ルゥ
帰るはずのお嬢様は家とは逆方向に進んで行く。
「あの~……。家はこちらじゃありませんよ」
今まで馬車だったお嬢様だ。道に迷っているとしても不思議はない。
「誰が家に向かっていると言いましたか?」
こちらで良いらしいが、何とも納得がいかない。だって、ここの街並みとお嬢様がかみ合わない。
そこは澱んだ空気が漂う通りだった。そこかしこに並ぶお世辞にも上品とは言えない飲み屋。まだ日が沈んでいないというのに、泥酔した酔っぱらいが路上で寝ている。胃酸とアンモニアとアルコールが混じった酸っぱい臭いもする。少なくとも日本の感覚じゃ学生服でうろうろする場所では無い。この世界の住民もそう思っている様で、派手な化粧をしたおばさんがこちらを怪訝な表情で見ている。
「こんな……いえ、ここに何の用があるんですか?」
「ルゥ様ですわ」
一刻も早くこの治安が悪そうな一角から出て行きたい俺の耳に届いたのは、治安を悪化させそうな侯爵令嬢の名前だった。ルゥが無差別に殴って乱闘でも起こしてないかと不安になった時、街並みに不釣り合いな集団が空き地にたむろしているのを発見した。集団は誰もが調度の良い衣服を身に纏い、護衛らしき屈強な男たちが周囲に目を光らせている。
お嬢様がその一団に向かって歩んで行くと中から声がした。
「おう、貴子ちゃんではないか!」
大声を聞くだけでわかった。ルゥである。
「ぬ、馬野もいるではないか」
人混みの中、どうやって見つけたのかルゥが声を掛けてきた。群衆はそれを察知すると、お嬢様と俺の前から退いて道を作った。
ルゥは自分の体よりも大きな毛皮張りの椅子に踏ん反り返っていた。後ろにはテントが張ってある。テント横では西洋甲冑に身を包んだ熊の様な大男二名が焚き火で鍋を煮ている。料理中は鎧くらい脱げばいいのに……。もしかしなくても、ここで野宿しているのか? 侯爵令嬢なのに……。いや、ルゥらしいけどさ。大男の一人と目があった。無精髭を生やした厳つい男で、俺が恐怖を感じる前に人懐っこい笑顔を寄越す。これはこれで怖い。
「御目通りありがとうございます、ルゥ様」
俺が大男と見つめ合っている間に、お嬢様はルゥの前で優雅にお辞儀をしていた。
「なんじゃ、貴子ちゃん。我との仲ではないか、水臭い」
『我との仲』も何もほとんど話したことが無いんじゃないか、この二人は? お嬢様もそう思ったのか、困惑が背中から伝わってくる。
「何じゃその表情は? 我に勝った事がある以上は宿敵じゃ。馬野もだな、うむ」
「おおぅ! 二人とも姫様に勝ったんで⁉」
料理中だった大男が後ろから勝手に参加してくる。バトラーさんなら『代表者が話している途中に勝手に口を開くな』なんて後で叱るだろう。
「うむ、特に後ろの馬野には飲み比べで完敗したわ」
しかし、そこはルゥ。バトラーさんと違って気にする様子はない。
「よし、今度は俺と勝負しようぜ!」
挙句には大男が目を輝かして無邪気に挑戦状を叩きつけてくる。こっちはその飲み比べの所為でこっちは酷い目に遭ったというのにいい気なものだ。
「姫様が飲み比べで負けた相手にお前が敵うかよ。話の邪魔をするんじゃねぇ」
そこにもう一人の大男が鍋の味見をしながら注意した。
「うむ、その通りじゃ。して、貴子ちゃんは何の用じゃ?」
ルゥに促されたお嬢様がチラリと外野を見た。
「気にする必要はないぞ。あれらは富蔵ちゃんの後を継いで我らと交易したいだけの連中だからな。人前で話せない内容ならば追い払うが」
「いえ、結構です。用件はすぐに済みますから」
お嬢様は堂々と言い放つと続ける。
「わたくしがルゥ様の従士とは一体どういうことですか?」
「おお、それか。富蔵ちゃんに頼まれてな。貴子ちゃんに何かあったら従士にしてくれって」
「その様な事に同意した覚えがございません」
ルゥは鳩が豆鉄砲を喰らった様な表情をみせた。ポカンとするルゥを見ながら、従士と従者って違うのかなんてぼんやりと考えるのは俺だった。
「ぬ? おかしいのう。我は確かに貴子ちゃんの署名入りの誓約書を預かったぞ」
「そんなはずは……」
考え込む二人。俺には心当たりがあるけど。
