」
小男が嬉しそうに肩を上下に震わした。
「……そうだろ? ベアトリクス」
聞き慣れた名前に思わずクロウの視線の先を探る。影の中から、見慣れた人物が小刀を片手に現れた。
「さあ? とりあえず死んで」
ベアトリクスさんはクロウを真っ直ぐに見据えたまま冷たく言い放つ。
「どうでもいいが嬉しいぜ。貴族の血って言うの? お前の体は引き裂いた感触が凄く良いんだよな」
ベアトリクスさんの足が止まった。
「あの頃は同じギルド員だったから遊ぶだけで壊すことが出来なかったからなぁ。それが今は敵なんだろ? 思う存分壊せるじゃないか。貴族の肉体の限界も調べられるし一石二鳥って奴だ」
恍惚の表情を浮かべたクロウは、真実嬉しそうであった。
「……少年、邪魔。どこかに消えなさい」
ベアトリクスさんの声は震えていた。
「俺も一緒に----」
「暗殺用の催眠魔法と陽動用の爆炎魔法しか使えないベアトリクスが姿を現したんだぜ? 意図を汲んでやれって。バトラーが隠してる何かの所まで行きな。もしかしたら、コイツが奮戦して目的を達成できるかも知れんよ」
クロウが俺の言葉を遮り、へらへらと笑っている。俺に行けって言うことは、二対一は避けたいってことなのか?
「少年! 逃げるか……それかバトラーさんに言われたことを思い出して!」
ベアトリクスさんは俺とバトラーさんの会話を聞いていたのか、それだけ言うと、クロウへと駆け出した。
確かにバトラーさんは『なにがあっても振り返らずに走り抜けなさい』と言っていた。だけど、ベアトリクスさんが……。俺はベアトリクスさんが駆けた先に目をやる。高い金属音が響いたかと思うとクロウが数メートル先に一気に動いていた。それを高速で追うベアトリクスさん。悔しいけど、俺の光線じゃ狙いが定まらない速度だった。元より俺には選択肢などなかったんだ。もっと早くに気が付いていたら……。俺は泣きながら走り出していた。
気が付けば骨折が治っていた。ナノマシンが治したのだろうか? なんにしても走るのに支障が出ないのは有難い。
そして、ついに矢印が消えた。走りついた先はなんの変哲もない森の中であった。息を整えながら辺りを見るが……やはりなにも無い。絶望感に襲われた俺の前に文字が浮かんだ。
重力波確認……空間の歪みを発見
修正しますか?
なんだこれは? これがバトラーさんの言っていた『俺にしか出来ないこと』なのか? きっと、そうに違いない。
修正中…………修正中……修正中…
確信すると同時に新たな文字列が浮かぶ。そしていつになく長い文字表示。実際にはそう感じられただけかもしれないが、一日千秋の気持ちで待ち続けた。
修正完了
新たな文字と同時に目の前の中空にバスケットボール大の箱が現れた。そして、そのまま自由落下。
恐る恐るその箱に近づくと、そこには『着けて押せ』と漢字と平仮名で大書きされていた。何の事かと箱を開けると、中には漬物石の様な物に二本のコードが巻き付けられていた。一本の先には腕時計状の何か、もう一本の先には……なんだろうな、アレ。縄跳びの持ち手の先にボタンが付いているとでも表現すべき物体が付いていた。この腕時計を『着けて』あのボタンを『押せ』ということなのだろうか?
