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2話

 永遠に続くかと思われた闇は、数秒もしないうちに尻餅をついた衝撃で終了を迎えた。目を開けると、こちらを見下ろす黒い瞳と目が合う。


 どこだ、ここ。


 さっきまでの異常が嘘のように、明るい日差しに照らされた森の広がる場所で、日焼けした顔の男がしげしげとマツラを見ていた。

 誰だ、この人。

 呆然と見上げていると、男は人懐こい笑みを返してくる。


「君がマツラ・ワカかい?」


 はじめまして、と続けた男は、マツラが頷いたのを見て自分も二、三回頷く。


「僕はケムリ・マリ。カル・デイラに住む魔術師だ。サッシさんから、君を預かるように頼まれた。これから君は、僕の弟子だ。よろしく」


 白い歯がまぶしいほどの笑顔で差し出された右手。


「よ、よろしくお願いします」


 かろうじてそう返事をし、戸惑いつつケムリの手を握り返すと、力強い腕にぐいと引っ張りあげられた。


「ずっと草の上に座っているわけにもいかないだろう?」


 快活な笑みに悪意は感じられない。

 立って向かいあうと、改めて目の前の男が妙に立派な体つきをしているのが目につく。短く刈られた黒髪と日焼けした顔に相まって、とても魔術師には見えない。

 今立っている場所も考慮すれば、ケムリは魔術師というよりは、狩人か木こりのように見える。

 この男が、マツラがこれから師と仰ぐ相手。

 少し変わっているが腕は確かだとサッシは言っていた。

 今はその言葉を信じるしかない。


 足元を見れば、自分の荷物が無造作に転がっている。サッシはどうやらマツラと荷物をひとまとめにして、なんらかの方法でケムリのもとまで運んだようだ。

 自己紹介の言葉どおりなら、ケムリはカル・デイラ山に住んでいるはずで、その場所はマツラの住んでいた町からは何日もかかる、遠い場所だった。

 不可解なこの現象も魔法に間違いなく、マツラは少し考えてから確認するように口を開いた。


「ここは、カル・デイラ山で間違いないんですか?」

「もちろんさ。君はサッシさんの魔法で、街道からここへ落とされて来た。ここが今日から君の住居であり、庭になる。君の住んでいた田舎よりも更に何も無いだろうが、環境だけは最高だ」


 落とされてきた。

 陽気に話すケムリの口調と、文字通り、そして起こった事そのままを表現した言葉に少しだけ皮肉をこめて言い返す。


「できれば、もっとまともな方法でここまで来たかったです」


 本気で死ぬかと思ったのだ。

 あんな手荒な方法があるだろうか。なんの説明も無しに馬車から突き落とすなど正気の沙汰とは思えない。

 しかし、ケムリは意外だとばかりに彼女を見る。


「おや、お気に召さなかったかな?」

「当たり前じゃないですか! 殺されるかと思ったんですよ!? あんなの二度とごめんです!!」


 反射的に答えると、案の定「それは意外だ」という言葉が返ってきた。一体どういう基準でそういう事になるのかが不思議で仕方ないマツラだった。


 掃除の行き届いたリビングに、簡素な木のテーブル。

 半日山を登り続けてやっと到着したケムリの家は、カル・デイラ山の山頂にほど近い場所にひっそりと建っていた。ケムリの見た目同様に「山小屋」という表現がしっくりくるようなシンプルかつ無骨な見た目とは裏腹に、室内はきれいに整えられて、花まで飾られていた。


 一息ついた後に、まずは君の力を見定めよう、と口を開いたのはケムリだった。

 師匠と呼ぶには少し若すぎるような男は、机の真ん中に蝋燭を一本立てる。


「魔術師には属性がある事を先に説明しておこうか。火、水、風、木、土。この五つだ。魔法とはこれら五大精霊の力を貸してもらって行使する。属性は、最も力を貸してくれる精霊と同義だ。現代の魔術師は、属性を明らかにして精霊と契約を交わしてはじめて魔法の行使が可能になる。属性によって、各々得意な環境も変わってくる。因みに僕の属性は火」


 言いながら、ケムリはマッチを擦ると蝋燭に火を灯す。


「僕は晴れた太陽の下や炎の近くにいることでより大きな力を貸してもらえる。そして魔法を使うための媒介は、竹刀だ」


 テーブルに立てかけてあった細長い布袋が解かれ、中から一本の竹刀を取り出すと、ケムリはそれをテーブルに置いた。


「君の場合は、間違いなく、糸だね。媒介は精霊から受けた力を魔法として出力するために絶対に必要なものだ。精霊と契約をしても媒介無くしては魔法は使えない」


 自分も、そして他の魔術師たちも、竹刀を手放せば魔法は使えなくなる。そう言いながらマツラの目を見ると、ケムリは笑みを浮かべる。

 山の男に良く合う、快活で豪快な笑み。

 机の上の仕事より、外で動き回る方がずっと似合う人なのだという事は想像に易い。その割には喋り方に粗暴なところや荒っぽさは無く、むしろおおらかと言う言葉のほうがしっくりくる。


