第二シリーズ
001 同性
「う~ん……誰も来ないな~」
とある駅前のロータリー。
改札から電車に乗るのも迎えに来た車に乗り込むのも容易な距離の場所に、金髪の少女、リナが腕を組んで突っ立っていた。
今日は新しい客、援助交際の相手を待つために、(援交少女の間では)待ち合わせによく使われている場所を指定して待っているのだが、リナに話しかける人間は一人もいない。
「そろそろピアス以外の目印考えた方がいっかな~」
苦笑しつつも、このままでは時間の無駄だ。今日はもう帰ろうかな、という時に、リナに声を掛ける人間がいた。
「……あれ、リナちゃん?」
「ん?」
話しかけられたので、リナは声のした方に振り返った。
そこにいたのは三十代前半位の、バリバリのキャリアウーマンだった。大きめの鞄を持つ彼女の身体はグレイカラーのスカートスーツに包まれ、髪もゆるくウェーブをかけている。しかし、リナの知り合いにこんな人はいない。
「えっと……」
「ほら、私よ。『カオル』よ」
誰か分からずにに言いよどむリナに、カオルと名乗った女性は答えた。それだけで、リナはこの人の正体にいきついた。
「……あっカオルさんですか。お久しぶりで~す!」
「相変わらず元気ね、リナちゃん。良かったらこれからお茶しない?」
「いいですね~行きましょ行きましょっ」
カオルに連れられながら、リナは駅から去り、少し離れたファミレスへと入っていった。
「いやぁ、女性のお客さんなんて久しぶりだから、驚いちゃいましたよ~」
「ごめんなさいね。本当は誘った時に言おうと思ってたんだけど、嫌がられたらと思うとどうしてもね」
ドリンクバーを注文し、それぞれドリンクに口を付けながら話す二人。
実際、カオルという女性はリナの知り合いでも何でもなかった。彼女はリナの、今日の『援助交際の相手』というだけだったのだ。
「それで、今日はお願いできるかしら?」
「全然大丈夫ですよ~何回か経験もありますし」
その言葉に嘘はない。
とは言っても、大抵は大学生のカップル客のレズプレイのお相手だったり、危ない関係に憧れる中高生だったりで、大人の女性が相手をするのは、リナにとって今回は初めてだったりする。
タチっぽいことはできても、ネコだとマグロになりかねない。
注:リナ解釈でタチは女性カップルの男役、ネコは女性カップルの女役、そしてマグロは性行為中もただ寝てるだけのナマケモノのことです。
さてどうしたものかと、リナはいつもやっている要望調査に乗り出した。
「そんじゃまず、カオルさんの要望とか病気の心配とか聞いちゃいましょうか?」
「そうね……あ、先に言っておくけど病気とかはないから心配しないで」
(……うん。嘘はない、っと)
リナには、不思議な特技があった。
本人はその理屈を理解していないが、相手の嘘や心理状態、体調等がほぼ確実に分かるのだ。リナにとっては勘が鋭い、という認識でしかないが、危険を回避する上では便利なので、仕事前は常にこれでチェックしていた。
「要望としては、その……なんでもいいのかしら?」
「出来ることだけでお願いしま~す。ワタシも人間なんで」
明るく返すリナだが、カオルの方は怯えつつで要望を伝えられそうにない。
(まあ、よくあるけどね~自分が普通と違うだけでハブられたり、それを嫌がったりするのって)
客も目の前にいるし、別に焦る必要もない。同性である以上、知り合い同士が偶々来たという風にしか映っていないだろう。この辺りは常識に万歳かなぁ、とリナは内心喝采していたが、当のカオルはそれに気づいた様子すらない。
「おっ、お金は出せるわ。なんなら多めに出してもいいし……だから」
「だから?」
可愛く首を傾げるリナ。男なら即落ちだろうが、相手は女性だ。単に自分の容姿が相手の好みか把握するだけの仕草だが、どうやら当たりらしい。顔がさらに赤みがかっていた。
「その……痴漢させてくれない?」
「はい?」
一瞬、リナは呆けてしまったが、カオルは話を最後まで聞いてくれると勘違いしたのか、次々と自らの欲望をまくしたて始めた。
「それでね、痴漢したことをネタに私を脅してほしいの。家に乗り込んで、縛りつけてからの逆痴漢、それから『卑しい豚め』って罵りながら鞭を打って、『これは何だ?』っておもちゃを見つけて悪戯、最後は○○○○○で私を犯してほしいの。他にも……」
「すっ、ストップストップ!!」
