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星宮灯火の執心

作者: 月乃宮 夜見
掲載日:2026/05/05

 星宮(ほしみや)灯火(とうか)は流浪の旅客だった。だが、ひょんなことがあり今は楽星(らくせい)という場所に居ついている。


 以前、楽星の頭領を自称する男が、食料を独り占めしていた。それを懲らしめた後に、住人からお礼として住処を貰ったのだ。


 灯火は自由な旅人だった。だから、この楽星に居るのも気まぐれの一種だ。


 だが、灯火は楽星ののどかな風景を気に入っていた。まだ春の時期しか体験していないのだが、花々は色鮮やかに咲き乱れ、植物は青々と茂り、海は青く澄んでいて、夕焼けは美しく、星空は綺麗で——


 正直、この楽星を離れる理由を探せずにいた。別に大きな使命を背負っているわけでもない。なら、理由ができるまで楽星(ここ)に居座ってたっていいじゃないか。そう、言い聞かせている。


 ×


 ある日、灯火は気晴らしに道を歩いていた。

 春風に薄桃色の髪をなびかせ、青い目は興味深げに周囲を見回す。


「あれ、闇夜(あんや)だ」


 すると、数歩先にライバルの剣士、闇夜が歩いていた。


 闇夜とは、最近知り合った。彼は自身と同じような出身でありながらこの楽星に居座り、警備隊のまねごとをしている。真似事、と言うか彼の他に適任が居なかったのだと自称頭領がぼやいていたのを思い出した。事実、闇夜は強い。灯火も彼には苦戦を強いられた覚えがある。


 宵闇のような濃紺色の髪に、月のような金の目が覗く仮面。彼を見ていると、なんだか不思議な気持ちが湧いてくるのだ。彼に打ち勝ち彼の素顔を見たのは、灯火だけだと彼は告げていた。


「珍しい、いつもは鍛錬とかしてるのに」


 呟きつつ、灯火はそっと後を付いて行く。すると、彼は角を曲がり、薄暗い小道へと入っていった。


「(……撒こうとしてるのかな?)」


 そうはさせるものか、と灯火は高く跳び、屋根の上に着地する。そうして、上から闇夜に付いて行った。足音を立てないよう、気配を気付かれないよう、慎重に。


 少し歩くと、闇夜は一件の建物の中に入っていく。ふわり、と何か甘い香りが漂ってきた。


「(何かの密会?)」


 まさかとは思いつつ、中が見える窓を探す。そうして、どうにか中の様子を伺った。


 と。


「チョ、チョコパフェ食べてる!? いいなぁ!」


 灯火は青い目を輝かせ、思わず声を漏らした。途端に、闇夜と目が合う。どきり、と灯火の胸が高鳴った。それと同時に、彼の金の目が僅かに開かれる。


 周囲を一瞬見たのち、こちらに来るよう闇夜は招いた。


「……灯火、来ていたのか」


「ごめん」


 謝りつつ、灯火は店の中に入る。店員は驚くも、闇夜の元に案内してメニューを持ってきた。


「ここ、何のお店?」


 周囲を見回し、灯火は問いかける。焼杉の良さを前面に出した、落ち着いた雰囲気の店内だ。板張りの床や家具は暗い色で統一され、窓や壁に配置されているステンドグラスも美しい。


「……見ての通り、甘味処だ。珍しい異国の菓子も豊富に扱っている」


「へぇ! いいねー」


 言いつつ、灯火はメニューを開く。ケーキやプリンなど、洋菓子がたくさん載っていた。「おいしそー」と目を輝かせる灯火に、闇夜は小さく溜息を吐いた。


「仕方ない、なにか奢ってやる。一品だけだが、口止め料だ」


「やった! どれ頼もうかなー」


 更に目を輝かせてメニューを眺める灯火を眺め、闇夜は口元を僅かに緩ませた。


 ×


「本当に、遠慮なく頼んだな……」


「だって、おいしそうだったんだもん」


 届いたものは巨大なパフェだった。イチゴや生クリームをふんだんに使った、ショートケーキのようなクリームたっぷりのデラックスパフェ。当店の一押しメニューかつ、大食いチャレンジのメニューである。


