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1話

 これからどうなるんだろう。


 サッシと共に馬車に揺られながら、マツラは遠くの景色を見つめ考える。

 目の前に座る男の手を取ったのは半ばやけくそだったと、一日経った今になって痛いほど感じる。

 自分は売られてしまったのだという思いに、もうどうにでもなってしまえと父やサッシの提案に乗ってしまった。

 即決せずとも、まだ考える時間は十分にあったはずで、こうなった以上は絶対に魔術師として成功しなくては負けたも同然だ。


 後には引けない。やらないと、生きていけない。ご飯も、食べられない。


 前にも同じ理由で覚悟を決めたことがあったと思い出す。

 その瞬間に刺繍は生活のための術になったのに、今度は逆にそれを手放す事になると、誰に予想できただろう。

 今度はより厳しい。

 今まで築き上げてきたものを全部置いてきてしまったのだ。失敗すればもう何も残らない。


 腹を括るしかない。


 あの家に残る事を望まれていなかったのだと思って。今度は新天地で、また始めるだけだ。

 思わず漏れた溜息に、サッシがマツラを見た。


「気分がすぐれないかな?」

「いえ、そういう訳では…」


 そもそも気分なら最初から最悪だ。

 対面して座っているのだから察してほしい。これが楽しくて馬車に揺られている顔かどうかを。


「挨拶も無しに旅立った事を気にしているのかな? 別れの挨拶をしたい相手もいただろうに、それは私も悪いとは思っているんだがね…」


 気遣うように口を開いたサッシは、笑みを浮かべて人差し指を立てた。


「どうも迷っているようだから、ひとつ。君にいい事を教えてあげよう。人生とは勢いだ。昨日の君には、私の手を取るだけの勢いがあった。そういう勢いは、重要だ。じゅうぶんに考えて行動する事はとても大切な事だが、それだけでは身動きが取れなくなってしまう」

「は…?」


 どこまでも穏やかに発せられた言葉に、マツラは目を見張る。


「現に君は、ずっとこう思っていた。自分が働かなければ生活できない、と。違うかね?」

「それは…実際そうだったから…」


 少し考えて口にした声には、隠しようのない戸惑いが浮かんでいた。


「違うな、マツラ。きっかけさえあれば変えられたのだよ。そして昨日、私がそのきっかけを与えた。タイミングは完璧だった。君にも勢いがあり、決意する事ができた。選択とは、勢いなのだよ」


 ただ、君には少々楽観的に聞こえてしまうかもしれないね、とサッシが肩をすくめるのを見て、マツラは呆れにも似た感情で息をついた。

 彼の言う通りだ。

 自分はまだ、人生は勢いだと思う事はできない。それでも、少しだけ、気分が楽になったような気がした。


「わたしは」


 まっすぐにサッシを見る。


「私は、とうさんとは違うって、ずっと自分に言い聞かせてきました」


 今まで嫌になる事は何度もあった。何もかも放り出して逃げだしたい気分になったのも、一度や二度じゃない。

 なぜ、と疑問を持ってしまえば挫折と放棄の影はすぐ背後に立っていた。だから、幾度となく繰り返した。


「逃げたりなんかしない。途中でやめたりなんか、するもんですか」


 何も変わらない日常。繰り返す作業と、自分への呪文。

 生活のために、と針を取った、あの時の決意だけでやってきた。


「何のために毎日毎日、地道に刺繍してたと思います?」


 問いを出せば、サッシは少しだけ楽しそうに首を傾げる。


「なぜだい?」


 続きを促す声に、マツラは口元だけに笑みを浮かべた。


「投げ出したら、何もかも終わるから」


 文字通り、何もかもが。


「続けていれば、いつか大きな仕事になって返ってくるかもしれないって、馬鹿みたいに夢見てたんです。私にはそれしか無かったから」


 マツラがやらなければ、誰もあの家を支えられなかった。父の作ってきた借金も、誰かが返さなくてはいけなかった。

 誰か。

 不確かな“誰か”なんて存在しない。誰か、は常にマツラだった。

 何もできない子供ではない以上、義務であり、責任となってそれらはマツラの肩にのしかかってきた。だから、願った。


「私が欲しいのは、みんなに褒められる刺繍を作る手でも、魔法でもなかった。私はお金が欲しかった。もっと、もっと、必要だった」


 その思いだけで過ごしたこの数年がまるで嘘のように。サッシが訪ねてきただけで、一瞬で変わってしまった。

 とうとう、投げ出してしまった。


「昨日、私の選択肢は、ひとつ消えたんです。だから絶対に魔術師になって、がっつり稼ぐんです!」


 勢い余って立ち上がるマツラを見上げ、サッシは優しく笑う。


「今の言葉を聞くに、君なら大丈夫だろう。君の覚悟はオフトなどより、よっぽど強い」


 目標を見失わず、ぜひとも精進してくれ。そう続けたサッシは、マツラに腰を下ろすように言い足を組みなおす。彼女が座るのを待って、サッシは再び右の人差し指を立てた。


「もう一つ。これは君の父上の名誉のために言っておくが、君は決して売られたわけじゃない」


 どこか演技がかった口調は続く。


「確かに、君の父上の借金とやらは私が代わりに支払ってきた。しかしそれは、君を買い取った代金ではない。これは契約なのだ。私と君の父上のね。しかしその内容を君が知る必要はない。それだけの話だ」