流石にいきすぎだと、リナは手の平をかざしてカオルを止めた。
002 まとめ
「ええとつまり、まとめると……カオルさんは痴漢されたワタシに脅された形で家の場所を話し、そこで徹底的に調教して欲しいと」
「そう、男はなしで!」
「……いや、ワタシ女」
M男や童貞とも仕事したことのあるリナだが、流石にここまでの要望はなかった。精々が言葉攻めした上で、上位に立って性交しただけのこと。ここまでやったことはない。
自分を差した指でそのまま頬を掻き、どうしたものかとリナは悩まし気に唸った。
「う~ん……それは別にいいんですけど、ワタシ言葉攻めしかしたことないんですよね~」
「別にいいわよ。加減なしでしてくれても。むしろ歓迎するわ」
「あ、あはは……」
もはや、リナの口からは苦笑いしか漏れなかった。客の家で身体は売ったこともあるが、流石にそんな要望で行ったことはない。
しかも痴漢なんて、どこで受けろっていうんだおい。
内心毒づくも、リナにとってカオルは大事なお客、しかもお金ならいくらでも出すというのだ。だったら少し吹っかけてでも、要望通りに働いて稼いだ方がいいかもしれない。
(そういえば、クロって着たきりだった気がするな~)
家で大人しく待っているペットの青年の服装を思い出すくらいには、リナは冷静になれた。なら後は、仕事あるのみ。
(……よし、今日のお金でクロに服を買ってあげよう)
「分かりました。痴漢する場所はどうします?」
「電車、と言いたいけれど最近は警察もうるさいから別の場所にしましょう。車を止めてあるから、その近くでいいかしら?」
「……まあ、いいですよ」
これは仕事、これは仕事、と心の中で繰り返し、リナはカオルと連れ立ってファミレスを後にした。
「何なら私が通りがかったあなたに襲い掛かるシチュエーションでもいいわ。存分に愉しみましょう」
(……いざとなったら銃を抜こう)
これ、本当に大丈夫か、とリナは不安になったが、零れたミルクは戻らない。もうどうしようもないのであった。
「……ところで家って近くなんですか?」
「二駅隣よ。線路も近いから、駅の場所もすぐわかるから安心して」
(いやできないから)
いざとなれば仕事相手から逃げ出してきたリナだからこそ分かる。
駅の場所が分かりやすいということは、そこに逃げ込めと教えているようなものだ。むしろ駅から離れて流れのタクシーを拾った方が逃げ切れる可能性が高い。
「ほら、早くいきましょ」
「は~い……あ、そういえば」
ふと浮かんだ疑問を、リナは口にした。
「痴漢の漢って、『男』って意味ですよね。女の痴漢って、なんていうんでしょうね?」
「さぁ……昔、電車で痴女が出たって聞いたことはあるけれど、それだと女版の変質者と変わらないし……『痴姦』とか?」
「いや、漢字分からないですから……」
003 事後
「ああ……つっかれた~」
もうすぐ夜が明ける時間帯になる頃、リナは裸のままベッドの上で上半身を起こした。
晒された身体に構うことなく、隣で寝ているカオルに意識を向ける。ただでさえ慣れないプレイで疲れているのか、完全に眠りに落ちていた。
「しっかし、これからどうすっかな~」
二人がいるのはカオルが購入した分譲マンションの一室である。明らかにファミリー向けなのにもかかわらず、その広い部屋の中で縦横無尽に行為に及んでいたのだ。リナの体力も限界に近い。
「……人に弱みぶつけるなってのよも~」
ベッドボードに置かれている写真立てに八つ当たりするように、リナは毒づいた。
カオルは確かに女が好きなのだろうが、実際はバイセクシャルだった。いや、同性愛者だが異性との付き合いを機にやめていたのが、男が消えたために元に戻ったというところだろう。しかも何らかの反動があったのか、非現実的な官能に憧れていた節もある。
「……ま、いっか」
それでも仕事は仕事、そしてもう用はない。そう考えて下着を身に着け、服を着始めたリナの背中に、声がかかった。
「せっかくだし、朝食食べてかない?」
「やめときます。家でペットが待っているので」
「あら、そうなの」
振り返ったリナが見たのは、ベッドの上で頬杖をつき、静かに見下ろしてくる大人の女だった。ただし、その瞳はどこか暗く、答えによっては何をしてきてもおかしくはない。
そう思わせる眼差しにも、リナは無頓着に返した。
「ええ、だから早く帰らないと」
