スフィアの羽根
タイトルはスキマスイッチさんの曲名から来ていますが、曲自体とは何の関係もないものですので、ご了承ください。
空から羽根が落ちてくる。
その大きさは大人を四、五人集めたくらいで、そこには一切の穢れがない。なんの混じりけもない程の純白さを持っていた。
この羽根が、空から一つだけ、不規則に落ちてくる。
これだけだと何かの前触れなのではないかと思いたくなるであろう。けれど、それ以上のものは何もない。ただ単純に、空から大きな白い羽根が落ちてくる。それだけであった。
一つ付け加えると、その羽根は誰にでも見えるものではなかった。人間、動物関係なく、これもまた不規則に、見える者には見えた。ただ、それだけである。他には何もない。羽根が見える。それだけ。
今から綴られるのは、その羽根を見ることができ、そして自分の中で答えを出した者たちの物語である。
少女の物語
あるところに一人の少女がいた。どこにでもいるような、両親がいて、友達がいて、ごく普通の毎日を過ごしている。そんな少女がいた。
けれど、少女には一つだけ普通じゃないところがあった。少女は小さい頃から、空から落ちてくる大きな白い羽根を見ることができた。
小学校に入学したお祝いで、家族みんなで外にご飯を食べに行ったときだった。美味しいものを沢山食べてさあ帰ろうと外に出て、ふと空を見上げた。そしてそこにはいくつかの光っている星と、空から落ちてくる白い大きな羽根があった。
最初の頃、少女は羽根について特に何も思うことはなかった。ただただ、日常の風景の一つとして受け止めていた。燦々と明るく輝いている太陽、ぷかぷかと空に浮かんでいる雲、いつも遊んでいる公園のアスレチック……そういったものの一つだと、その時は何の疑いもなく思っていた。
その考えが違うということを知ったのは、ほんの些細な出来事がきっかけだった。
いつものように同じクラスの友達と遊んでいたとき。その日はジャングルジムに登って、昨日見た特撮ヒーローのまねっこをしていた。少女は男子と女子の違いなど関係なく遊ぶことが好きだった。
そうやって遊んでいたとき、ふと空を見上げる。いつものように空から羽根が落ちてくるのが見えた。普段であればそれだけだった。見るだけ。なのに、今日に限って、
「今日も羽根がおちているねー」
と言った。特に何の思いもない「今日の給食って……」といった感じの問いかけだった。けれど、少女以外には誰もその光景は見えない。
「はねー? そんなのどこにもないよ」
遊んでいた友達はみんな、不思議そうな表情を浮かべてそう答えた。それを見て少女は友達よりも不思議な表情を浮かべた。
やがて夕方になり、少女はみんなと別れた。家に帰り、手洗いうがいをして学校の宿題をする。そうしているうちに晩御飯の時間になる。今日はカレーライスだった。
食べている時、窓の外を見てみると、また白い羽根が落ちてきていた。それをしばらく見た後、少女は思い切って両親に聞いてみた。
「あそこになにか見えるー?」
今度は曖昧に言ってみた。それを聞いた二人は窓の方を見たが、
「何もないぞ?」
「見間違えたんじゃないの?」
先ほどの友達と同じような、不思議そうな表情を浮かべた。それを見た少女は「そっかー」と首をかしげながら言った。
翌日。少女は昨日とは違う友達に同じことを試した。結果は変わらなかった。その次の日も試してみた。結果は変わらず。その次の日も、そしてまた次の日も。そうこうしていくうちに、一週間くらい同じことを違う友達や担任の先生にしてみた。そして、あの光景が自分以外の人には見えないことをようやく知った。
その夜、少女は一人悩んだ。誰かに相談したかった。けれど、それを話したらその相手との間に壁ができてしまうことをなんとなく分かっていた。
考えた。とっても深く考えた。
そして出した結論は、あの光景を日常の一部にしてしまう、というものだった。つまりは、今まで通りにした。