「残すなよ?」


「誰に言ってるの? もちろんだよ!」


 挑発的な闇夜の目線に、灯火もニヤリと笑い返した。


 ×


「あー、おいしかった!」


「『お腹いっぱい』とは言わないのだな」


 店を出て、満足げな灯火に、闇夜は小さく苦笑した。あれほどまでに巨大なパフェを食べたというのに、彼女は余裕そうだ。


「まぁねー。でも、君もでしょ?」


「……そうだな」


 にへ、と笑いながら灯火は闇夜を見やる。すると彼は、視線を逸らして頷いた。同じ種族だからこそ、そういうものは分かるのだ。


「まあ、君の御眼鏡に適うほどに良い店である証明にはなったな」


 言いつつ、闇夜は歩き出す。


「ね、次はどこに行くの?」


「次? 特に当てなどないが」


 問うた灯火に、闇夜は視線を逸らす。その様子から、本当に何も予定はなさそうだと灯火は察した。だって、警備などの用事があるなら彼はすぐさまそちらに行くだろうから。


「強いて言えば、腹ごなしに警備を兼ねて散歩だな」


 と考えつつ、彼は呟いた。


「そう? じゃあ僕と一緒だね」


「私を、君のような暇人と同じにするな」


 灯火が笑うと、闇夜は心外そうに彼女を睨んだ。


「同じでしょ。君は暇だから警備したり鍛錬したりしてる、僕は暇だからお昼寝したりお散歩したりする」


「……そう言われてしまえば、否定のしようがないな」


 あっけらかんとした様子で灯火が首を傾げれば、闇夜はやや諦めた様子で首をゆるく振った。


「ね、今日はちょっと僕に付き合ってくれない?」


「なぜだ」


 灯火が提案すると、怪訝そうに闇夜は彼女を見やる。闇夜は、いつも自由を好む灯火が人を誘うなど珍しいと思っていた。


「いつも鍛錬ばっかりなんてつまんないでしょ。今日は僕と一緒にお散歩! 決定!」


 言いつつ、灯火はとある乗り物を呼び寄せた。これは空を飛び、遠くまで行ける特殊な乗り物。灯火が旅をする際に使っているものだ。


「強引だな……」


 呆れつつ、闇夜も特殊な乗り物を呼び寄せた。


「それで、どこに行く予定なんだ」


 灯火の後に続きながら、闇夜は彼女に問いかけた。


「案内もかねて、楽星のいろんなとこに行くの」


「……それは『無計画』と言うのでないのか?」


「計画通りの散歩なんて聞いたことないよ。ともかく、行こ!」


 叫び、灯火は飛び出す。それに合わせて闇夜も続いた。


 ×


 着いた先は、はずれにある小高い丘だ。

 降りると灯火は乗り物を収納し、周囲を見回す。続いて闇夜も降りて乗り物を収納した。


 緩やかな斜面に柔らかな春の草が広がり、ところどころに白や黄色の小さな花が点在している。丘の上に立つと、楽星の全景が一望できた。茅葺きや瓦屋根が連なる家々、青く輝く海、そして遠くに霞む山並み。風が吹くたび、草の香りが鼻腔をくすぐった。