「そう……じゃあ、またお願いね」
リナは手ぶりだけで挨拶し、カオルの家を辞した。しかし、もう二度と訪れることはないだろう。
マンションを出てから、朝靄で視界の霞む街中を歩く。帰路に着く身体を押しながら、リナは周囲を警戒しながら進んだ。
「ああいう手合いって、いざとなったら、欲しいものは力ずくなんだろうな~あ~やだやだ」
それがリナの恐れている事態だ。
以前の男と何があったかは知らないが、そのせいで欲望の矛先がリナに向くということは、独占欲で縛り付けてくることも十分ありえる。
「とりあえず仕事は慎重に選ぼっと。お金も入ったし、一回寝たらクロ連れて服を買いに……」
常に気を張っていても疲れる。
本能的だがそれが理解できているリナは、楽しい予定を思い浮かべて家路についた。面倒なら断ればいいと考えながら。
……そう思っていたが、実際には甘かった。
「……ねむ」
一週間で四回目となるカオルとの仕事終わり、帰りに缶コーヒーを呷りながら、リナは眠気を堪えていた。
004 ボイコット
アップルフォンが鳴っている。いや、既に五分程鳴り続けていた。
「クロ~まだ鳴ってる~?」
「鳴ってる。どうする?」
「電源切って放置~休んだ後でお詫びの電話入れるから出ないでね~」
枕に顔を埋めて耳を塞ぐリナの指示を受けて、彼女に飼われている元ホームレスの青年、クロはアップルフォンの電源を素早く切った。
その後、うつ伏せに寝転がっているリナの背中を指圧し、凝りを解す作業に戻った。
「あ~きもちい~」
「年寄りっぽいよ。その言い方」
しかしここは自宅で、見ているのはマッサージをしているペットだけ、今のリナにとって外聞を気にする必要はなかった。現に服装も簡素なスポブラとセットのショーツ姿だ。
「いい人だし、金払いもいいんだけどね。流石にほぼ毎日はないわ~おまけに固定客の相手もしなきゃだし、もう休んでる暇がないわ~」
「お疲れ様。今日くらいはゆっくり休んでて」
軽く手を振って応えるリナ。
枕元には煙草と灰皿の喫煙セット、そしてカクテル缶がおいてあり、冷蔵庫の中にはクロ特製のプリンがある。もう完全に自堕落モードに入っていた。
マッサージも終わり、寝転がったまま煙草を咥えて火を点けると、リナはファッション雑誌を手元に引き寄せ、枕元に広げて読み始めた。
「にしてもなんで、ワタシなんだろうね~あんだけ金払いがいいなら、けっこういい職業に就いてると思うのにね~」
なんとなしに発言したリナだが、クロは割と真面目に返してきた。
「単純に、寂しいんじゃないかな?」
「あんだけ美人でお金持ってるのに~?」
しかし、リナは軽口で疑問を返した。それでもクロは、言葉を選んで会話を続けた。
「例えばだけど、もし俺が女子高生に欲情する変態だったら、拾って飼ってた?」
「飼わな~い。むしろ置いて逃げる~」
「そういうことだよ」
そこでリナは、首を回してクロの方を見た。彼も咥えられた煙草の灰が落ちないかと見つめた。
「要するに、誰でもいいわけじゃないんだよ。周囲に人がたくさんいても、本当にいて欲しい数人がいないと、人によっては結構寂しがったりすることがあるんだって。……まあ、これは受け売りだけどね」
「にしても詳しくない、クロ」
「物覚えがいいだけだよ。……無駄にね」
差し出されたプリンに、リナは煙草を灰皿に追いやってから口を付けた。クロも煙草の灰皿が落ちていないか布団を見やっている。問題ないと判断してか、出したままの自分の布団の上に腰掛けた。
「ま、人が変わるなんてよくある話だしね。気長に待つしかないよ」
「そうだよね~ということはクロも何かの拍子に変わったりして?」
「……変態に?」
「変態に」
「それはやだな~」
煙草を嗜みつつペットと一緒にプリンを食べる。
そんな休日をリナはまったりと楽しんだ。
005 ドタキャン
休日の次の日、リナは観念してカオルからの仕事を受けた。最初は待ち合わせをして彼女の家に入ったが、その次からは直接来て勝手に入ってから、好き放題してから犯して欲しいと言われて言う通りにしてきた。
そのついでに高そうなおやつを食べたり、高そうなワインをスクバに詰めて持ち帰ったりもしているので、リナ自身あまり強くはいえないのだが、相手の性欲が強すぎた。
だからとうとうグロッキーになり、休日を挟んでの仕事である。さて溜まった性欲はどう爆発するのか?
