第一シリーズ
001 日常
「ただいま~」
錆びついた鉄階段を上り、リナは安アパートの2階端の部屋である自宅へと帰って来た。
中にいた青年は広げていた新聞を畳み、彼女へと振り返る。
「おかえり。お風呂入れてあるから、先に入ってきて」
「は~い」
棒読み口調な青年の言葉にリナは手を振って応え、着ていた制服を脱ぎ捨て始めた。
元々通っていた高校の制服だが、退学したリナにとってはただの私服でしかない。下着と一緒に脱ぎ捨ててから、赤錆の目立つユニットバスに入っていく。
青年は料理を温めながら、制服をハンガーに掛けて消臭剤を振りかけ、下着を脱衣籠に投げ入れる。6畳部屋の真ん中に置いてある座卓に料理を並べ終えた頃には、ユニットバスの扉が金切り声を上げて開いた。
「また油を差さなきゃな……」
裸で出てきたリナに構わず、青年は戸棚に仕舞ってある工具箱から油差しを取り出す。
青年が油を差している間に下着を着け終えたリナは、座卓について手を合わせた。
「いっただきま~す」
用意されたオムライスをスプーンで掬って食べていく。出来栄えはプロ同前、というかいつ店に出してもおかしくない代物だった。ただし青年サイズでかなり大きかったが。
通常よりも量のある料理を平らげた後、リナは大の字になって寝転がった。
「ごちそうさま~」
「食べてすぐ寝ると太るよ」
リナは無言で起き上がった。食べ終えた皿を避けてから、座卓の下にある小物入れ代わりの籠から灰皿と煙草を取り出し、一本咥える。
「火ぃ、ある?」
「ライターなかった?」
「な~い」
煙草を咥えながら籠を漁るリナ。ライターが見つからないのか、少し苛立っている。
「マッチでいい?」
「何でもいいから早く~」
駄々っ子のように顔をしかめるリナに、青年は台所にあるマッチを投げ渡した。
それを受け取って慣れた手つきで、煙草に火をつける。
「あ~、仕事上がりの一服さいこ~」
「言葉だけだと、オヤジだね」
棒読み口調のツッコミにリナは構わず、灰皿に灰を落とす。
「あ~オヤジと言えば、昨日の相手も誰かの親父だったな」
「家庭持ち、ってこと?」
頷くリナにお茶を出しながら、青年は向かいに腰掛けた。
「そうそう、多分家庭がうまくいってなかったんだろうね。ワタシに『パパと呼びながらしてくれ』なんて頼んできたんだよ~もう笑える」
「それだけじゃあ、家庭に憧れる独身だったり、近親相姦に萌える変態だって、考えられない?」
ないない、とリナは煙草を持つ手を振って否定した。
「だってその人、写真持ってたんだよ。家族写真。おまけに明らかに若い頃の家族三人のやつ。……まあ、離婚位ならあるかもね」
リナは煙草を灰皿に押し付けて消し、お茶を啜りだす。青年は慣れた手で灰皿を片付けに立ち上がった。
「ああ、ついでに服からお金抜いといて~」
「とっくに抜いてる」
家庭環境は分からないが、羽振りはよかったのだろう。リナに支払われた金額は、10万円にも及んでいたのだから。
「ひょっとして、生でした?」
「まさかぁ、もう子供はこりごりだって言ってたよ。その親父」
確かに子供がいるな。
青年は独りごちてから空にした灰皿を洗い出した。
二人の生活は逆転している。
昼に寝てから夕方に起き出し、仕事があればリナは出掛け、なければ青年とのんびり部屋にいる。この青年は基本的に部屋から出ないが、夕方から夜にかけて、リナと一緒であれば出掛けるのだ。そのため、買い出しはリナが休みの日に限られる。
「買い出し必要な物ってあったっけ?」
「ライター」
「ああ、そうだった」
今日も仕事が入っていた。
リナは携帯をスワイプして待ち合わせの確認をしてから、私服化した制服を着て、ローファーに足を通した。
「後コンビニでもいいからアイス買っといて。そろそろ暑くなるから、食べるでしょ」
「おお、いいね~」
手鏡で髪型と化粧を確認し、スクバを肩に掛けてからリナは青年に振り返った。
「でわいってきます」
「いってらっしゃい」
今日は弁護士らしいが、果たして本当なのだろうか。
そんな益体もないことを考えながら、リナは夜の街へと繰り出していった。
002 粉薬
「ん~」
「なにそれ?」
家の中でリナが胡坐をかきながら、小さな袋を掲げていた。中には白い粉末が封入されている。
「昨日のお客さんから貰ったんだよね~」
「薬かな?」
青年はリナから袋を受け取り、少し開けて中身を嗅ぐ。無臭だが、少し日光に翳したらすぐに水素臭が漂ってきた。
「もしかしたら……麻薬だったりして?」
「残念、これ毒薬」
青年は袋を閉じると、ゴミ箱の中へと放り込んだ。
「青酸系の毒物だよ。大方、一緒に死んで欲しいと思われたんだろうね」
「あ~確かに、気に入られてたっぽいからなぁ」
納得顔のリナは、ゴミ箱の中を覗き込んだ。
「でもあれって、アーモンド臭がするんじゃないの?」
「それは胃酸と反応した場合。普段は無臭だよ」
よくある間違いを正しながら、青年は工具箱を片付け始めた。リナは何かに使えないか、とゴミ箱に転がっている粉薬を眺めていたが、特に思いつかなかったので目を逸らして立ち上がった。
「……ところで」
「ん?」
アイスを咥えながら振り返ったリナに、青年はポータブルテレビをセットしながら話しかけた。
