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ep11 老騎士の告白

帝国の真意。


ローランが口にしたその重苦しい言葉の余韻は、冷たい灰となって降り積もり、三人の中に深い沈黙をもたらした。


音のない死帯ヴォイドの荒野。

イリアは両腕で自身の身を抱きかかえ、鉛色の空を虚ろな目で見上げていた。


世界を満たしていたはずの美しい光が、実は星の命を削る拷問の炎であったという事実。それは、彼女が信じてきた温かい世界の形を根底から崩壊させる、強烈な猛毒なのだろう。


「……計算は、合っています」


不意に、ノアが口を開いた。

風の音に紛れるような、淡々とした声だった。


彼女は灰に覆われた大地を見つめたまま、頭の中で複雑な星図アストロラーベを回転させ、一つの冷徹な答えを導き出していた。


「え……?」


イリアが、弾かれたように顔を上げる。


「ヴァルガス皇帝の行動原理です。……感情論を排して、純粋に『光の均衡』のみで測量すれば、彼の導き出した答えは極めて合理的です」


ノアは、虚空に細い指先を走らせた。

今度は光の線を引くためではない。彼女自身の思考を整理するための、純粋な幾何学の構築だ。


「この星全体を、一つの巨大な閉ざされた空間と見立てます。……現在、星の残光は底を突き、各地で『星の渇き』という名の致命的な綻びが始まっている。このまま何もせずにいれば、早晩、世界はあの化け物たちのような狂気に飲み込まれ、すべての命は緩やかに全滅するでしょう」


「…………」


「その破滅の未来を回避する手段は、一つしかありません。……残されたわずかなコアを世界中から一箇所に集め、莫大な熱量で一気に燃やし尽くし、星法という仕組みそのものを完全に終わらせること。……すなわち、星との繋がりを断ち切り、完全な白紙状態の『人の時代』へと世界を移行させることです」


それは、かつて父エリアスが危惧し、そしてヴァルガスが実行に移そうとしている『大星葬』の全容だった。


「腐った患部を切り落とし、血を流してでも強制的に命を循環させる。……生きながら死んでいくよりは、激痛を伴う荒療治を選ぶ。種としての生存確率を計算すれば、彼が描こうとしている未来図の形は、残酷なまでに『正しい』のです」


「……正しい、ですって?」


イリアの声が、低く震えた。

彼女はよろめきながら立ち上がり、ノアをきつく睨みつけた。その瞳には、再び燃え上がるような怒りの火が宿っていた。


「私の国を焼いて! お父様や、罪のない人々をたくさん殺しておいて……何が正しいの! 貴女、あいつの味方をするの!?」


イリアの悲痛な叫びが、荒野に空しく反響する。


どんなに高尚で論理的な理由があろうとも、奪われた側にとって、それはただの「人殺し」の理屈に過ぎない。血の通った人間の感情が、数式のように割り切れるものではないことくらい、ノアにも分かっていた。


だが、ノアは動じなかった。

彼女は自分の腰に提げた『白紙の魔導書』に触れた。


その重厚な革の表紙には、数時間前にイリアを立たせるためにつけた、生々しい「泥の手形」がべっとりと残っている。


「味方ではありません。……私はただ、彼の綴った思考の形を正確に読み取っているだけです」


ノアは、その泥の汚れを指先でなぞりながら、静かに答えた。


「相手がどのような設計図で世界を壊そうとしているのか。その構造を理解しなければ、私たちが新しい線を引くことはできません。……感情で泣き叫んでも、世界の法則は覆らないのです、イリア様」


「っ……!」


イリアは言葉に詰まり、悔しさに唇を噛み締めた。

感情で泣き叫んでもどうにもならないという冷徹な事実を前に、彼女は反論する言葉を持たなかったのだろう。ノアは、ただ静かに王女の震えを見つめていた。


「……ノアの申す通りです、イリア様」


重苦しい沈黙を破ったのは、岩壁に背を預けていたローランだった。

老騎士は、傷の痛みに顔をしかめながらも、深く、静かな息を吐いた。


「ヴァルガスの心にあるのは、浅ましい私怨でも、単なる狂王の征服欲でもありません。……氷のように冷たく、恐ろしく純粋な『正義』なのです。だからこそ、あれは始末に負えない」


ローランの藍色の瞳が、遠くを見るように細められた。

それは、灰色の空の向こう側に、遠い過去の幻影を見つめているような眼差しだった。


「ローラン……貴方は、あの男を知っているの?」


イリアが問いかけると、ローランは自嘲気味に口の端を歪めた。


「ええ。……知っているどころか、かつての彼は、この私から剣を学んだ教え子でしたからな。……私が、彼に剣の持ち方と、騎士としての『守るべきもの』を教えたのです」


「え……?」


「もう十年も昔の話です。まだアルカディアと帝国が、表面上は友好関係を保っていた頃……帝国の若き皇太子ヴィンスが、留学という名目で我が国に滞在していた時期がありました」


ローランは、傍らに置いた折れた愛剣の柄を撫でながら、忌まわしい過去の扉をゆっくりと開いていく。


「当時の彼は、今の鉄仮面を被った冷酷な魔王ではありませんでした。……誰よりも星の痛みに敏感で、誰よりも人間の弱さを憂い、真面目すぎるがゆえに、この世界の『醜い構造』に絶望してしまった……不器用で、孤独な青年だったのです」