「君の属性は果たして何か。さて、見極めてみようか」


 蝋燭の炎を見つめるように言われ、マツラは目を凝らすようにしてゆらゆらと揺れる小さな火を見つめる。ケムリがゆっくりと話し始めた。


「マツラ、君は魔術師の昔話を知っているかい?」


 深みのある声で、魔術師は語る。


「魔王を倒した魔法使い、ミウ・ナカサは精霊に愛された美しい女性だった。彼女の魔法は誰よりも強く、その力にかなう者は誰一人いなかった。街で評判の魔法使いたちが束になってかかっても、魔法の対決でミウに勝つことはできなかった」


 ゆらり、赤い火が揺れる。物語を紡ぐケムリの声が頭に染み込むような響きで聞こえてくる。


「前例の無いほどの力を持った彼女を人々は畏怖を込めてこう呼んだ。創造魔術師。そして我々現代の魔術師の世界ではもうひとつ。緑眼の魔術師、と」


 空気の震える余韻。

 目をあげたマツラに、ケムリはにっと笑う。


「ミウ・ナカサ。若くしてこの世を去った最強の魔法使いの瞳は、美しい新緑の色をしていたと伝えられている。君の住む地域に伝わる彼女の逸話ではその描写は無かったようだが、それも仕方ない。伝承とは要点以外を削り落とした結果の物語だ」


 美しい緑の瞳を持つ最強の魔法使いは、美しい最強の魔法使いから、最強の魔法使い、あるいは美しい魔法使いへ。

 長い年月をかけ、物語は装飾を失い、より簡潔な姿で残される。


「そして言い伝えというものは地域により詳細が変わってしまうものの代表でもある。覚えておくといい。各地の昔話を集める事は、ひとつの重要な研究にすらなる」


 あかるい陽光の差し込む室内で、あたたかい熱を放つ蝋燭の炎。それを見つめていたマツラの瞳は、鮮やかな緑。


「マツラ、火を見るんだ。君の眼は間違いなく新緑を宿している。その色が意味する事はひとつ」


 魔術師たちの長い研究結果。

 緑の瞳は、その色が鮮やかなほどその持ち主に強い魔法を与える。新緑の色はなお良い。芽吹きの季節は、全ての魔術師たちの力が最も強まる時期であり、なおかつ創造魔術師と同じ色だから。そしてミウ・ナカサ以来、一人として現れていない色だから。


「君は伝説の魔法使いにも匹敵する力を持っている」


 静かに、ゆっくりと、言い放たれた言葉と同時、蝋燭の炎が大きく揺れたかと思うと、その色を変えた。

 深い赤に。最初の変化は一瞬見間違いかと思った。しかしすぐに緑、青、再び深い赤。そして黄色から橙、また青、緑へ。ゆらゆらと揺れる炎は不規則に色を変え、そしてひときわ大きく揺れたかと思うと元の色に戻り、はじけるように消えた。


「あっ」


 思わず声をあげたマツラはケムリを見るが、彼も目を見開いて火の消えた蝋燭の芯を見つめている。


「…と、思っていたんだが…」


 ごまかすように呟いたケムリは、なんてこった、と頭を抱えた。


「どうやら僕は失念していたようだ! いや、僕だけじゃない。サッシさんも!」


 難しい表情でマツラを見やり、そして額に手を当て何事が呟いてからまた腕を組んだ。


「緑の瞳はそれだけで大きな素質だ。たとえば、誰に教わるまでもなく、自然と魔法が使えても何ら不思議じゃないほどにね。新緑の瞳はそういうものだと、僕らは思っていた。思っていたんだよマツラ!」


 うおおお、と雄叫びにも近いうめき声に、びくりと身を固くして、マツラは確信した。この男はまさしく山の男だ。違いない。副業が魔術師なのだ。そうに違いない。

 遠い目をするマツラをよそに、ケムリは続ける。


「ああ、サッシさんも僕も先に気付くべきだった! 君は今まで十五年間、魔法なんて使った事は無いし、それに近い事も経験しなかった。そうだね?」


 音を立てて立ち上がったケムリにがっしと両腕を掴まれ、わけけのわからないマツラはカクカクと頷く。


「十五年もの間、魔法気配すら感じたことがないと! いや、全く無かったはずがない。ただ気付いていなかっただけなんだ! 君自身が気付かないところで、確かに影響はあったはずだ」


