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第四シリーズ

001 クロの過去

 生まれた時の記憶は、白鴎組という暴力団で暮らしていた時から始まった。けれども、その組織には俺の血縁者はいない。ようやく物心がつき、ある程度の知識が貯まってから、周りの人間に聞いてみた。

 その結果は、捨て子という事実を突き付けられただけだった。

 当時のその組の若頭は結構な女好きで、あちこちで女を抱いては孕ませていたらしい。その話をどこかで聞いたのか、強姦され、俺を孕んだ母親が犯人と勘違いして押し付けてきたんだって。そこで組員達は俺を鉄砲玉にしようと育てた。俺は使いつぶされるのが嫌で必死になって勉強し、組に貢献して生きながらえてきた。知識や資格は、その時に覚えたものだよ。

 向こうも利益が生まれると簡単には使いつぶせなくなってきた。そんな時だった。




 あの女が現れたのは。




「……あの女?」

 座卓を囲むように腰掛け、煙草を咥えながらリナは、自らの過去を語るクロに聞いた。

 通り魔を殺した翌日、疲れが取れないので今日は仕事を休もうとした矢先だった。ペットであるクロが聞いて欲しいと自らの過去を話してきたので、主人であるリナはいつもの私服化した制服に着替え、ニコチンで脳を覚醒しつつ過去話を聞いていたのだ。

「俺が英語を覚えた、四、五歳の時だったと思う。その女は自分から若頭に近づいてきたんだ。もちろん、なんらかの理由があったんだと思うけど……」

「というかクロ、英語話せたんだ……」

 話は続く。

 どうも学会から追放された研究者だったらしく、研究物資の調達で近づいてきたのだろう。若頭に抱かれる以外は調達した資金や資材で生体実験を繰り返していたらしい。

「生体実験?」

「こう言い換えた方が分かりやすいかもしれない。……人体実験だよ」

「っ!?」

 呼吸が止まる。

 リナの肺に紫煙が流れ込まないまま、クロは話を続けた。

「分かっていることは三つ。大まかだけど、研究内容は人体の感覚器官の強化。つまり……」

「あのグロイ目の通り魔は、実験体、ってこと?」

 クロは頷いた。

 リナ達の話や新聞の中身を吟味してクロが立てた仮説だが、死体のニュースが流れないことから、その話が真実だと証明されている。

「あの通り魔のことがニュースになっていない。死体を誰かが、きっとあの女が隠したんだ」

「にゃるほどね~……それで、後の二つは?」

 クロは若干言いよどんだ。それでも話すべきだと、口をどうにか動かす。

「もう二つは、その一つは、俺の身体のどこかに、研究データを隠したマイクロフィルムを隠していること。人体実験こそされなかったけど、ストレス発散の虐待ついでにやられたから、たまったものじゃないよ。しかも今時マイクロフィルムって……絶対アナログ派だ、あの昭和女」

「そりゃ最悪だ……」

 他人事のように語るリナだが、それをジト目で見つめてから、クロは言葉を繋げた。




「……その女の名前、常坂晴美ときさかはるみって言うんですけれど。ねえ……常坂璃奈ときさかりなさん」

「……………………えっ?」




 突如語られた自らの名前に、リナは思わず呟いた。

「クロ……ワタシの名字知ってたの!?」

「いや、通帳に書いてあるじゃん」

「あ……」

 そう言えば家賃の引き落とし手続きやってもらったことがあったな、とリナはしみじみと思い出していた。




002 交差

「えっとつまり……記憶をなくす前のワタシを知ってたってこと、クロ?」

「そこがよく分からないんだよね。最後の一つが、何年か経ってからその若頭との間に子供を作ったって聞いたことなんだけど、時期と年齢、そして顔立ちが似ているから多分そうだとは思う、んだけど……実際はどうだか…………」

 似ていると気づいたのは、初めて出会った時にファーストフードで向かい合って食事をした時らしい。それでも一緒にいたのは、危険がないことと、灯台下暗しでしばらくは向こうも気づかないからだろうと考えてのことだと。

「でもそうなるとおかしいんだよね。……あの女が娘に関わっていない、いや存在に気づいていないとしか思えなくてさ」

「あ~どゆこと?」

 話についていけなくなり、リナはまだ半分残っている煙草を灰皿に押し付けた。流石に暢気に煙を吹かしている場合ではないと考えてのことだ。

「いやだって、娘の現状を常に知っていたら、俺のことにもすぐに気づくでしょう。なのにいままで向こうから接触してくる気配がない。それってつまり、娘の現状をまったく知らないってことにならない?」

「あ~なるほど」

 ようやく納得し、リナは頷いた。

「腹痛めて産んだくせに愛着がない、とかじゃないの?」

「だといいんだけど……死んだわけじゃないんだし、存在そのものを知らないはずはないんだけどな…………」

 心配そうに虚空を見つめるクロ。

 それを眺めていると、リナの中で、一つの疑問が生まれた。

「……ねえ、クロ」

「ん?」

 座卓に頬杖をつき、リナは生まれたばかりの疑問を投げかけた。

「もしかして、ワタシのこと……」

 ……その言葉は続かなかった。

 突然鳴り響いたアップルフォンの着信音に遮られたリナは、言葉にするのを中断してスワイプし、電話に出る。

「もしも」

『リナ逃げろっ!! あの通り魔の黒幕が報復に来やがったっ!!』

「えっ!?」

 電話からはもう言葉が聞こえてこなかった。後に流れてくるのは車のエンジン音と子供の泣き声、そしてリナが聞き慣れているものとは違う破壊音……大口径の銃弾が鳴らす着弾音だった。