「ここからだと、楽星の一帯が見えるね」


「そうだな」


 灯火が軽やかに小川を飛び越える。清らかな水音が、せせらぎとなって響いた。


「君も、こっちにおいでよー」


 にこにこと笑顔で、灯火は闇夜に手を振る。


「分かった。今日は、君について行くと決めているからな」


 やや渋々と言った様子で、闇夜も小川を飛び越えた。


 少し進むと、小さな森に入った。木漏れ日が柔らかく地面を照らし、足元には落ち葉と新緑が織りなす絨毯が広がっている。

 灯火は嬉しそうに木へ手を伸ばし、木の実を二つ千切った。木の根元に座り込み、闇夜に座るように合図する。

 小さく息を吐いたのち、闇夜も灯火に従い隣へと腰掛けた。


「この木の実、おいしいんだよ。一緒に食べよ!」


「……仕方ないな」


 灯火に差し出された木の実を、闇夜は受け取る。二人は並んで、木の実を齧った。


「……美味い」

「でしょ!」


 闇夜が言葉を零すと、灯火が食いついた。


「森の主の人からもね、『好きに食べていって良い』って言われてるんだ!」


「そうか。君は、森の主にも好かれているのだな」


 静かに、木の実を咀嚼する音が響く。灯火も闇夜も、食事中に話す質でないからだ。


「食べ終わったら、種とかをどこか近くに植えたら良いんだよ」


 言いつつ、灯火は種を埋める場所を探す。「あ、こっちに埋めよ!」と闇夜を誘った。


「そうか。これも森の一部になるのだな」


「そうだろうねー」


 穴を掘り、二人は種を埋める。


 埋めた種が木の実を実らせるまでに、一体何年かかるだろうか。実らせる頃に、自分はこの土地にいるのだろうか、と灯火は静かに思う。じ、と闇夜が見つめていた。


「どうしたの?」


「……いや。次はどこに行く?」


「次はねー……」


 ×


 次に二人が向かったのは、湖に浮かぶ小さな島だった。

 島の周囲は穏やかな水面が鏡のように空を映し、岸辺では柳の枝が優しく風に揺れている。島の中央には古い石の鳥居が立ち、春の陽光を受けて淡く輝いていた。


「ここで、君の手下達が挑んできたんだよね」


 懐かしそうに、灯火は呟く。


「手下ではない。部下だ」


「部下ね、うん」


 頷きつつ、灯火は先に進む。海の煌めきも、遠くなった。


「君の姿も、ちらっと見たよ」


「そうか」


 潮風を受けながら、闇夜は灯火の後に続く。


「それで。私の部下達はどうだった」


 問われ、灯火は足を止めた。振り返ると、闇夜は真剣な眼差しで見つめている。


「うーん……強かったよ。ちょっぴりだけど」


「それなら、十分だ。君は……強いからな」


 困ったように灯火が答えると、闇夜は小さく笑った。正直に言えば、灯火にとっては取るに足らない強さだ。だが、自称頭領の家来達よりは少し厄介だった。

 それでも、闇夜は良かったらしい。


「彼らも、もう少し鍛えねばな」


「みんな君くらい強くなったら、めんどくさいよ」


「そうだな。君にとって、少しでも厄介な相手になってもらわねば」


「なにそれー」


 けらけら、と灯火は笑うが、闇夜は本気だった。彼女にとって厄介なほど強くなれば、この楽星をもっと守りやすくなるだろうから。


 この奥には画家のアトリエがあるが、特に用事はないので今回はスルーした。


「あの人が作る作品は、今にも動き出しそうなほどに存在感あるよね」


「そうだな。頭領も彼の絵を気に入っているらしく、たまに城に招かれている」


 思い出しながら灯火が零すと、闇夜は新しい情報をくれた。どうやら、頭領の城には自画像や果物の絵などがたくさんあるらしい。像などの立体物もあるのだとか。


「君は絵を描いてもらったことあるの?」


「いや、ないな。君もないだろう?」


 島を散策しながら、二人は会話を交わす。


「そっかー。もったいないなぁ、君、かっこいいのに」


「……は?」


 思わず、闇夜は足を止めた。つられて、灯火も足を止める。


「画家って、綺麗なものを書くんでしょ? だったら、君をモデルに絵を描いた方がいいのになって」


「……それなら、君の方が適任だろう。絵画というものは本来、英雄などを描くものだ」


「ふーん、英雄? 君ってば、僕をそんなふうに思ってたんだ?」


「……それは、こちらの台詞だ」


 少し散策して、「じゃあ、次の場所に行こっか」と灯火が誘う。


 ×


 高い塔がそびえる一角では、風が強く吹き抜けていた。

 塔は空を突き刺すように高く、まるで雲に届きそうな威容を誇っている。周囲の石畳には苔が薄く生え、ところどころに古びた灯籠が並んでいた。


「お空にも届きそうだよね」


「実際、どこの建物よりも届いているが」


 二人は塔に登り、上空から楽星を見下ろす。


「あ、ほら見て。さっき行った丘と島が見える」


「確かにな。丘と違い、こちらからは街の詳しい様子は見えないな……」


 灯火は、ふと、この建物の持ち主の双子のことを思い出す。


