第三話
ブルジョワ制度
優れた知・技・力・心の全てあるいはいずれかを持った人物を、人種、信条、性別、社会的身分又は門地を超えて勇者と呼応した場合、適応される制度。
欺瞞・毀傷・陵辱行為によって勇者の力を利用しようと策謀する者から、潔白な勇者を守るために制定されたといわれている。
王国は、優れた功績を残した潔癖な貴族を選出し、勇者を守護する権利を褒美として与える。惑星ラーグに幸福と平穏を与えた勇者を守護するのは最高の名誉であるのだ。
また、世評ではあるが、勇者の助力が当家に注がれ、一族と領地の栄えに繋がると言われている。
しかしながら、守護するべき貴族が勇者の名誉を毀損し、勇者の心を絶望に貶めた時。それは王国への反逆行為と同一であり、重罪に課せられる。
これが、異世界人を救済・管理するための制度。正式名称、ブルジョワ制度だった。
優れた知・技・力・心とは何か? 絶望に貶められたとはどう判断するのか? 多くの疑問が湧いて出る。ちなみに、私がある意味で注目したのは、どのような人物を勇者と呼応するのかという件である。義務教育中に、必死になって暗記した一文が引用されているような気がするのだ。
まあ、このブルジョワ制度。公にはこのように認識されていたとしても、実態は異世界人限定の制度だ。惑星ラーグに対して親しみを感じさせるために、配慮がなされているとも考えられる。もっと言うと、制定の過程に、地球人の手が加わっているのかもしれない。
さて、それは良いとして。
そもそも何故、建前的な制度が必要なのかと言うと、勇者イコール召喚された異世界人だと知るのは極一部らしいからだった。貴族や王国勤めの役人であっても、上層部や限定された部署。それに、異世界人と守護関係にある者のみが知ることを許されている。
それだけでも、情報の流通先は随分限定されるというのに。身分的には該当者であったとしても、人間性が欠如していると判断された場合には、情報が行き渡らない。それを判断する者のデータは明かされていないため、金品取引等によって不適合者に情報が行き交ってしまうことが防止されている。
また、情報を知る者には、情報の秘匿が義務付けられている。一言たりとも口にせず、胸に秘めておかなければならないとかいう、拘束的なものではない。だが、不用意に情報流出をさせようとする者には厳しい罰が課せられるのだ。例えば、過去に流出を目論んだ人物は、強力な忘失薬を飲まされ、その地位から転落させられたという。それを行ったのが身内であったとしても、容赦はされないようだ。
そうまでして勇者の実態を明らかにしていないのは、国民の反響を意識してのことだった。国民は、惑星ラーグを救った勇者に深い謝恩や敬慕を感じている。
だというのに、勇者の実際は、強制的に呼び出された召喚魔法の被害者だ。それだけに留まらず、現在も被害者を産出しているということを国民が知れば。たちまち王国に対して不満と非難の声が挙げられる。魔王によって壊滅状態に陥った惑星ラーグは、平和を取り戻しつつある。ここで石を投じることを避ける必要があるのだそうだ。
このような事情から、勇者が異世界人と知れるのがまずいとはいえ。被害者を蔑ろにし、武力で強制的に口を噤ませる訳には勿論いかない。被害者の苦しみを当然とするのは非人道的であり、惑星ラーグの人々を苦しめた忌まわしい魔王と同類となってしまうからだ。
また、万が一にもそれが起こらないように惑星ラーグに残る、と声を挙げたのは。魔王討伐に関わった勇者の数名だった。
これを受けて、五大王国と勇者は、惑星ラーグの平穏・異世界人の立場というふたつのバランスを考慮した上で「ブルジョワ制度」を作ったのである。
「ブルジョワ制度によると、私は、どなたかの貴族のお宅へと身を寄せることになるのですね」
「ブルジョワ制度に同意して頂けるのであれば、そのように取り計ります」
「けれど、先ほど、帰還した勇者もいたと仰っていましたよね? それに、召喚魔法は地球との道を繋げる魔法だとも。ということは、惑星ラーグから地球へ行くことも可能だと思うのですが」
一方通行標識が存在する訳でもあるまい。そうなると、理論的には、どちらの惑星からも行き来が出来るということになる。
問題が発生した折には、迅速な帰還への斡旋を行う。これによって、不都合な情報流出が防げるだろう。
