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第8話 森園颯太

 何で、どうして颯太がここに。


 目を見開き、言葉を失う俺に、「な、なあ、唯斗」と颯太は声をかける。


「どうしたんだよ、その子。めちゃくちゃかわいいじゃん。こんなにかわいい人、見たことないよ。芸能人か? それに、その頭から生えているそれは、耳? 見たところ、作り物にしてはクオリティが高すぎる気がするが……」


 颯太に、綾香の顔と猫耳を見られたというショックで、俺は言葉を返すことが出来なかった。


 恐らく颯太は、教室を飛び出した俺と綾香の後をつけてきたのだろう。まさか颯太が追ってくるなんて思ってなかったので、完全に油断していた。


 どうする? どうすればいい? 俺は必死に思考を巡らせる。


 綾香は、不安げな表情で俺を見つめている。綾香を安心させるためにも、取り敢えず何か言う必要がある。俺は話しながら考えることにした。


「ああ、えっとね、綾香は俺の遠い親戚でね。この耳は、あの、そうそう、綾香はコスプレが趣味だから、こういう小道具をよく作って自分で身につけてるんだよ。ね、綾香」


「うん、そうそう」


 綾香はぶんぶんと首を縦に振る。機転を聞かせて話を合わせてくれているようだ。


「いやいや、どう見ても作り物じゃないだろ。本物の猫耳にしか見えないんだが」


「そんなことないよ。……それで、何で俺たちの後をつけてきたの?」


 颯太をじっと見つめて俺は言う。颯太は視線を逸らし、何かを考え込むような素振りを見せたが、意を決したように頷き、口を開いた。


「一度、ちゃんと唯斗と話をしたいと思ってたんだ」


「……」


「何で俺から距離を置いた? 俺たち、けっこう仲良かったのに。メッセージも全然返してくれないし、電話も出てくれないじゃないか。俺に非があったならちゃんと謝る。だから、距離を置いた理由を教えてくれないか? その話がしたくて、後をつけたんだ」


 ずきん、と胸が痛む。


 いつかこんな日が来るんじゃないかと覚悟していた。あからさまに距離を置いた俺に対して、颯太が不信感を抱くのは目に見えていたからだ。


 しかし、理由を教えるわけにはいかない。こんな身勝手で醜い理由を、教えることなんて出来ない。


 押し黙る俺を、じっと見つめる颯太。颯太は俺の言葉を待っていた。やがて口を開いたのは、俺ではなく綾香だった。


「唯斗」


 綾香に視線を向ける。綾香は真剣な表情を浮かべていた。


「今の唯斗は、自分の感情を押し殺しているように見えるよ。そんなの駄目だよ。颯太さんに何か言いたいことがあるんでしょ? ならちゃんと言わないと」


「……無理だよ。こんな理由を、話すわけにはいかない。ますます颯太に嫌われて、雰囲気が悪くなって、終わりだよ」


 視線を逸らす俺に綾香は歩み寄り、俺の両肩に手を置いた。


「どうして決めつけるの? 唯斗は、必要以上に物事を悪い方向に考える癖があるよね。それはよくないよ」


「……」


「前まで颯太さんと仲良かったんでしょ? どうして距離を置いたの? 私も気になる。正直に話して欲しいな。大丈夫、私も颯太さんも、ちゃんと受け止めるよ。ね、颯太さん」


 まさか綾香に話しかけられると思ってなかったのか、颯太は驚いた様子だったが、「ああ、受け止める。話して欲しい」と言った。


 この場にいるのが颯太だけだったら、俺が口を開くことはなかっただろう。しかし、俺の孤独を癒してくれる大切な存在である綾香にも、話して欲しいと頼まれたことで、考えが変わった。


 俺は大きく溜め息をついた。颯太、そして綾香は俺の言葉を待っている。やがて、俺はそっと口を開いた。


「……嫉妬したんだよ。颯太に」


「嫉妬?」


 颯太は目を丸くする。


「入学してから数ヶ月で、かわいい彼女を作った颯太に嫉妬した。俺だって自分なりに、同じ学科の女子に話しかけたり、バイト先の女子にアタックしたり、マッチングアプリを入れたりして頑張ってたのに、全く成果が出なかった。そんな俺とは対照的に、颯太には彼女ができた。嫉妬した。ムカついた。何で颯太に彼女ができて、俺には彼女ができないんだ、って思った」


「……そうだったのか」


「うん。颯太を見てると、成果が出ない自分が情けなく思えてきて、辛くなった。悲しくなった。颯太と比べて、こんな自分に価値はないんじゃないか、って何度も思った。だから颯太から距離を置いた。電話がかかってきても出ないようにした。度々彼女の話を聞かされるのも辛かったからね」


「……」


「これが理由だよ。まさかこんな身勝手な理由だって思わなかったでしょ? ますます颯太に嫌われると思ったから、話したくなかったんだけどね」


「唯斗」


 綾香に声をかけられ、視線を向けたその瞬間。綾香は思い切り俺にデコピンをした。


「いった! 何するんだよ綾香!」


「唯斗、この際はっきり言わせてもらうよ。唯斗は自己肯定感が低くて、ネガティブすぎる。その性格を直さない限り、前には進めないよ」


「……」


「自分が持ってないものを持っている人を見て、嫉妬する気持ちはよく分かる。失恋が続いて落ち込む気持ちもよく分かる。でも、だからって颯太さんと自分を比べて、情けないとか、価値がないとか思うのはおかしいよ。間違ってる。そんなことをしても前には進めないよ」