「いっそモデルガンと称して銃振り回して強盗劇でも……ん?」
マンションにあるカオルの部屋の前につき、指示通り無断で開けようとしたのだが、中から話し声が聞こえたために、リナは伸ばしかけた手を止めた。
「なんだろ?」
一回首を傾げてから、リナは扉に耳を当てて声を拾おうとした。どうやら電話をしているようで、カオルの声が一方的に聞こえてきた。
「こういう時耳がいいと助かっちゃうな~なになに」
聞こえてくる単語を適当につなげて推測しようとするも、分かったのは誰かがカオルに会いたいだの会いたくないだのの押し問答位である。
「やっぱあの写真の男かな~っと!」
リナは慌てて扉から耳を離し、廊下の端に音を立てないようにして逃げ込んだ。スクバから化粧用の手鏡を取り出し、鏡面を使って角に隠れながら様子を窺う。
「うわぁ……めっちゃ周り見てるぅ」
電話を終えたのか、部屋から顔を出したカオルが、廊下の端々まで見渡している。幸いなのは光の反射等で、鏡で覗いているリナに気づかなかったことだろう。
少しして、まだリナが来ていないと考えたのか、カオルは部屋に戻っていった。
「さてと、これから……ん?」
丁度その時、リナのアップルフォンが鳴った。メールらしく、開いてみるとなんとカオルからだった。
「『場所を変えたい。今どこ?』か。……さて、どうしようかな~?」
一先ずリナはメールを出してから、駅前に先んじて戻ることにした。ここかマンションのエントランスで待って、僅かでも盗み聞きされたと疑われるよりも、一度離れていた方が余計な誤解を生まなくて済むと考えて。
「元婚約者?」
「そうなのよ。もう会うつもりがないと思っていたら、いきなり向こうから電話が来て困っちゃったわ」
合流した二人は現在、初めて会った時と同じファミレスに入っていた。ドリンクバーで適当に持ってきた飲み物を口に含みつつ、カオルの口が動いている。
「彼、両親の借金のために働いていたんだって。それで今迄連絡一つ寄越さなかったって……あ、ごめんなさいね。リナちゃんに話しても仕方ないのに」
「別にいいですよ~。なんなら仕事代わりに話聞きますし」
「ごめんね。いつも通り払うから」
リナの了承を得て、カオルは話を続けた。
「それで彼、タチの悪い闇金業者に借用書を買い取られたせいで、利子の支払いすらままならなくなってしまったのよ。貯金もあるから建て替えようかとも言ったんだけど、頑として聞いてくれなくて、喧嘩になっちゃったのよ」
「それはまた、大変ですね……」
金額自体は分からないが、カオルが払うと言ったのならば、払いきれるのだろう。今日、リナにも払うということは、余裕すらあるのかもしれない。
それでも、喧嘩になった以上彼女達はどうするのだろうか?
