表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

22/22

ep22 理を斬る者、泥を這う者

暴走した巨大な熱球が、地鳴りを上げて谷底を這い進んでくる。


大気中の酸素を食い尽くし、あらゆる物質をドロドロに溶かしながら迫る、純粋な破壊の光。 十数人の猟兵たちが、自らの命と引き換えに生み出した「疑似的な太陽」を前にして、私は岩陰から手元の『記憶の星晶アストラル・クォーツ』に意識を深く同調させた。


彼らがどうやってこの圧倒的な質量を凌ぐのか。 瞬き一つせず、その事象の推移を観測する。


彼らの間に、事前の打ち合わせなど一切ない。 だが、極限の死地において、四つの異なることわりは奇跡的なほどの噛み合いを見せた。


「……死兵の意地、見事なり。だが、我らにも護るべきものがある!」


最初に動いたのは、あの老騎士だった。 彼は血を吐きながらも、折れた長剣を正眼に構え、迫り来る熱球の正面へと踏み出した。


一切の無駄を省いた、洗練された防御の型。 彼の巨体から放たれる気迫が、見えない「盾」となって空間に形作られる。 巨大な熱の波がその盾に激突し、バチバチと激しい火花を散らした。老騎士のひしゃげた甲冑がさらに軋みを上げ、皮膚から血が噴き出す。


だが、その命を削った抵抗により、熱球の進行方向がほんのわずかに――だが確実に、上部へと逸らされた。


「長持ちはしませんよ、爺さん!」


老騎士の作り出したその微かな隙間を縫うように、あの小柄な青年が地を滑るように駆け抜けた。


彼が狙うのは、熱球の中心ではない。 暴走する星法の熱量が、周囲の空間と摩擦を起こして僅かに薄くなる外縁部。その一点を、極めて冷静な観察眼で正確に見抜いていた。


「……ここだ」


青年の双短剣が、交差して閃いた。 風を切り裂くような鋭い連撃が、熱球の側面にまとわりつく乱流を強引に削り落とし、その構造に微かな綻びを生じさせる。


「うおおおおおッ!」


そして、青年が削り開けたその綻びへと、泥にまみれた巨漢の剣士が突進した。


彼の手にあるのは、星法の加護を一切持たない無骨な鉄塊の剣だ。 奇跡に頼らない、純粋な人間の筋力と体重のすべてを乗せた刺突。 それは星法の炎を斬るためではなく、巨大な熱の質量を、物理的な力によって「押し留める」ための泥臭い一撃だった。


ジジジジジッ!


鉄塊の剣が熱球の表面に食い込み、刃が赤熱していく。 剣士のバフコートが焦げ、髪がチリチリと燃える臭いが漂う。それでも彼は、決して後退しなかった。大地にブーツを深く食い込ませ、その巨大な質量をたった一人で正面から受け止めている。


「……そこを退け」


彼ら三人が命を削ってこじ開けた、熱球の中心に空いた数秒の「道」。 その絶対的な隙を、氷刃の解体者が見逃すはずがなかった。


シグルドが、残像すら残さない歩法で跳躍した。 背負っていた無銘の長剣――氷鉄ひょうてつが、絶対零度の冷気を纏って上段から振り下ろされる。


老騎士が熱の軌道を逸らし。 青年が気流を削ぎ落とし。 巨漢の剣士が、その質量を押し留めた。


異なる三つの意思によって完璧に露わにされた「熱の芯」へ向かって、極限まで研ぎ澄まされた氷の刃が、一切の無駄なく吸い込まれていく。


ズバァァァンッ!!


