【短編】被弾は必ずクリティカル。想定内です。
拝啓、神さま
わたしは前世で何をやらかしましたか——
◇
落ちるパンへ伸ばした手は届かず、ベチャッという音がリビングに響いた。
「……はい。知ってた……」
嫌なことほど起こるように感じるという法則があるらしい、けれど。
床に落ちたパンのバターの面はいつも下になる——芽莉愛の場合は、気のせいでなく『いつも』。
◇
天気予報は晴れ、降水確率0%。
「……よし。傘、持った」
ピンクの花柄の長傘を、いつでも開ける状態にして家を出る。
車道に水たまりはない。
頭上には綺麗な青空が広がっている。
でも、嫌な予感は強くなる一方だ。
「……そろそろ、傘、差しとこうかな」
芽莉愛は傘を開いた。
すれ違う人が不思議そうな目をしたけど、格好悪いとか言ってられない。
無事に学校に行くために。
傘を差して踏み出した次の瞬間、横から水が飛んできた。
「ひゃあああ?!」
一瞬だったけれど、けっこう濡れた。
前髪から水を滴らせながら、芽莉愛は水が飛んできたほうを向いた。
「……工事現場……」
「す、すみませんー!!」
作業員の人が慌てた様子で走ってくる。
「すみません! 放水をミスしてしまって……!」
「……大丈夫、です。……えへ……」
芽莉愛は謎の笑いを浮かべながら、鞄からタオルを取り出した。
「……慣れてるので」
頭を下げる作業員に大丈夫とアピールしながら、芽莉愛は登校を再開した。
このくらいなら、マシなほう。
◇
教室に入ると、目が合った金髪の男の子が目を丸くした。
「おはよ、芽莉愛ちゃん——って、びしょぬれじゃない!」
「おはよう、こーちゃん……」
前髪は乾ききらず束になっていて、制服の肩も鞄も、濡れた箇所の色が変わっている。
こーちゃんはスマホを開いて何かを打ち込んで、顔を上げた。
「……マンションから水が降ってきた?」
「工事現場から、飛んできた……」
「それは新しいパターンだわ! 相変わらずね!」
こーちゃんは目を少し大きくした後、けらけら笑いながら自分の鞄からタオルを出す。
芽莉愛が席に着くと、こーちゃんは手にしていたタオルで芽莉愛の髪の毛先を包むように拭きはじめた。
「ありがと……。……明日から全身カッパで登校しようかな……」
「さすがにそれはちょっと見た目が……。……いや、芽莉愛ちゃんには必要かしら……?」
タオルから、せっけんのいい香りがする。
少し長めの金色の髪を、いくつかのヘアピンで止めたこーちゃんはぽつりと言った。
「早く実用レベルに持っていきたいわ」
「……作ってるAI? 未来予知用だっけ?」
「そ。軽い気持ちで始めたけど、目標ができちゃったから」
「目標……?」
タオルの隙間から見上げると、頭の上にポン、と軽くこーちゃんの手の重みを感じた。
「見てなさい、今に未来なんて全部予想してみせるわ! アタシのAIが!!」
「がんばって、こーちゃん……!」
作ってるAIの話をする時、こーちゃんはきらきらしてる。
こーちゃんの夢が叶うといいと思う。
◇
夕方、帰宅した芽莉愛は、自室のベッドにぽすりと倒れこんだ。
「……やっと、終わった……」
目を開けると、枕元に置きっぱなしのVRヘッドセットが見えた。
「あっちなら、芽莉愛だって……」
芽莉愛は体を起こし、ヘッドセットを手に取った。
ベッドの上に座った状態で装着して電源を入れると、『Eternal Frontier Online』という文字が浮かび上がる。
『ユーザー名:アルメリア』
『ログイン中……。』
数秒後、目の前に草原が広がった。
風が吹き抜け、灰桜色の長い髪がなびく。
見下ろした白を基調とした衣装には、紅梅色のリボンが垂れている。
先日初期装備から脱し、手に入れたばかりの装飾性の高い和洋折衷の装備だ。
太もものベルトに短剣が二本。
ポーチには回復薬と耐性スクロールが、たくさん入っている。
「装備、よし」