「その薬をくれたお客はどうなったの?」
「そういえば、別れたっきりだったから……」
電源を入れてアンテナを操作していると、丁度ニュースが流れていた。内容はホテルの中で自殺した男のことで、毒物を飲んだために死んだらしい。
「……あれ、ワタシがいたホテルだ」
「忘れ物は?」
「ない。……あ、でも指紋が残ってるかも。あと監視カメラ」
こればっかりはどうしようもないが、警察が他殺の線で調べないことを祈るしかない。
『なお、男性が遺した遺書に書かれた女性が、間違って薬物を摂取する恐れがあるとみて、テレビで呼びかけると同時に捜査に乗り出すとの方針を示しました。監視カメラの映像に残されていた、同伴していた女性の特徴は長い黒髪の……』
「……黒髪?」
一瞬別の人間のニュースだったか、と青年は思ったが、リナがスクバから取り出した黒のウィッグを見て納得した。
「いや、弁護士とか言ってたから、行き帰りだけは用心で、ね」
「買ったの?」
「前に通販で」
その言葉通り大分経っているのか、ウィッグは所々傷んでいた。
「貸して、直しておくよ」
「よろしく~」
青年はリナの化粧道具を幾つか借り、手入れを始めた。
リナは未だ眠いのか、布団に横になっている。
「今日は仕事もないし、もう少ししたら買い物に行こっか」
「了解、それまでは大人しく直してる」
静かに時が流れる中、テレビのニュースは未だに流れている。
『死亡した男性は○○○○、37歳。弁護士でしたが数か月前、暴力団から多額の賄賂を受け取ったとして弁護士資格を剥奪されています。無職となったことで生きる気力を失ったための行動と警察は見ており……』
003 クロ
「あれリナじゃん!」
「ん、お~おひさし~」
買い出しに出掛けた時、青年と並んで歩いていたリナに話しかける人間がいた。
リナと同年代位の少女が二人で、そのうちの赤いメッシュを入れた方が話しかけてきたのだ。
「最近この辺りで見なかったけど、なに、場所変えたの?」
「ううん、向こうのホテル街が多かっただけ。たまにはこっちにも来てたけどね~」
きゃいきゃいと姦しい中、青年はもう一人の清楚系な黒髪少女と見守っていた。
「ところでお兄さんは誰です?」
「……俺?」
そんな話をしているのを聞いて、リナ達も会話に加わって来た。
「そういえば誰よこの男。リナの客?」
「ちがうちがう、この男は……ペット?」
リナの発言に、二人はげらげらと笑いだしたが、青年は何食わぬ顔で突っ立っている。
「うっそでしょ、ペットって何、M男?」
「あ~なんていえばいいのか……」
「ちょっと向こうで話しませんか。今でも開いているカフェがあるんですよ」
黒髪少女に連れられ、リナ達はそのカフェへと向かった。
「というわけで一旦自己紹介。わたしはミサ、リナとは援交仲間ね」
「同じくアカネです。よろしくお願いしますね」
赤いメッシュを入れた少女はミサ、清楚系の黒髪少女はアカネと名乗った。
「たまに複数プレイやら乱交の頭数やらで呼び出された時に一緒になってさ~。あんたがまだいなかった時は泊まりに来たこともあったのよ」
人の少ない店内、その奥まったスペースでカフェラテを飲みながら、皆思い思いに話していた。
「で、リナとそのお兄さんとの関係は?」
「だからなんていえばいいのか……」
どう話したものかと悩むリサに、青年は代わりに話した。
「ホームレスやってた時に、優しさか気まぐれかは知らないが、家にこないかと誘われたんだ。だからペットとして拾われたというのはあながち間違ってはいない」
「まぁ……」
アカネが口を隠して驚く中、あんた何やってんのよ、とミサはリナにツッコんでいた。
「いやぁ……代わりに家事やらなにやらしてくれるから、今じゃいなくなるとこっちが困ることになっちゃって……ほんと何でホームレスなんてやってたのよ~」
青年の背中をバシバシと叩くリナ。結構勢いよく叩かれているが、その体は微動だにしていなかった。
そんな中、アカネはふと思い出したかのように口を開いた。
「そういえば……お兄さんのお名前はなんていうんですか?」
「名前?」
その言葉に、リナは思わず青年の顔を下から覗き込んだ。
「そういえば……何て名前なの?」
「知らないのかよっ!!」
今更な問いかけにミサはまたリナにツッコむが、青年の言葉にまた別の意味で驚いていた。
「名前か……じゃあクロで」
「「ペットかっ!!」」
リナとミサがツッコミ、アカネはニコニコ笑っていた。
「……というか何でクロ?」
「最初はシロでもいいかと思ったんだけど……黒の方が好きだからクロでいこうと」
「だからペットかっ!!」
ミサのツッコミに青年、クロは構わず自分の分のカフェラテを口に含んだ。それで諦めたのか、全員自分のカフェラテを手に取った。
「というか……クロ?」
「うん?」
カフェラテを置いたクロに、リナは問いかけた。
「ひょっとして名前って……聞いちゃいけない系?」
「というよりも……聞いたら後悔する系、かな」
男性一人と少女三人という奇妙なのか警察レベルの変態話なのか、とにかく四人の話はミサ達が仕事に行くまで続くことになった。
004 武器
「あ~やっちゃったな」
羽振りのいい仕事だと勇んで来てみれば、本当は警察の罠だった。