「……思ったより動きが早い」

「っ……!!」

 クロの呟きにリナは思わず立ち上がり、そのまま胸倉を掴み上げた。そして、今ペットに手を上げても仕方ないと悟り、手を緩めた。

「もうこの生活は終わりだ。……俺は消える」

「…………」

 無言で佇むリナに構わず、クロは事前にまとめていた荷物を手に取った。

「今までありがとう。……さようなら」

 そのまま出ていこうとする青年の背中に、少女は小型の自動拳銃を構えて、銃口を向けた。




 拳銃の発砲音がアパートの中に響く。




003 襲撃

 放たれた弾丸は真っ直ぐクロの横を抜け、年季の入った扉を貫く。次に外から響いてきた物音で、クロは漸く事態を察した。

「……ごめん、巻き込んだ」

「どっちにしても、ワタシも通り魔を殺したから……こうなってもしかたないって」

 クロは扉を壊す勢いで外側に開け、銃弾を受けて呻いていた襲撃者を突き飛ばした。しかし次々と群がってくる他の襲撃者達を見て、クロは扉を強引に閉めて鍵を掛ける。

「どこか逃げ……道はなさそうだね」

「いやまったく……」

 窓から入って来た襲撃者の一人が、拳銃を突き付けたままリナの拳銃を受け取り、外に投げ捨てていた。拳銃が落ちて壊れる音が、日常が壊れる音に聞こえたと、後にクロは語った。




 襲ってきたのは、常坂晴美の関係者で間違いないだろう。というのも、襲撃して来た者達が一様に、通り魔を殺したリナよりもクロの方に意識を向けていたからだ。

「今までどこにいたのかと思えば……まさか、こんな小娘と一緒にいたとはな」

「どうりで見つからないわけだ。というか、普通ウリやってる年下少女に養われるかお前?」

「羨ましいぶひぃ……」

 最後のロリコンくさい太めの男を残りでボコりながら、アパート横の路上に二人を並べて膝立ちに座らせていた。両手も頭の後ろに組ませているため、咄嗟に動くことが難しい体勢だ。

「にしてもさ~」

「なに?」

 意識を向けられているとはいえ、今は片手間に変態発言する男を『仲間外れ』にすべくけなしている最中なので、リナ達が話していても、注意する者はいなかった。

「あのおっちゃん達クロのこと若干睨んでなかった? 一体何したの?」

「何って……逃げるために連中ごと研究施設爆破したら流石に怒るでしょ?」

「そりゃそう……ちょっと待って、クロ。ワタシって例の黒幕の娘かもしれないんだよ、ね……」

 リナは小声でクロに、今思いついたことを尋ねてみた。




「もしかして……ワタシの記憶喪失って、クロがやった爆発のせいじゃないの?」

「……ごめん、今まで黙ってたけど、時期的にその可能性、けっこう高い」




「さて話を戻……何やってんだお前等?」

 頭の後ろで手を組んだまま、折りたたんだ肘でクロの頭を何度も小突くリナを見て、襲撃者の一人は呆れて腰に手を当てた。

「制裁」

「を受けています」

「まあいいけど……とりあえず話を戻すから、そこの嬢ちゃんはじっとしてろ」

 とはいえ話は単純で、実験体の報復兼口封じに来たところに、今まで行方不明だった研究記録クロを見つけたので、むしろそちらを優先すべきではないかという話になっているのだ。

「で、今指示を仰いだら、まずお前を連れて来いとさ。というわけでこっちに来い」

「……彼女はどうなる?」

 リナの安否を気遣うクロに、襲撃者は肩を竦めて答える。

「悪いが、殺すしかないな。薬漬けは手間だし、後ろの変態は犯したがってるが、援交やってる人間が、レイプ程度で精神崩壊するとは思えんしな」

 むしろ、暴走するから助かる可能性高いんだけどな~。

 等と内心考えるリナだが、助からないとみて、思ったより早い人生の終わりだなぁ、と諦めかけた。




004 脱出

 その時だった。甲高く鳴り響くクラクションに、この場にいる全員が視線を向けた。その方向から、ライトをつけた車が突っ込んでくるのが見える。

白藤しらふじだけ連れていくぞ。小娘は放置!!」

「えっ、クロの名字白藤っていうの!?」

「……今その話、どうでもいいよね?」

 クロの名字という現状では後回しでもいい話題を最後に、二人は引き離された。その間に割り込むように、クラクションを鳴らしていた車が停車した。

「あれ、この車って……」

 リナはその車に見覚えがあった。

 すると予想通りというべきか、運転手が拳銃よりも大きな銃、軽機関銃サブマシンガンを構えて襲撃者達のいる方に向けた。

「早く乗れリナっ!」

「ったく……ごめんクロっ!!」

 後部座席のドアを開け、転がり込むように車に乗るリナ。後ろのドアが開いたままにも関わらず、運転手は軽機関銃サブマシンガンを左手に構えたまま右手でハンドルを握り、アクセルを思い切り踏み込んだ。

 襲撃者達も飛びつこうとしたり、銃を構えたりしたが、結局車を逃がすことになった。追いかけるかどうかを話し合う連中を尻目に、路上に尻もちをついたクロは、視界から消えていく車を見つめながら、どことなく納得したように溜息を吐いた。

「ああ、そうか。そういうことか……おいあんた等」

「ああ、なんだ?」

 若干苛立っている彼等に構わず、クロは口を開いた。




「……あんた等も追われてるんだろ、白鴎組に。一体何やらかしたんだ?」




 アパートから離れた人気のない駐車場に到着し、リナは車から降りて運転席横のドアにもたれかかった。窓も開いていたので、半分身を乗り出している。

「……で、何で助けてくれたの?」

「こっちにもいろいろあってな……」

 そう呟き、車を運転していた売人のゴロウは、エンジンを切らずにハンドルから手だけを外した。

「白藤の奴から、どこまで聞いた?」

「その名字自体、さっきはじめて知ったんだけど?」

 とはいえ、リナはクロが話してくれたことを全部伝えた。それを胸中で吟味した上で、何をどう話すべきかをゴロウは考える。

「まずはじめに言っておくと、俺と奴は顔見知りだ」

「うん、で?」

 まずは顔見知りの理由から話すか、とゴロウは方針を決めた。

「元々あのアパートのオーナーは俺だ。大家は別に信頼できる奴を置いているが……というか、気づかなかったのか?」

「なにが?」

 こいつ意外と鈍いな、とゴロウは内心で呟いた。

「手数料の関係で、自動振り込みならともかく、現金引き落としに関しては支払う相手、つまり俺の了承も必要なんだぞ。それなのに家主のお前が何もしてない状態で、すんなり手続きできると思ってるのか?」

