侵入
家を出た俺は透明化したまま広場にいた。バトラーさんにここで待っているように命じられたからだ。当のバトラーさんはといえば、用事があるとどこかへと走り去っていた。
前にここでサンドイッチを食べたな、なんて思い出してしみじみと広場を眺める。風景は当時と変わりなく、行き交う人々も普段と変わりない。そして俺もあの頃と同じく負け犬気分なままで情けない。情けなさで涙が浮かぶ。
『感傷に浸っているところ申し訳ないのですが……』
そこにバトラーさんの例の声なき声がした。
『そこに馬車が到着します。人が降りるので入れ替わりに乗車してください』
それと同時に四頭立ての立派な馬車が広場へとやってきた。馬車はぐるりと広場を一周すると俺の目の前で停まる。透明なはずの俺が見えるとは考えにくいのでバトラーさんの指示で場所を決めたのだろう。ところでバトラーさんには俺が見えているのだろうか? いや、見えていないはずがないな。
『ええ。お察しの通りです。もっとも停車を指示したのは同乗者ですが』
案の定のバトラーさんである。だけど同乗者? 疑問を差し挟む間もなく馬車のドアが開くと一人の男が降りた。俺はそれに合わせて入れ替わるように車内に駆け込む。ほどなく、降りた男によってドアが閉められた。それと同時に馬車が走り出した。
揺れる車内でバランスを崩しながら、席に座ろうと努力する。そこで俺は気が付いた。そこにバトラーさんがいるのは不思議じゃない。だけどもう一人いたのだ。その人物はなぜかロベルトだった。
「無事に合流できて何よりです」
ロベルトが向かいに座っているバトラーさんに話しかけた。とりあえず、俺はバトラーさんの横に座った。
「なるほど、気配はとにかく姿の隠し方は見事としか表現できない隠形の術ですね。さすがは竜安寺家の秘蔵っ子」
相変わらずロベルトの俺への評価は高い。これは弟から貰った謎技術の賜物なんだけどね。ってか、この人は俺の姿は見えてないのに気配で察してるのか。
「それではもう一度確認します。貴子様の救出に成功した暁には、元北方辺境伯騎士団の者達は脱出に協力することでしょう。馬車は何時でも出発できる様にしておきますから、必要とあれば使ってください」
ロベルトが俺への説明を兼ねているのかバトラーさんに確認をとった。
「ご協力に感謝いたします」
バトラーさんが頭を下げた。俺も感謝を表した方がいいのかな? でも隠れている最中だしなぁ。
「祖を同じくする者は助けなければならない……。バトラー殿も凄い切り札を持っていたものです」
「私としても友との約束を破ることになるので使いたくはなかったのですが……」
「ええ、公にしたら反発も強いでしょう。しかし、我が主、ピエール様は助力できる口実を得て喜んでいることでしょう」
「素直さに欠ける難儀な一族ですな」
「私も一門なのですが……」
バトラーさんの返しにロベルトが苦笑いを浮かべた。話している内容が理解不能なら、どうして俺達がロベルトの馬車に乗っているかも理解不能である。
『色々と疑問に思う部分もあるとは思いますが、時間がありません。先にこれからの予定を伝えます』
バトラーさんがテレパシー的な何かを飛ばしてきた。先ほどまで喋っていたロベルトは外を見て無関心を装い始めた。
『現在この馬車は旧竜安寺富蔵邸に向かっています』
お嬢様はそこに居るのかな?
『はい。王都にあった旧権蔵邸は消滅しましたので、そちらしかないはずです』
俺の考えと会話するバトラーさんには慣れたけど……消滅?