「あの子達、仲良くしてるかな?」


「彼らが喧嘩をすると、こちらも少々困るからな……仲良くしてもらう方が助かる」


 闇夜が呆れながら返した。確かにそうだな、と灯火は頷く。空を見上げれば、真っ青な空に穏やかな雲が浮かんでいた。


「きっと、仲良くしてるはずだよ」


「そうでなければ、もう少し大変だろうからな」


 灯火の言葉に、闇夜は同意した。


「そういえば。僕と君ってさ、まだ喧嘩したことないよね」


「……それは、意見をぶつけ合えるほどの仲でない……ということではないか?」


 ふと、灯火が零すと、闇夜は真剣な面持ちで返す。


「なんで、そんな寂しいこと言っちゃうかなー」


「私と君は、知り合いなだけだろう。まだ互いに詳しいことを知らない」


「うーん、それもそっか」


「なんだ。私と知り合うために、散歩に誘ったのではないのか?」


 訝しげに、闇夜は灯火を見た。


「え、うーんと……なんで誘ったんだっけ?」


「全く、君ってやつは……」


 首を傾げると、彼は深くため息を吐く。

 だが実際、灯火はなぜ闇夜を散歩に誘ったのかよくわかっていなかった。ただ、なんとなく彼と一緒にいたい、別れるのは惜しいと思っただけなのだ。


「(……なんで、惜しいって思っちゃったんだろう)」


 闇夜を見ていると、なんだか自分が自分でなくなってしまう感じがする。どこか落ち着きが無くなって……なんだかふわふわした気持ちになるのだ。


「とにかく、次の場所行こ!」


「まだあるのか……」


 言いあい、気が済んだので次の場所へ移動する。


 ×


 次に訪れたのは、雲が近く感じられる高台の広い庭だった。

 庭全体が柔らかな芝生で覆われ、季節の花々が色とりどりに咲き乱れている。今日は雲の位置がやや高く、澄んだ青空が広がっていたが、時折白い雲の端が庭に影を落としていく。


「わ、今日は晴れてるね」


「高い場所にあるから、ここではよく雲が降りてくるからな。今日は運がよかったのだろう」


 二人はリラックスした様子で、庭を歩いた。

 この庭の持ち主は、高名な気象予報士だ。


「確か、気象予報士は『今日はずっと晴れだ』って言ってたよね?」


「そうだな。まあ、この楽星は雨の方が珍しいが」


 灯火の問いかけに、闇夜が頷く。


「そうだね。でも、ずーっと晴れだったらそれでも大変なんだよね?」


「ああ。植物達が育たなくなる。それに、飲用水の確保も難しくなるからな。海が近ければ、海水を浄化して使えるだろうが、海が遠い土地はそうはいかなくなる」


 唐突な灯火による話題の振りも、闇夜は難なく返答した。灯火の求める答えを、闇夜はいつも持っている。


「砂漠の土地でも、雨は降るよね」


「確かに雨は降る。だが、あまり貯水能力がないからな……砂漠には砂漠の生き方があるだろう」


 やはり、闇夜は博識だ。鍛錬している姿の他には、彼は読書をしている印象が強い。彼の知識は読書の賜物だろう。


「やっぱり、闇夜っていっぱい知ってるよね」


「君も、割とものを知っているように見えるが」


 闇夜が言うも、灯火は緩く首を振ったた。雲の影が、二人の上をゆっくりと通り過ぎていく。


「だって、僕のはおおよそ実体験だもん。経験したことしか分からないよ。でも、闇夜は本をたくさん読んでて、その分たくさんのことを知ってる。それが……すごく素敵なことだと思うんだ」


 一瞬の沈黙の後、闇夜が小さく息を吐いた。


「……君にそう言われると、妙に照れくさいな」


「本当だよ。闇夜の声で聞く知識って、なんだか特別に聞こえるんだ」


 灯火が笑うと、闇夜はそっと視線を逸らした。


「君は、そう感じるのだな」


「とにかく、僕は君のそういうところを『いいな』って思ってるんだ」


「そうなのか……」


 二人はゆっくりと歩いていたものの、庭を一通り回ったようだった。どちらからともなく、二人は庭を出る。


 ×


 岩肌の目立つ険しい山では、風が岩に当たって独特の音を立てていた。

 灰色の岩肌の間に、力強く根を張った松の木々が緑のアクセントを添えている。山腹では今も作業の音が小さく響き、粉塵が春の陽光にきらめいていた。


「この山、いつまで作業してるのかな?」


「さぁな。いつまでも終わらないのかもしれないな」


 この山で作業をしている建築士は、いつも忙しそうだ。


 二人は少し高い場所に並んで腰を下ろし、山の様子を眺めていた。灯火の肩が、ふと闇夜の肩に軽く触れる。離れようとするより先に、灯火は自然にその距離を保った。


 闇夜は気にすることなく、その距離のままで話し始める。


「彼は確か、一年分の燃料を頭領から受け取っていたな」


「そうなんだ。じゃあ、少なくとも後一年くらいは作業するんだね……」


 灯火は膝を抱え、隣の闇夜をそっと見上げた。濃紺色の髪が風に揺れ、金色の目が遠くの山並みを見つめている。その横顔が、いつもより穏やかで、灯火の胸がきゅうっと締めつけられた。