「お嬢様」
考え込むお嬢様にそっと耳打ち。
「大旦那様の養子となった時に署名した二枚の----」
話の途中で思い出したのか、表情が変わるお嬢様。読まないでサインをするから……。
「思い当たる節があった様だな」
そんなお嬢様にルゥが声をかけた。
「なにも貴子ちゃんを子分にするとかではないので安心せい。ここだと普通の市民だと不便らしいから、名義だけでもな」
「ですがっ!」
ルゥは恩を着せる風もなく自然に言ったのだが、お嬢様は納得がいかないのか反駁しようとする。
「ふむ、我は富蔵ちゃんの一宿の借りを返したかっただけなのだが……。その事で我も話したいことがある。後で貴子ちゃんの家に行かせてもらうぞ」
ルゥが真面目にお嬢様に問うと、お嬢様も「わかりましたわ」と大人しく引き下がるしかなかったようだ。貴族相手には反論もままならないのかも知れない。ルゥが気にしなくても、お嬢様が気にしてしまうのだろう。
何が気に入らないのか、道中無言であったお嬢様と帰宅した。勝手に従士にさせられたのが気に入らないのか、騙しに近い形でサインをさせられたのが気に入らないのか、施しを受けたようで気に入らないのか、まともな反論が出来なかった自分が気に入らないのか、あるいは、全部なのか、兎に角、道中のお嬢様は不機嫌オーラ全開であった。
「ただいま帰りましたわ」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
待っていましたとばかりに出迎えたのは、バトラーさんであった。
「元使用人達の再雇用は進んでいまして?」
「滞りなく」
お嬢様はバトラーさんの顔を見るなり質問をぶつける。松尾さんがスチュワートに雇われたということもバトラーさんは把握しているのだろうか?
「それはなにより。着替えてきますわ」
お嬢様は満足気に微笑むと二階へと上がって行った。豹変した松尾さん達と遭遇したのに微笑むことが出来るお嬢様は強い人である。……が、俺はそこまで強くない。
「バトラーさん、お話があります」
「なんでしょう?」
「松尾さん達がスチュワートに雇用されているのですが……」
「スチュワート様は伯爵位を持つ貴族です。「様」を付けなさい」
大旦那様は柔和な笑顔を崩さずに続ける。
「松尾達も新しい勤め先が見つかったようで何よりです」
「ですけど、スチュワート…様はお嬢様を誘拐しようとしたんですよ⁉」
「お嬢様はハガン候の従士となっているので理由なく連れ去ることは出来ません」
「しかし……」
「今後も口実を作る為に嫌がらせをしてくるでしょうが、我慢しなさい」
バトラーさんは俺に注意するような口ぶりであった。
「なんで彼はお嬢様に拘るのですか?」
様を付けるのは癪なので、『彼』呼ばわりしてやった。
「知ってどうするのですか?」
「どうするって……」
「それが納得できる理由であっても、あるいは、その逆であっても判断に影響しない程に君は強い人間なのですか? それに理由を知ったとして何が出来ると言うのですか?」
「……」
「いかんともし難い事は気にせずに、お嬢様を護ることだけを考えていればいいのです」
バトラーさんに理由を聞いても無駄だろう。
「そういえば、ハガン候と言えば、ルゥが後で来るそうですよ」
「ふむ……そうですか」
バトラーさんにしては珍しく、考え込んでいるのか緊張したのか神妙な表情を少しだけ見せたが、すぐに元の柔和な表情に戻っていた。
「貴子ちゃん~、来たぞー!」
それから一時間としないうちに、馬に乗ったルゥが同じく騎乗した大男二人と共にやってきた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
そんなルゥをドレス姿のお嬢様が恭しく迎え入れる。ルゥはと言えば一言「うむ」と言って、大男を一人、馬の番に残し家の中へと入ってくる。以前と変わらぬ態度であるのに、身分の上下を感じるのだから不思議である。
応接間でお嬢様とバトラーさん、そしてルゥが対峙する。そしてそれぞれの横で立っている俺と大男。このおっさんはなんで鎧姿なんだ?