おまけにただの警官ではない。権力を笠に着た悪徳警官だ。どうやら援助交際している未成年を逮捕して、口止め代わりに色々な意味で使い潰そうとしているようだ。
「ただ働きは嫌なんだけどなぁ~」
現在リナは警官の持つマンションの一室にいた。ベッドの上に腰掛け、外側から鍵を掛けられた扉を見つめる。
ホテルはまずい、自宅が近くにあるからと誘われてきたのだが、最近はトラブルも何もなかったため、油断したリナはあっさり罠にかかったのだ。
「最近気が緩んでるな~」
自嘲しつつ、いつからだろう、とリナは顎に指を当てて考えた。普段なら性病かどうかを調べると同時に危険度合も確認していたのだが、今回病気持ちかどうかだけでさっさとついてきてしまったのだ。気が緩んでいるとしか言えない。
原因は何かとリナは考えた。思いつくのはやはり、この前拾ったホームレスの青年、クロだった。
「やっぱりクロが来てからか~」
確かに、気が緩むことが多くなった。
傷害だろうと性的暴行だろうと襲ってこない、敵にならない人間が近くにいるだけで、この体たらくである。いつ牙を剥くかわからない客相手に商売しているだけに、彼の存在ほど大きなものがなかった。
等と思い返していると、扉の外から足音が聞こえてきた。近くにあった自分のスクバを盾代わりに抱え込む。
「はい、お巡りさんですよ~」
そう言って部屋に入ってきたのは、このマンションに連れてきた男だった。しかも一人じゃないのか、他にも二人の男が入ってくる。
「おお、結構可愛いじゃないか」
「胸もそこそこあるな。Cか?」
(あたり~)
胸のサイズを当てられて、内心正解コールを鳴らすリナ。いつもの制服のままでスクバを抱えてはいるが、男三人相手だと意味はないだろう。
「では悪い娘へのお仕置き大会開催~」
「または輪姦パーティーともいいま~す」
「抵抗はやめて、大人しく投降しなさ~い」
いやあ、楽しげだねぇとリナは内心笑った。
ここまで追い詰められると笑うしかないんだなぁ、と考えながら、スクバの中に手を伸ばす。
「でもお巡りさんがこんなことしちゃっていいの~」
「悪い娘へのお仕置きなんだからOKさ~」
そう答えられたらしょうがない。リナも覚悟を決めた。
「あ~あ。今日は帰ったらカレーが待ってたのにな~」
「大丈夫だよ。この中にスカトロ趣味の奴はいないからね」
「そうそう。大人しく帰ったら、ゆっくりカレーを食べればいいんだよ」
あと一歩、その段階で状況は大きく変わった。
「いやいや食べられないでしょ。……これからぐろくなる光景見たら、さ」
突然だった。
パンパンパンッ!!
おもちゃのような音が三発、部屋の中に響いた。しかし聞き慣れた人間ならば即座にこう答えるだろう……銃声と。
「な、なっ……」
「おっ、おじさん運がいいね~」
リナはスクバから抜いた小型の自動拳銃を構えて、最初に誘ってきた警官に油断なく構えた。他の二人は当たり所が悪く、ほとんど虫の息だった。
「あっ、違ったお巡りさんか~」
「なんでそんなもの持ってやがるっ!?」
「おっ、地が出てきたね~」
きゃはきゃは笑ってはいるが、男はむしろ恐怖を抱いていた。なにせ、笑っているはずのその少女の目は……空虚で、何の感情も抱いていなかったのだ。
「悪いけど帰るね。なにせ可愛い可愛いペットが、家でワタシの帰りを待ってるんだ」
「まっ、待て……」
撃たれた肩口の銃創から手をはなし、リナを遠ざけようとするも、徒労に終わる。
パンッ!!
「あ~あ、カレー食べられないな。これじゃあ」
流石に弾が勿体無いと、鈍器になりそうなものを探しては虫の息の人間を潰し、全員を息絶えらせる。そこでようやくスクバを拾い、穴の開いた個所をチェックする。
「あ~あ、もったいない……クロ、直してくれるかな~」
とりあえず男達の財布から現金を回収し、拳銃が転がってないかと連れ込まれた部屋以外を探してみる。見つかったのはおそらく彼等の被害に遭ったのだろう、まだ新しい少女の死体だった。
「完全にぶっ壊れて息絶えたってところか~」
可哀想だが放置しよう、と部屋を去り、他に何もなさそうだとリナはマンションを辞した。
「ほんと晩御飯どうしようかな~カレーは嫌だし、肉系もダメか、な。となると野菜かな~」
スクバの穴の開いた面を身体に向けて隠し、念のためにと制服の懐に隠した拳銃に意識を向けたまま、リナは家路についた。
005 カクテル缶
「ただいま~」
「おかえり。今日は早かったね」
いつものように新聞を畳むクロだが、リナの様子がおかしいと気付き、すぐに近寄った。
「どうしたの?」
「ん~、大丈夫。ちょっと怖かっただけだから……」
そう言って座り込むリナに合わせて、クロも腰掛けた。
しかしリナは青年の膝に強引に頭を乗せ、膝枕で寝転がった。
「久々に銃振り回してね~抱かれなくて済んだのはいいけどもう散々。おまけに死体も見ちゃったから、暫く肉系は食べられないな~」
「……わかった、買い置きのうどんがあったはずだから、かけうどんにしよう。野菜は食べられそう?」
「食べられる~」
となると野菜うどんの方がいいか、とクロは独りごちたが、動こうとしない。
飼い主が動くまではじっとしようと、飼われた青年は身動き一つしなかった。
「お風呂湧いてたっけ~」