 一年後、自分達はどうなっているだろう。きっとこの山は相変わらず工事をしているだろうけれど、世界は小さくも変わるだろう。


「きっと、来年になる頃には君はもっと強くなってるんだろうね」


 ほとんど毎日のように鍛錬に励む闇夜の姿を思い浮かべながら、灯火は柔らかく微笑んだ。視線を向けると、闇夜もゆっくりと灯火の方を向いた。


「……だが、君も同じように強くなっているだろうな。その時は、また手合わせを頼む」


 闇夜の声はいつもより低く、どこか優しい響きを帯びていた。灯火は目を瞬かせ、少し頰を赤らめながら笑う。


「手合わせかぁ……参っちゃうなぁー」


「……面倒か?」


「ううん、君と剣を交えるのは面倒じゃないよ。むしろ……楽しみかも」


「なんだ、嫌かと思っていたが」


「そうじゃないんだ。ただ、君と向き合うって……なんだかドキドキするから」


 灯火が素直に言うと、闇夜は一瞬言葉を失い、視線を逸らした。仮面の下で耳の先がわずかに赤くなっているのが、灯火には分かった気がした。


「……君は、本当に油断ならないな」


「えへへ。闇夜が優しいからだよ」


 風が二人の間を優しく通り抜け、松の香りを運んでくる。作業の音が遠くに聞こえる中、灯火はそっと闇夜の袖の端を指で摘まんだ。闇夜は何も言わず、ただその感触を受け入れていた。


「……こうして一緒にいられたら、いいね」


 灯火が小さく呟くと、闇夜は静かに頷いた。


「……ああ。悪くない、とは思う」


 その言葉に、灯火の胸が温かくなった。険しい岩山の上で、二人はしばらく無言で寄り添うように座っていた。


 ×


 それから、二人は海辺へと出た。

 波が静かに打ち寄せる白い砂浜。遠浅の海は透明度が高く、底まで青く澄んでいる。水平線に沈みかけた午後の陽が、波の表面を金色に染めていた。


「きれいだねー」


 浜辺を歩きながら、灯火は呟く。潮風がふわりと彼女の髪に絡み、靡かせる。


「……君は、一体何のつもりだ?」


「うーん?」


 闇夜が問うも、灯火は曖昧な返事をするだけだ。


「……君は、楽星から去るつもりなのか?」


 その声は低く、どこか不機嫌さを孕んでいた。


「ううん。今は、そんなつもりじゃないよ」


 穏やかに微笑み、灯火は答える。


「今は、と言うことは……」


「まあ、いつかは離れる時が来るよ。仕方ないよ、だって……僕は旅人だから」


少し、沈黙が重い。だけれど、灯火は旅人なのだ。ふらりと偶然、この楽星に訪れただけ。居つくのも、出かけるのも気まぐれなのだ。


 その後、二人は近くの森の中へと入った。

 木々が密集したこの場所は、陽光が遮られ少し薄暗く、地面には柔らかな苔の絨毯が広がっている。空気はひんやりと湿り気を帯び、どこか懐かしい匂いがした。


「ここで、僕と君が出会ったんだよね?」


「さて。どうだったかな」


 ゆっくりと闇夜を振り返ると、彼は灯火から視線を外す。何か、思うところがあるのかもしれない。


「しらばっくれないでよ。君が色々とヒントくれてたの、知ってるんだから」


「……」


 この海の見える場所は、闇夜がよく見回りをしている。きっと、彼の拠点も近いのだ。

 彼の拠点には、まだ近づいたことはない。遠くから見た事はあるが、巨大な建造物だったのは覚えている。きっとあれで、彼は世界中を旅するのだろう、と灯火には想像できた。

 闇夜も、本来は灯火と同じ旅人なのだ。だから、いつでも旅ができるように準備をしているのだろう。


「君は……海が好き?」


 灯火は静かに問うた。


「……そうだな。海は好ましく思っている」


「そっか。僕も……好きだよ。この風景」


「そうか」


 話したのは、それだけだった。


 潮風が、灯火の薄桃色の髪をなびかせる。夕日に染まるこの空と海が、闇夜の好きなもの。それを一緒に体験できて、灯火はなんだか胸の奥があったかくなる。この光景を、忘れないようにしたい。