「確かに、召喚魔法によっての行き来は可能です。過去には、召喚魔法を用いて数名を帰還させたこともありました」
「ならなぜ、このようなまどろい手段を?」
私が即興で考え付く程度のアイディア。五大王国の上層部の誰も思いつかないなど有り得ない。
だからこそ尋ねたわけだが、赤髪の彼は、今まで保ち続けてきた笑顔を、ここにきて初めて崩す。力強い赤がかった茶の目は伏せられる。形の良い唇は、苦々しそうに噛まれている。健康的に赤みを帯びていた頬も、白んでいるようだ。
「帰還は、たいへんな失策だったからです」
「無事に帰れなかったのですか?」
「いえ。怪我もなく地球へ到着されました。ですがその後、急激に異世界からの来訪者数が増大したのです」
なぜか、と一瞬考えた私は、ハッとした。
「そういえば、道を繋げすぎたことにより、私もここにいるのでしたね」
「……はい。この出来事が、召喚魔法の使用制限に繋がりました。今では、召喚魔法によっての帰還は事実上不可能となりました」
予想は、当たっていた。私の指摘にますます顔を青ざめさせる赤髪の彼は、罪悪感に苛まれているようだった。
悪循環を引き起こしたことに苦悩しているのか、私がここにいることに対して残念に思っているのか、理由は分からない。だが、不幸な境遇にある私に対して、心からの同情と謝罪の心を持っているのは確かなようだった。
だからこそ、何と声を掛ければ良いのか分からなかった。
召喚魔法が使用制限されたということは、地球へ帰れないかもしれない。つまりは、自分のこれからが見えないという無残な状況に置かれているのだ。仕方がないと断念することは無理だ。
かといって、「被害が拡大することなど知るか」と、召喚魔法の使用を強制することなど出来るはずがない。私一人が帰還すると、幾人もの被害者が出てしまうと赤髪の彼は言っているのだから。
身動きができない苦しみから、思わず呻く。
「とはいえ、帰還方法がない訳ではありません」
項垂れたまま落胆にふけっていた私は、目の前から聞こえた静かな声に顔を上げた。赤髪の彼は、ここが重要とでも言うかのように、ソファから半ば身を乗り出している。
「帰還には条件があると言ったのを覚えていますか?」
しっかりと頷いて見せる。
「それは要するに、運に任せて道が開くのを待つ、ということなんです。惑星ラーグの各所には、貴方がミドスタン王国に来てしまった原因でもある、偶発的に発生した道が出現します」
「……まさか、その道を使って?」
「はい。強制的に道を開けるのは制限されていても、自然発生した道を利用することは可能です」
「でも、いつどこに道が出来るか分からないということですよね?」
無謀だ。
私がミドスタン王国へ来る直前のことを思い出す。ブロック塀に手をついていたつもりになっていた私は、道がいつ出来たのか分からないうちに、暗闇へ巻き込まれていた。そればいわば、奇跡的なタイミングだ。
同様の奇跡に、再び遭遇するとは到底思えなかった。
げんなりとしながら首を横に振っていると、「いいえ」と力強く否定される。見てみると、赤髪の彼の眼差しは、強烈ともいえる光を放っていた。
「確かに、現在の魔法技術は未だ発達の余地があります。自然発生する道の制限ができていない状況ですから。それでも、発生一時間前という直前であれば、出現場所を割り出せるようにはなったのです」
「でも、たった一時間前じゃあ……」
「無謀ではありません。出現場所が分かる上に、一時間近くの移動時間まであるのですから」
確かに、何一つ手がかりがない状態を思うと、随分可能性は出てきたが。それでも、心の憂いは晴れなかった。道が開いたとしても、一時間以内に移動できる場所に、運よくいられるとは思えないからだ。
勿論、惑星ラーグで長らく過ごす内に、いつかは該当する道も生まれるだろう。だが、道の発生を待つ生活は愉快なものではないだろう。
折角道が開いたとしても、一時間以上かかる場所にあるのだとしたら。今回開いた道も、通ることができなかった……といった具合に、疲労と落胆を積み重ねる日々を私は送ってしまうだろう。
地球へ帰る前に、精神を病む羽目になるのは目に見えている。
