第七話
守護関係の取り決めを終えたその日の内に、モンセン家へ向かうこととなった。慌ただしいことではあるが、先代のモンセン家当主。つまりはルートヴィヒさんの御父上は数年前に亡くなられているため、御母上とまだ幼い弟君に留守を任せているらしい。
ルートヴィヒさんも、さぞかし心配なことだろう。早急さを、快く了承する。
そして、荷物。といってもビジネスバッグと、ベルさんが纏めてくれた衣服等が入ったもの、を持ち。多くの力添えをしてくれたベイツさんとベルさんに、挨拶を行った。
「この度はお世話になりました。お陰様で、不自由なく過ごすことが出来ました。ありがとうございました」
四十五度程度に腰を折り曲げる最敬礼を行い、感謝を示す。
環境に慣れよう、勉強をしよう。そうして忙しい数日間を過ごすことで、苦しみを紛らわせていたきらいはあったが。
多忙な二人が合間を縫って。時には、無理に時間を割いてでも、私との時間を作ってくれていたのを知っていた。そんな二人の前で、無様な真似は晒せない。強く思うことで、私は今日までなんとか持ち堪えたのだ。
「こちらこそ、ご協力ありがとうございました。ルークとのことで問題がありましたら、私宛に書簡をお送りください」
「はは。ルートヴィヒさんが良い方なのは伝わっています。……それでも、お気遣い嬉しいです」
ようやく順応した環境を離れるのは、つらい。ベイツさんとベルさんに会うことも暫くはないだろうと思うと、緊張でますます身体が強張る。
張り詰めた私を解そうとしたベイツさんは、茶目っ気を含ませながら、冗談半分の助言をくれる。
それによって、私はようやく笑顔を漏らす。お陰で、当初よりも随分心晴れやかに、モンセン家の家紋が彫られた馬車に乗り込むことが出来た。
有蓋の箱型馬車の内装は、割り方快適そうだった。舗装されていない道を通るのであれば、苦痛は避けられないだろうが、椅子に置かれていた柔らかなクッションがあれば、乗り切れそうだ。
適当な位置にクッションが配置されるよう微調整しながら腰かけていると。ルートヴィヒさんが、私の向かい側の席に座った。
馬車が走り出した頃、私とルートヴィヒさんの目が合う。ルートヴィヒさんの瞳は冷静さを宿しているというのに、一方的にドキリとしてしまう。独り相撲をしているようで滑稽だが、彼の容姿に慣れ親しんでいないのだ。邪な感情を抱いていないとしても、テレビの中でさえお目に掛かれないような美しさがあるのだ。仕方がないだろう。こんな調子で、長時間の密室を乗り切れるかと気掛かりではあるが……。
「改めまして、これからお世話になります」
「ああ、こちらこそ。――屋敷に着いたら改めて紹介するが、マヤには人を付ける。入用のものを彼女に言えば、なるべく用意させる」
「ありがとう。洋服などは、持たせてもらったから必要ないけれど、常識本などがあれば助かるわ」
動揺を隠しつつ、見合ったことを機会に話し掛ける。すると、ルートヴィヒさんはなんとも話しやすい話題を振ってくれた。お陰で、話題に応じることが出来た。たどたどしい砕け言葉を用いることも忘れない。
「本? そういえばベイツのもとへいる間、この国について学んでいたのだったな。ミドスタン語に成果が出ていた」
「実は、あの一文しか話せないの。だから、本があれば嬉しい」
「手配しておこう」
今となっては、ミドスタン王国について学びたい。ミドスタン語を話せるようになりたいという欲求よりも。むしろ、勉強という没頭できるものが欲しかった。
ベイツさんのもとで数日間を過ごした結果。ルートヴィヒさんの屋敷で手伝えることが皆無なのは、嫌というほど理解したからだ。ベルさんほどの女中はいなかったとしても、私よりは遥に能力の高い使用人達が集まっていることは、目に見えている。
とはいえ、寝て起きて食べてを繰り返す生活は頂けない。ここが異世界であるという、現実への悲観が頭の中でグルグルとめぐってしまうことだろう。そうすると、私は間違いなく狂ってしまう。
姑息な自己予防策だったが、勉強というワードは地球でもどこでも、聞こえが良い。手配の約束をすぐさましてくれたことに、安堵する。
「そういえば、ベイツさんと以前からお知り合いなのね」
「ああ、アドニスとはパブリックスクール時代に知り合った」
「だからかな。とても仲が良さそうに見えた」
「仲が良いというより、腐れ縁だな」
会う頻度とか、そういう単純なものではなく。お互いのことを理解し合い、腹を割って話せる。そういう深い付き合いを行っているのは、社会人になってから付き合い始めた友人よりも、学生時代からの友人の方である。そのような傾向が、少なくとも私の周囲ではあった。
社会に出てから知り合い始めたというと、どうしてもビジネスの現場が関係してしまいがちだ。そのため、何の利益関係も持たずに気楽に交際できる相手が尊いのかもしれない。単純に、付き合いの年月の長さが要因とも考えられるが……。
ともかく、そういう訳で、ルートヴィヒさんとアドニスさんが学生時代に知り合ったというのにしっくりきたのである。
ルートヴィヒさんは腐れ縁などと言っているが、内心でその関係を良いと思っているのは明らかだった。私にそういう結びつきは皆無なため、余計に微笑ましく思ってしまう。
「仲が良いといえば。ルートヴィヒさん、弟君にも慕われているんじゃ?」
「弟君、にも? ……いやいい、なぜそう思う?」
暗に、ベイツさんとの仲が良好であるという意味を含ませると。それを受け取ったルートヴィヒさんは、不快気にしながらも、話題に乗ってくれた。
「例えばだけど、御母上と弟君が心配だから早く家に帰ろうとする優しさ、かな」
「それは、当主として当たり前の行動だ。まあ、実際好かれている方だとは思うが」
やっぱり。会って間もない私にさえ、ルートヴィヒさんの思いやりは伝わってくる。長く共に暮らす家族であるなら、彼の性格を熟知しているに違いない。
小さなルートヴィヒさんが、大きなルートヴィヒさんに向かって「兄上!」と駆け寄り抱き付く。泰然自若な彼はほだされ、愛情で溢れんばかりのハグを弟君に返す。そんな、心が和むような光景が思い浮かんだ。
ルートヴィヒさんと二人きりでいることに、心許なさを感じていた。だがむしろ、彼のお陰で清々しい気持ちになった。麗しき兄弟愛の姿が見られるかと思うと、少々の楽しみさえ感じる。微笑を浮かべながら、思いを馳せる私だった。