 だからそう悲観的にならなくても良いのだよ。

 大人の対応をされたような気がして、マツラはぼそりと言い返す。


「悲観的になんか…」

「なっていないとでも? マツラ嬢! 君は傍目に見てわかりすぎるほどにへこたれていたというのに!? 我々が君に対してとてつもない罪を犯してしまったと思ってしまうほどに暗い顔をしていた君が悲観的になっていないと!?」


 輪をかけて大げさな口調と動き。

 まるで演劇のような彼の言葉に思わずマツラは赤面し、そして困ったような笑みを浮かべた。


 今この状況で少しも落ち込まずにいれるくらい胆の据わった人間なら、きっともっと早くに別の手段を探していただろう。

 それができなかった自分は、なんとか現状を維持する事で精いっぱいだった。自ら今を変えるだけの度胸は、持ち合わせていないのだ。

 変えてしまって万が一、今よりも悪い状況になってしまう事がひどく恐ろしい。

 決心したはずなのに。つい今、こんなにもはっきり言い切ったばかりなのに、胸の中は不安でいっぱいだ。


「ここで気楽に構えられるほど、のんびりした生活なんてしてないから」


 目をそらしてぽつりと零したその言葉に、サッシはうんうんと頷いた。


「つくづく、君は父上に比べてひどく真面目な性格のようだ。彼ほどいい加減なものもどうかと思うが、君の場合はもう少し肩の力を抜いても構わないと思うがね」


 何より魔術師は自由業だ! と高らかに笑う目の前の男に、今度はもう少し力を込めて、マツラも笑みを浮かべた。

 気を遣わせてしまったことが申し訳ないのと同時に、サッシの言葉が胸にしみた。

 父の友人だというこの人が、マツラの家の事をどこまで知っているのかは知らない。

 それでも、友人たちによく言われていた「マツラ頑張りすぎ~。もっと気楽にやっていいじゃん」という何の説得にもならない言葉よりは、よっぽど意味のある響きで彼女の耳に届いた。

 何も知らない、あるいは知っていたかもしれないが解っていないであろう彼女たちの言葉は気休めにもならない。

 気楽にやれないから頑張っているのだと、自分のおまじないの刺繍すらろくに作らない彼女たちにはわからない。そして彼女らがそれを知るのはもっと先なのだと、マツラはぼんやり思うのだった。


 しばらくして、サッシは「もうすぐ」と切り出した。


「君の師匠になる人物と待ち合わせしている場所に着く」

「え?」


 反射的に返事をして、マツラは瞬きを繰り返す。


「私、サッシさんの所で修業をするんじゃあないんですか?」

「あいにく、弟子はとらない主義なんだよ。長期間旅をする事も多いし、私は誰かに教える事は向いていない。しかし君の師となる男は、少し変わってはいるが腕は確かだ。弟子も君が初めてではない。安心していい」


 安心も何も、本当に騙されているんじゃないだろうか。

 難しい表情でサッシを見るマツラに、もう到着だ、と窓の外を見たサッシは、がっしとマツラの腕を掴んだ。


「マツラ、私は人生とは勢いだと言ったが、魔法も同じだ。勢いとタイミングを見誤ってはいけない。そしてタイミングとは…今だ!!」


 言い放ったサッシが、ぐいとマツラの腕を引く。少し減速した馬車の扉を、反対の手で勢いよく開けた。

 それは、ほんの一瞬の事だった。


 自分の身体が後ろに倒れていくのがわかる。サッシの顔が遠くなる。風が吹いている。髪が乱れる。


 まだ動いている車内から放り出された。


 そう理解した瞬間、視界を遮る自分の髪の隙間から遠ざかるサッシの顔が見えた。

 悲鳴をあげる一瞬すらなく、地面に激突する衝撃を想像して背筋がぞっとした。が、何秒たっても覚悟した痛みは来ない。

 代わりに、長い、長い浮遊感と、暗い穴から見上げる景色。

 それはさっきまで自分がいた景色だった。

 遠ざかる小さな景色と、終わらない浮遊感。底の見えない落とし穴に落とされ、いいようのない不安に襲われる。

 天窓のようにこちらを見下ろす景色と、自分を包み込む闇に、マツラはきつく目を瞑った。

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