「綾香……」


「唯斗は猫だった私を拾って、優しくしてくれた。人間の姿になってからも、変わらず私に優しく接してくれた。迷惑ばかりかける私を受け止めてくれた。私は、唯斗がとても優しくて、魅力的な男の人だってことを知ってる。だから、自分を卑下して、ネガティブになるのはもうやめようよ。自己肯定感を高めて、ポジティブに生きようよ」


 綾香の一つ一つの言葉が、俺の心に突き刺さった。


 分かってた。颯太に嫉妬して、自分と比較しても何も意味がないことを、頭のどこかでは理解していた。


 しかし、それでも俺はネガティブに考えることをやめられなかった。逃げていた。前を向いて立ち上がって、努力することから逃げていた。成功を掴むためには、失敗を糧にして挑戦を続ける以外道はないというのに。


 綾香にはっきりと言われて、俺は決心した。


 変えよう。今の、ネガティブで自己肯定感が低い自分を、変えよう。すぐには変えられなくても、変える努力をしよう。


 ここで気合を入れて自分を変えないと、死ぬ時後悔する気がする。俺は今19歳。まだやり直せる。自分を変えようと思えば、いくらでも変えられるはずだ。


「……綾香、ありがとう。はっきり言ってくれて。おかげで目が覚めた。俺は間違ってたよ。自分を卑下して、ネガティブになって、それでもいいやって諦めてた。それじゃ駄目だよね。もっと自分に自信を持って、ポジティブになれるように頑張るよ。本当にありがとう」


「唯斗……分かってくれたんだね。すごく嬉しい」


 綾香はにこっと笑った。


「じゃあ次は、颯太さんと仲直りだね」


「え、仲直りって……そんなの無理だよ、だって……」


「唯斗、ポジティブになるって言ったよね? 仲直り出来ないって決めつけるのって、めちゃくちゃネガティブな考えだと思うんだけど」


 綾香に言われ、俺は息を呑んだ。


 たしかに、言われてみてばその通りだ。どうやら俺は、自分が思っている以上に、ネガティブな思考が染み付いてしまっているらしい。


 会話を見守る颯太に視線を向ける。颯太は俺の言葉を待っているように見えた。


「颯太、えっと、その、ごめん。さっき話した通り、俺は颯太に嫉妬して、距離を置いた。でも、その行為は間違ってた。そして本当は、折角仲良くなった颯太と距離を置きたくなんてなかった。友達を失いたくなかった。だから……もし颯太がよければ、仲直りさせてほしい。前みたいに仲良くしたい」


「うん、いいよ」


「え?」


 あまりに呆気なく了承され、俺は目を丸くした。


「え? 本当にいいの? 俺、けっこう酷いことしたと思ってるんだけど」


「唯斗の気持ちはよく分かるからさ。俺も高校生の時、他の友達に嫉妬したりしてたから。それに、唯斗の気持ちを考えず、浮かれて彼女の話をして唯斗を不快にさせた俺にも責任がある。俺からも謝らせて欲しい。ごめん」


「いや、そんな、いいよ謝らなくて。じゃあ、これからは前みたいに、仲良くしてくれるってことでいいのかな?」


「勿論だ。改めて、これからよろしくな、唯斗」


 颯太は俺に右手を差し出した。俺も右手を差し出し、がっちりと握手をした。颯太は笑っていた。釣られて俺も笑った。


 颯太と、仲直りが出来た。その事実を噛み締め、胸がぽかぽかと温かくなった。ずっと体に乗っていた重りが、やっと取り外されたような感覚を覚えた。


「ほら、上手くいったじゃん。この世界は意外と上手くいくようにできてるんだよ。だから、ポジティブに考えるのが大事なんだよ。唯斗、分かった?」


「ああ、分かったよ。綾香、本当にありがとう。さすが神様だな」


「えへへ〜」


「……ちょっと待て、神様、って言ったか? どういうことだ?」


 手を離した颯太が訝しげに言った。はっ、と俺と綾香は同時に息を呑んだ。油断するあまり、颯太の前で不用意に神様という言葉を使ってしまった。


「唯斗、どうするの?」


 綾香は俺をじっと見つめた。唯斗に全て任せる、というメッセージを感じた。


 悩み、悩み、俺は颯太に全てを打ち明けることに決めた。

 

 颯太が信用出来る人間だということは知っている。口が固いことも知っている。綾香を元いた神様の世界に戻すという目的を考えた場合、事情を知っていて協力してくれる人が多いに越したことはないだろう。


「颯太、今から全て話す。ただ……」


「あの〜、すいません。環境整備委員会が清掃を行いますので、移動してもらえますか?」


 気付くと、近くに見知らぬ数名の学生が佇んでいた。


 有志の学生が環境整備委員会を結成し、定期的にキャンパス内を清掃していることは知っていた。しかし、まさかこんな校舎裏まで律儀に清掃していただなんて。


 数名の学生は、綾香を興味深そうに見つめている。綾香は両手で咄嗟に猫耳を隠しているが、いずれにせよこのままここに居座るのは得策とは思えなかった。


「綾香、颯太、場所を変えよう。今からする話は誰にも聞かれたくないから、うーん、そうだ、俺の家に来てよ。俺の家で全て話す。颯太、この後時間大丈夫?」


「大丈夫だ。この後対面の授業はないし、今日はバイトもないから」


「ありがとう、じゃあ移動しよう。綾香、帽子とサングラス、あとマスクね」


「うん」


 俺は数名の学生に猫耳が見られないように素早く綾香に帽子を被せ、さらにサングラスとマスクを着用させた。俺は校舎裏から移動し、綾香と颯太と一緒に自宅に向かった。

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