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3話

 おかしいな、としきりに首を捻る師の姿は、一生忘れられないだろう。

 柔らかな日差しとは裏腹に、マツラは自分の手が冷えていくのを感じた。


「精霊と契約を交わせば、媒介を通して彼らは応えてくれるはずなんだよ」


 日焼けした顔に困惑の表情を浮かべて、目の前の魔術師は説明する。

 魔術師と精霊の契約は至って簡単。

 あなたの力を私に貸してください、という契りを結べばその魔術師固有の媒介を通して魔法が使えるようになる。

 しかし、マツラに限って何故かそれが起きない。

 師匠と呼ぶにはまだ少し若すぎる年齢のケムリは、それでもマツラのほかにも弟子を持つ魔術師だ。

 そんな彼は腕を組んでしばらく考えこんだ後、再び「おかしいんだよなあ」と呟いて、マツラの瞳を覗き込んだ。


「緑眼を持つ君が、今まで何の魔法も使えずに十五年過ごしてきた事も。僕は本当に、不思議でならないんだよ。君の緑の瞳は、それだけで何よりも大きな資質なんだけどね。極端な話、無意識に魔法を使っていてもいいレベルのね」


 もう何度目かの「おかしいなあ」「なんでだろうなあ」を口にしたケムリはお手上げだとでも言わんばかりに短く刈った黒髪を掻いた。 


「もしかしたら君、究極に才能が無いのかもしれないね」


 これは修業が大変だぞ、とまるで木こりのような魔術師は豪快に笑い、絶望にも似た感情に言葉を無くしたマツラは、勢いよくテーブルを叩いた。


「冗談じゃないっ!!」


 自分の叫び声で飛び起きた。

 ベッドの上でまばたき数回。


「やな夢…」


 呟いて息を吐く。窓を見れば、外は白みはじめていた。悪夢にうなされずとも、そろそろ起きる時間だ。

 今日も、一日が始まる。


 カル・デイラの日々は、魔術師の修業をする、というどこかスリルさえ伴うような言葉に相反して平穏に過ぎていった。

 朝は、ケムリの妻であるユウヒと一緒に家事をこなし、その後ケムリに一日の課題を出される。ケムリの出してくる問題は、数時間で終わる調べものから、時には次の日までかかるものまでその内容はさまざまで、必要な調べ物はケムリの持っている本でだいたい事足りた。

 それでもわからない事は、ケムリや兄弟子のツツジに訊けば丁寧に説明してもらえる。


 朝に出された課題が終わってから、あるいは午後から。空いた時間を使っては、糸を握りしめて精神統一をする。しかし、精霊と契約できなかったマツラの手の中の糸に何か変化が起きるはずも無く、それでもしつこく糸に向かって集中する。

 針を持っていた時と似た、けれど何もできない指先をもどかしく感じながら、その時頭に思い描いたのは嫌という程自分で描いてきた色糸の模様。

 針を持つ事を禁止されていても、幸か不幸か今までやってきた事はマツラの身体に染みついているらしい。


 ケムリは最初に、マツラに自分の事を「師匠」と呼ぶように求めた。

 いわく、そういう方針らしい。そして、しばらく刺繍はやめるようにと言い渡したのだった。

 マツラの刺繍は魔法と紙一重であり、契約こそできていないものの、魔術師に身を転じた彼女がその行為を行う事は魔法の暴発という危険を伴うという。

 力の暴発は身を滅ぼす。

 処理しきれない力にあてられた体と頭は壊れて使い物にならなくなる可能性すらおおいにある。それは、強い力を持つ魔術師に起こりうる現象。数少ない報告でしか無いため、なにがきっかけで起こるのかもまだよくわからない。

 ケムリの説明に頷いたマツラは、そのいいつけを守ってこの半月一切針を持たなかった。


 こんな事は、初めてだ。


 手元には常に媒介である糸を持って、それなのに糸を糸として使うための針が無い。

 マツラは手の中の媒介を見るにつけて、なんとも言えない気分になった。糸があるのに、それを使った作業ができないなんて、マツラは今まで考えた事もなかったのだから。


 何もできないまま、机上の修業だけで半月。

 ケムリがマツラの属性の判断と精霊との契約が出来なかった事を、魔術師の総本山と呼ばれるダケ・コシに問い合わせてから半月。

 普通はすぐに終わるという最初の一歩で躓いたまま、半月。


「おかしいでしょ、そんなの」


 もちろん、契約ができればすぐに魔法が使えるという訳ではないだろう。それでも契約さえできていれば、もっと違ったはずだ。

 少なくとも、針を持つな、という指導は無かっただろうし、何より今朝のような悪夢も見なかったに違いない。


 毎日、心を落ち着かせて媒介を前に何かをイメージする訓練をすれば頭に広がるのは決まって慣れ親しんだ色糸の模様。

 展開されていく糸目に終わりは無くどこまでも続いていく。針と布さえあれば、今すぐにでもこの模様を描く事ができるのに。そうしたら、たとえ自分がそう思っていないにしても「魔法と紙一重のおまじない」を描けるのに。