「……え、でもクロはやってくれたけど?」

 こいつよく今まで生活できたな、とゴロウは思うが、決して口には出さなかった。

「まあつまるところ、銀行に手続きに行く前に、大家に顔を出してたんだよあいつは。その時偶々俺もいたから、ついでに挨拶だけしておいたんだ。ここまでは?」

「まあ……なんとか」

 この期に及んで、続きを話すことをためらうゴロウだが、それでも話さなければ先に進めない。溜息を吐きつつ押し出すように、話を続けた。

「適当な偽名で名乗ってはいたが、その時点であいつの正体には気づいていたんだよ。けれども、リナが追い出さない以上、別にいいかと放置していたんだ。最初の数週間は見張りも兼ねて大家の部屋に泊まっていたがな。……お蔭でお前との時に飲んでいる薬まで持ち出す始末だぞ。金ばっかり飛んでいくな、お前と関わると」

「え、ちょっと待って……ほんとどういうこと? いきなり名前呼びだし、全然話についていけないんだけど」

 頭を抱えて悩み込むリナ。その頭上に、ゴロウは事実を簡潔にまとめて告げた。




「だから……異母兄妹の生活を見守るために、俺が時折客として、妹であるリナを買っていたという話だ」




 次の瞬間、リナは車から離れてゲェゲェ吐いた。




005 異母兄

「言っておくが、吐きたいのはこっちだよ。俺一応大家と付き合ってるんだぞ。それなのに腹違いとは言え、妹のお前に舐めさせてたのかと思うと……」

「こっちの方がショックだっての!! というか大家って、あれニューハーフじゃんっ!! いきなり出てきた腹違いの兄ちゃんがホモの時点でもう最悪……」

「いや、流石に男々しいのは好きじゃないんだが、どちらかというと男の娘というか、可愛い女の子やきれいな姉ちゃんのあそこに竿がついているのが好きであって……」

「どっちも一緒だってのこの変態っ!!」

 互いに罵り合うも、このままでは平行線だと仕方なくリナの方から歩み寄った。とは言っても、流石にもうドアにもたれたりはしなかったが。

「というか、よく信じられるな。今の話」

「嘘ついてるかどうかくらい分かるっての。……じゃないととっくに死んでるってば」

「嘘が分かる、ね……」

 ハンドルにもたれて考え込むゴロウを、リナは不思議そうに眺めた。

 リナの話の真偽をはかるというよりも、別の心当たりから信じるべきでないかと考えているような顔に、ただ首を傾げる。

「まあいい、話を戻すぞ。……単純に言えば、俺達のオヤジがお前のお袋と仲違いしたんだ。そして白藤の脱走の後、オヤジは記憶喪失のお前を引き取り、知り合いの娼婦に預けていたんだ。独り立ちするまでな」

「独り立ちって……ああ、だから援交し始めた途端に出てったのか」

 ポン、と手を打つリナを見て、ゴロウは頭を抱えたくなってきた。

「母娘揃って身体売るとは思わなかったけどな。まあ、育った環境が環境だから、仕方ないんだろうけど……」

「まあまあ、それよりも……」

 そう言いつつ、リナは車を回りこんで助手席側に立ち、座席の上に置いてある軽機関銃サブマシンガンを指差した。

「兄ちゃん、これ頂戴」

「…………いやいやいやいやお前こら愚妹ちょっと待て」

 慌てて手を伸ばすが、リナの方が早く、弾倉を抜いて残弾を確認し始めていた。

「お前、自分の正体とか虐待された環境とか知りたくないのかよ。何故真っ先に戦闘準備?」

「いや、だって……」

 弾倉を戻し、軽機関銃サブマシンガンを肩に乗せてからリナは答えた。

「正直楽しければ過去は振り返らない主義だからさぁ、どうでもいいんだよねぇ~」

 顔は笑っていた。けれどもその目は違い、何の感情も抱いていない空虚なものだった。

「だからさ……大事なペットを取り返さないと、ワタシの気が済まないんだよねぇ」

「お前、まさか…………いや、まあいいか」

 ゴロウは車から降り、トランクからあるものを取り出した。リナも見覚えのある、彼がいつも商品を仕舞っている鞄だった。

「先に聞いておくぞ。……遠巻きにしか守ろうとしない父親と、娘のことを何とも思っていない母親、お前はどっちにつくんだ?」

「そんなの決まってるじゃん」

 リナは当たり前のように宣言した。




「……ワタシがやりたいようにやって、立っている側につく。それだけだってば」

「そうか……」




 ゴロウは鞄を開け、中にある軽機関銃サブマシンガン用の弾倉と予備の弾丸、そして彼女が持っていた小型の自動拳銃と同型の銃を取り出し、腹違いの妹に差し出した。

「忠告だが、オヤジはお前のお袋を殺そうとしている。その理由はお前にも関係はあるが……過去を知っても知らなくても、関わらない方がいい。いいな、白藤だけ連れてさっさと帰れ。アパートでも、他の場所でもいいから」