背筋を伸ばしたアルメリアの唇の端が小さく上がる。
「メリア、いきます」
歩くこと数歩、茂みが揺れ小さな影が飛び出してきた。
反射的に短剣を構え迎え撃つ。
プルプルとしたスライムが真っ二つになった。
「はい、1体目」
プレイヤーが歩けばモンスターと遭遇する、これはゲームの仕様。
だけど、メリアの遭遇率はおかしい。
反対側の茂みから飛び出したスライムも斬る。
「はい、2体目。……さっきのから一歩しか歩いてないんだけどな?」
歩きながら、飛び出してくるスライムを斬る。
そのたびに、わずかに経験値が入ってくる。
今度は少し大きめの影が飛び出してきた——よく遭遇するモンスター、ジャッカロープだ。
見た目はウサギだけれど、その頭には2本の角がある。
角をこちらに向けて一直線に走ってくる。
躱せたと思ったけれど、少し角が掠めたらしい。
——『会心の一撃!』
パリンとパーティクルが散り、ビリビリと脚に痺れが走った。
「……っ、来た、来た——知ってた!」
敵の攻撃が当たるときは、ほとんどクリティカルになる。というか、全部かもしれない。
メリアの攻撃ではクリティカルなんて、ほとんど出ないのに。
アルメリアのHPバーは、ちょっと削れていた。
「大丈夫、想定通り。問題ない」
再度向かって来たジャッカロープを今度こそきっちり避け、その背に短剣を突き立てた。
「はい、13体目」
ポーチから初級回復薬を取り出し、口に含んだ。
視界の端に表示されたレベルをちらりと見る。
経験値の円環は、もう少しで繋がりそうだ。
「レベルが無駄に上がっていく……」
経験値の元は初級モンスターだけだ。
アルメリアは踏み出した先で飛び出してきたスライムを見もせずに斬った。
ドロップしたアイテムは自動でインベントリに入る。
前回確認した時には、こんな内容だった。
布切れ(ノーマル)……×999が8個。
錆びた欠片……×999が6個。
なぜかこの二つしか落ちない。
レアドロップに当たったことなんてない。
「塵も積もれば、装備の資金にはなるもん……」
踏み出した視界の先で、草むらが小さく揺れた。
◇
草原を当てもなく歩き回っていると突然、視界に警告が出た。
『警告:高レベルモンスターが接近しています』
周囲を窺ったけれど、それらしいものは見えない。
数人のプレイヤーがアルメリアと同様に辺りを見回しているのが見えた。
「——っ?!」
考える前に、体が動いた。
気付くとアルメリアは伏せていた。
一拍のあと、アルメリアがいた場所を何かが通り過ぎ風が巻き起こる。
——キュゥー!!
少し離れた位置でジャッカロープの声がした。
視線だけ向けると、そこには鷲のような頭の下にライオンのような体がついた大きなモンスターがジャッカロープを圧し潰していた。
アルメリアから数メートルの位置で、モンスターは鋭い嘴でジャッカロープを啄み始めた。
「……グリフォン」
モンスター図鑑で見たことはあるけれど、実際に目にするのは初めてだ。
本来は山岳地帯にいるはずの、大型モンスター。
離れた場所にいたプレイヤーが散り散りに街の方向へと走り出した。
「どうしてこんなところに!」
「早く、街へ!」
——ガルルル…
アルメリアは食事中のグリフォンに視線を向けたまま、姿勢を低く保ちながらゆっくりと後ずさる。
ふと、何かが引っ掛かった。
図鑑で見たグリフォンは全体的に茶色いモンスターだったはず。
「……羽が、青い。……まさか、レア……?」
まれに出現するというレア個体。
通常より強いが、ドロップ品も希少なものが落ちる可能性がある、らしい。
「……もしかすると」
倒せれば、いいドロップ品が手に入るかもしれない。
でも、アルメリアのレベルは推奨レベルにまだ足りないはず。
「……あ。……嫌な予感」
ジャッカロープを食べていたグリフォンが顔を上げ、アルメリアと目が合った。
グリフォンが大きく群青色の羽を広げた。
——ギャァァァッ!