 ケムリはガクガクとマツラを揺さぶり「思い出せ!」と熱く声をあげる。

 影響があったはずだと言われてもマツラには心底何の心当たりも無かったし、そもそも魔法が使えるとわかっていたのならば、さっさと魔術師にでもなっただろう。

 何しろ、魔術師は引く手あまたの専門職だ。


 どのくらい揺さぶられただろう。

 そう長くは無いはずだが、マツラの気分が悪くなってきたところでケムリが、あ、と声をあげた。


「村では刺繍をしていたと言っていたね!? 確か君の作品の売りは、願いが叶うおまじないの図案だったそうだが」


 マツラの手による刺繍のおまじないは絶対効く。

 村の若い娘たちを中心に飛び交った噂話はやがて町にも届いた。マツラの作る売り物についた、ほんの小さな、けれどじゅうぶんな宣伝になる付加価値。


「そうだ、それだ! それが君の緑眼による魔法だったんじゃないか? ほんのささいな事だけどね。でも絶対に効くと噂になるからには、願いが成就した人間が一定数以上いるはずだ! だから、君は確かに魔法を使っていたんだ」


 熱く、それはもう暑苦しい調子で「そうに違いない」と続けるケムリに、マツラは違う、と首を振る。

 陽気で暑苦しいこの魔術師が何を思ったのかは知らないが、あれはあくまでもおまじないだ。


「女の子たちの噂話です。偶然をおまじないの結果だと思っても、おかしくないんじゃないでしょうか。実際、女の子ってそういうものです。絶対に効くおまじないなんて、ありませんよ」


 現に、私には何も起こらなかった。

 呟くようにそう付け加えたマツラに、小さく目を見開いたケムリは仕方ない、とでも言うように息をついた。


「君はどうやら、自分の力を信じていないようだね。たかがおまじない。されどおまじないだよ。君の場合は、たかがと馬鹿にしてはいけないなァ。理由はご察しのとおりだ」


 ある時を境に、偶然は必然に変わる。

 マツラのおまじないは、きっと魔法に変わるだろう。彼女がそれを意識さえすれば。

 打って変わって落ち着きを取り戻した黒い眼がマツラを見る。


「結論から言うと、さっきの蝋燭の火。本当なら君の適正に合わせた色の炎が揺れるはずだったんだよ。まあ、見ての通り君の場合は色が変わりこそすれ、火ははじけて消えてしまった。これは僕にも初めての事だし、ちょっと前例を知らないからね。少し調べる必要がありそうだ。これがいい事なのか悪い事なのかも、まだわからない」


 ただね、と続いた言葉の先。


「君は今日から魔術師だ」


 実に爽やか、かつあっけらかんと言い放ち、「修業のはじまりだぞ」と豪快に笑うケムリにマツラは目を見開いた。

 向けられた言葉を数回。咀嚼するように頭の中で繰り返す。


「今日から、まじゅつ、し…」


 確認するように口にした言葉に、ケムリは力強く頷いた。

 とたん、目の前の世界が急に別物になったように感じる。何もかもが変わった世界は、きらきらと光を放っているようだった。

 昨日、サッシの手を取ったときとも違う。今日、初めてケムリに会ったときとも違う。


「わたし…」


 どきどきするのは、嬉しいからだ。頬が熱い。胸の高鳴りは、ときめき以外の何物でもない。

 抱いていた不安も全部、ケムリのひとことで吹き飛ばされる。彼の言葉には、きっと大丈夫だと思わせてくれるだけの何かがあった。

 小さな音をたて椅子から立ち上がったケムリは、頬を蒸気させた少女を見下ろし、拳で自分の胸を叩いた。


「僕は君の師匠だ。君を鍛え上げる事に関して僕は何も惜しまない。今の君がすべき事は山ほどあるし、僕が君にするべき事もたくさんある」


 ケムリの目をじっと見つめ返して、マツラは胸の前の手を握りしめた。

 大変だと、苦労をすると、そんな事は問題じゃない。今、マツラが立っているのは引き返す事のできない場所なのだ。

 技術や信頼。そういう、すこしずつ積み重ねてきたもの。それらを置いて、ここへ来た。

 損失は大きすぎる。取り戻せやしない。ゼロから始まる事は決まっていた。

 しかし、置いてきた物に代わるものを、ここで得なくてはならない。否、置いてきた物以上のものを。


 世界は変わった。


 今から手に入れるであろう物たちは、きっとこの胸の高鳴りから生まれてくる。

 ゆっくり息を吸って、マツラは口を開いた。


「よろしくおねがいします!」


 勢いよく下げた頭の、その上から。

 満足そうで、なおかつ楽しそうなケムリの声が降ってきた。


「改めて言おう。カル・デイラへようこそ。僕は君を弟子として受け入れよう」


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