「一応、彼には明日の朝会う約束はしたけど、私、どうしたらいいのかしらね……」
「カオルさん……」
リナは言葉をなくした。いや、そもそもこんな時に何を言えばいいのかが分からないのだろう。たとえ働いていたとしても、所詮は非合法の援助交際で身体を売る、頭の軽い未成年でしかない。
だからリナには分からない。何を言えばいいのか、どうすればいいのか。
006 男女
「ただいま~」
「おかえり。早かったね、今日は」
あの後、ファミレスの前でカオルと別れたリナは、そのまま家路に着いていた。途中、不審な影も見かけたが、大方借金取りがカオルを見張りに来たのだろうと見逃した。
リナに尾行も付けず、カオルを襲う気配がないところを見ても、余計な手を出さない玄人の所業だと理解できてしまう。そんなところに首を突っ込んでも、ただの少女にできることなどなかった。
腰掛けているクロの傍に寝転がり、膝をそのまま枕にしてから、リナはさっきまでの話を聞かせた。
「……というかさ、相手の男ってなんでカオルさんに甘えなかったんだろうね。そうすればみんな幸せだったのにさ~」
「ん~、男の方が許せなかったんじゃない?」
「何を~?」
膝の上で頭を揺らすリナを撫でつつ、クロは思いついたことを話し始めた。
「元婚約者なんでしょ。だから堂々と付き合いたくて、自分で解決しようとしているんじゃないかな?」
「にゃるほどね~……ワタシから言わせれば、馬鹿みたいな意地だと思うけどね」
「そんなもんだよ、男なんて」
呆れたように話す二人。
「それに見方によってはだけどさ、この話って結婚詐欺っぽくない?」
「……あ~言われてみれば」
確かに、とリナは頷いた。
男は借金持ちで、女は金持ち。しかも女は一度決めると躊躇なく実行できるタイプ、典型的な詐欺のカモだ。
「まあ、明日会うのならその時にお金を取るかもしれないし、そのまま挨拶して別れるだけかもしれないけどね」
「う~ん……クロはどう思う?」
「明日の朝会うなら詐欺じゃないかもね。銀行開いてないし」
電話があったのは夜、そして次の朝に会って消えるとなると、たしかに出金している暇はない。通帳ごとということも考えられるが、時間がかかる上に止められる可能性がある以上、それはないだろう。
「となるとガチか~……」
クロがリナの頭を撫でるのをやめた。主人の雰囲気が変わるのを感じ取ったからだ。
「クロ、ちょっとごめん」
クロの膝から起きあがり、立ち上がったリナは窓際に移動し、窓枠に身体を隠しながら外の様子を窺った。
「……つけられた?」
「つけられたっぽい。いやこれって……」
自分の耳に自信のあったリナは、つけられていたことに対して若干憤りを感じていたが、それはクロの言葉で払拭される。
「発信機じゃない、これって」
「……え?」
振り返ったリナに、いつ手元に引き寄せたのか、クロがスクバに付いていた小さな虫みたいな機械を指で摘んで持ち上げていた。
「そういえば、変な電子音がするなとは思っていたけど……」
「まあ、盗聴機は付いてないみたいだし、会話を聞かれた訳じゃなさそうだよ」
大方、人数に余裕ができたから、保険で見張りを立てているといったところだろう。
「よしクロ、壊しちゃえ」
「そしたら下の人達が乗り込んでくるよ。相手も後ろめたいことがあるって勘違いして」
「勘違いというか……別口の後ろめたいことに巻き込まれたと言わない、これ」
とはいえ、このまま放置というわけにはいかない。
おまけに勝手につけられて気分の悪いことこの上ないのだ。
「仕方ない。あれを使って……」
「あれ?」
窓枠から離れたリナは、戸棚に顔を突っ込んで、中身をひっくり返しながらあるものを探し始めた。
「……後で片づけてよ」
「クロ、よろしく~」
「まったく……あれ、これって」
同じように戸棚に近寄り、覗き込んだクロはリナが引っ張りだしたものを不思議そうに見つめた。
「……なんでこれ、普段から使わなかったの?」
「その分手入れが面倒でさ~というわけでクロ」
引っ張りだした『あれ』を弄りつつ、リナはクロに命じた。
「出かけるよ~」
007 気まぐれ
闇金業者達は、狐に摘まれたような顔をしていた。
買い取った借用書で金を巻き上げるまではいい。弁護士と相談して返り討ちにしようとするのも計算内だ。
だからこそ、雲隠れされる前に男を捕らえるのも業務の内だった。そのために女の居場所を特定して、見張りを立てて捕まえるはずだったのだ。