朝起きてご飯を食べて学校へ行く。学校で友達と遊んだり話したり勉強する。学校が終わったあとは急いで家に帰ってから友達と日が暮れるまで遊ぶ。帰ってきたら宿題をし、母親の料理を食べてお風呂に入って寝る。そうした日常の中に、羽根の光景を埋没させる。何も不自然なことはないとでも言うように、それの一部にする。
そうして過ごしていくうちに、少女は羽根の光景について特に何かを考えたりすることはなくなった。
やがて時は流れて、少女は成長していった。その流れの中で様々な体験をし、時には失敗しながらも、少女はしっかりと成長した。
そして、その流れの中でも時折、ふと空を見上げてこう思う。今日も、羽根が落ちているなと。
騎士の物語~~
あるところに、とある国に仕えている一人の騎士がいた。
若くして剣の技量が高く、そのうえ誠実な性格であったことから同僚や上司から慕われ、信頼が厚かった。
騎士が仕えていた国の周辺は戦乱の渦であった。どの国々も我が我がと統一の覇権を求めて剣と槍を交え、鎧と鎧をぶつけ合い、そして多くの血を大地に染み込ませていた。
騎士も幾度となく、鎧をまとって剣を握り、部下たちを率いて戦場を駆け抜けていった。その中で多くの部下や同僚を亡くしていきながらも騎士は戦い続けた。使えている国の、王のため。帰りを待ってくれている臣民たちのため。そして、自分が生きて帰るために。
騎士には大切な人がいた。それは、自分が仕えている国の三番目の姫である。
昔、あることがきっかけで知り合い、それからも何度か出会い、親密な仲になるのに時間はかからなかった。
そのきっかけの一つに、二人とも真っ白な大きい羽根が落ちてくる光景が見えるというものがあった。騎士は戦場に出始めた頃から、姫は公務を始めた頃からその不思議な光景を見ていた。時々一緒に見ながらその光景について、一体なんなのだろうかと話していた。
騎士はあれを、何かの予兆なのではないかと言った。何か悪いことが起きなければいいと、羽根を見ながら姫に言った。
それに対して姫はあれを、理想郷のある場所への道標だと言った。きっとそこには今のような争いはなく、誰もが穏やかに暮らしていける場所があるのだと、羽根を見ながら騎士に言った。それを聞いた騎士は、もしそうならどんなにいい事かと、心の底から思った。
それからも戦いが続いた。騎士は国を、姫を守るために戦場に赴き戦った。どんな状況になっても騎士は部下と共に生き残り、本人は特に望みはしなかったが地位が上がっていった。姫は少しでも争いがなくなるためと、臣下たちと共に周囲の国々との交渉を行っていった。これ以上兵士たちの血を流させないためにも、いつか騎士が戦いの中で死んでしまわないためにもと。
しかし、二人のその思いは瓦解してしまう。同盟を結んでいた隣国が今まで敵対していた国と密かに手を結び裏切りを行った。二つの国の大軍に首都にまで攻められ、陥落するのはもはや時間の問題となってしまった。
王は臣民たちを守るために最後まで戦うことを決意した。それを聞いた騎士や兵士たちは最後まで王に付き従うことを決意した。騎士も最後まで戦い抜くことを決意した。
戦いが始まった。たちまち響き渡る兵士と騎士たちの声。多くの剣撃。そして流れる血。一瞬にして多くの命が失われていった。最初は両軍とも拮抗していたが、次第に戦力の差が出始め、二国間の同盟軍が次第に押していった。そしてしばらく経った後、遂に最終防衛戦が突破され、敵軍が首都に入り始めた。
首都の防衛を任されていた騎士は必死になって戦った。が、次第に悟ってしまう。この戦いで自分は死んでしまうのだと。
空を見上げる。白い羽が落ちてくる光景があった。やはりあれは、これを示していたのではと思った。
その時だった。一人の伝令から、王から呼ばれていることを知らされた。なんだろうと思いながら城に出向いてみると、そこにはこの危機的状況になっても毅然としている王と、涙を浮かべていた姫の姿があった。