 溜息をついて、マツラは手元の糸を見る。

 道具本来の使用すらされず、媒介としての使用もされず、ただマツラの手にあるだけの、糸。


「このままじゃあ、いつまでたっても魔法なんて使えないままだ…」


 今の自分に必要な事は何なのか。そんなもの決まっている。

 属性を明らかにして、契約を結ばなくては。

 どうしたものかと考えるが、マツラが思いつく事などあるはずもない。

 そしてその日、朝食のパンを口に入れながらケムリは言った。


「今日は仕掛けた罠を確認しに行こうか」


 最近畑を荒らす獣がいると言って、ケムリとツツジが森に罠を設置しに行ったのは、マツラがカル・デイラに来てから数日後の事だった。

 以来、数日おきに仕掛けた罠の確認に行っている二人だが、その結果は芳しくない。罠はいつも空っぽだった。

 畑は依然として荒らされていて、害獣よけに張った網も、とうとう先日破られてしまった。


「今日こそは何かかかっていればいいんだけどね。うん、敵は手強いぞ!」


 戦う気満々のケムリだが、彼なら直接その獣と対峙したほうが手っとり早く仕留められるのではないかと、マツラは思った。


「個人的にはイノシシあたりがいいわねえ。二人とも、お肉、食べたいでしょ?」


 その隣でおっとりと微笑むユウヒは、お肉が来たらどう料理しましょうか、とマツラとツツジに話かけてくる。彼女も畑が荒らされる事についてはひどくご立腹の様子だったし、その被害が減ってなおかつ食糧も手に入るとなれば、上機嫌なのは当然だった。

 ただし、期待ゆえか獲物も無くケムリが帰宅した時、その夫への対応がひどく冷ややかな物になるのは実証済み。「絶対獲物持って来いよ」という言葉の裏の圧力を感じたのか、パンを飲み込むケムリの背筋がぴんと伸びた。