「もう湧いているよ。入る?」
「入る~」
そこでようやくリナは立ち上がり、いつも通り服を脱いでいった。
「……何見てんの~」
普段は見ないくせに、今日はめずらしくガン見してくるクロに、リナはふざけながら身体を隠しているが、ほとんどポーズで、下着のように隠す役割を担っていない。
しかし、クロはリナに構わず視線を離し、脱ぎ捨てられた下着を拾い集め、状態を確認している。
「……え、なに、下着フェチ?」
まさかの性癖にリナは愕然としかけたが、脱衣籠に放り込んだのを見て、それは違うと悟った。
「襲われたというから、身体に傷がついたり、下着が傷んでいないかを見ただけだけど?」
「あんたってドライというか、心配の方向性があってるようでずれてるというか……」
もう隠すこともなく、全裸で堂々と立って頭を掻くリナ。馬鹿らしくなったのか、さっさとユニットバスの中に入り込んだ。まあ、よく考えたらクロの好みじゃなかったな、と思い直して。
クロもカレーの入った鍋を一旦退け、別の鍋でうどんの玉を煮出している。
テキパキと野菜うどんと付け合わせに漬物を小皿に移しておいてから座卓に並べ、それからもののついでとばかりに冷蔵庫からカクテル缶を取り出した。
飲酒経験があるとはいえ、リナは普段アルコールを摂らない。それでも気晴らしにはなるだろうと、主人のためにクロは缶を並べた。
「おっ、わかってるじゃんクロ~」
ユニットバスから出てきたリナは、下着をさっさと着けてから座卓に着き、真っ先にカクテル缶のプルタブを引っ張った。
普段は飲まないくせに、慣れたように一息でほとんど飲み干し、それから用意された野菜うどんに手を出した。
「いっただきま~す」
リナの満足そうな顔を眺めてから、クロは再びカクテル缶片手に、今日の収入である現金を数えはじめた。
006 銃
「へえ、クロって銃の整備もできたんだ~」
「煙草を咥えたまま近づかないで。引火するかもしれないから」
「しんぱいしょ~」
現金も数え終え、食事も済ませた以上、後は寝るだけだという時、クロはリナに銃を渡すように言った。
最初は訝しんだリナだが、弾は抜いていいと言われたので、言うとおりにして渡したのだ。
そして就寝後、先に起きていたクロが何をしているのかと覗いてみれば、なんと拳銃を分解整備していたのだ。これには飼い主であるリナも驚きを隠せないでいる。
「結構見様見真似だけど、危険物さえなければ機械ってそう変わらないよ。だから整備位なら結構どうにでもなるんだ」
「ふ~ん。あ、銃身内にも油を塗っといてね。道具はそこの綿棒を伸ばしたやつだから」
「了解、もうすぐ終わるから」
見学をやめ、リナは少し離れたところで煙草を吸い始めた。灰皿を片手にやることもなしに、再びクロの方を見つめている。
「……そういえば」
「ん?」
今日はもう休みかな、と鳴らないアップルフォンを引っ張り出そうとすると、クロの方から話しかけてきた。
「この銃、何処で手に入れたの?」
「……ああ、買ったのよ。それ」
灰皿に煙草を捨ててもう一本を口に咥えながら、視線だけをアップルフォンに落としてリナは語りだした。
「援交始めた頃に取った客の中には、今でも定期的に買ってくれる人が何人かいてね。その中にやばい物捌いてる売人も混ざってたのよ。……んで、偶に買われる代わりに銃や弾を都合してもらってたってわけ」
そういえば、もうそろそろ来るかな。そう考えているとリナのアップルフォンが鳴った。
「は~い、もしも~し。うん、りょうか~い……噂をすれば影ってね。次いでだから弾も多めに貰ってくるわ」
「銃の売人?」
「そうそう。そのくせ『口だけでいい』とか言ってさ。何考えてんだろ~ね」
それでも仕事は仕事だ。
さっそくいつもの制服に着替え終え、繕うのが間に合わなかったので、予備のスクバを引っ張り出した頃には、クロの拳銃整備も終わっていた。
「なんなら、クロの分も買ってこよっか?」
「別にいいよ。……それよりも、信用できるのなら、銃の整備がうまくいっているか確認してもらってくれないかな。正直初めてな分、不安なんだよね」
「はいは~い。……にしても」
リナは座り込んで工具を片付けているクロを、腰を折って下からその顔を見上げた。
「クロも心配になることとかあるんだ~」
「それは……飼い主様の心配位はするよ」
「にゃるほどね~」
納得したのか、リナはさっさとローファーを履いた。
「じゃあいってきま~す」
「いってらっしゃい」
クロに軽く手を振って、リナはアパートを後にした。
007 売人
リナの援助交際には、数は少ないが固定客もいる。そのうちの一人が、リナに銃を都合した売人だった。
名前はゴロウ。東洋系の顔立ちだが、中国人の血が混ざっているのではとリナは考えている。実際、彼は中国語も話せるらしい。本当かどうかはリナにもわからないが。
「……ペット?」
「というか、ホームレス拾ったのよ。……この前ね」
髪をかき上げながら口を動かすリナ。人気のない駐車場に駐車してある車の中、リナはゴロウの股座に近づけていた顔を上げ、乱れた髪を手櫛で整え始めていた。
「……それで、見様見真似で整備したけど大丈夫かって確認頼まれたのよ。大丈夫そう?」
「見た感じはな……」