それを伝えようとするが、これは唯一の希望なのだ。無意識のうちに、棄却するのを惜しいと思っているのだろう。弱音が喉元にまで上がってきていても、それを音として吐き出すことは出来なかった。ぱくぱくと口の開閉を繰り返すのみ。
間抜けな私の姿を見た赤髪の彼は、いくつかの書類をゴソゴソと探り始める。取り出したのは、一枚の紙とペン。それに、正方形の小さな箱。
その中から私へと差し出したのは、中身が見えない小箱だった。促されるままに手に取り、怪訝な表情でゆっくりと蓋を開ける。白みがかった透明の石をくり抜いて作った指輪がひとつ、収められていた。
「これは?」
「ラインという宝石から作られた指輪です」
光物にさほど興味がない私は、今一つピンとこない。この宝石が、一体何の関係があるというのだろう。首を傾げながら、赤髪の彼の意図を探る。
「ラインには、特殊な性質があることで知られています。ひとつは、血や絶望に濡れると変色するというもの。もうひとつは、異世界への道が開くときに強く輝くというものです。それも、馬車で一時間移動する距離とほぼ同等の範囲内にラインがあるときに限定して」
つまり、この指輪があれば、道が開くかどうかを自分の目で確かめられる上に、無用な落胆をせずに済む。
そして、異世界人を預かる貴族と折が合わなかったとしても、基本的な人権は守られるという寸法か。何しろ、目に見える形で第三者に状況を周知させられるのだから。
この白い指輪は、異世界人にとって、身の安全を保障するアイテムでもあった。
指輪の重要性を理解した途端。先ほどまではガラクタ同然の価値しか見出していなかった指輪を、食い入るように見つめてしまう。
改めてじっくり見てみると、随分と美しい。
「私にも、この指輪を?」
喉から手が出るほどに欲しい一品だった。指輪があるからといって、すぐには帰郷できないだろう。だが、不安しか周囲にない環境で、害悪に晒されることは少なくともなくなるのだ。得られる安堵感は計り知れない。
赤髪の彼の端正な顔立ちに浮かぶ微笑みに、含みがないことを祈りながら、彼の目をじっと見つめた。
「出来るなら、お渡ししたいと思っています。ただ、貴重な品であるが故に、規則が御座います」
「何をすれば良いのでしょう?」
「難しいことではありません。ブルジョワ制度に同意して下さる異世界からの来訪者のみが、お渡しの対象となっているというだけです」
同意の内容確認として、書類とペンが手渡される。ペンは、同意するのなら署名をしろということだ。後の判断は、私に任されるようだ。と、言っても、私は選択肢がない選択肢を与えられているだけだ。同意をしなければ、身寄りも、指輪も、何も得られないのだから。
私は、汗ばんだ両手で書類をしっかりと持った。そして、そこに書かれている日本語に、一文字も読み飛ばすまいと噛り付く。
「帰還への協力と、身の安全を保障することの対価として私が求められているのは、勇者と異世界人に関する情報を流出しないこと。政治的利用の道具になることへの了承、という解釈でよろしいですか?」
「政治的利用とは物騒ですが……まあ、そうです。他にも帰還時の指輪の返却義務など、細々としたものも御座いますが、同意書を読んで頂けたのならご確認されたかと」
「はい、確かに確認しました」
認識に齟齬が生じていないかを赤髪の彼に確認した後。念のため、再度書類を読み直す。合計三度きっちり読み終え、内容を頭に入れた私は、ようやくペンを握った。
一画一画をじっくりと慎重に書くのは、羽柴麻耶という私の名前。書き終えたその字をしばし眺めた後、赤髪の彼へと渡す。彼もまた、私の名前を一拍ほど見つめると。
「ハシバ・マヤさんですね」
日本人と同様の発音、とはさすがにいかないが。日本に滞在して数年目に突入した外国人のような流暢な発音で、私の名前を呼ぶ。
「私は、ブルジョワ制度に関する統括をしております、アドニス・ベイツです。改めまして、よろしくお願いいたします」
赤髪の彼こと、アドニス・ベイツ。日本式に倣っているのか。彼は、此方に会釈しながら、月見を深めた笑みを浮かべた。
漢字や日本の作法にまで精通しているという驚きや、今まで接してきた相手が思いもよらぬ地位にいる人物だったという不意打ち。新たに湧いて出た事項に脱力した私は、ソファに深く身を沈め。
「同意書の写しは用意してくださいね」
と、言うのが精一杯だった。