直後、私の眼前に信じがたい事象が展開された。 谷を埋め尽くさんばかりに膨張していた疑似太陽が、まるで巨大な刃物で薄布を切り裂かれたかのように、不自然に真っ二つに割れたのだ。


切断された熱の奔流は、彼ら四人の左右を激しい勢いで通り抜け、背後の無人の岩壁に激突して凄まじい爆発を起こした。


熱風が谷底を吹き抜け、大量の砂塵を巻き上げる。 鼓膜をつんざく轟音と、岩が溶ける不快な匂い。 私たちが立つ場所から数十メートルの距離が、一瞬にして灼熱の地獄へと変貌した。


しかし、彼ら四人が横一列に並んで立っていたその直線上の空間だけは、一切の熱波の侵入を許していなかった。


「……観測、終了」


私は、熱の嵐が過ぎ去った荒野で、静かに息を吐いた。


天の奇跡を斬る氷の剣士。 星法を持たず、己の肉体だけで絶望的な質量に抗う巨漢の剣士。 鋭い身のこなしで熱の綻びを突く小柄な青年。 満身創痍でありながら、背後の者たちを護る盾として立つ老騎士。


全く異なる四つの軌道。本来であれば交わるはずのない不規則な動きが、この死帯の底で完璧に噛み合い、帝国の誇る極限の星法を凌ぎ切ったのだ。


「……とても、美しい不協和音でした」


私は手元の星晶に、その事実を歪みなく記録した。 エルフの長大な歴史においても、これほどまでに異質な複数の力学が重なり合い、強靭な結び目を生み出した光景を、私は知らない。


砂煙が晴れていく。 真っ二つに割れた炎の軌跡の中心で、四人の男たちは膝をつくことなく立っていた。


猟兵団の姿は、もはやどこにもない。 自らの命を燃やし尽くした彼らは、完全な黒い灰となって、吹き荒れる風の中に溶けて消え去っていた。


「……終わった、か」


巨漢の剣士が、赤熱してひしゃげた鉄塊の剣を地面に突き立て、荒い息を吐いた。 その泥だらけの顔には、死線を乗り越えた安堵の笑みが微かに浮かんでいる。 彼はゆっくりとシグルドの方へ向き直り、無骨な手を差し出した。


「助かったぜ、氷の旦那。……あんたの一撃がなけりゃ、俺たちは全員、炭の山だった。見事な太刀筋だ」


素直な感謝と、共に死線を越えた戦友への敬意。 だが、その歩み寄りは、シグルドの冷気に満ちた声によって即座に切り裂かれた。


「勘違いするな」


シグルドは差し出された手に見向きもせず、氷鉄の剣をゆっくりと背に収め、極光色オーロラ・ブルーの瞳で巨漢の剣士を冷ややかに見据えた。


「俺は、お前たちと馴れ合うために剣を振るったのではない。……目の前の理を斬るのに、お前たちのその無価値な泥遊びが、ほんの少しだけ『利用できた』というだけの話だ」


その言葉の奥底にある、冷酷なまでの他者への拒絶。 価値観の激突を予感させるシグルドの冷たい眼差しに、私は再び星晶の記録態勢を整えた。


宙に浮いたままの無骨な手を、巨漢の剣士はゆっくりと下ろした。 怒りに任せて掴みかかるような真似はしなかった。だが、その大地の琥珀色をした瞳の奥で、強烈な熱の脈動が静かに燃え上がるのを、私は観測した。


「無価値、結構」


不意に、小柄な青年が、土埃を払いながら前へ歩み出た。 その銀色の瞳には、冷徹な皮肉と、主君を愚弄されたことに対する静かな怒りが入り混じっている。


「だがね、氷の旦那。その『無価値な泥遊び』がなけりゃ、あんたの見事な剣技も、ここで仲良く黒焦げになっていたはずですよ。俺たちは現実を泥まみれで這いずり回っている。……あんたみたいに、一人で綺麗に立っていられるほど、今の世界は甘くない」


「……」


シグルドは青年を一瞥し、ふんと鼻を鳴らした。


「天の奇跡に縋り、自らの足で立とうとせぬ弱者は、いずれこの砂に還るのが自然の理だ。群れなければ生きられぬ弱者が、己の血肉を盾にして他者を延命させる行為は、その自然の淘汰を歪める無意味な執着に過ぎない。……それでは、誰も真の強さを手に入れることはできない」