『はい。物理的に消滅させました』
バトラーさんならあり得るので反応に困る。
『話を戻しますと、門までこの馬車で行きます。そこでロベルト殿が馬車のドアを開けますので、私どもはそこで下車しましょう』
ああ、その為の透明化なのか。
『そうです。ただロベルト殿があなたの気配を察したように、ある程度以上の実力者の目を欺くのは厳しいでしょう』
そういえば、自分では手とか足とか普通に見えてるんだけど……。
「自分自身や仲間が見えないと不便ですからな」
相変わらず、俺の疑問に答えるバトラーさん。
『一見すると透明ですが、気配は残っていますし、臭いや音も漏れています。体積分の空白も生じているので、注意深い者には通用しないので過信はしないように』
過信もなにも透明になってる実感すらないんだけどな。
『馬車から降りた後は、抜け道を通って庭に侵入します』
抜け道なんてあったのか。
『はい。私が先導しますから着いてきてください。その後は展開次第となります。救出後は屋敷の裏手の川を渡るか、馬車に乗るか、馬車を囮にするか……いずれにしても私の指示には従う様に』
なんかバトラーさん一人で十分な気もするのですが、それは。
『私ではスチュワートを足止めするのが限界です。頼みますよ』
スチュワートも化け物か……。
『さて、門が見えてきました。手はず通りに』
馬車の先に閉じられた正門と数名の門番が見えてきた。
「馬車の主はラントット伯ピエールの使者である。開門して頂きたい」
御者かその横に居る男かはわからないが、大声で叫んだ。
「少々お待ちください」
外では門番が畏まりながら応じている様だ。
「それでは扉を開けます。御武運を」
ロベルトは呟くと同時に馬車のドアを開け放つ。
「我らを待たすとはどういう了見であるか!」
ほとんどイチャモンとしか思えない言葉を吐きながらロベルトが降り立った。
『私達も行きますよ』
続いてバトラーさんが降り、俺も続く。バトラーさんも姿を隠しているのだろう。
バトラーさんに続いて屋敷の正面の塀に沿って歩くこと数分、ようやく曲がり角に差し迫り屋敷の正面の塀から解放された。これでも正面の塀の一部なのだから無駄に広いとしかいえない。そして塀に沿って曲がると、新たな塀が地平線の彼方にまで続いていた。頭がおかしい。
そんな風に思っていると、曲がった直ぐ先でバトラーさんが足を止めた。
「ここです」
一見すると何もない壁である。
『三次元映像で壁がある様に見せているのですよ』
バトラーさんはそれを証明するように手を壁に透かして見せる。例のホログラム映像だろう。
『跳び越えないと入れない様になっていますが、君なら見えるので問題はないでしょう。ここから先が本番です』
バトラーさんは軽く飛んだかと思うと、そう言い残して壁の中に消えた。
さて、見えると言われても壁にしか見えない訳だが……。そんな風に迷っていると字が浮かぶ。
ホログラム回避モード
それと同時にバトラーさんが消えた辺りの壁が消えた。一メートル程の高さの場所にやはり一メートル四方の穴が開いていたのだ。幻術の類なのだろうか? 魔法があるのだから、そんなのがあってもいいだろう。だけど、それを見破れる自分の中のなにかに少々の薄気味悪さを憶えた。もっとも、今は役に立つのだから、ただただ感謝である。そして俺もその穴に潜った。
侵入してから歩くこと五分。まだ建物に着かない。馬車で来ていた頃には思わなかったが、無駄に広い庭だ。そんなボヤキを我慢してバトラーさんに続いていると、前から見覚えのある二人組が歩いてきた。確か大旦那様の所にいたゴリラ達である。
二人の内の年長ゴリラと目が合った……気がした。俺は透明らしいから、大丈夫だよな?
「しかし、お嬢様も気丈というか、不器用な方だよな」
急に年長ゴリラが相方に話を振り始めた。
「突然になんですか? お嬢様なんて呼んでるのをスチュワート様に聞かれたらことですよ」
相方ゴリラも突然と思ったようだった。
「いいんだよ! どうせクビになるんだしよ」
「クビですか⁉」
「おうよ! それよりも執務室だった場所に連れて行かれたお嬢様が心配だぜ」
再びゴリラと目が合った気がした。そして進む俺達とゴリラが擦れ違った。
「オレはお嬢様がこんなに小さい時から知ってるからよ、気が気じゃないワケ」
「ああ~……。でも、クビかぁ~」
「しょげるなって。そうだ、お前はまだ女を知らないんだろ? 今日はオレの奢りで……」
遠ざかる二人はまだ話しているようだったが、俺達が足を速めたのもあって、その内容は直ぐに聞きとれなくなった。
もしかして、俺に気が付いてお嬢様の居場所を教えてくれたのかもしれない。だけど、俺には場所とかが判る能力があるから不要な情報なんだよな。そんな事を思いながらバトラーさんに続いて行くうちに、屋敷の正面玄関に到着した。玄関の前に守衛が二人。ロベルトの馬車はまだ屋敷内へ入れないのか見当たらない。
お嬢様は居るのかと探ってみる。
個体識別名:スチュワート
個体識別名:竜安寺貴子
個体識別名:松尾左陣
場所は、玄関を真っ直ぐに進んだ突き当たり、おそらくは大旦那様と初めて会った部屋だろう。三人は同じ部屋に居るようだ。気が逸り、一歩進もうとした俺をバトラーさんが手で制止した。
バトラーさんはゆっくりと二人に近づくと、一人に息を吹きかける様な仕草をしてみせた。次の瞬間、守衛は崩れ落ちる様に倒れた。気を失うほどに息が臭いとかないよね⁉
「おい、どうし----」
もう一人が驚き駆け寄ろうとした刹那に軽いスパーク音がして、その守衛も倒れ込んだ。バトラーさんが男に手の平を当てると閃光が走ったその結果である。……ルゥやリチャード様とは別次元の強さだ。強い、弱いではなくベクトルが違うという意味でだ。
「うおぉぉぉおお‼」
松尾さんの野太い雄叫びが聞こえたのは、その時であった。
バトラーさんの表情が一変して、俺に指示を出した。
『撤退します! 出直しです!』
バトラーさんは此処まで来て何を言ってるんだ? それに松尾さんの雄叫びも気になる。自然と邸内の様子を探っていた。
個体識別名:スチュワート
個体識別名:松尾左陣
お嬢様の名前がない⁉ それに気が付いた時には、反射的に玄関の扉を開けていた。