王は騎士に言った。もはやこれまで。だがどうしても、自分の息子娘たちだけは生き延びさせてやりたい。私の最後の我が儘を頼まれてくれないかと。
それを聞いた騎士はしばらく呆然と王を見ていたが、やがて、それが命令であるならと、王に涙を流しながら敬礼をした。
こうして、騎士と姫は戦いの中、首都を抜け、そして国を抜けた。振り返ることなく、ただひたすらに馬を走らせた。やがて国が攻め滅ぼされたことを風の噂で聞いた。
騎士は迷った。これからどうすればいいかと。どこか定住先を見つけ、そこで静かに暮らしていくのが一番だが、この戦時下の中、そんな安全な場所があるとは思えなかった。
そうしているうちに、後ろに乗る姫がこう言った。理想郷を探してみようと。そして言って指を刺した。追って見てみると、そこにはあの羽根の光景があった。騎士にとって滅びの予兆だと思われていた光景がまだあった。
あれは予兆ではなかったのだろうか。様々な思いが騎士の中で蠢いた。
そんな騎士を姫は後ろからそっと優しく抱きしめた。そして言った。私たちはまだ生きていると。
それを聞いた騎士は姫を見て、そうですねと小さく微笑みながら答えた。
そして騎士は馬を走らせた。目指すは羽根の落ちる場所。理想郷があると思われる場所。騎士は姫とともに向かった。
それからいくつかの時を経たある時。戦をしていた国々の中でこんな噂が流れ始めた。とある二人が理想郷を見つけたと。
掃除屋の物語
あるところに一人の男がいた。
男は自分のことをどうしようもない人間だと常日頃から思っていた。そして、毎日を惰性で過ごしてきていることにうんざりとしていた。ただ「生きる」為だけに働いて、家に帰って飯を食べて寝る。そして朝起きてまた働きに行く。それだけを繰り返しているだけにうんざりとしていた。
「死人」。男は自分のことをそう評していた。特に何かをしたいということがなく、日々を無駄に浪費していた。情けない、の一言で片付いてしまうほどであった。
しかしある日。それらの全てが変化することが起きた。
いつもどおりの会社帰り。ふと空を見上げてみると、そこには夜の空にひらひらと舞う大きな白い羽根があった。
それを見た男は息を飲み、その場で固まってしまう。何だあれは。その言葉だけが頭の中でくり返し響いていた。周りを見渡してみても、自分と同じように空を見上げて驚いている人は誰もいなかった。そしてそれが、男だけに見えているものだということを示していた。
男は次第にその事に気づいていき、歓喜した。自分の中で何かが弾けたような、爆発したような、ともかく強い衝撃を受けた。周囲の訝しい視線など全く気にせず、長い間ずっとその光景を見ていた。
しばらく経った後に帰宅し、着替えることもせずにあの光景のことについて考えた。あれは一体なんなのだろうか、どうして自分だけに見えるのだろうか、何か意味はあるのだろうかと。ネットで調べてみても一切載っていなかった。テレビをつけてあの光景のことが話題に上がっているかと見てみても、羽根の「は」の字もなかった。
それが男の考えをある方向へと導く。自分は「選ばれた」のだと。だが何に選ばれたのかが分からなかった。
だがその疑問はすぐに解消した。
「てめーふざけんじゃねえぞコノヤロウ!」
羽根を見た次の日の夜。男はいつもの帰り道を歩いていると。不良と思われる若い男がサラリーマン風の中年に凄みをきかせて因縁をつけていた。それを見た男は汚物を見るような表情でそれを見た。男は「不良」と分類される人間が大嫌いだった。男の中で彼らは社会から外れ自分の好き勝手に生き、挙げ句の果てには他人の人生に迷惑をかける人間以下のごみ屑だと思っていた。
そしてその光景が、男の中に空いていた隙間をしっかりと埋めてくれた。
男はこの日を境に掃除をするようになった。