その時であった。繁みが動いたのである。そして見覚えのある緑色した小人が飛び出してきた。そう、ゴブリンである。見た目からして人間と異なる存在に冷静さを取り戻した。平気でスチュワートやクロウに喧嘩を売っていたが、俺ってば松尾さんやベアトリクスさん曰く『弱い』ゴブリンの……さらに八分の一以下の武力しかないぷにゅに大怪我をさせられたのだ。しかも一撃で。襲い掛かられたら即死だ。いや、冷静になれ、なんとなくゴブリンの言葉が解った様な気がしていたじゃないか。思い切って話しかけてみよう。味方になってくれるかもしれないし。
「は、はろー」
「ギャギャギャギャガ‼」
ゴブリンが叫んで躍りかかってきた。ここまで来て死ぬのか。それも突然遭遇したゴブリン相手に。バトラーさんに任された事も達成できずに無念だ。念仏代わりに目を閉じた。
「ギャッ」
そして小さな声。
「ゴブリンが飛びかかるとは運の良い餓鬼だな」
体に纏わりつく様な甲高く、聞く者を不愉快にさせる気持ちの悪い声に目を開いた。そこにはクロウが立っていた。
「お前は解体しても面白くなさそうだから、一思いに殺してやろうと思ったんだがなぁ」
見れば、俺とクロウの間にゴブリンの死体が転がっている。俺を殺す相手がゴブリンからクロウに変わっただけだ。いや、拷問を受けるかも知れない分タチが悪いか……。
「それがバトラーの隠していた何かか? 結構探したんだが……」
ああ、これがスチュワート達の手に渡るのか。最後まで足を引っ張ってしまった。なんの道具かはわからないが……。
「ベアトリクスさんは?」
「ん? アイツなら生きてるぞ」
質問はしてみるものだ。良かった……。
「軽く刻んだら、昔を思い出した様でガタガタ震えはじめてよ。全く動けなくて可愛かったぞ。暫くは色々と遊べそうだ」
最悪だ。
「ってことで、素晴らしいおもちゃが手に入ったんだ。お前は要らない。死んどけ」
クロウがナイフを投げたのが見えた。死んで皆に会ったら謝らないとな。ぼんやりとそう思った俺の視界に緑の影。
「ギャッ」
再びのゴブリン。新たなゴブリンが俺とクロウの間に入って絶命したのだ。
「ギャッ、ギャッ」
「ギャギャギャ」
「ギャギャギャギャギャ」
そこら中からゴブリンが現れる。
「おいおい、なんだよ。ゴミ掃除とかめんどくせぇなぁ」
クロウが溜息を漏らす。あいつにとっては、この状況は危機ではないらしい。俺にとっては危機なんだが……いや、どのみち殺されるのだ。状況は何一つ変わっていない。ゴブリンが俺を殺してもクロウはなんなくゴブリンを皆殺しにしてバトラーさんから託された道具を手に入れる。俺がゴブリンに殺されるかクロウに殺されるかの違いしかないのだ。
ところが……。
「オマエナカマ」
「ジョウオウタスケタ」
「ダレモコロサナカッタ」
「コンドハタスケル」
ゴブリン達が口々にそう言ったかと思うと、一斉にクロウに飛びかかって行った。……が、当のクロウはと言うと目障りな羽虫でも払いのけるかの様に次々とゴブリンを惨殺していく。
「すげぇな。ゴブリンも手懐けてるのかよ。女王を拉致して誘導する必要も無しとか便利かもしれないな」
クロウはゴブリンを殺しながら感心したように言っている。
「よし、お前拷問決定♪ ゴブリンの手懐け方法を吐かせるわ」
ゴブリンをなぎ倒しながら、クロウが一歩、また一歩と俺に近づいてくる。現実離れした光景に俺は動くことはもとより、考えることすら出来なかった。
「逃げて!」
そんな俺の思考を正常に戻すかの様な一喝が森に響いた。それと同時にクロウに血みどろの肉塊が覆いかぶさった。
「お前は後で遊んでやるから今は離れろって」
クロウがそれを振りほどこうとする。今なら光線が当たるか? いや、違う! 俺がすべきことはそれじゃない。きっと、それをすると全てが台無しになってしまうのだ。
根拠はないが、半ば確信に近い答えを導き出した俺は急いで時計を腕に着けると、ボタンを押した。
………同時に全てが闇に飲み込まれた。




