襲撃者
「それじゃあ、あたしは帰るけど、バトラーさんが帰ってくるまでお嬢様を頼んだよ」
お嬢様の湯浴みを手伝い終えた花代さんは玄関先でそう告げて帰って行った。
そのお嬢様といえば二階の寝室に引き上げている。二階はお嬢様の空間であり、花代さんとバトラーさん以外は立ち入り禁止、要するに俺が立ち入っちゃいけない場所である。お嬢様を頼まれたのはいいけど何も出来ないじゃないか。やはり……というか当然の話なのだが、女手がないと不便である。
呼び出し待機という訳でもないのだが、二階へと続く階段の脇に背中を寄りかける。日本の家なら木造の階段でここら辺に収納スペースだよなぁ、なんて貧乏くさい事を考えながら頑丈に組まれた石造りの階段の横を擦ってみた。
ここならお嬢様への連絡も容易である。再びスチュワートが嫌がらせに来るかもしれないので、バトラーさんが帰って来るまではここで休もうと決めたのだ。矢印や数字で侵入者は判るだろうから、お嬢様に伝えて逃がすことくらいは出来るだろう。
廊下の照明を消し、魔晶石で輝くランタンのみを近くに置く。スィッチ一つで作動が出来るのだから実質、電動ランタンと変わらない。住めば都とはよく言ったもので、不便と思っていた異世界生活も意外と慣れるものである。
適度な暗さで、何とも落ち着く。目を瞑ると今日の出来事が次々に思い起こされる。今日は色々とあって疲れた。新たな日常の始まりは順風とはいかなかった。それでもさすがに松尾さん達がスチュワートに雇われていたとは思わなかった。それだけでなく、俺を私刑にかけるのだから、酷いよなぁ。でもって、リチャード様が助けてくれたのは良かったんだけど、お嬢様が攫われそうになるし。もっとも、お嬢様はおっぱい……もとい、公爵令嬢が助けてくれたけどさ。ルゥとも色々と交渉してたっけ。そのルゥも都を去ったのか。嵐の様にやってきて嵐の様に去って行ったな。秋にやってきて、冬の到来と共に去る。まさに台風娘だった。自分では上手く言ったつもりとなり、自然と口元が緩んだ。あと三ヶ月もすれば俺もハガン候の……あの雪国で暮らすことになるのか。ルゥや松尾さんみたいに雪の上で走り回る方法を練習しないといけないな。そんな事を徒然なるままに考えているうちに、いつしか意識は闇の中に沈んでいた。
警告:刃物を携帯した侵入者あり
突然、視界に赤文字が浮かび、頭の中でサイレンが鳴り響く様なやかましさを感じて目が覚めた。これは時空コンピューターの能力なのか? 急いで辺りを見渡すが真っ暗である。こんな時に限ってランタンの魔晶石が切れたようだ。いや、暗い方がこちらの居場所がわからずに有利なのか? 相手が来る前に、さっさと二階に上がってお嬢様を避難させよう。そう思い立ち、急ぎ立ち上がる。
侵入者→
と、侵入者は廊下の向こうにまで来ていた。間取りを知っていて、かつ、お嬢様が二階に居ると知っているとしか思えない。もちろん、お嬢様が目的だとしてだが。しかし、こうなると二階に行った事がない俺は追いつかれる。ああ、叫べばいいのか。
適正調光モード
視界の下に小さく文字が浮かぶと同時に昼時の明るさとなった。これも時空コンピューターの仕業なのか? いや、今は分析している場合じゃない。眼前の侵入者に意識を向ける。そして、思わず声が出てしまった。
「花代さん⁉」
「おや、その声は馬野かい? そっちこそ、そんな場所でどうしたんだい? まさか、お嬢様に夜這い……なんて度胸はないわよねぇ」
廊下の向こうに居たのは花代さんだった。そして、花代さんの疑問。確かに客観的に見たらそう思われてもおかしくない位置取りだった。実際にやったら平手打ちの一撃であの世行きだけど。
「あたしはちょっと忘れ物をしちゃってねぇ」
「花代さん----」
手伝いましょうかと続けようしたら、視界の下に再びの文字。
呼称個体識別名と実体個体識別名に齟齬あり
なんだこれは?
「うん、なんだい?」
奇しくも花代さんとシンクロした。
実体個体識別名:ベアトリクス
「え、ベアトリクスさん⁉」
思わず声に出てしまった。あんなに丸々としたベアトリクスさんは嫌だ。
「いやだねぇ、寝ぼけているのかい?」
不自然な心拍数の瞬間的な上昇確認・一時的な発汗現象確認・発言時の上ずり確認、情報集積・解析開始…解析完了、脳波スキャン終了、情報の統合開始…統合完了
……発言に虚偽あり
再びの文字情報。花代さんにしか見えないんだけどなぁ。もう一度確認してみるか。何となれば、暗くてわからなかったとか言えばいいんだし。
「いや、ベアトリクスさんでしょ?」
「……」
無言。花代さんなので色っぽいということはない。もしかしなくても変に思われた? だってベアトリクスさんがここに居るはずないんだしさ。
「あーあ、少年の勘の良さったら嫌になっちゃうね」
花代さんの声色が一変すると、某アニメの三代目の泥棒の様に顔の皮を剥ぐ。その下からは、花代さんとは似ても似つかぬ美形が現れた。
「ベアトリクスさん⁉」
「さっきからそればっかりだね」
「え、いや……一体なんの用ですか?」
「言い難いんだけど、お嬢様を殺そうと思ってさ」
ベアトリクスさんはいったい何を言っているんだ?