会社から帰宅すると、汚れてもいい服装に着替えて再び外に出る。持ち物はショルダータイプのバッグにゴミ袋と掃除道具、そして鉄の棒。それらを持って夜の世界を歩き回る。特になにもなければ何もしないで家に帰り、何かあった場合――先日の中年に因縁をつけていたようなこと、があれば機会を狙って掃除をする。終わったあとはきちんとゴミ袋の中に入れてゴミ捨て場に置く。その際、ほかの人がゴミを出すときに邪魔にならないように置く。そういったことを一月に二回程度するようになった。
ニュースをつけてみるとその話題が話されている時が出てくるようになった。だがそれでもほかの話題より少し長い程度のもので、社会は特に気にはかけていないようであった。数回特にてやり方を変えず、目撃者などに気をつけているわけでもないのに、警察はおろか男の近隣住人たちも、誰も男がやっていることだということは分からなかった。
男は次第に生きる希望を見つけ、自分に自信を持つようになっていった。自分はあの羽根に選ばれている。それを糧にし、劇的な変化を遂げた。周囲の人たちはその変化にとても驚いたが、良い方向に変化しているということもあり、特に気にせず彼を受け入れていった。
今日も会社帰りに男は思う。さあ、今回も掃除を頑張ろうと。
黒猫の物語
あるところに一匹の猫がいた。仲の良い普通の家庭に飼われている、銀色の鈴が付いた革の首輪をした黒い猫がいた。
普通、猫というとよく外を歩いて回っているという印象があるが、彼は外に出るということをあまり好まなかった。大抵は家の中にいて寝転がり、子供たちが帰ってくると一緒に遊んだり、膝の上でまた寝たり、そしてご飯を食べて、たまに風呂に入れてもらってそのまま寝る、といった日々を過ごしていた。
ある日。窓の近くで暖かい日差しを浴びながらのんびりと寝ていたときだった。ふと窓の外を見てみると、それがあった。
晴れ渡った青い空。白い雲がぷかぷかと浮かぶ中、真っ白な大きい羽根がゆらりゆらりと落ちていく光景を。
それを見た黒猫は目をまん丸にした。あれは一体何なのだろう。少なくとも、今まで生きてきた中で見てきたものとは全く異なったものだということは分かった。
黒猫は、ゆっくりと下に落ちていくまで、じっとその光景を見ていた。
次の日。またあれが見られないかと窓のそばにで、じっとしている黒猫。いつもなら寝ているのに今日は起きているのを家族は少し不思議そうな目で見ていた。そして幾ばくか過ぎた頃、昨日と同じ光景が起こった。黒猫はそれをじっと見ていた。ふと、あの落ちた羽根は一体どうなっているのだろうかと疑問に思った。そして、もし普通に落ちてそのままになっているのなら、それを間近で見てみたいと。
黒猫は決心した。外に行ってみようと。
そして翌日。外に出たいと知らせるために、ベランダの窓をかりかりと爪でかいてみる。それを見た母親は「あら、外に出たいの?」と不思議に思いつつも開けてくれた。黒猫はひょいと飛び出て、白い羽根探しの冒険が始まった。
黒猫は最初、あの羽根を目印にすればすぐにたどり着くだろうと思っていた。だがそれは大きな間違いだった。どうしてかは分からないが、羽に近づこうとすればするほど、それと同じくらい距離をとっているような感じになっていた。
それでも黒猫は諦めなかった。殆ど出たことのない外の世界を一匹歩いた。
コンクリートの塀の上を、家と家の小さな隙間を、まだ子供たちのいない公園を、横で車が走り去る歩道を、木々が生い茂る小さな森を、誰も通らない裏道を、一匹で歩いた。
その中で黒猫は色々なものを見た。前日の雨のせいでできた水たまり、風でなびく木々、家族以外のたくさんの人たちの様子、そして自分と同じ猫たち。
けれども、まだあの羽根にはたどり着けていない。何度となく歩いてみても羽根との距離は全く縮まらなかった。
それでも黒猫は探し続けた。遅くなるまで歩き続け、家に帰る。そんな日々を何日も続けた。時々休みを入れても、ほぼ毎日と言っていいほど歩き続けた。歩くたびに新しい発見をし、黒猫は次第に羽根と同じくらい世界にも興味を持つようになっていった。