「うん、了解。……ま、その時になってから考えるからさ」

 いつもの私服化した制服のポケットに弾倉を詰め込み、自動拳銃をスカートのベルト部分に差す。最後に軽機関銃サブマシンガンを剥き出しに構えて、準備は整った。

「スクバがあれば良かったんだけどね~……あ、そうだ。ミサなんだけど」

「お前の友達か? それなら知り合いの殺し屋を送っておいた。腕は確かだから、逃げきれれば助かるだろう」

「サンキュ、兄ちゃん」

 ゴロウに背を向け、リナは歩き出した。

 向かう場所は見当がついている。クロも利用したGPSを使えば、今どこにいるかは大体分かる。

「いいか、絶対にオヤジ側に攻撃するなよ。無駄に敵を増やすからな!」

 背中に受けた腹違いの兄の忠告に、リナは手を振って応えた。




「はあ……これで良かったのかね」

 リナが視界から消え、運転席に戻ったゴロウは、またハンドルにもたれながら、妹のことを考えた。

「…………何で気づかなかったんだよ、俺」

 気づく材料はあった。リナの部屋から出るゴミを見れば、気づいてもよかったはずなのに。クロが来るまで、分別のために、別途確認していたのにも関わらずに、だ。

 自分の意思で生きていくならば無暗に干渉しないという、父親の考えに賛同したためのこの体たらく。兄貴として、ゴロウは内心情けなくて自嘲気味になっていた。




「あのことに……リナが内心気づいていたなんてな…………」




 彼の言葉は誰にも聞かれず、ただ夜風にかき消されていく。




006 手術

「エビでタイが釣れる……ってこのことかしらね?」

「さて……ただ、欲しいものが手に入るのは良いことだと思いますがね」

 局所麻酔で朦朧とする中、クロの耳に聞こえてきたのは医者と女の話し声だった。

 医者の方は分からないが、女の声はよく知っていた。逃げた後もよく夢に見ていた。流石にリナには悟らせなかったが、こっそり起きて寝汗を拭くことも珍しくはなかった。

 もっとも、リナには気づかれて見逃された可能性が高いが。

「それにしても、道理で見つからないはずだわ。まさか一人暮らしの女の子の家に隠れていたなんて」

「流石に人伝だと限界がありましたな。なんせあそこは連中のシマ、動けばすぐにバレてしまいますからな」

「ホント、男一人ならすぐに見つけられたってのにね」

 クロを見下ろす女性。老けてはいるが、どことなく彼女と顔立ちが似ている。

 常坂晴美。リナの母親と思われる人物。そして、クロを虐待した張本人。

「しっかし、昔気質ってホント嫌になるわね。自分達だって鉄砲玉に使うしかないとか言ってたくせに、いざ虐めてたと分かると掌を返すなんて」

「よくある話でしょう。『死にたくなければ力をつけろ』なんて。裏の世界じゃ、愛情の有る無し問わずに育てるてっとり早いやり方ですって。自分の力で育てられると考えない人間がよくやるやり方ですな」

「なるほどね。……ま、さっさとフィルムを取り出してから高飛びしましょう。これだけでまた、研究資金の足しになるんだから」

 外道、と言うかもしれない。あの人達ならば。

 クロも別に、この世の全てを恨んでいるわけではない。物心ついた時こそ恨みはしたが、知識を身につけ、視野が広がるにつれて恨みは薄れた。いや、たった三人に集約したのかもしれない。




 母親を犯した強姦魔。

 暴力団に捨てた母親。

 そして、人を何とも思わないこの女に。




 確かに厳しかったが、それでも鉄砲玉以上の価値があると見ればできる仕事を頼み、その報酬代わりもきちんと用意してくれた。……まあ、色事関連だった時はあほかとも思えたが。

 いつも『鉄砲玉にする』と脅しながらも、それでも育ててくれた人達がいたから、広がった視野と相まって生きようと思えていた。

 それなのに、この女が出てきたせいで人体実験の片棒を担ぐ羽目になったのだ。最初は逃げ出した後、組に戻ろうかとも考えたが、この女と結託していると考えた途端、足が遠ざかった。それでも生きようとして、ホームレスになり……。




「そういえば、聞きましたかな?」

「なにがよ?」

 カラン、という音が手術室に響いた。どうやらマイクロフィルムが取り出されたらしい。

「こいつを養っていた少女、あなたに似ていたとか」

「似てたって、他人のそら似なんていくらでも…………ちょっと待って、まさか」

 女は握っていた拳銃を降ろし、顔をクロに近づけた。

「ねえ、その娘って何者?」

「…………」

 よく聞き取れないので、さらに耳を近づける。

 麻酔で身体が思うように動かないが、それでもクロは口を動かし、もう一度同じ言葉を放った。




「……俺の飼い主だが、それがどうした?」




 女は再び拳銃を構え、用済みと化した青年に銃口を向けた。




 銃声は二ヶ所、近い距離で鳴り響いた。




007 銃撃戦

 銃声が鳴る少し前。

 クロをさらった黒服達が缶コーヒー片手に見張りについていた。現在彼らがいるのは、倒産した会社の施設を基に作られた拠点だ。医療設備に関しては流石に他所から持ち込まなければならなかったが、それ以外であれば生活基盤が一通り揃っているので、安く買い取るだけで事足りた。

「さて……お前等、これからどうする?」

「どうするって……高飛びの件か?」

「まあ確かに、信用できんわな。捨て石にされそうだし」

 等と話す仲間に手を振り、最初に発言した黒服が話の舵を切った。

「んなこたどうでもいいんだよ。俺達犯罪者に安定した生活なんて期待できるかよ。……じゃなくて、そろそろ逃げてもいいんじゃないかってことだよ」

「逃げるって……裏切るつもりか?」

「まあ、無難だな。そろそろ報酬外の面倒事がやってきそうだしさ……」

 それぞれが自動拳銃を構えて、銃身のスライドを引いた。

 ひたひたと響く足音、誰かが近づいてきているのだ。

「噂の白鴎組か?」

「もしくは別の犯罪組織?」

「幽霊じゃありませんように……」

 しかし、歩いてきたのは見覚えのある男だった。同じ黒服を身に纏う彼を見て、一同はようやく銃を下した。

「おい、お前かよ……びっくりさせんな」

「まったく……で、俺達から借りた金で女買いに行ったんだろ。成果はどうだったんだ?」

「さっきの小娘抱けなかったからって無駄にごねやがって。……ちょっと待て、それにしては帰りが早……」

 偶然かは知らないが、クロのいる手術室と同時に銃声が鳴り響いた。音の発信元は、近づいてきた男の背後だった。




『へいへい彼女~こんなところでなにしてんの~』

『あん? ああ、あんたか。いつものお仕事だけど?』

『それでなんで、こんな人気のないところに?』

『客がここ指定してきたんだよ。ああ、かったりぃ』

『何なら変わろっか? 労働なしの五万とここでお仕事の特大報酬とどっちがいい?』

『労働なし。余裕あるから、無理して稼ぐ必要もないしね』

『ほいほい……ほい五万』

『はいどうも。……ところで、首突っ込んでんのはやばいこと?』

『やばいこと~』

『じゃあ帰る。客はここで待ってたらすぐ来るから、絶対にこっちを巻き込むなよ』

『りょうか~い』




 そして来た客が例の襲撃の時に見たロリコンくさい太めの男だったので迷わず持っていた銃器で殴り殺した。元々目的地は分かっていたので、ついでとばかりにこれを盾にしたリナは、施設へと入り込んで見張りに発砲していたのだ。