ゴロウは受け取っていた拳銃の動作確認を行っていく。一通り動かして、問題ないとみるとリナの膝の上に放った。
「問題なさそうだな。ガンオイルの塗りが若干不均等だが、これくらいなら許容範囲だろう」
「そう、それはよかった」
いつもとは違い、リナの顔に明るさはなかった。相手が銃器を捌く売人だから油断ならないということもあるが、もう一つ、彼女の勘が告げていたのだ。
……何か隠している、と。
「というか、こんな小娘一人毎回買わなくても、借金で潰れた家の娘とか丸ごと買おうと思えば買えるんじゃないの?」
「その分手間が多い。それに、危ない橋は無駄に渡らないことがこの業界で生きていくコツだ」
「ふぅん……」
成程、お互い様か。とリナは内心で結論付けた。
確かに信用しているが、それは契約内での話だ。援助交際と武器売買の取引は誠実に取り組んではいても、それ以外だと確実に裏切るだろう。いや、もし契約内でも不利益を被れば、互いに攻撃することもあるかもしれない。
だから信用できても油断ならない相手だと、理解できてしまうのだろう。
「それよりも」
「ん?」
代金と紙袋に詰められた弾丸を受け取り、中身を確認しているリナに、ゴロウは更に話しかけた。
「その男、信用できるのか?」
「信用、か……」
リナの脳裏に思い描くのは、今は家で大人しく待っている青年、クロとの出会いだった。
確かに、互いに名乗りもしないでなんで家に連れてきたのだろう、と考えたリナだが、ふとどうでもいいことだと悟って思考を放棄した。
「信用してないし、する必要もないね」
「は?」
出会った頃を思い出しながら、リナはゴロウに苦笑を向けた。
「別に裏切ってもいいんだよねぇ……」
「……だって、ペットが牙剥いたって、飼い主はいちいち取り合わないでしょ?」
008 出会い
「もうすっかり春だね~」
上着がそろそろ重くなる時期、リナは仕事帰りに気まぐれに公園の中を歩いていた。制服の上に羽織った薄めのコートを揺らし、夜風に当たりながら当て所なく歩いていると、ふと人だかりができているのに気付いた。
「ん、何あれ?」
興味本位で近寄ってみると、身なりがボロボロな男達がたむろして、同じくボロボロの女性を囲っている。どうやらホームレス内で輪姦でもしているらしい。
「お~お~どこもお盛んだね~」
離れたところから暢気に見ていると、ふと人の輪から外れている男を見かけた。
年は他のホームレス達よりも若く、着ている服もひどく劣化しているという程ではない。ホームレスになりたてなのかな、とリナが見つめていると、視線に気付いたのか、その男である青年が、顔をあまり動かさないようにして目を向けてきた。
「ええと……」
まさか輪姦コースに巻き込まれるのか、リナが内心戦々恐々としていたが、青年は再び他のホームレス達に向き直った。しかし、かすかに伸ばされた手はリナの方を向き、ゴミを払うように振られている。
(……やっぱり新入り君か~)
じゃなければ、青年は手を振らずに、他のホームレス達に伝える筈だ。未だに善意だのを相手に向けるのは、どの世界においても若い証拠だ。
「そんじゃ、邪魔者は退散しますかね~」
流石に遠回りにはなるが、一旦戻ってから迂回しよう。そう考えたリナだが、少し手遅れだった。
「てめぇ……あに見てやがる?」
「あ、やばっ……どうも~」
適当な軽口で返すが、リナの存在に気付いたホームレス達は各々武器になりそうな鉄パイプや包丁を手に持って構えている。しかし、構えているのはホームレスの男達だけだ。
(なるほど……輪姦パーティーじゃなくて強姦パーティーか)
確かに女性の方はボロボロだったが、どちらかというと土埃塗れに近かったので、勘違いしていたようだ。リナは心持ち下がりつつ、スクバを手元に回していつでも走れるように身構えた。
「丁度いい、こいつも加えようぜ」
「いいな、ははは……」
(いや、ただ働きは勘弁だな~)
等と考えていると、一人の男がリナの前に立った。それも正面ではなく、背中を向けた状態で。
「おう新入り……どういうつもりだ?」
「てめぇさっきから俺等に混ざってながったが……何考えてやがる」
そう、さっきの青年がリナを庇うように立っていたのだ。何か武器を持ってないかとも思えたが、そんなことはなく素手だ。
「別に……正義の味方ごっこでもしようと思っただけ」
それを聞いてホームレス達は笑った。
棒読み口調でなければ、リナも混ざって笑い出していたかもしれない。呆然と青年の背中を見るも、震えとかそういうものはない。
(怖がっていないって……どういうこと?)
逃げ切れるとでも思っているのか、とリナは内心訝しんだが、ホームレスが動く方が先だった。
「お前……さっきの女は無視して、そこの小娘は助けるのかよ。おかしくねぇか?」
「……別に、おかしくはない」
青年は一度リナの方を向いてから、ホームレス達に告げた。
「さっきの女は好みだったから、犯されるところを見たかっただけで、好みじゃない小娘見てもつまらないから、他のことで遊ぼうとしているだけだけど?」
『……は?』
この答えにはさすがに、この場にいる全員が呆然としていた。ということは何か、さっきはAV感覚で見ていただけで、こっちは見てもつまらないから別の番組でも見るような感じで動いたと?