俺が素朴な疑問を抱いていると、ドアが叩かれた。バトラーさんが俺を一瞥。開けろと言うことらしい。
ドアを開けると花代さんが紅茶とクッキーを盆に載せていた。花代さんが部屋に入ろうとすると大男が声をあげた。
「おばちゃん、悪ぃな。俺達は余程信用してない限り、外じゃ飲み食いしないことにしてんだ」
そうなの? お宅のお姫様はお嬢様の屋敷で酒と干し肉を食い散らかしていたけど。
「そうなのか?」
お姫様も知らなかったらしい。
「頼みますよ~。御屋形様もそれで毒殺されそうになったんですから」
「ふむ、勉強になった」
大男が呆れているとルゥは初めて知ったと言わんばかりに頷く。
「そう言うことらしいので下がって良いぞ。どの道、長居はできんしな」
ルゥが偉そうに花代さんを下がらせる。
「さて、単刀直入に言うぞ」
そしてルゥがお嬢様に切り出す。
「我らと一緒に来ぬか?」
「それは従士として勤めろと言うことですか?」
お嬢様がルゥに確認の質問をぶつけた。
「語弊のある言い方だったな。もうじき冬が来る。冬が来れば道が閉ざされ帰れなくなるのじゃ。だから我らはこれから出立致すのだ」
「あ、俺達はその連絡に来たんッスよ」
「黙っておれ」
無駄なアピールをする大男をルゥが叱った。なんともよくわからない二人組である。
「なにやらきな臭い噂が出ている様じゃし、我としても富蔵ちゃんとの約束でお主を護らねばならん」
ここでルゥが一呼吸。
「……が、離れてしまっては護るのにも限度がある。そこで従士云々は別として、一緒に来てもらいたいのじゃ」
殴り回るだけでなく、意外と考えているものだと少々感心してしまった。
「お気持ちは有難いのですが、わたくしは行けません」
お嬢様は即答。
「なんでじゃ?」
「理由は三つ。お爺様の喪が明けていないうちに都を引き払うことなど出来ないこと。お父様の安否が不明な事。そしてなにより、当家が雇っていた者たちの生活状況を把握していないことです」
ルゥは暫し考えたのちに反論を始めた。
「喪が明けてないのと都を離れられないのは直接関係ないじゃろ。なんなら我の土地で喪に服せばよかろう。それにお主を護って欲しいというのは富蔵ちゃんの遺言でもある。貴子ちゃんの父上は……諦めろ。お主の家で雇っていた者は我らが引き取ろう。これでどうじゃ?」
「……他の二点は兎も角、三点目は無理でございます。冬で道が閉ざされるのでは、今から連絡してもそちらに行けない者が大部分ですわ」
大旦那様や旦那様よりも使用人達を優先するのは、流石はお嬢様といった感じである。
「……お嬢様、よろしいですかな?」
お嬢様が頷くと、バトラーさんは続けた。
「先ほど申し上げました様に再雇用はほとんど終わっております。残りの者に関しても私が残りますので……」
「バトラー、わたくしを見くびらないでください。如何に当家の者たちが優秀であったとしても、一万二千六十八人の勤め先が一日、二日で見つかるはずがありません。それ以前に、遠隔地に住む者達には連絡すら届いていない筈です」
そんなに雇っていたのか。一の桁まで把握しているお嬢様も凄いが。
「大部分の者たちは実業をそのまま引き継ぐので……」
「それは希望的観測でしょう? 仮にそれが事実だとしても、わたくしには自分の目で見届ける義務があるのです」
「ですが……」
珍しくバトラーさんが粘る。
「これはわたくしが決めたことです」
「……」
バトラーさんが無念さを滲ませて押し黙った。ここまで感情を表すバトラーさんは初めて見た。
「……ふむ、ではこうしよう。三か月後、冬が終われば再び来よう」
ルゥが二人を仲介するように話す。
「その時に新たな仕官先が見つからなかった者達と共に貴子ちゃんが我らの土地に来る……これでどうじゃ? もちろん、バトラー殿と馬野もじゃぞ」
「最大一万人以上の雇用ですわよ?」
「我を馬鹿にするな。一度言った以上は意地でも雇って見せるわ! もっとも、少しは減らしておいて貰った方が助かるな」
そして豪快な笑い声が部屋中に響き渡る。
「……わかりました。ルゥ様のご厚意に甘えさせていただきますわ」
「うむ、うむ」
ついに折れたお嬢様に対してルゥが満足気に頷いていた。だが、バトラーさんの表情は相変わらず浮かないものであった。
「それではまた会おうぞ!」
言うが早いか、ルゥはその身長でよくぞと感心させる跳躍で馬に飛び乗った。
そして二騎を従えて去って行く。その後姿を見ていると横でバトラーさんがお嬢様に話しかけていた。
「……お嬢様、私はこれから人に会う約束がございますので夕飯は共に出来ません。ご容赦を」
「そうですか。色々と手間をかけているようですわね」
「いえ、とんでもございません」
バトラーさんは先ほどまでと違って、何時もの柔和な表情に戻っていた。