「そ、そうだ、マツラ」

「はい」


 気分を変えるように前触れなく名前を呼ばれ、マツラは瞬きをして師を見る。

 マツラの返事の間にいつもの調子を取り戻したケムリは、くい、と親指で外を指した。


「今日は君も一緒に来なさい」

「は?」

「君はまだ、森の中を広く動いていないだろう? 何かあって迷子になられたら困るし、庭の事は覚えてもらわないとね!」


 庭。


 ケムリに言わせるとこの山は庭らしい。

 陽気に笑うケムリにつられるように笑いを作りながら、迷子よりも遭難のほうが正しい気がした。


「マツラさんが一緒なら、いつもよりたくさん収穫できますね」


 隣の席で嬉しそうに笑うツツジに、マツラは彼らがいつも持ち帰ってくる山の幸を思い出した。


 かごを背負ってケムリとツツジの後ろをついていく。

 歩く足下が安定しない。

 最初は確かに道を歩いていたはずだった。少なくとも、道だと思われる程度には踏み固められる地面の上を歩いていた。が、気がつけば途中からそんな物は無くなっている。

 整えられていない足下に、マツラは少しだけ息があがっていた。

 にも関わらず、ケムリとツツジは「この道を」とか「この木を」と説明しながら容赦なく藪の中に入っていく。

 木や岩はまだわかる。だが、木で木を隠す森の中、マツラには道らしきものは認識できなかった。


「それでマツラ、ここでこっちの道に入っていくとだね」


 何度目かの見えない道。髪に木の葉を絡ませたマツラは、たまらず右手をあげた。


「師匠!」

「なんだい?」

「これの! どこが! 道なんですか!」


 力強く単語を口にする声は、少しだけ悲鳴も混じっていた。

 ケムリが指した場所は他と同じ、ただ細い木の生えている部分にしか見えない。

 少なくとも、道には見えない。現にマツラの頭の高さにはもう木の枝があった。

 彼女の言葉に、ケムリはおや、と言うようにツツジを見る。


「道、あるよな?」

「道、ありますね」


 ほらね、とばかりに視線を向けられ、マツラは混乱してくる。


「私だけ? 私だけ見えないんですか?」


 ここは道じゃない。ただ広がっている山。森。その一部だ。


「もしかして魔法の道とかそういうやつですか!? だから私には見えないの!?」


 思い至った答えを口にすれば、ケムリは首を振る。


「残念ながら、全く魔法は関係無いんだよね!」

「は…?」


 森の中に、あはは、と陽気な笑い声が響いた。そんなケムリの声に被せるように、ツツジがにこりと笑う。


「大丈夫ですよ、マツラさん。慣れればわかりますから」


 そのフォローは大変ありがたい。

 しかしマツラには、何に慣れれば道が見えるようになるのか、予想すらできなかった。絶句して森とケムリとツツジを見比べていると、ケムリは「問題ない」と胸に手を当てた。


「ツツジも最初は君と同じ事を言ったのを思い出したよ! そんな彼も今では立派に山歩きができる! そう、観察する眼さえあればね!」


 森で生活する動物たちの痕跡を見つけ、動物たちの道を見つける。それさえ出来れば、この庭はすぐに攻略できる。


「だから自信を持ちなさい!」


 ケムリの言葉に、マツラは曖昧に頷く事しかできない。

 そもそも、そんなに簡単に見つけられるようになるのか? それこそが、ツツジの言った「慣れ」なのではないか。


「ちなみに、ツツジはどれくらいでわかるようになったの?」


 恐る恐る尋ねてみると、アウトドアとは無縁そうな見た目の少年は少し考えてから答えた。


「まあ、一年もすれば慣れると思いますよ。万が一、マツラさんが遭難してしまっても、師匠がいるから大丈夫ですよ!」

「そうなん…」


 やっぱり遭難なのか。この山で迷子になる事は遭難と言うのか。

 確信したマツラは、絶対にこの二人の背中を見失うまいと心に決めた。


 慣れない足下と見えない道を、息を切らせながらケムリたちの後を追い、いくつかの罠を周り、途中で山菜やキノコを採っては背中のかごに放り込む。そして余計に息があがる。

 結局昼過ぎまでケムリの“庭”を歩き回り、それでも罠に目的の姿は無かった。

 休憩に座った岩の上、マツラは今朝のユウヒの言葉を思い出す。


「ユウヒさん、がっかりするでしょうね…」


 前回の罠確認の際、手ぶらで帰ってきたケムリとツツジに向けられたユウヒの笑顔。無言の圧力の込められた、彼らが逆らう事を許さない笑顔。

 今回は自分もあの笑顔を向けられるのか。

 そう思って隣の二人を見れば、俯いた彼らは木の枝を手に、ひたすら地面に丸を描いていた。


「どうしようか、マツラ…」

「どうしようって」

「今日もユウヒさんはご機嫌斜めだよ…」

「ユウヒさんの笑顔がこわい…」


 ぐりぐりと繰り返し丸を描きながらぼそぼそと二人は言う。


「マツラも一緒なら気分も変わると思ったんだけどね…」

「無理でしたね…罠、空っぽでしたね…」

「でもマツラがいるから、ユウヒさんも今回はちょっと許してくれるかもしれないね…!」

「私なんかで許してもらえるんですか?」


 覚悟を決めて帰りましょう。

 溜息と共にそう言うと、どんよりとした表情の二人がマツラを見上げる。言葉に詰まりそうになるも、ここで無駄な時間を過ごすのもどうかと思う。


「師匠! ここでいじいじしてる暇があったら魚の一匹でも釣って帰ったほうがよっぽど建設的です!」


 立ってください、とケムリとツツジの腕を引っ張ったその時。

 がさりと下草を踏む音がして、ぴくりと身体を固くしたケムリがまっすぐにマツラの背後の茂みに顔を向けた。


「し、師匠?」


 思わず腕を引く力を緩めると、人差し指を唇に当てて、ケムリは片膝をついた体制をとる。


「静かに。何かいる」


 ツツジもそっと立ち上がり、茂みの向こう側を見透かすようにじっと見る。

 それにつられるようにして、マツラは一歩あとずさった。イノシシだか熊だか鹿だか知らないが、畑を荒らす獣がいる山だ。

 どんな動物か飛び出してくるか、わかったもんじゃない。

 ふたりには悪いが、飛び出してきた物によっては、一目散に逃げ出そう。

 そして次の瞬間、ひときわ大きく揺れた茂みの中から、男が一人、よろよろと転がるように出てきた。

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