その冷徹な宣告は、かつて私が観測した極北の地、フロストの厳格な哲学そのものであった。 自力で立てない者は、厳しい冬を越えられない。同情や情けは、彼らの自立を阻む毒であるという極端なまでの自己責任の力学。


「……自然の淘汰、と申されるか。その氷の剣気によく似た、鋭くも孤独な理屈だ」


静かに口を挟んだのは、あの老騎士だった。 彼は血を吐きながらも、老木のような威厳をもってシグルドを見据えた。


「だが、人は剣だけで生きているわけではない。誰かを護るために傷つき、誰かのために泥を被る。その非合理な温かさこそが、我々が『人』である証ではないのか」


「その甘い『人としての証』とやらが、星の光を貪り、この世界を喰い潰し、今日の星の渇きを招いたのだ、老騎士よ」


シグルドが冷ややかに返すと、老騎士は言葉に詰まった。 彼もまた星法の恩恵を享受し、何かを護る立場の人間として生きてきたのだろう。シグルドの指摘は、まさに彼らのような者たちが目を背けてけら歴史の罪そのものを突く言葉だったのかもしれない。


老騎士が口を閉ざしたその時、巨漢の剣士が赤熱の冷めた鉄塊の剣を引き抜き、肩に担ぎ直してシグルドを真っ直ぐに見据えた。


「……確かに、強い奴だけが一人で生き残るのが道理かもしれないな。あんたの言う通り、俺たちのやり方は不格好で、無価値かもしれない」


剣士の声は、荒野の風よりも重く、地を這うような力強さを持っていた。


「だが、俺はそんな冷たい理を肯定したくはない。……天の奇跡が消え去って、誰もが弱く這いつくばるしかない世界で、それでも、泥だらけになって誰かが伸ばした手を掴み返す。それが、俺の守りたい『人間の意地』だ。無価値だと言われようと、俺はこの泥遊びをやめるつもりはない」


四人の間に交わされる言葉は、刃を交えるよりも激しい熱の衝突だった。


孤高の強さによって己の輪郭を保とうとする、氷のように冷徹な力学。 弱さを抱えたまま互いに結びつこうとする、泥のように温かい力学。 現実を冷めた目で測りながらも泥に寄り添う力学。 過去の罪を背負いつつ、次代の未来を護ろうとする力学。


決して交わることのない四つの星の軌道が、激しく火花を散らしている。 どれが正しいのか、観測者である私には判断できない。朝焼けを待つこの灰色の世界において、この相容れない熱量同士の衝突が、滅びゆく世界において極めて特異なエネルギーを放っていることだけは確かだった。


「……勝手にしろ。だが、俺の道を遮るなら、次はお前を斬る」


シグルドが短く吐き捨て、背を向けた。 これ以上の問答は無意味だと切り捨てるような、氷の後ろ姿。


その時だった。 彼らの背後、岩陰に張られた天幕の方から、微かな声が聞こえた。


「……う、ん……」


光の橋を架け、すべての熱を使い果たして倒れていた、あの亜麻色の髪の少女だ。 彼女が微かに身じろぎをし、ゆっくりと目を開こうとしていた。


「ノア……! 気がついたのね」


付き添っていたドレスの少女が涙声で駆け寄り、老騎士が深く安堵の息を吐くのが見えた。


私は、手元の星晶から視線を上げ、覚醒しようとするノアと呼ばれた少女を静かに見つめた。 彼女が先ほど空中に引いた光の線。それは星法ではなく、世界そのものを計算し、新たな理を編み直すという、神の所業にも等しい力学だった。


世界をただ客観的に記録するだけの私と違い、自ら世界に干渉し、歪みを修復しようとする『綴り手』。


(……彼女の瞳には、この相反する四つの熱量は、どのように視えているのでしょうか)


観測者として、私は彼女に強い知的好奇心を抱いていた。 私は岩陰からゆっくりと歩み出た。 傍観者の立ち位置を崩すべきではない。だが、この特異点たる少女とは、一度だけ、世界の形について言葉を交わす必要があると、私の直感が告げていた。


(第22話 完)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