「いやぁ~顔見知りに会ったのはついてたね。……っと」

 未だに呻く男に死体を投げつけてから、リナは小型の自動拳銃を仕舞い、代わりに軽機関銃サブマシンガンを構えた。

「あ~重かったぁ~……」

 男達の持つ自動拳銃に構わず、リナは施設の中へと入っていった。




008 銃撃戦2

 施設は広いと言っても、複雑な構造ではなく、単純に広い部屋を直結させたようなフロアが重なっている建造物にクロ達はいるみたいなので、一度辿り着けた今となっては、もう迷う理由はない。

「どうしたものやら……」

 流石に施設内で発砲したのはまずかった。

 入った途端、階段に前に陣取った他の黒服達が、休憩用の椅子やテーブルを盾にして発砲してきたのだ。近くに落ちていた窓ガラスの破片を鏡代わりにして覗きこんでも、男の数以外、発砲当初から隠れるまでの光景と大差がなかった。

「どうしよっかな~クロお手製の閃光弾は持ってないし~……あ」

 ふとポン、と手を打ち、リナはそのまま建物から離れた。銃撃がやまないなと考えながら身を低くして進み、目的の場所を見つけた。

「あったあった、っと」

 そうして見つけた非常階段を進んで行くリナ。目的の階まで進めば何とかなるか、と考えて。

「……げ、煙草が落ちてる。また誰かが吸いに来ない内に……ってあれ?」

 リナが吸っているのと同じ銘柄だったこともあってか、思わずその不自然な煙草を拾い上げていた。

「咥えた後があるのに……火が点いていない?」

 なんでこんなもったいないことを?

 しげしげと眺めながらも階段を上るリナだが、目的の一つ下の階で足を止めることになった。

「やっぱり来たか~」

 弄んでいた煙草を投げ捨て、片手で構えていた軽機関銃サブマシンガンを両手で構え直すリナ。そのまま近づいてくる足音に向けて扉越しに銃口を向け、そのまま引き金を引いた。




 ガガガガ……!!

「派手にやってるな……どうだ?」

「これくらいなら……しかし、これはひどい」

 その男達は強引に乗り込み、人の手術を横から攫ったのだ。ただし、ひどいのは環境や最初に行われていた手術の腕ではない。

「いくらマイクロフィルムとはいえ……普通、睾丸に隠すかな?」

「それは、たしかにひどいな……」

 乗り込んだ男達は三人、そのうちの一人である男は手術をし、もう一人は少し離れた壁に背中を預けて銃を弄っていた。そして、最後の一人である男は……。

「そう言えば……オヤジ達はどこに行ったの?」

「隣の部屋にあいつら連れて行った。今頃長い話でもしているんじゃないか?」

 階下の銃声とは違う音が響くが、二人は関せずと見張りと手術を続けた。




「あと兄さん、一応銃も消毒しておいてよ。ここで雑菌が入ったら対処できないんだからさ」

「大丈夫だ。俺毎消毒液被ってるよ。一緒にぶっかけただろうが」

「あれはこれよりましとはいえ、本当にひどかった……」




009 銃撃戦3

「あらよっとぉ!!」

 扉を蹴り開けて施設内に転がり込むリナ。一階に降りようとしていた連中が仲間が撃たれたことを知り、お返しとばかりに発砲して来たので、すぐ近くの部屋へと勢いを殺さずに飛び込んでいく。

「あでっ!! あたた~……」

 置物にぶつけた頭を摩りつつ、部屋の外に軽機関銃サブマシンガンの銃口だけを差し出して、弾丸をばら撒いて行く。流石に装弾数は少ないが、向こうの人数も少ないので十分事足りた。……今のところは。

「やっばいな~下からどんどん来てる……」

 おまけに適当に撃っているだけだから、弾丸が当たらずに、ほとんどが生き残っている。いや、もしあたっていても軽傷の場合が多いのかもしれない。唯一の救いは、明かりがほとんどないので、向こうも狙いをつけづらいということだけだろう。

「どっちも変わらないか~、てかこれ駄目だな。役に立たない」

 軽く軽機関銃サブマシンガンに八つ当たりするリナだが、当人の腕という問題があることも自覚している分、内心情けなさがにじみ出てきていた。

「……練習しときゃ良かった」

 殺し屋になるつもりはないが、護身用として使う以上はある程度使えるようになっていた方がよかったと後悔するも、それは先には立たない。

「まあ、初めてだから仕方ないっか~……さてさて、どうしよっかな?」

 殺されるという不安を軽口で押し殺すリナだが、それでも……手の震えは止まらなかった。

「……やっぱ、直接的な恐怖は違うな~」




「はぁ……終わったか?」

「たった今、これからも医者通いは必要だろうけど……」

 最後の一人が入って来た。その男は何かを引きずりつつ、空いた手で頭を掻いている。

「下ももう来ているのか。手伝いに行った方がいいかね?」

「行った方がいいんじゃないんで? 武器はあっても、結局は女だから……」

 銃を持っていた男が答える。

 すると乗り込んできた三人とは別の声が、この部屋に響いてきた。

「……どうも」

「ん? ……おお。目が覚めたか」

 引きずっていたものを離し、最後に入って来た男は持ち込まれた簡易ベッドに近寄った。

「久しぶりだな。現状は分かるか?」

「その女、というのが予想通りなら……大体は」

「そうか……予想通りかは知らんが、来ているのは『リナ』だ」

 さてどうするか、と考えていると、またベッドの上から声が飛んできた。

「ペットって、どんな動物を思いつきますか?」

「ペット? そりゃあ……やっぱり犬だろ。猫もいいが、もう自由気ままなのはこりごりでな」

「そっか……」

 それがどうした、と聞く暇はなかった。

 局所とはいえ麻酔がかかっている中、どうやったのか、この部屋から飛び出すような大音声が響き渡った。




「……ワン!!」




「……クロ?」

 黒服の仲間達が集まり、弾幕を張りつつ近づいているのに気づいたリナは、軽機関銃サブマシンガンの弾倉を入れ替えていた。その時に、銃声の合間を掻い潜って、一際大きな声が聞こえてきたのだ。