「あんた……ひょっとして現実見えてない?」
「つまらない現実よりも、面白い虚構が好きなのは認める」
リナの問いかけに、青年は淡々と告げた。
ああ、道理で震えてないわけだ。現実理解できていないんだこいつ。
でも面白い、内心リナは思ってしまった。思ってしまった以上、このまま一人逃げるのも癪だった。
「ねえあんた、ワタシ担いで走れる?」
「どこまで?」
「どこまでも」
それからが大変だった。
青年に担がれながら、スクバから取り出した銃で威嚇しつつ、公園から逃げ出したのだ。流石に犯罪者だから警察に垂れ込むことはないだろうが、近隣の住民に見つかったらどうしよう、と今でもリナは当時を思い出して、戦々恐々になる。
まあ、リナ達は逃げ切ってから警察に匿名で通報したのだが、これは余談である。
009 ファーストフード
「言われたものを買ってきたよ」
「はいはいごくろうさ~ん」
公園から離れた場所にある24時間営業のファーストフード店に、リナ達はいた。
カウンターで注文している間に、青年にはコンビニまで買い出しを頼んでおいたのだ。流石に身なりはどうしようもないが、あまり傷んでない分、ホームレスとまでは見られないだろう。
「しっかし、なんであんたホームレスなんてやってたのよ?」
「お金がないから」
「たんじゅんなりゆ~」
コンビニ袋を物色しながら、リナはけらけらと笑った。
確かに、青年はコンビニで買い物するお金すら持っていなかったから、仕方なしにリナが財布から中身を出して渡したのだ。丁度仕事帰りということもあってか、未だに懐は温かい。
「ほら食べて食べて、男なんだから、ガッツリいけるでしょう」
「……いただきます」
棒読み口調ながらも、挨拶はきちんとできている。元は育ちがよかったんだろうな~とリナは自分のドリンクに口をつけた。みるみるなくなっていく食べ物を見て、思わず自分の分にも手を掛けた。
「これも食べていいよ~夜中に食べると太るし」
「うん、ありがとう」
礼を言うと、青年は押し出された食べ物にすぐさまがっついた。
ほとんど食べてなかったのか、すごい食欲である。
「ごちそうさまでした」
「はいおそまつ~」
時間潰しに立ち読みした週刊漫画の台詞で返してから、リナもドリンクを飲み干した。
「そんで、あんたこれからどうするの?」
「どうする、って言われても……」
まあ、そりゃそっか。とリナは思った。
ホームレスでしか生きられない以上、何処かに住み着くしかないのだ。まあ先程の公園は今荒れているから、しばらくは近寄れないだろうが。
「ところで」
「ん~?」
今度は青年から話を振って来た。
「君は一体何者?」
「ワタシ、そうだね~」
そう言われても、自分自身どう説明したらいいのかが分からない。
とりあえず状況整理も兼ねて、リナは順番に話すことにした。
「一応高校生だったんだけどね。母親が蒸発だっけ、まあいなくなっちゃったから、仕方なしに援交で生計立ててる、ってところかな」
「……気持ち悪くないの?」
「おっ、その質問は初めてだね~」
普通は真っ当な生き方はできないのか、って聞かれるけどね~。
とリナは軽く返してから、その質問に答えた。
「まあ、セックスはそこまで嫌いじゃないからね。性病持ちとかじゃなければ存外悪くないし。……もっとも」
「うん?」
「その初体験も……記憶にないんだけどさ」
不思議そうに見つめる青年と、何で話したんだろうな、と苦笑するリナ。
「なんていうかね、中学の半ばくらいだとは思うんだけどさ~。それ以前のエピソード記憶ってのがぽっかりなくなってるんだよね~」
010 リナの記憶
リナの記憶は、中学半ば以降からしか存在していない。幸いにもエピソード記憶以外の記憶は残っており、人間関係や自分の社会的立ち位置を再認識すれば、生活に支障はなかった。
丁度いいことに、蒸発した母親と引越してきたこともあり、リナは自らの記憶を探すことなく中学生活を満喫した。普通に勉強して、普通に友達と遊び、受験勉強や憧れの先輩について悩みながら、高校生になろうとしていた。
そんな生活が変わったのは、高校に進学してできた友達と合コンに行った時だろう。相手は大学生だということもあり、大人の男性に憧れた彼女達には、乱交パーティーという結果だけが訪れた。
高校に進学したばかりの少女達には、大学生である青年達に逆らうことができずに、次々と犯されていった。そんな少女達の阿鼻叫喚の中、リナの意識が飛び、気が付けば男達の気絶体の上で、自分から腰を振っていた。
唯一気が付いていた同級生の話によると、一度犯されたリナの様子が豹変し、犯してきた相手を逆に組み伏せたらしい。そして次々に種を吐き出させた後も、どうやったのかさらに刺激を与えて強制的に続行、相手が気絶するまでまぐわったとか。
その件で学校でも浮き、挙句の果てにはウリまでやっていると囃し立てられた。その件もあったが、別に気になることもあり、母親が蒸発した数日後に、リナは学校を退学した。
「……もしかして、血繋がってなかったりして」
元々放任主義な母親だなぁ、とリナは思っていたのだが、ウリの噂が流れて少ししたある日、母親は突然姿を消したのだ。
娼婦なのかどうかは知らないが、こことは別の所に住み、時折来ては生活状態を確認して、生活費を置いていくのが常だった。流石に保護者承認が必要な事柄には対応してくれたし、電話やメールも通じていたが、それでもどこか義務的に面倒を見ていた節があった。