それから数年の時が流れる。子供たちは成長していき、昔のように黒猫と一緒にはしゃいで遊ぶということはしなくなったが、仲の良さが変わることはなかった。
窓の外を眺める。空にはいつもと同じ光景があった。
羽根に対する思いがなくなったわけではない。けれども前のようにそれだけを見ているということはなくなった。いつかたどり着ければいい。そんな風に考えながら、今日はまったりするぞと眠りについた。
少年の物語
時たま夢を見ることがある。
いや、ちょっと言葉が足りないな。正確に言うと、同じ夢を見ることがある、だ。
その夢は見るたびに視点が変わっていく。二回続けて同じ人物のということは今までない。そして見る内容も変わっていない。
ある時は女の子になって、今の俺と同じように平凡な日常を過ごしていた。
ある時は騎士になって、滅んでしまった国のお姫様と一緒に「理想郷」を目指して旅をした。
ある時は大人の男になって、自分の価値判断だけで人を次々と殺していった。
ある時は黒い猫になって、今まで見たことがなかった外の世界を見て回った。
そしてそれらの夢には必ず、あの真っ白な羽が関わっていた。
女の子はそれを見て見ぬ振りをして、自分の日常の中に埋没させていった。
騎士はそれを旅の目的地の印とし、ひたすらそれに向かって馬を走らせて向かった。
男はそれを神からの信託であると思い込み、自らの生きる糧として自分を変化させた。
クロネコは単純に羽根自体に興味と疑問を持ち、間近であれを見てみたいと思った。
そんな夢を俺は繰り返し見ていた。白い羽根が関わる物語を。
「という夢を見ている俺の頭は、やっぱり変なんですかね」
そう言って俺は目の前にいる先輩を見た。
時刻は現在、三時四十分。既に放課後になっているから校内ははとても静か。代わりに校庭からは運動部の元気のいい掛け声が聞こえてきて、青春しているねーなんて枯れたことを思ってしまう。
そんな中、俺は生徒の誰も来ることのない、半ば忘れ去られている図書室で先輩といつものように他愛のない話をしていた。
「んー大丈夫じゃない? だって君、最初から変わってるし」
「……それは褒めているですか。それとも貶しているんですか」
「いやだな後輩くん。もちろん褒めているに決まっているじゃない」
からからっと笑って言う先輩。まあ、そう言う事にしておこう。ここで突っ込んだって反撃されるのが目に見えているし。
「にしても後輩くん、ずいぶんと色々な人になっているね。あ、猫にもなってるんだっけ」
そう、猫にもなっている。でもあの夢は他のと比べると結構面白い。見ている視点が猫のだから、普段見ているものが全くことなって見えるからとても新鮮だった。騎士の夢も良かった。ずっと重い気持ちのままだったけど、最終的にはたどり着くことができたし。一番最悪なのは男の夢だ。夢の中だというのに目眩や吐き気がしてくる。女の子の夢も、何だか違和感があってあまり好きになれない。
「もしかしたらその夢全部が、後輩くんの前世の記憶だったり。もしくは並行世界の自分と記憶を共有しているとか」
「いやいや、流石にそれは漫画すぎますよ」
「わかんないよー。なんてったって」
そこで言葉を切ると、窓の外を指差す。
「あれが関わっているんだからね。もはやなんでもありだと言ってもおかしくないでしょ」
指差す先にあるのは、夢の中で必ず出てきた、白い羽根の光景。
「…まあ、そうなりますか」
小さい頃から見える不思議な光景。誰にでも見えるというわけではなく、見える人には見えるもの。どんな意味があれにあるのかは全くわからない。一日に一回は必ず現れ、そしていつの間にか消えている。全くもって謎だらけであった。
最初は俺だけにしか見えないのかと思っていたけど、この学校にきて先輩と出会い、先輩も見えるということを知った。正直、見える人が他にもいたことは結構救いだった。一番思い悩んでいた頃は親に内緒で脳外科に行ったほどだったし。