そしてマンションの前で会っていた二人を見つけ、捕まえるために車のエンジンを叩き起こした。
「なんでさっさと捕まえないんですか?」
とかいう部下がいたが、上司が殴って黙らせていた。
人間というのは不思議な生き物で、希望があれば勝手に生きようとあがいてくれるのだ。大きければその分、生きてあがいて金を稼いでくれる。それが若手の部下にはわかっていなかったのだ。
流石に向こうも車だが、道路を挟むようにして計四台。追跡用のバイクも二台用意してある。これ以上は経費の無駄だが、暇な若手なんざいくらでもいる。
怪しい奴に投擲型の発信機を投げつけて見張らせ、不審な動きを見せたら殺せとも伝えてある。
ボロい商売だと考えていた矢先だった。男が女と別れて車に乗り、走りだそうとするタイミングで前後から挟み込む。それだけのはずが……
「……パンク?」
『しかも、前から挟み込む連中のアシ全部です。おまけに駐車場に停まってた車も全滅しているらしく……』
「んなアホな話が……」
とはいえ、逃がせば大損だ。
仕方なく後ろから追い込む連中だけで追いかけながら、携帯で連絡を取り合って状況把握に努めていた。
最初は女と会っていた小娘が誰かにたれ込んだとも考えたのだが、それはないだろう。
警察の動きもなし、移動したと言えばどこぞのアパートと近所の公園くらいだ。
「……男と公衆便所にしけ込んでるガキが、何かできるわけないか」
パンクの修理代や、発信機の代金。
目の前の男を捕らえられなければ、収入はゼロ。
「家でカミさんが待ってるってのによ。おまけにしくじったら経費で落ちないぞこれ。……ああ、やってらんね」
闇金とはいえ一応は金融業、そこには彼らなりの生活があるのだった。
「早朝出勤ってだけでも苦痛なのによ。転職しようかな……はあ」
「あ~疲れた。もう今日は働かない……」
黒髪のカツラを被り、地味目の服に着替えていたリナは、完全に人気のなくなった公園に入り、公衆便所の多目的スペースをノックした。
「ク~ロ~帰ったから開けて~」
それを聞いて、中で荷物と一緒に待っていたクロは、暇つぶしに読んでいた新聞片手にリナを迎え入れた。
「見張りは?」
「いなくなってた。もう発信機ここに置いてって大丈夫だよ~」
トイレの中でカツラを外したリナと入れ替わりに、クロは外にでた。
「それにしても……」
「ん?」
ベビー台に服を置きながら着替えているリナに、クロは不思議そうに問いかけた。
「どうしてお金にもならないことしたの?」
「う~ん……気まぐれ?」
よくわかんない、とリナは苦笑しながら答えた。
008 あれ
アパートから出た二人は、その足で近くの公園に入り、そのまま公衆便所へと向かった。
「やっぱり、距離置かれてるな~」
「わかるの?」
「そこそこね。流石にうるさいところだと無理だけど、これくらい広くて静かなら結構遠くてもいけるかなぁ」
公衆便所に入り、多目的スペースに入り込んですぐに、二人は扉を閉めて折り畳みのベビー台を広げた。
「そいじゃ作戦会議~とその前に、クロ、頼んだものだして」
「これ?」
そう言われてクロが取り出したのは、小さなラジカセだった。粗大ゴミを修理されたもののため、ラジオ用のアンテナはなく、塗装もほとんどはげ落ちてはいるが、カセットテープを聞くくらいには役に立つ代物である。
「そうそう、じゃあこれ流しといて」
「いいけど。今時テープはないよね……」
直した張本人がテープをセットして再生ボタンを押すと、録音された中身から聞き慣れた艶のある声が、多目的スペース内に響き渡った。
「……これって、仕事で録ったの?」
「前に録音したいとか言う昭和なお客さんがいてね、面白そうだからダビングしてもらっちゃった」
きゃはきゃは笑いながら、いつもの私服化した制服を脱ぎ始めたリナは、アパートを出る前にスクバに詰めてきた地味目の服に着替え始めた。
「じゃあエロい声を聞いて逃げ出した、元々入っていた人ってことで出かけてくるから、クロは発信機と一緒に留守番しててね」
「いいけど……ばれないかな?」
「大丈夫大丈夫、女の子が男トイレに連れこんで、気持ちいいことしているようにしか聞こえないって」
「いや、だってこれ……」
クロが指摘したのは、テープの内容の方だった。
「……赤ちゃんプレイだよね。おじさんがバブバブ言っているように聞こえるし」
「ああ、あの時は仕事上がりにミサ達と笑ったな~」
着替え終わったリナは最後にクロが手入れしたカツラを被り、周囲の目を気にしながら外へ出た。