 ×


 最後に着いたのは桜の咲き誇る山だった。


 かつて、ここで自称頭領の男と灯火は戦ったのだ。彼をコテンパンにして——色々あって、楽星の平和は守られた。今は満開の桜が、二人を優しく包み込んでいる。


 桜のトンネルの下を、二人は並んで歩く。風が吹くたび、淡い色の花びらが雪のように舞い落ち、灯火の薄桃色の髪に絡みついた。


 灯火は花びらを片手で受け止め、笑いながら闇夜に振り向いた。


「ね、これ綺麗! 闇夜もやってみてよ!」


「……子供か」


 言いながらも、闇夜は無意識に花びらを指で摘まんでいた。灯火の笑い声が、普段は静かな彼の心に小さな波を広げていく。


 屋台で焼きそばを分け合い、橋の上から川を流れる灯籠を眺め、路地裏の小さな神社でおみくじを引いた。灯火は大吉、闇夜は凶。


「凶って! 闇夜、運悪いねー。でも大丈夫、僕が運を分けてあげる!」


 灯火が自分の大吉のおみくじを闇夜の手に押しつけた。闇夜はため息をつきながらも、口元がわずかに緩むのを自覚した。


 闇夜の横顔が、いつもより柔らかい。灯火は勇気を出して、闇夜の袖をそっと掴んだ。


「ねえ、闇夜」


「……なんだ」


「今日、一緒にいてくれて……嬉しかった。すごく、楽しかったよ」


 闇夜は足を止め、灯火を真っ直ぐに見下ろした。灯火の青色の瞳に、星空と桜の色が映っている。


「……私もだ。思ったより、悪くない時間だった」


「悪くないだけ?」


 灯火が少し頰を膨らませると、闇夜は珍しく小さく笑った。仮面の下の表情が、わずかに緩んでいるのが分かる気がした。


「…………楽しい、と言った方が正しいかもしれない」


 その言葉に、灯火の胸が熱くなった。桜の花びらが、二人の間にゆっくりと舞い落ちる。


「本当!? よかったー! 僕もすっごく楽しかったよ! 闇夜、意外と優しいし、話聞いてくれるし……かっこいいし、大好きだよ」


 最後の言葉を少し小さく付け加えると、闇夜は一瞬固まり、深く息を吐いた。


「……君は、本当に騒がしいな」


「えー! ひどい!」


 二人は笑い合いながら、夜桜の見える高台へと向かった。


 旅人と剣士。まったく正反対の二人の、偶然の出会いから生まれた一日は、まだ終わらない。灯火が闇夜の袖を軽く引いた。


「ねえ、明日も……この街にいるよね?」


 闇夜は小さく息を吐き、ゆっくりと頷いた。


「……まあ、剣の稽古は毎日だが。少しなら、構わない」


 桜の花びらが、二人の間に舞い落ちた。


「……送っていく」


「え、良いよ。もう遅い時間だし」


 唐突な闇夜の提案に、灯火は驚きつつも反射的に断る。


「だからこそ、だ。君はそんななりでも女子なんだ。何かあったら駄目だろう」


『そんななり』だと言われるのはやや心外だが、灯火は首を振った。


「え? なんか来たら、コテンパンにやっつけちゃうから大丈夫だよ!」


「だとしてもだ。私も甲斐性なしだと言われたくない」


「なにの甲斐性?」


灯火がこぶしを握るも、闇夜は(灯火にとっては)よく分からない理由で灯火を家まで送ると決めた様子だった。


×


 雲のない夜の星の下を、二人は乗り物で並走しながら飛ぶ。

 大きな三日月が、二人を照らしていた。


「ふふ、二人で並んで飛ぶなんて……珍しい体験しちゃった!」


「静かにしろ……今日は、一日中並走していただろうが」


「まぁねー。僕、今日は楽しかったよ」


「君も、楽しかったようで何よりだ」


「また、一緒に行こうね」


「……気が向いたらな」


灯火の家に着くと、闇夜は外で彼女が中に入り戸が閉まるまで見守っていた。


その日は、なんだかよい夢が見られそうな気がした。

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