兎に角、先輩と知り合ってからはこうして一緒に考えることをしている。ふむ、こうしてみると、夢に出てきた騎士とお姫様みたいだな。
あれ、そういえば。よくよく見てみると先輩って……
「ま、考えすぎても仕方ないね。手がかりなんて何にもないんだし、ゆっくりやって行こうか」
ぱんと手を叩いて先輩がそう言った。それと同時に考えていたことが風船のように割れてしまった。
もう少しで何かが見えた気がしたけど……まあいいか。
「そういえば、もうすぐ夏休みだねー。後輩くんは何か予定とかあるの?」
「今の所なにも。というか先輩、その前にもうすぐテストがあることを忘れてませんか」
「……知ってた? 後輩くん。英語と歴史が出来なくても、人間生きて行けるんだよ」
「なにドヤ顔で言ってるんですか。というか今思いましたけど、テスト前なのに今日よく許可が取れましたね」
「きょか? そんなの取ってないよ?」
「……」
さっきまでの真面目な雰囲気は何処へやら。
でもこんな空気が俺は好きだったり。
真っ暗に染まった空の下、自転車で走っていく。自転車が走る音しか聞こえなく、ひっそりとしていて結構怖かったりする。街灯があるのにと思うけれど、逆に街灯の明かりが不気味さを演出していると俺は思う。この年になってもちょっと怖いし。
「後輩くんー」
向こうから先輩が手を振っている。いつもながら早いな。
「お待たせです……先輩、本当にいいんですか?」
「大丈夫だって。ルートは既に割り出し済みだよ」
そうして俺は適当なところに自転車を置いて、先輩と一緒に学校へと入っていく。
学校。そう学校だ。今俺たちは学校にいる。それは何でか。屋上で星を見るためである。
俺と先輩は天文部だったりする。しかも二人だけの。これだけ聞くとなんて夢のある、なんて思うけれど、あの先輩にそんなことを期待しているとおじいちゃんになってしまうことを俺は知っている。まあ、現実はそう簡単には行かないということだ。
本当なら屋上を使うには先生の許可が必要だけど、この時期はテスト期間なので許可が出ない。だからといってこんな強硬手段に出なくてもいいとは思うのだけど、一度言い出したら後には引かないということを俺は知っているから、何か問題を起こさないように同伴しなければならなかった。
あらかじめ用意していたらしく、一階にある理科室の窓から侵入。そこから警備員の人に見つからないようにこそりこそりと進み、そしてどうして持っているのか分からない屋上の鍵を使ってようやく目的の場所についた。もはや何も聞くまい。
「とうちゃーく。おおーやっぱり今年はよく見えるねー」
着いた途端、地べたに座り込んで空を見上げる先輩。俺は少し離れたところに座って同じように空を見上げる。
その気持ちはよく分かる。この周囲の建物の中では一番高く、周りに遮るものが何もないから夜空を自分たちだけのものにできる。星座を探す必要を感じないほど、とても綺麗なものだった。
「さてさて、デネブはーっと……お、あったあった」
そう言って指を指す。それを追ってみると、確かにそこには周りの星たちよりも一段と輝いているものが三つあり、その内の一つが先輩が指さしている星、デネブだった。
「はくちょう座のデネブ。こと座のベガ。わし座のアルタイル。やっぱり大三角形はこの月に見るに限るねー」
七夕伝説で有名な、夏の大三角形。これは天体望遠鏡がなくてもすぐに見つかる。だから今日は手ぶらで夜空を見ている。
「といっても、ちょっと前に過ぎましたけどね」
「いいいのいいの。こういうのは気分の問題なのだよ後輩くん」
「そんなもんですか」
「そんなもんなんだよ」
ならそれでいいか。
そんなこんなでしばらくの間、特に会話もなくただひたすらに夜空を眺めていた。飽きないのかと思われるかもだけど、全く飽きないんだよな、これが。高校に入るまでは特に星に興味があったというわけじゃあないのに。