「まあ、セックスしてると思わせるのが目的だから、暫くそれで我慢しててね~」
「了解……はあ」
なにが悲しくて、という表情のクロが暇つぶしに持ってきていた新聞を広げるのを見てから、リナは扉を閉めた。
トイレから抜け出たリナは公園の入り口に立っている男達を見つけて、警戒するように足早に駆け去った。
「ん、おいあれ……」
「逃げたってより俺達に関わらないようにしているな。大方不審者対策だろ。発信機も動いてないし、いいから見張ってろ」
ご都合主義万歳、とリナは聞き取った男達の声に呟いてから、カオルの住んでいるマンションへと向かった。
夜明けまでまだ間があるが、マンションの前が見えると、一緒にカオルが立っているのを見つけてしまった。他に不審な車がないかと探していると、少し離れたコインパーキングの近くに男達がたむろしているのが見えた。
「あれかな~っと」
物陰に隠れつつ近づき、会話を盗み聞く。
内容は予想通り金融業者のそれだが、何故か男の一人に子供が生まれたことで盛り上がりを見せていた。
「うわぁ意外と家庭的……そんな中邪魔するのは気が引けるけど、まあ諦めてもらいますか」
スクバから拳銃を取り出す。ただし事前に取り付けたのか、減音器とLAMが装着されていた。
少し離れた場所に移動し、男達との間に車が入って、視界を妨げるのを確認してから、リナは引き金に指を掛けた。
「ごめんね~」
等と小声て呟きながら、リナは駐車されていた車やバイクのタイヤを全て撃ち抜いた。普段ならそこまでの精密射撃は不可能だが、LAMから伸びるレーザーで狙いを定め、暗闇でも、いや暗闇だからこそ光点が目立ち、簡単に当てることができていた。
減音器がうまく働き、また運よく相手にレーザー光を見られなかったため、最後までタイヤを撃ち抜くことができた。全ての車とバイクがパンクしたのを確認してから、リナはスクバに銃を仕舞った。
「さて、逃げますかね~」
少なくとも逃げられる可能性はできた。後は向こうの問題だが、これ以上はどうしようもない。
以上が、リナの気まぐれが起こしたことの顛末である。
009 おんぶ
「クロ~おんぶ~」
「はいはい。こう?」
公園からの帰り道、朝靄が立ち込める中を、リナ達はアパートへの帰路に着いていた。
スクバを背負ったままクロの背中に乗ったリナは、規則的な歩幅で揺れながら、まどろみ始めた。
「クロ~なにかおはなし~眠くなっちゃう~」
「……お客さん、一人いなくなっちゃうかな?」
「だいじょぶじょぶ~」
眠気が勝りながらも、リナはぽやぽやと答える。
「たまに寂しくなったら、呼んでくれるでしょう。男の方だって、借金があるのは変わらないんだから、そうそう会いに来れないって」
「……お客さんの方が会いたくなって男の方に会いに行ったら?」
「ん~ないんじゃない?」
とうとう目を閉じたが、リナの意識はまだ落ちていない。ねむさよりも心地よさが勝っているのか、話はまだ続いた。
「カオルさんって、確かに自分の思い通りにしたいところがあるけどさ、結局は道徳的なんだよね。だから無理矢理着いて行くとか、無理矢理探し出すとかはしないと思うな~。……まあ、下手したら何年も待っちゃいそうだけどねぇ」
「……ああ、それでまた、寂しくなって仕事のお願いがくるのか」
「そゆこと~」
それでとうとう意識が飛んだのか、リナは口も閉じ、眠りについた。
「……おやすみ」
ご主人様の少女をおぶりながら、ペットの青年はアパートに入っていった。
あれから数日が経った。そしてアップルフォンも五分程鳴り続けていた。
「クロ~まだ鳴ってる~?」
「鳴ってる。どうする?」
リナの読み通り、カオルは未だに仕事を頼んでくる。それも、今迄と同じかそれ以上のペースでだ。
さしものリナもグロッキーになっているのか、ぐったりと布団の上で横たわっていた。
「少し寝たら行ってくるから~着替え用意しといて~」
「了解、大丈夫?」
「だいじょうぶ~ただの気疲れだから~」
不思議そうに首を傾けるクロに、リナは手を振りつつ答えた。
「別にセックスはしてないんだよね~どっちかというとお茶会とか深夜帯でもやってるお店を回ったりとかが多くなっててね~楽しいけど一応はお客さんでしょう、もう疲れちゃって」
「……ばれた?」
「ばれたっぽい」
まあ、話した相手がワタシだけっぽいしね~。
そうボヤキながら、リナはアップルフォンに出た。どうやら今日も出掛けるらしい。
通話を切り、アップルフォンを置いて立ち上がると、リナは何かを思いついたような顔をクロに向けた。
