4 どうにかして見返してやりたいです!
しばらく、震えが止まらなかった。よろめきながら青いコンビニへ行く。
とっておきの時にしか飲まないカフェモカを購入する。手が震えて、小銭を出すのに苦労した。
ベンチに座ってコーヒーを飲む。
殺されかけた事実に脳は麻痺していて、味も感じなかった。
やがて、体の震えは収まった。そして、自分の胸の中に新たな感情が芽生えているのに気づく。
怯えでも、恐れでもない。純粋な怒りが伊乃の中で広まっていた。
相手は、エレベーターの中で寝るような変人だ。
なぜ自分が、そんな奴から臆病者の誹りを受けなければならないのだ。
あんな変人に自分の出勤が妨害されているのが気に食わなかった。何とかして、男を出し抜いて80階へ行きたかった。
だが、人事部長の態度を見る限り、助けてくれることは期待できないだろう。どこかに味方はいないものか。
そのとき、伊乃に声をかけてくる者がいた。
「伊乃ちゃん、久しぶりだね」
「松原部長!」
伊乃はコーヒーを投げ捨てて、松原部長へと駆け寄った。
松原部長は、伊乃の研修時代から彼女の能力の芽に気付き、会社で生きるイロハを教え込んでくれた恩人だった。営業部長として、伊乃より一足早く本社へ栄転していたので、会うのは久方ぶりだった。
だが、それにしても、松原部長は疲れているように見えた。十歳は老けているような外見だ。本社を切り回す心労は、並大抵のものではないらしい。
伊乃は松原部長の変わりように、束の間驚いていたが、すぐにエレベーターの男の件をまくし立てた。
松原部長は伊乃の話を真剣な表情で聞き、眉間に皺を寄せた。
「……なんたることだ。本社ビルのエレベーターを変な男が占拠しているとは。由々しき事態だ」
「なんとかして、80階までたどり着けないでしょうか?」
「方法ならある。……過酷な選択となるが。いいかね?」
「松原部長の選択なら、喜んで従いますよ」
伊乃は忠誠心にあふれた表情で言った。
「分かった。伊乃ちゃん、こっちだ」
松原部長は伊乃を業務用の通路へと導く。松原部長は、重たい防火扉を苦労して開いた。
そこは、階段の踊り場だった。上を見上げると、遙か彼方まで、延々と螺旋階段が伸びていた。
「部長、まさか?」
「そうだ。この非常用階段を上れば80階まで行ける。上がるかね?」
伊乃は一瞬考えた後に、強く頷いた。自分を愚弄したエレベーターの変人に、エレベーターなどなくても、差し障りのない業務を送れることを見せつけてやるのだ。
「分かった。伊乃ちゃん、僕が先導しよう」
松原部長が先に階段を上がり始める。
「松原部長も上るんですか? 少し、休まれてからの方が……」
「バカ言え。かわいい後輩にだけ苦労をさせることができるか。疲れたら負ぶってやるから、そう言うんだ」
松原部長は笑って、どんどん上がっていく。伊乃は慌てて後を追った。