「それにしてもさ」
ふと、先輩が聞いてきた。
「なんですか」
「やっぱりあれがあると、ちょっと邪魔だと思わない?」
そう言って指さすのは、昼間にも出てきた白い羽根の光景。今日は複数回現れる日らしいのか、羽根自体が淡く光りながら、夜空をひらりひらりと落ちていっている。
「確かに。気になって仕方ないです」
さっきから無視しようとはしているものの、いかんせん存在感が強すぎるからどうしても気になってしまう。ふむ、どうやらあれには純粋に星見を楽しむ人たちを妨害する要素があるらしい。
「昼間は考えすぎても仕方ないって言ったけど……本当のところ、あれは一体なんなんだろうね」
空を見ていた目を先輩に移す。いつも明るく元気な先輩の表情が、いつにもなく真剣のものになっていた。
「他の人たちには見えない、大きくて真っ白な羽根が落ちていく光景。ファンタジー的な何かが起きてもおかしくなさそうに見えるけど、実際のところそんなものは何一つない。見たままの光景。なのに、こんなにも私たちの心を縛り付けている」
一つ一つ吐き出すように、ゆっくりと、けれどもしっかりとした口調で話す。
「本当に、何なんだろうね。これは」
そう言うと、先輩はまた黙って空を見上げた。
俺も先輩もなんとなく分かっている。多分その答えは分かることはないだろうと。そう思っているのに、あれの意味を求めてしまう。
ならどうしたらいいのだろうか。
「……別にそれでもいいんじゃないですか」
気がつくと俺は口を開いて言っていた。今度は先輩が空を見る目を俺に移してきた。
「これ、ちょっと前から思っていることなんですけどね。俺、あの羽根には特に意味はないと思ってるんですよ」
なるべく真剣に話してみようと試みるも、自分にそんな口調は似合わないことを理解し、いつも通りに話すことにする。
「だから俺は、この羽根は悪戯なんじゃないかと思います」
「いたずら?」
「ええ、いたずら。ただ単に大きな羽を空から落として、それをいくつかの人に見せるようにして、あたかも何かしらの意味を持っているんですよって思わせて、その人が一体どういう考えにたどり着くのかを楽しんでいる。たちの悪いいたずらですよ」
実際は人だけじゃあないけど。猫も見えてるけど。
知能を持っている生き物は、何か分からないものがあると、それに何かしらの意味を求める。そして自分なりの答えを出してしまう。
「きっと、そんな俺たちを見て笑ってると思いますよ」
「……だれが?」
「そうですね……神様とか、地球とか」
「地球? またなんともまあだね」
くすりと先輩が笑った。
うん。先輩にはやっぱり笑顔が似合う。恥ずかしくて直接は言わないけど。
「まあだから、今度からこんちくしょーって思いながらみていればいいんじゃないですか。今のところ俺はそうして見てますよ」
「……そっか」
完全には納得していないけれど、それでもさっきよりはすっきりした表情になっていた。
「そうだね。そっちのほうが面白そうでいいかもね」
「でしょ」
「うん。ありがとうね、後輩くん。なんか変なこと言っちゃって」
ふむ。いつもの先輩に戻ったみたいだな。よかったよかった。
確かに先輩の言うとおり、俺たちはあの光景に心を縛られている。おそらくこれからずっと、あれを気にしない日はないだろう。
でもまあ、それだけだ。普通の人よりちょっと違うことが増えた。本当にそれだけなんだ。
「さてと、そろそろ帰ろうか」
「ですね」
「あっ、そうだ後輩くん」
「なんですか」
「明日の放課後、また図書室で大丈夫?」
「問題ないですけど……」
「そっか。じゃあ明日は必ず来てね。伝えなきゃいけないことがあるんだ」
そう言って先輩は先に中に入っていった。
……一体何だろうか?
途方もなく巨大な翼を「それ」は携えていた。
その翼からは時折、羽根がこぼれ落ちていく。ゆらりゆらりと落ちていく。
そして、誰かの笑う声が聞こえる。