「まったく、後でお仕置きだなこりゃ」

 再び軽機関銃サブマシンガンを構える。もうその手に震えはなかった。

「ご主人様に面倒掛けちゃっても~…………」

 部屋の中にあった置物を投げる。その置物は迷わず、唯一残っていた非常灯を砕き、連中の懐中電灯だけが暗い施設内を照らしていた。

「ふぅ……待っててね、クロ。すぐ行くから」

 決意した彼女が迷うことは、もうなかった。

 リナは右足を持ち上げて、力強く踏み叩いた。




010 常坂璃奈

「俺が常坂晴美を外道だと思ったのはな、人の命を何とも思っていないところじゃない。そもそも、人間ってのは最低でも自分、そして身内の人間には甘い生き物だからな。見知らぬ奴にも甘くできる善人でもない限り、他人の命や生き様を否定するのは当然だ」




 男達の懐中電灯があるとはいえ、施設内の暗さは変わらない。ほとんど見えない中を、リナは駆けていく。時折足音を強くして響かせ……その周囲に反響させていく。




「だがあいつは、自分自身すら研究の材料としていたんだ。自分を含めた全ての命を蔑ろにしているんだ、十分外道だろう。まあ、流石に当人には変化がなかったが……胎内にいた娘の方には影響があった。煙草一本でも胎内の赤ん坊に影響するんだ、まあ当然だな」




 最初、リナの脳内に映ったイメージは暗い通路と障害物だけだった。なのに足音を強く、深く踏みしめる度に、そのイメージは鮮明になっていく。

「よっ!」

 飛んでくる弾丸すら把握するほどに。




「お前が逃亡した後に全部知ったんだが、リナの奴は母親の部下達に色々やらされたらしい。情交はまだ分かるが、小中学生のうちに人殺しのやり方すら叩き込んだのはやりすぎだ。おまけに……研究成果の軍事利用も検証してやがった」




 バリケードに乗り込んで軽機関銃サブマシンガンを振り回した後、リナは弾切れの軽機関銃サブマシンガンを捨て、小型の自動拳銃を抜いて発砲していく。

「やっぱこっちの方がしっくりくるな~」

 スカートが捲れるのも厭わずに飛び跳ね、不意打ちをかわした。




「あいつの能力に気づいた後はひどかった。いや、後もか……まあとにかく、その後はよくある人体実験だ。どこまでのことができるのか。実戦でどのような応用ができるのか。一時期はずっと耳を塞いだまま泣いていたらしい」




「ああ~右足が痛い。……あ、別に音ならいっか」

 ガンガン、と壁に銃床を殴りつけ、音を常に響かせている。そうするだけで、反響定位エコーロケーションの原理で照明がなくても、周囲の現状を把握することができる。流石に弾丸に対してはその都度、音を出して把握する必要があるが、動く分にはそれだけで事足りた。




「もう気づいてるんだろう。あいつが嘘を見抜いたり、相手の健康状態を容易に把握できる理由……耳だよ。今は記憶がなくなっているから無意識にセーブされているが、その聴覚は障害者のように他の感覚を補うどころか、さらに強化されてしまうらしい」




 位置はばれてしまうが、先にどこから来るか知っている分、リナの方が上だった。先に銃口を向け、引き金を引けばいいのだから。振り向く必要はない。既に位置を把握しているのだから。

「ほんと昔っから銃が下手だなぁ……………………ぁ」




「異常聴覚の恩恵は反響定位エコーロケーションだけじゃない。音響を利用して相手の身体状態を把握できるのはもちろん、本来見えない視界を広げる役目も持つ。いやもし全開ならば、もしかしたら共感覚を働かせることもできるかもしれない」




 銃声が響く中、リナは空いた手で耳を塞いでいた。それでも足を止めないのは、自らの本質だからだろう。目的を果たす、そのために立ち止まらない。もし、母親と並んでみれば……その生き方は似ていると周囲に言われることになるだろう。

「ぁ、あ…………こんな、時、に……………………」

 いや、こんな時だからかもしれない……リナは自らの力を再び使いこなし始めていた。それこそ……記憶の扉をこじ開けられるほどに。




「数多くの実験体がいたがな。それでも見た目を変えない、しかし感覚器官の強化は施されている。おまけに軍事利用にまで発展できたのはたった一人。……それが常坂晴美ときさかはるみの一人娘、常坂璃奈ときさかりな…………お前の正体だ」




 目的の階に到達した頃には、すでにリナの能力は限界にまで引き出されていた。そのために、今迄クロ達が話していた内容を、遠くからでも理解できてしまったのだった。




011 選択

「役者は揃った、ってところか」

 そう言った男、白鴎組組長でありリナの父親、鬼瓦武人おにがわらたけひとは周囲を見渡した。

 足元に転がっている、全ての元凶である研究者、常坂晴美ときさかはるみ

 壁にもたれたまま、銃を握っている現若頭の長男。

 ベッドの傍で続きの治療を終えたため、医療用のゴム手袋を外す次男。

 そのベッドの上にじっとしている、自らをクロと名乗る元ホームレスの青年。

 そして、鬼瓦武人おにがわらたけひと常坂晴美ときさかはるみの一人娘にして、異常聴覚を持つ少女、リナ。

 銃口を父母のいる方に向けているリナだが、ただ向けているだけで狙いを定めているわけではない。だからこそ、護衛についてきた長男も銃口を向けているだけで引き金を引く様子はない。