「結構な催眠魔法を家全体に使ったつもりなんだけど……少年が起きてたからビックリしたよ。念のために変装までしたのに無駄になっちゃったな」
ベアトリクスさんは心底感心した様に言うと表情が一変した。
「……今度こそお休み」
ベアトリクスさんが一気に近づいたと思ったら、掌が俺の眼前に向けられた。と、同時に目が眩む。
不自然な催眠成分検出……無効化完了
文字が浮かぶと同時に先ほどの眩みが霧散した。
ベアトリクスさんは俺が寝ないと見るや一歩下がり、どこから取り出したのか二本の小刀を両手に構えた。
「手荒な真似はしたくなかったんだけど……眠らないんだし仕方がないよね」
「じょ、冗談はやめてくださいよ!」
俺のうろたえの原因は恐怖なのか混乱なのか驚きなのか自分自身でもわからない。なんでベアトリクスさんがお嬢様を殺そうとするのか意味がわからない。そして俺に刃物を向ける意味もわからない。
「冗談に見える?」
「冗談以外では、意味がわかりません」
冗談であって欲しい。そんな俺にベアトリクスさんが溜息をついた。
「いい? これからお嬢様に訪れることを考えると、今ここで、アタシの魔法でぐっすりと寝ているうちに殺してあげた方がお嬢様のためでもあるの」
「なんで……なんで、そんなことを言うんですか」
「なんでって……本当にわからないの? お嬢様は権力に睨まれたんだよ? お嬢様はスチュワートに狙われている。国王もそれを黙認している。唯一にして最大の庇護者だったハガン候……その代理のお嬢ちゃんもここを去った。今頃バトラーさんは無駄と知りながら公爵家に助力を求めているんだろうけど、それは無理筋。公爵家が介入すれば内紛になりかねない。そんな危険を冒す程公爵家に義理はない。お嬢様の尊厳を守るにはこれしかないの」
ベアトリクスさんは呆れた様に俺を諭す。いや、やっぱり意味がわからない。
「三ヶ月後にはお嬢様はハガン候の元に行くんですよ⁉」
「うん、知ってる。その間に終わらせようとスチュワートは強引に来るだろうね。お嬢様は今日ハガン候の所に行くべきだったのよ」
「そんなのわからないじゃないか」
「わかるわよ。お嬢様が力を蓄えたら竜安寺家の財産の返還を要求されるかもしれない。それに竜安寺家は王弟派に付いて……権力闘争に負けたの。一族郎党皆殺しにあっても文句は言えないんだよ。加えてスチュワートは個人的に竜安寺の一族を恨んでいるみたいだしね」
「スチュワートが竜安寺家を恨んでる? お嬢様の父親が権力闘争に敗れた? どっちもお嬢様個人とは関係ないじゃないか!」
「アタシに言われても知らないわよ。ただ、お嬢様はその家に生まれた。理由としてはそれだけで十分よ」
ベアトリクスさんは平然として続ける。
「例えば、お嬢様はリチャード様と婚約していたけど、これは権蔵が……お嬢様の父親が王弟派の重鎮になろうとして結んだことなの。もちろん王弟も竜安寺家の財力が欲しかったんだろうね。これだってお嬢様が『竜安寺家に生まれたからってだけ』でしょ?」
「……そこにはお嬢様の意思が入ってないです」
「うん。他の人もそんなものだよ」
ベアトリクスさんは手持無沙汰に小刀を手の上で一周させる。
「例えば、ピエール。お嬢様に付き纏っていたけど、あれだって彼の意思は関係ないの。宮中伯の一門として……国王派として王弟派の切り崩し工作の一つなんだから。それに九伯家の跡取りとしても必要があったの。九伯家の主要な爵位の一つであった北方辺境伯が、ハガン候との和約で領地の大部分がハガン候の管理になると共に爵位自体が廃止されたのは知っているでしょ?」
知るはずがない。宮中伯も九伯家も知らないし。だいたい今はそんな事はどうだっていい。
「領地を失ったのに、対北方の蛮族、今で言うハガン候に対抗する為に有していた大量の騎士団は手元に残った。当然ながら台所事情がかなり厳しい。それならばと白羽の矢を立てられたのがお金持ちのお嬢様ってわけ。ピエールの気持ちなんて関係なし」
「それじゃあ、スチュワートは?」
話していても平行線だろう。かくなる上は時間を稼ぐためと質問をしてみた。ベアトリクスさんが笑いを浮かべて応じてきた。
「時間稼ぎのつもりかしら? いいわよ、答えてあげる。お嬢様はアタシの魔法で殴っても起きないくらいに熟睡しているからね。バトラーさんも断られるのを承知で公爵様の所に交渉しに行っているはずだから、暫くは帰ってこないし」
そして一拍。
「スチュワートが何で恨んでいるかなんて知らないわよ」
さっきの前置きは何だったんだろうか。
「だけど、どうせ権蔵絡みでしょ。各地で強引であくどい事をしてきたんだし」
それからベアトリクスさんは暫し迷った様な表情を浮かべて続けた。
「そうだね、時間もあるんだし、アタシが知っている話を一つしてあげる」