グリフォンの頭上に緑色のHPバーが現れた。
「やっぱり」
ロックオンされた。
一瞬だけ、街の入り口がある方向をちらりと見た。
全力で走れば、逃げられる可能性は低いけれどゼロじゃない。
「……いつも、こう」
不運はいつも、招いていないのに押しかけてくる。
逃げても角度を変えてやってくる。
グリフォンもきっと同じ。
「でも、今のメリアは。アルメリアは」
初心者には過剰と笑われても、スクロールをたくさん買い集めた。
攻略サイトだって読み込んで、できる限りの準備をしてきた。
アルメリアは重心を低くして、両短剣を構えた。
「どんな不運も、想定内です」
グリフォンが羽ばたき空へと舞い上がる。
大きく旋回するグリフォンが太陽と重なり、僅かに目を細めた。
次の瞬間、アルメリアは横に跳び地面を転がった。
バサリと羽ばたきの音がして、再上昇するグリフォンを見ながら体勢を整える。
「ジャッカロープの時と同じ、最初は空から来る」
両短剣を持ったまま、アルメリアはグリフォンを見上げた。
アルメリアは近接職だ。
上空にいるグリフォンに、有効な攻撃手段を持っていない。
「つまり、降りてきた時がチャンス」
グリフォンの攻撃を躱しながら、少しずつでも当てられれば。
急降下してくるグリフォンを避けた後、アルメリアはポーチに手を伸ばし、スクロールを取り出した。
「まずは、物理耐性」
スクロールが砕けて消滅し、視界に物理バフのアイコンが現れた。
回避の合間に、スクロールで耐久を上げていく。
バフのアイコンが十数個、アルメリアの視界に並んだ。
「準備よし。反撃、開始します」
グリフォンがまた急降下した。
アルメリアは回避直前に、両短剣を振りぬいた。
——ギィィィィィッ!
上空へ上がったグリフォンは、羽ばたきながらホバリングしている。
その片翼の付け根にダメージの跡が赤く光っている。
「固い。けど、入った」
グリフォンがアルメリアへと急降下する度、同じ場所へダメージが蓄積する。
十、二十、三十……途中で数えるのをやめた。
何度目かにグリフォンは空へと上昇しようとして、失速し地面へと降り立った。
「ここから、パターンが変わる。次は、突進」
予想通りまっすぐ向かって来たグリフォンの突進を、両短剣を振りぬきながら避けた。
避けたはずなのに、『会心の一撃!』という文字が画面に踊る。
「……っ、来た、来た——知ってた!」
痺れた腕に一瞬顔をしかめた後、アルメリアの口角が上がる。
少しでも当たれば、必ずクリティカル。
もう、そう思うことにした。
ほとんど無意識に回復薬を口へと運び、大きく削れていたHPバーが瞬時に回復した。
飲み終えた回復薬の瓶をアルメリアは投げ捨てた。
「次はもう少しだけ、早く避ける」
向かってくるグリフォンを何度も避ける。
数を重ねるうちに、何度か掠った。
そのたびに、クリティカルが発生した。
次の瞬間には回復薬でHPを全快させ、アルメリアは攻撃を続けた。
「そろそろ攻撃した回数、二百を超えてるんじゃない?」
グリフォンのHPバーは、赤色へと変わっている。
残り10%を切っている証だ。
「でも」
用意していた回復薬の残りはあと2本。
このペースでは、削り切る前にこちらが尽きる。
バフが消えていないことを確認し、アルメリアは構えを変えた。
「クリティカル、来るなら来い」
突進してくるグリフォンをギリギリで避けると、『会心の一撃!』という文字が画面に踊った。HPバーが大きく削れる。
痺れた腕で、通り過ぎる瞬間の背中へと両短剣を力いっぱい突き立てた。
狙うのは頭部と体の境目——いつか攻略サイトで見た、グリフォンの急所。
——ギィェェェェッ!