「やっぱりあれかな。本当の親とかに面倒を押しつけられて、ウリで稼いでいるなら一人でも大丈夫だと思ったのかね~」
たとえそうでも、捨てられたという事実には変わらない。だというのに、『最後の生活費』と一緒にその母親が持っていた携帯が壊された状態で置かれているのを見ても、リナは笑うことしかできなかった。
一人でいる時間が長かったということもあるが、リナ自身分かっていたのだ。
……自分が愛されていないことを。
「……しょうがない。生きてくために働きますかね、っと」
最初はどこで相手を探せばいいのかは分からないが、それでも蛇の道は蛇だ。夜の街をさまよい、通りがかった男とかから援交少女とどう出会っているかを聞きながら仕事を覚えるのに、さほど時間はかからなかった。
011 きっかけ
「ま、今が楽しけりゃそれでいいか、って思って生きているのが現状、ってね」
「ふぅん……」
記憶喪失だが、援助交際してても楽しく生きれればいいという少女に、青年は肯定も否定もせず、ただ納得したというように頷いた。
何を考えているかは分からないが、リナにとっては警戒すべき相手ではないと考えられるのが嬉しかった。というより、好意も悪意もない分、興味を持たれていないというのが正しいのだろうが、彼女にとっては悪意を向けられないだけに安心できた。
「それで、あんたも私の身体、買いたい?」
「別にいい。好みじゃないし」
一瞬、リナはスカートに手をかけて挑発してやろうかとも思った。しかし、先程の件で嘘じゃないと知っている分、むやみにちょっかいをかける必要もないと思いとどまる。
「そういやさっきもそんなこと言ってたっけ、ちなみに好みは?」
「なんて言えばいいのかな……」
リナの質問に、青年は悩みながらも、たどたどしく答えた。
「こう、熟女と言うには若めで、少女と言うには色気があるというか……大人だけど若い女性、って言えばいいのかな?」
「要するに……20半ば位の女っぽい、色気のある女性が好みってこと?」
「多分それ」
となるとOLとかも好きなのかな、とリナは内心考えた。そもそも、先程輪姦されていた女性もよくよく思いだしてみればそんな感じの人間だったのだ。
だから青年が好みの女性を見ていたというのも納得できる。
「じゃあさ、何でさっき混ざらなかったの?」
好みなら手を出せばいい。
リナの経験上、大抵の男は好みじゃなくても、性的刺激さえ感じられれば興奮する生物だ。だからこそ、『未成年』、『制服』という要素を追加して、興奮材料を増やしているのだ。
だからこそ、リナは納得がいかなかった。先程の話を聞いたならば尚更だ。
「混ざっても、できないんだ」
「できないって……ED?」
「というよりも、性欲が薄いというか何というか……好みなんだけど身体が求めていないというか、そういう不思議な感覚なのを、ずっと見ながら考えてた」
「……根が深そうだねぇ~」
リナは苦笑し、スクバを抱えて立ち上がった。
「でも気に入った。よかったらしばらく家に来ない?」
「……いいの?」
不思議そうに見てくる青年に、リナは指さしながら答えた。
「そんかし家事全般よろしくね。いやぁ、一人暮らしだとやること多くて大変でさ~」
青年を指さし、おどけてくるリナに、青年はまじめ腐って答える。
「分かった。……よろしく」
「うんっ!」
そうして二人は並んで歩き、リナの住むアパートまでの家路についた。
「……あ、それとワタシにいろんな意味で手、出したら撃つから」
「了解。家事の範疇まで許してくれたら大丈夫」
012 飼育?
しかし、二人の生活を続けたいと真っ先に言い出したのはリナの方だった。
食事。
「なっ、なんてリーズナブルっ!?」
「そこは、おいしいとかじゃないの?」
「いやワタシ凝り性でさ。料理一つ作るのにも凝りすぎて、材料費二、三万と一日無駄にしたことがあるのよ」
「……何作ったの?」
「パエリア」
掃除。
「……何してるの?」
「分別。まとめて燃えるゴミだと、いつかゴミ捨て場に放置されるよ?」
「別にいいじゃん。ゴミ出してるだけだし」
「……放置する場所がなくなって大家から回収命令。ゴミ屋敷が先か追い出されるのが先か」
「すみませんでした」
洗濯。
「あれ、この下着傷みが少ないような……」
「ちゃんとネットに分けて洗わないから、今まで傷みが早かったんだよ。後色分けして洗ってるから、変な色に染まってないでしょ?」
「確かに……」
おまけに家計管理。
「ところで今日、家賃の催促に大家来なかった?」
「三日前に振り込んでおいたよ。後引き落としも可能だったから、ついでに銀行で手続きしておいた」
「……一応、口座の名義はワタシだったよね?」
「印鑑があれば代理申請できるよ。一緒に電気ガス水道も引き落としにしたから」
注:実際は各銀行に問い合わせてください。今回は未成年の保護者という立ち位置で都合よく申請できたということにしています。
「それと、通帳の管理はちゃんとしてね。印鑑と一緒に持っていけば、本人じゃなくても窓口で出金できるんだから」
「……はい、気をつけます」
こんな状況が続けば、人は誰でも堕落する。
おまけに性欲が薄いという青年の言葉は本当だったらしく、襲われるどころか下着にイタズラされた形跡も見られなかった。
都合よく働き、危害を与えることも何かを盗むこともしない忠実な男。こんな人間が近くにいれば、たとえリナでなくとも、側に置いてしまうだろう。下手な人間なら信用しすぎてしっぺ返しを食らう可能性もあった。
しかし、それでもリナは腑に落ちない点があった。
