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百奇夜行 ~しゃべるな~

試し書きです。どうぞよろしくお願いします。

 小さな地方自治体の福祉関係の部署に勤務していたことがある。


 一口に福祉といっても様々な業務があるが、地方で多いのはやはり高齢者のケアだ。中でも家族を亡くすなどして独り暮らしをしているいわゆる独居老人には特に注意を払う必要がある。

そのような訳で、私たちの部署では独居老人宅を定期的に巡回し、安否を確認するという業務を行っていた。


 そんなお年寄りの一人のが町はずれの公営住宅に住んでいた。仮にハマさんとしておこう。その年に八十になったお婆さんだ。

暑い夏の日の事だった。私はハマさんの家に向かっていた。姿が最近見えない、という近所の人からの連絡があったのだ。私は、町はずれの公営住宅の前の路地に車を止めた。

 ハマさんの家は年号が変わったか変らないかの頃に建てられた古い建物だった。玄関周りをチェックする。郵便物や新聞が溜っている形跡はなかった。とりあえず少し安堵しつつ古びた玄関の呼び鈴を押そうとしてちょっとぎょっとする。

 足元の敷石に、小鳥の死骸が転がっていた。胸元の羽毛が赤く染まっているところを見ると何かに<狩られた>のだろう。気持ちのいいものじゃないなあ、などと思いつつ改めて呼び鈴を押す。建物の壁と同じくすんだ音がした。

「はい」

 ハマさんが顔を出した。色つやもよく、これといった不調な様子は感じられない。

「市役所の者です。お変わりありませんか?」

「ああ。ごぐろさん(ごくろうさん )。まあ、あがってげ(あがっていけ )。」

元々訛りの強い人だったが、少し前に脳梗塞をわずらって以来さらに聞き取りにくくなっていた。しかし、

「ああ、あづぐでかナわね(暑くてかなわない)な。」

どうもそれだけではない違和感が言葉の端々にある。何か、外国語を無理して喋っているようなブレがある。

「失礼します。」

ざわざわする感覚を抑え込みながら私はハマさんの家に上がる。ぽん、と足先に何か当たる。



 灰色の毛の塊。頭部にあたる部分がないため判別は難しいが、どうもネズミの死骸に見える。

「あのハマさん……」

 立ち尽くす私の方をハマさんが振り返る。

「きにすンな。ただのおもぢゃ(おもちゃ)だ。」

「!」

 ハマさんが私を見る眼が光っている。いやそんなことはない。気のせいに決まっている。


ちりりん。


開け放した窓から吹いた風が風鈴を鳴らした。そしてその風は足元に何かふわふわしたものを吹き寄せた。

 埃かと思った。違った。

 それは、おびただしい小動物の体毛、鳥の羽毛、干からびた何かの虫。そんなものが足元に舞っていた。

「何してる。こシおろせ。」

動けない私にハマさんがうながす。頭の中で何かが全力でアラームを鳴らしていた。しかし、仕事である以上ここで帰るわけにはいかない。この部屋の状況が認知症が進行した結果だとすれば然るべき措置を取らねばならないからだ。やむを得ず私は周囲の毛を払って、畳の上に座った。

「……あの、ほんとにだいじょうぶですか?どこかお悪いところとか……」

「んだがら、どごもわるぐね(悪くない)。今つめでもん(冷たいもの)だすがら、すごしやすんでげ(休んでいけ)。」、

 かちゃりかちゃり、と音がした。ハマさんが台所からコップを盆にのせて戻って来た。冷たいもの、と言っていたはずなのにコップはやけに生ぬるい。何かのジュースだろうか。赤黒い液体が半分ほど入っている。

「えんりょすンな。」

 相変わらずのイヤな感じの声に促され、私はコップを顔に近づける。しかし、途中でどうしても手が上がらなくなった。コップから猛烈な生臭い匂いが上がってきたからだ。

「あの、これ……」

 ハマさんに尋ねようとした時だった。ぷかり、とコップに何かが浮いた。えっ?と覗き込んだ。

 コップの中のものと目が合った。


 ネズミの頭部だった。


 挨拶をした覚えはない。気が付くと私は車のシートに座っていた。何か叫んだらしく喉が痛かった。

 あの時、赤黒いコップの中に浮かんでいたのは、確かにネズミの頭だった。胃液が逆流してくるのを何とか抑える。

 荒い息が落ち着くと、社会人としてのささやかな常識が頭をもたげる。何かの見間違いだったかもしれない。さすがにこのまま帰るのはまずいのではないか。ひとこと失礼を詫びるべきではないか。そう思った私は車のドア開けて外に出た。そしてそのまま固まった。

 視線。ハマさんから感じたあの刺すような視線が私を見下ろしていた。かろうじて動く首をぎりぎりと上げて、視線の来る方を見た。

屋根の上、何かがいた。

逆光に黒々と浮かび上がるのは、動物と思えるシルエットだった。しかし違った。それは紛れもなくハマさんだった。

 ハマさんが、屋根の上に四足で立ちながら。こちらを睥睨していた。微動だにせずこちらを見つめる目が、確かにぎらりと光った。


 もはや社会人としての常識よりも生存本能の方が圧倒的に上回っていた。私は車のエンジンをかけ、アクセルを全開にした。正直、事故を起こさなかったのは奇跡というべきだろう。

 運転してても背後にはずっとあの視線が突き刺さっていた。国道のバイパスの信号であやうく急ブレーキで止まる。その時やっと視線から解放されたことに気付いた。私ははあ、と大きく息をする。

 

 しゃべるな。なにもしゃべるな。


 車の中に声が響いた。あの訛りはないが、間違いなくハマさんの声だった。


私を職場に戻したのは最後にひとかけらだけ残った社会人としての常識がなせる技だったろう。まあ急に体調を崩した、と報告し、そのまま帰ったのだけれど。もっとも自分でわかるくらい顔面蒼白で憔悴しきっていたから、自分から言わなくても帰してもらえたと思うが。


 翌日から私は一週間ほど休んだ。そのまま退職するつもりだったが、職場から電話で呼び出された。ハマさんが亡くなっているのが発見されたのだ。

 私たちは警察から何度も事情を聞かれた。もちろん変死であるから仕方がないのだが、問題はハマさんの死体がどう見ても死後最低でも一か月程度経過してると鑑定されたこと。

 そんなはずはない。その間私を含めた数人の同僚が確かにハマさんと会っているのだ。これは夏場、という状況の所以かもしれない、ということになったが、もうひとつ問題になったのは、ハマさんが餓死のようにやせ細っていたことだった。これも、複数の職員によってそんなことはあり得ない、と証言された。

 事情聴取の間、私は見たことをひとつも喋らなかった。もちろん、信じてもらえるはずがない事は承知していたし、それよりもあのことを何か言おうとするたびに、頭の中に声がするのだ。

 しゃべるな、と。

 そしてその声がする時は決まって背中にあの視線を感じるのだ。


 結局、事実よりも常識が優先されるかたちで、無難な調書がまとまった。ただ、取り調べ中に刑事さんが言っていたことが忘れられない。

「死体は、痩せたというよりも何か中身がごっそり抜けたみたいだ、ということなんですけどね。」


 私を含めた数人の同僚は仕事を辞めた。あんなことがあったから仕方がないだろう。私は、その土地を離れ、別の仕事に就き、数年が経った。もうほとんどあの頃の事は記憶の彼方だ。

 しかし、何かの折りにあの時の事が浮かんでくることがある。その時にはやはり、あの視線とともに声がするのだ。


 しゃべるな。なにもしゃべるな。


 今も聞こえている。




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