 異常な状況にもかかわらず、父親は取り乱すことなく、自らの娘を見つめた。

「……記憶は戻ったのか?」

「おかげさまで……いやな記憶しかないと思ってたら案の定だったから、もう腹も立たないって」

 息を吐くリナ。

 父親の次は、母親を見下ろした。

「……それ、どうするの?」

「さあな。……で、どうするんだ?」

 父親は母親を踏みつける。どうやら気を失っているらしく、一言も漏らさなかった。

「俺と一緒に母親を虐げるのか、それとも母親を助けてその力を振り回すのか、それとも……」

 彼女がここに来た目的に、変わりはない。

「……クロ、起きてる?」

 最後にリナは、ベッドの上にいる青年、クロに話しかけた。

 答えはないが、多少は動けるらしく、右手を上げて応えていた。

「帰るよ。おいで」

 クロは立ち上がろうとした。しかし、麻酔の効果が残っているのか、ひどくゆっくりとしたものだった。それでも彼は立ち上がり、身体を抱えるように、飼い主の傍へと歩み寄り、

「よっ、と……」

 倒れ掛かるペットを、リナは受け止めた。

「そんじゃ帰るけど……最後に一言」

 受け止めたクロを抱きしめるように抱えたまま、リナはここにいる全員に告げた。

「後でそれにも言っといて……次ワタシのものに手を出したら、ただじゃおかないから」

「……ああ」

 それだけ言い終えると、リナは小型の自動拳銃を仕舞い、クロを肩に担ぐように持ち替えた。

「医者の当てはあるのか?」

「バイセクシャルのおね~さまが一人、心配する必要はないって。……じゃあ帰ろっか、クロ」

 二人は歩き出した。まだ施設内にいる可能性もあるが、もうあの二人を止めることはできないだろう。

「……ところで」

「ん?」

 二人はゆっくりと、施設の外を目指した。




「どこまで行くの?」

「ん~……どこまでも」




012 決着

「ふぃ~あ~疲れた。きゅうけ~い」

「うん、っとと……」

 施設を出た後、二人は少し離れた駐車場に来ていた。車は何台か止まってはいるが、深夜帯であることと、この辺りの人気のなさから、今持ち主がやってくる、ということはないだろう。

「無事……?」

「どうにかね。まさか睾丸とは思わなかったけど……」

「って何が?」

「マイクロフィルムのある場所が」

 けれども、逆にリナは納得していた。

 睾丸に埋め込まれていたから、性欲にも影響していたのだろうと、今更ながら考えてしまったのだから。

「あ、そういえば……」

「どうかした、クロ?」

 コンクリートの上に腰掛けている二人は、車を背にして向かい合った。

「襲撃される前に、電話が鳴ったでしょ。その時に何か、聞こうとしなかった?」

「……ああ、あれか」

 ポン、と手を打つリナは、立ち上がってスカートを払い……小型の自動拳銃を抜いてクロに向けた。

「……どういうつもり?」

「どうもこうも……早く取ってよ」

 銃床を向けられていたクロは、仕方なく銃を受け取った。そのままリナは数歩歩き、青年から少し距離を取った。

「簡単な話。クロはワタシのこと……」




 ……殺したくないの?




 クロは立ち上がらなかった。いや、単純にもう、立ち上がれないのかもしれない。でなければ、思わず立ち上がってしまうような一言を、リナは放ったのだから。

「ワタシはクロの飼い主である前に、クロを痛めつけた女の娘だよ。今迄は記憶がなかったから、殺そうとしなかっただけじゃないのか、って思えちゃってね」

「なるほど……記憶のないうちは殺さない、って根拠は?」

「ワタシが一回、毒を持って帰ったことがあったじゃない。それが根拠。……殺すつもりなら、適当に栄養剤とでもいえば勝手に飲んで殺せたかもしれないじゃない」

「いや、それどっちにしたって……嘘だってばれるじゃん」

「…………あ」

 ちょいちょい矛盾してるな、と思いつつも、クロは弾倉を抜いて、残弾を確認した。

「正直な話、記憶があってもなくても、迷ってることに変わりはないんだよね。……本人じゃないからさ」

「ふ~ん……」

 後ろで手を組み、クロが弾倉を戻すのを確認してから、リナは言う。

「別に殺したいならいいよ。流石に今すぐ母親連れてこいとかは無理だけど……」

「…………随分自分の命を軽く見るね。俺を助け出したことといい、仇討ちとはいえ通り魔相手に喧嘩売ったことといい」

「自分に正直に生きてるだけだってば~まあアカネの件は拳銃あるし、ミサもいるから平気かな~、とは軽く見てたけど」

「……ならなんで、俺に命を預けるの?」

 それだけは答えろ、と言わんばかりに、クロはリナを睨みつけた。思えば、クロがリナに敵意を向けるのはこれが初めてかもしれない。

「別に預けたつもりはないよ。軽く見てるつもりもない。ただ……」

 そういえば、クロには言ってなかったっけ、と今更ながら苦笑してしまう。

 その顔のまま、リナは言った。




「……家族ペットが牙剥いたって、飼い主はいちいち取り合わないでしょ?」




 たった一言の、少女のその言葉が、青年の決断を促した。




013 二年後

「お先に失礼します……」

 長いようで短かった共同生活から約二年、リナが記憶を取り戻してから激変した。

 特に大きいのがクロ、本名、白藤仁人しらふじきみとの生活だった。今迄逃げ回っていたために働けなかったが、その理由がなくなってからはSIer関連の企業に契約社員として入社、その後フリーランスとして人件費を丸々収入に変えて生活していた。もう少し名前と腕が上がれば、会社を起こそうとも計画している。

 普段新聞を読んでいるだけだったが、必死になって身に着けた知識が意外と役立ち、こうして社会人として生活できるようになっている。リナの母親は最悪だったが、父親に関して言えば、恩に思えなくもない。

 寄り道をすることなく、クロは真っ直ぐに家へと帰っていった。安アパートの2階端の部屋、リナという少女と暮らしていた頃から、住処は変わらなかった。

「ただい……あ」

 無論、同居人であるリナも。現在は床に臥せっているが。




 ガラララ……!