突き刺さった短剣から手を外し、回復薬の瓶を咥えた。
同時に、『会心の一撃!』と目の前に文字が浮かぶ。
一瞬の後、アルメリアは地面にたたきつけられた。
「——っ……」
目を開けると、離れたところで、グリフォンが悶絶しているのが見えた。
暴れた拍子に弾き飛ばされたらしい。
アルメリアの赤いHPバーは回復とダメージが同時に発生し残りわずかな位置で静止している。
HPバーが回復方向に振れた。
ほんの少し。
最後の回復薬を取り出し、喉に流し込んだ。
立ち上がると、グリフォンはアルメリアを睨み——前足を折るように体勢を崩した。
その背中にはアルメリアの短剣が二本突き刺さっており、グリフォンのHPバーはじわじわと減っている。
そしてついにグリフォンのHPがゼロになり、エフェクトを散らしながら砕けるように消えた。
地面に、アルメリアの両短剣が金属音を立てて落ちた。
「……やった」
思わずその場に座り込むと、ピコン、という通知音がした。
いつもは開かないアイテム獲得通知に、人差し指で触れる。
『「きれいな布」を入手しました』
「……ノーマル」
スクロールを大量に消費したのに。
回復薬もぜんぶ使ったのに。
こんなに頑張ったのに、やっぱりノーマル。
「……えへ……」
アルメリアは地面にぱたりと倒れ、大の字に手足を伸ばした。
空は青く、さわやかな風がアルメリアを撫でた。
「……知ってましたぁー……!」
叫んだアルメリアの声が草原にこだまし、どこかで小鳥が飛び立った音がした。
「そろそろ、今日は帰ろう……」
アルメリアは地面に転がったまま、ログアウトパネルに指を伸ばした。
◇
はじまりの街の広場には、人々が集まっていた。
大型モニターに大きく映された少女が、地面に大の字に寝転んだ。
「おいおい、ひとりで倒しちまったよ」
「高ランカーか?」
「『アルメリア』って名前は聞いたことないな」
人々がざわざわと話し合っていると、突如モニターから大音量が流れた。
『知ってましたぁー……!!』
少女の叫び声の後、キーンとハウリングが広場に満ちる。
「知ってたって、何を……?」
広場に大きな謎を残し、画面は通常の複数地点表示モードへと切り替わった。
◇
芽莉愛はヘッドセットを外し、伸びをした。
窓の外には夕焼けが広がっている。
「着替え、しなきゃ……」
蛍光灯をつけ、着替えを終えて制服をハンガーにかけようとした時、ポケットから何かが飛び出した。
何かはベッド横にあるキャビネットの下のわずかな隙間へと吸い込まれるように転がっていった。
「……リップクリームだ」
胸ポケットに入れていたんだった、と思い出した。
何もこんな隙間に入らなくてもいいのに。
キャビネットの下を覗きこんで、手を伸ばす。
指先が当たるのに、ギリギリ取れない。
「もう、ちょっと……!」
ぐっと手を無理やり入れると、伸ばした指先がリップクリームに引っかかった。
手応えを感じた次の瞬間、リップクリームは回転して更に奥へと転がった。
「……えへ……。知ってました……」
芽莉愛はいったん体を起こした。
机の引き出しから30センチの物差しを取り出して、キャビネットの隙間に向かって構える。
きっと、次もパンを落とせば必ずバターの面が下になるし、晴れててもびしょ濡れになる、でも。
「……芽莉愛は、負けない……」
芽莉愛はもう一度、キャビネットの下を覗きこんだ。
横のベッドから布団がずり落ちてきて、芽莉愛は無言で跳ね上げた。
最後まで読んでくれたのね、ありがとう!
いやぁ……芽莉愛ちゃん、ゲームの中だとカッコいいのね!
格上のグリフォンを、一人で倒しちゃうなんて!
ギャップがすごいわ。
でもね、アタシはそれ以上に、あの子の運の悪さが心配なのよ!
晴天、降水確率0%でびしょ濡れで登校って何?!
パンを落とせば必ずバターの面が下?
ボスを倒してもノーマルドロップ?
それを本人は「知ってた」としか言わないのよ?!
もう、ほっとけないじゃない!
早くアタシの未来予知AIを実用化させて、芽莉愛ちゃんの身の回りを予測してあげなくちゃ!
「三秒後、水が降ってきます」
「五秒後、小石に躓きます」
「曲がり角から災難が来ます。避難してください」
……って、あら?
これ、未来予知AIというより、芽莉愛ちゃん専用の不運予報じゃない?
ま、まあいいわ!
芽莉愛ちゃんが安心して歩ける未来を、アタシが作ってみせるんだから!
芽莉愛ちゃん頑張れって思ってもらえたなら、☆やブクマでの応援、よろしくね☆