「……そうだ、何ならクロも来る?」
「やめとく……接客って苦手なんだ」
「このやろ~ご主人様だけ働かせやがって~」
とはいえ本気じゃないのか、クロに軽くじゃれついてから、リナはいつもの私服化した制服に着替えた。
「まあ、近いうちにクロの服も買いに行くから、そっちは逃げないでね~」
「了解……派手な服はやめてね」
「え~一着だけでもいいじゃ~ん」
スクバを肩に掛け、リナは今日もクロの見送りを受けながら仕事に向かった。
「でわいってきます」
「いってらっしゃい」
010 下着
「……どうしたの、これ」
クロが洗濯物を畳んでいると、ふと何かを思い出したのか、リナはスクバを引き寄せて中身をぶちまけた。出てきたのは女性ものの下着だが、どれも一般の女子高生では手に入らないような代物ばかりである。つまり高級品の山だ。
「カオルさんに買ってもらった~いいでしょ~」
自慢げにショーツの一枚を手で持って広げてくるが、クロは我関せずとアイロン台を広げて、リナのブラウスを乗せた。
「たしかにいいものだけど……仕事で着ていくには高すぎない?」
「……高くてもったいないってこと?」
「高くて相手が逆に萎えないかってこと」
想像を巡らせてみよう。本来持ちえないだろう相手が高級下着に身を包んでいる。高級品を見慣れた相手ならともかく、それ以外だと自分が格下に思えてきてしまう、かもしれない。
一理あると考え、完全にプライベート用だな、とリナは結論付けた。
「となるともらいすぎたな~クロ、どうしよっか、これ」
決めたのはいいが、如何せん量が多かった。普段適当に仕事を入れるリナにとって、休日という概念は存在していないようなものだ。仕事があれば受け、なかったり気が乗らなければ休みと、法的に縛られない分、自由度が高すぎるのだ。おまけに客単価も高く、その気になれば月単位で遊んで暮らすことも簡単だ。
「着替えとして使ったら?」
「おぉ~よし、それでいこう」
ポンと手を打つリナ。
元々スクバに詰める商売道具には、替えの下着も含まれていた。仕事によって汚してしまう場合もあれば、相手が『下着を買いたい』と言ってくる場合もある。だから常に、替えの下着を何枚か携帯する習慣がついていたのだ。
だからクロの提案にリナは乗った。
そして何を思い至ったのか、突然脱ぎだして裸になったリナはもらった下着に手を伸ばし、身に着け始めた。
「せっかくだから見せてあげるね~」
リナは適当なセットを選んで身に着けた。
身に着けたのは紫を基調にした上下セットで、モールドカップブラとTバックショーツという、服の上からでは目立たない機能性と脱いだ後のギャップがすごい代物だった。
「うふん、どうせくしぃ~?」
しなを作って軽く腰を振るリナ。それを一瞥し、クロは漏らした。
「……ケバい」
「え~」
肩を落とすご主人様に構うことなく、クロは黙々と溜まったブラウスを次々とアイロンがけしていった。
「そもそも大人の女性向けなんだから、10代の身体に合うデザインじゃないでしょう」
「……それもそっか」
それでも気に入ったのか、着替えるまでリナはずっとその格好で過ごすことにしたらしい。
適当に寝転がりながら、クロがアイロンがけていくところをじっと見つめていた。
「寝転がると汚れるよ、下着」
「気にしない、気にしない」
登場人物
リナ
援助交際で生計を立てる少女。諸事情で親に捨てられたも同然な状況で生きている。染めた金髪と左耳のピアスが特徴。高校にも通っていたが、約半年で退学。今年17歳になるが、身体だけでなく飲酒喫煙も経験あり。
青年
元ホームレスの青年。リナに拾われてそのまま居着いた。何故ホームレスだったかは不明。その割には家事能力が高く、資格も色々持っている。今年で23歳になるが、アルバイトすらせずに家に引きこもっている。
ミサ
リナの援交仲間。赤いメッシュを入れている。
アカネ
リナの援交仲間。清楚系の黒髪少女
ゴロウ
リナの固定客にして、拳銃等の違法物を取り扱う売人。東洋系の顔立ちで、中国語も話せるらしい。中国人の血が混ざってるかもしれないとリナは考えているが、詳細は不明。
カオル
リナの新しい固定客。三十代前半位でグレイカラーのスカートスーツを着た女性。髪にゆるくウェーブをかけている。
闇金業者の方々。
金融業者から借用書を買い取り、暴利にして徴収、利益を上げている方々。業務内容以外はアットホームで、社員全員で旅行に行くこともあるとか。