『……いいの?』

『いいよ、というか……ほっといても長生きできないでしょ?』

『あ~やっぱりか……』

 リナのことを知る全員が理解していた。……彼女の寿命が短いことに。

 当然ではある。人間は脳によって本来の数割しか全力を出せない。下手に出してしまうと、それこそ寿命に影響してしまう。ましてや、リナに施された異常聴覚は、人体の限界すら超える代物だ。そんなものを振り回せば、いずれ限界が来るのは自明の理だ。

『一応、拾われた恩もあるからね。直接牙を突き立てるような真似はしないよ』

『……間接的にはあると?』

『気が向いたら、あるかもね』

 リナは肩を竦めて、銃を拾い上げた。そのまま仕舞い、クロの方まで歩み寄る。

『というか、死ぬから関係ないとばかりに、飲酒喫煙してたんじゃないの?』

『まあそんなとこだけど、煙草はやめるわ。……多分、父ちゃんと銘柄被ってる』

『そんな思春期の娘みたいな嫌がり方……』

『思春期の娘だワタシはっ!!』

 そうリナがクロにツッコむと、丁度車が近づいてきていた。移動しようとも思ったが、ゴロウの車だったので、そのまま待つことにした。

『ついでに少し休んだら? もう逃げ隠れする理由もないから、俺も働くし。……まあ、追い出したいなら別だけど』

『それはない。……じゃ、帰ろっか。あの安アパートに』

 そして帰ってから二年、あの日以来、リナが身体を売ることはなくなった。




 一度クロと一緒に医者をやっているカオルの下で診察を受けたリナだが、治療法がないという結果しか出なかった。いや、『元々そういう身体』だからこそ、体質を変えることができずに、ただ寿命が尽きるのを待つしかなかったのだ。

 おまけに、一度限界まで聴覚を引き上げてしまったので、ただでさえもたない身体が悲鳴を上げているのだ。そのため、稀にではあるが倒れることもあった。

 まあ、数分もあればけろりと治るのだが、それでも、生きていく上で影響が出てきているのは事実だ。それだけなのかそれ以外の理由があるのかは不明だが、リナが援助交際をやめた事実に変わりはない。

 慣れた手つきで布団を敷いてから、クロはリナを抱えて寝かせ、額の上にタオルを乗せた。

「……熱はないよ、クロ」

「いや、なんとなく」

 丁度目を覚ましたリナは、額に乗ったタオルを投げ捨ててから上半身を起こした。突然倒れる以外は健康体である以上、あまり寝る意味はないからだ。

「にしてもさ……いつも思うけど、なんでクロはここから出ていかないの?」

「出る理由がないからだけど?」

「あ~つまり女ができたら出ていくのか……」

 分かっていたこととはいえ、リナは頭を掻いた。そりゃあ同じ女なら、援助交際も短命属性もなく、自分好みの女を選ぶのは当然だ。まあ、それまでは甘えようかと思っていたが、目の前に差し出されたものに目を奪われた。

「……というわけで常坂璃奈ときさかりなさん」

「え、えっこれって……!?」

 差し出された指輪を見て、リナはうろたえた。

 まさか、幸せになれるのか??

 こんな薄汚れた上に恨みつらみある女の娘だ。おまけに今のクロは高収入で家事万能の社会人。たしかに恋愛感情がないといえば嘘にはなるがそれでも……!!

 リナはクロの言葉に即答した。




「あなたが二十五歳になったら結婚してください」

「よろこんでっ!! ……え?」




 リナの中で、何かがはじけた。それは混乱した内心であったり、つい先程のクロのプロポーズだったり、まあ何かがはじけたのだ。

「え、クロ、二十五歳って……今ワタシ十九歳なんだけど?」

「うん、あの女への復讐もしとこうかと思って。ついでに」

「プロポーズのついでに復讐されたっ!?」

 驚くリナだが、クロは淡々と述べた。

「いやだって、あの女どうせコンクリ抱いて海に沈められてるだろうから復讐できないし、間接的ならするかもって、前にも言ったじゃん」

「た、確かに言ってたけど……でも…………」

 リナの目に映っていた指輪はもう輝いて見えず、逆におもりのように思えてしまった。六年と書かれた特大の。

「まあ、早ければ二十歳前半で死ぬとも言ってたしね。いらないなら別に……」




 パシン!!




 リナはクロの手を叩いた。

「これはワタシのっ!!」

「……いや、寿命考えてみてよ」

 クロから奪い取った指輪を抱えるように隠し、クロから距離を取った。

「考えた。そして結論」

 思い切り息を吸い込むリナ。そして結論を、声高に叫んだ。




「絶対クロより後に死んでやるっ!! 女の執念舐めんなっ!!」




登場人物

リナ

 援助交際で生計を立てる少女。諸事情で親に捨てられたも同然な状況で生きている。染めた金髪と左耳のピアスが特徴。高校にも通っていたが、約半年で退学。今年17歳になるが、身体だけでなく飲酒喫煙も経験あり。


青年クロ

 元ホームレスの青年。リナに拾われてそのまま居着いた。何故ホームレスだったかは不明。その割には家事能力が高く、資格も色々持っている。今年で23歳になるが、アルバイトすらせずに家に引きこもっている。


ミサ

 リナの援交仲間。赤いメッシュを入れている。


アカネ

 リナの援交仲間。清楚系の黒髪少女


ゴロウ

 リナの固定客にして、拳銃等の違法物を取り扱う売人。東洋系の顔立ちで、中国語も話せるらしい。中国人の血が混ざってるかもしれないとリナは考えているが、詳細は不明。


カオル

 リナの新しい固定客。三十代前半位でグレイカラーのスカートスーツを着た女性。髪にゆるくウェーブをかけている。


闇金業者の方々。

 金融業者から借用書を買い取り、暴利にして徴収、利益を上げている方々。業務内容以外はアットホームで、社員全員で旅行に行くこともあるとか。


通り魔

 援助交際を行っている少女だけを殺して回る殺人鬼。そのため、紙面上では”切り裂きジャック”と呼ばれている。顔を含めた全身を黒い布で覆い、その上から大量のナイフを巻き付けている。


父親

 リナの実の父親。白鴎組組長で、現在は長男(現若頭)と次男(医学生)と共に活動している。記憶をなくしていたリナの生活を、陰ながら見守っていた。


母親

 リナの実の母親。クロがホームレスをやっていた元凶でもある女性。現在は海の中で、魚達と戯れているらしい。詳細は不明。


顔見知りの少女

 リナの顔見知りの援交少女。不登校、不良と続いて援交に走った、ある意味一般的な援交少女である。そのため、危機察知能力は高い。

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