「ねえ、あんたもしかして……何かから逃げてる?」
昼夜逆転した、二人の共同生活から半月程経った休日。リナは煙草を咥えながら、洗濯物を畳んでいる青年に問いかけた。
「別に、犯罪はしてないよ」
「いやそれ言ったら、ワタシの方が犯罪者じゃん。……そうじゃなくて」
肺に溜まった煙を吐き出しながら、リナは再度問いかけた。
「あんたさぁ、ここに来てから一人で出かけたのって、銀行の一件だけじゃないの。他はみんな、ワタシの休日に買い出しの名目で連れ出して、『男一人』で目立つのを避けてるみたいだし」
「……迷惑、だった?」
「いや全然」
というか、全体的に助かっていると、リナは告げた。
「なんというかさ、別にいいんだよね。いつ終わるともしれない生活もさ。ワタシが楽しければ。……でもさ、あんたふらっといなくなったりしようとしてない?」
「……まあ、明日にでも出ようかと考えてたけど」
「そっちの方が迷惑」
煙草を灰皿に押し付け、口を開けたリナは、そのまま膝を立てて抱えた。
「ここまで面倒見てくれるならさ、その時まで一緒にいてよ。……お金ならワタシが稼いでくるからさ」
「それって……ヒモ?」
訪ねてきた青年に、リナは首を傾げながら答えた。
「というより、家政夫ってやつ、う~ん……ごめん、上手い言葉が見っかんない」
「……後悔するかもしれないよ」
「別にいいよ」
再び煙草を咥えるリナ。しかしすぐには火を点けず、ライターを手の中で弄んでいた。
「別にいい……今が楽しければそれで」
「そう……よろしく?」
「何で疑問形~?」
器用に煙草を咥えながら、リナは静かに笑った。
013 好悪
「……そういえばさ」
「うん?」
リナが売人との仕事から帰って来た就寝明け。
彼女に飼われた青年、クロは野菜サンドを作りながら問いかけた。
「何で身体売ってるの?」
「何々、クロ。ご主人様の仕事が気に入らなくなった?」
「いや、そうじゃなくて」
野菜サンドを盛りつけた皿を座卓に置き、リナの向かいに腰掛けながら、クロは言葉を続けた。
「普通の人は持っていない銃があるんだし、別に殺し屋になっても良かったんじゃないかな、って思っただけ。性病で死ぬより生きられそうだけど?」
「う~ん……クロってさ、人を殺す時どう思う?」
問いかけに疑問で返されたクロだが、既に考えていたことなのか即答した。
「赤の他人がいなくなっても別に気にしない。知り合いだったら、もしかしたら悲しむかもだけど、それでも必要なら捨てられる、かな」
「……ワタシの場合は、簡単に捨てられないかな~」
野菜サンドを食み、ある程度食べてからリナはまた話し始めた。
「別に人の命背負ってる、って気負ってるつもりはないんだけどさぁ……やっぱり抱え込んじゃうのかな。今はないけど、昔一人で住んでた時はそのせいで何度も目が覚めちゃってさ~」
リナの答えを、クロは静かに聞き続けた。
「だから、人を殺すのは必要な時だけ。それ以上は余計なしがらみやトラウマを抱え込まない。……そう昔に決めたんだ」
「そっか……」
それに、とリナは続けた。
「人殺して回るより、抱かれてる方が好きってのもあるんだけどね~性病持ちのお客さんは会った時に分かるし」
「……え?」
クロは不思議に思った。
そもそも、相手が性病持ちかどうかなんて実際に会っても分かるものじゃない。専門医でも困難なレベルだ。何しろ見た目だけでは分からず、病気によっては外的変化も見受けられない。本人ですら気付かない時だってある。
それなのに分かるとはどういうことなのか?
「ワタシの特技っての、なんか相手の嘘とか心理状態とか体調とかが分かっちゃうんだ。なんでか知らないけどね」
「……不思議な特技だね」
クロの返事に、リナはまったくだと返してから残りの野菜サンドを飲み込んだ。
「だから病気の心配もなく、殺し屋に無理して転職する必要もないってこと。というか……」
アップルフォンが鳴る。どうやら新しい仕事のようだ。
「こんな小娘が殺し屋やったって、次の日に川に浮かんでるのが関の山だっての」
「……そっか」
その会話を最後に、リナはいつもの制服に着替え始めた。
クロが直したばかりのスクバを用意し、中に拳銃を含めた商売道具を詰めていく。
「ご飯のリクエストは、何かある?」
「う~ん……ハンバーグってできる?」
「挽肉あったから作れるよ」
じゃあそれ、と身振りで答えてから、リナはローファーに足を通した。
手鏡で髪型と化粧を確認し、スクバを肩に掛けてから振り返った。
「でわいってきます」
「いってらっしゃい」
いつものように挨拶をし、いつものように仕事に行くリナと、それをいつものように送り出すクロ。
二人の生活は、まだ終わりそうにない。
登場人物
リナ
援助交際で生計を立てる少女。諸事情で親に捨てられたも同然な状況で生きている。染めた金髪と左耳のピアスが特徴。高校にも通っていたが、約半年で退学。今年17歳になるが、身体だけでなく飲酒喫煙も経験あり。
青年
元ホームレスの青年。リナに拾われてそのまま居着いた。何故ホームレスだったかは不明。その割には家事能力が高く、資格も色々持っている。今年で23歳になるが、アルバイトすらせずに家に引きこもっている。
ミサ
リナの援交仲間。赤いメッシュを入れている。
アカネ
リナの援交仲間。清楚系の黒髪少女
ゴロウ
リナの固定客にして、拳銃等の違法物を取り扱う売人。東洋系の顔立ちで、中国語も話せるらしい。中国人の血が混ざってるかもしれないとリナは考えているが、詳細は不明。