「星の痛みに、敏感……?」

イリアがオウム返しに呟く。


「はい。彼は王族の身でありながら、現場の採掘坑道や王都の地下水脈へ足繁く通う男でした。そこで彼は、枯渇していく精霊結晶エーテルコアの異常と、その周囲で発生し始めていた『星の渇き』の兆候に、誰よりも早く気づいてしまったのです」


ローランは、苦渋に満ちた表情で語り続けた。


若き日のヴィンスは、アルカディアの王立図書館の地下深く、禁書庫にまで入り込み、星法の歴史と仕組みを調べ上げた。

そして、星法が星に対する「略奪と拷問」であるという残酷な真実に辿り着いたのだという。


「彼は、当時の両国の上層部に必死に訴えました。このままでは世界は滅びる、直ちに星法の使用を制限し、代替となる道を探すべきだと。……しかし、誰も彼の言葉に耳を貸さなかった。それどころか、根も葉もない陰謀論を吹聴する狂人扱いをして、自国へ強制送還したのです」


「そんな……」


「既得権益とは恐ろしいものです。星法が生み出す莫大な富と、そこから得られる快適な生活を、人間はそう簡単に手放すことはできなかった。……そして、ヴィンスは悟ったのでしょう。人間の善意や自浄作用に期待しても、この狂った歯車は決して止まらないということに」


ローランの声が、ひどく掠れた。


「彼は帝国へ戻り、自らの顔を冷たい鉄仮面で覆いました。人間としての甘い感情をすべて殺し、冷徹な『魔王』として、世界を物理的に白紙へ戻す道を選んだのです。……それが、現在のヴァルガス皇帝であり、彼が引き起こしたこの破滅的な戦争の正体です」


重い、あまりにも重い歴史の真実。


イリアの膝がガクリと折れそうになり、彼女はそれを必死に堪えていた。

憎むべき仇敵の根底にあった、世界を救おうとする痛切なまでの正義感と、人間に見切りをつけた底知れぬ絶望。それらが、王女の心を激しく揺さぶっているのがノアの目にもはっきりと見て取れた。


「……だからといって、許されるわけがないわ」


イリアは、震える声で絞り出した。


「どんな理由があろうと、お父様を殺して、アル・レイスを灰にした罪は消えない。……私は、あいつを絶対に許さない」


それは、悲しみと絶望の中で彼女が見出した、細くとも決して切れない『誇り』の形だった。


「ええ。許す必要など、どこにもありません」


重い空気を切り裂くように響いたのは、ノアの透き通るような声だった。

ノアは、虚空から視線を戻し、イリアとローランを真っ直ぐに見据えた。


「ヴァルガスの論理は、確かに合理的です。……しかし、彼の描こうとしている図形(大星葬)は、ひどく退屈で、醜い」


「醜い……?」


「はい。彼のやろうとしていることは、ただ『ページを破り捨てる』のと同じです」


ノアは、泥で汚れた表紙を持つ『白紙の魔導書』をポンと叩いた。


「そこに書かれた物語が気に入らないからといって、すべてを乱暴に引き裂き、ただの白紙に戻す。……それは問題の解決ではなく、単なる『逃避』です。自分が新しい、美しい続きを書き足すという覚悟も想像力も欠如している」


ノアのサファイアブルーの瞳に、強い光が宿った。

それは、感情を持たないと言われた彼女が初めて見せた、創り手としての強烈な『傲慢さ』だった。


「私は、そんな暴挙でこの世界を終わらせたりはしません。……彼が世界を白紙に戻す前に、私が、誰も見たことのない美しい星図を、この世界に上書きしてみせます」


「ノア……」


イリアは、息を呑んでノアの横顔を見つめた。

その見開かれた瞳には、もはや得体の知れない化け物を恐れる色はなく、途方もない重圧を背負おうとする小さな背中への、微かな畏敬の念が混じっているように見えた。


「……ならば、行くべき場所は一つですな」


ローランが、ふっと口元を綻ばせた。傷の痛みも忘れ、老騎士の顔に微かな希望の光が差していた。


「世界を上書きするほどの力……それを紡ぐための『星屑』が、まだ辛うじて残されている場所が、この大陸の西の最果てにあります」


「西の最果て……」


「はい。かつて神々が最初に星図を描いたとされる原初の地にして、今や誰も近づくことのない不可侵領域……『星の揺りアストラル・ゼロ』」


ローランは、西の地平線――分厚い鉛色の雲が立ち込める彼方を真っ直ぐに指差した。


「ヴァルガスの『大星葬』を止めるにも、そなたが新しい星図を描くにも、そこへ向かうしか道はありません。……帝国軍も、残る最大のコアを求めて、最終的にはそこを目指すはずです」


「星の揺り籠……」


ノアは、その言葉の響きを口の中で転がした。

そこには、きっと自分がまだ見たことのない、複雑で美しい幾何学が眠っているはずだ。

その想像だけで、彼女の凍てついていた心臓の奥が、ほんの少しだけ熱を帯びた気がした。


「行きましょう。……私の物語ページは、まだ始まったばかりですから」


ノアが歩き出す。

その後ろを、ボロボロのドレスを纏った王女と、片腕の老騎士が続く。


三つの影が、灰色の荒野をさらに西へと向かって進んでいく。

かつては美しい光に満ちていたこの世界を、たった一本の線から描き直すために。


絶望の灰が降りしきる中、少女たちの足跡は、小さく、しかし確かな意志を持って、明日へと続いていた。


(第11話 完)


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