第4話 大学へ
「ねえ、綾香」
「何?」
「あの、何で俺と腕を組んでるの?」
自宅から駅に向かう道すがら、俺は綾香に質問をぶつけた。綾香は家を出て早々、右腕で俺の左腕をがっちりとホールドし、決して離そうとしなかった。
「私と腕組むの、嫌?」
「嫌じゃないけど、何で腕組んでるのかなって思って」
「腕を組みたいから」
「何で?」
「なんとなく」
まともな答えは得られそうにないと判断し、俺は追及をやめた。それに、謎に満ちている存在とはいえ、超絶かわいい綾香と腕を組めるというのは悪い気はしない。
駅に到着し、ICカードを改札機にタッチしようとしたところで、俺は足を止めた。
「どうしたの?」
「綾香、ICカードは持ってない?」
「何それ?」
「改札機を通り抜けるために必要なものだよ。電車に乗るためにはお金を払う必要があるから、そのお金を払うためにICカードが必要ってわけ」
「そんなもの持ってないよ」
「じゃあお金は? ICカードが無いなら切符を買わないと」
俺は綾香の腕を引いて券売機の前に移動した。
「電車に乗るためにお金を払うって、人間のためのルールでしょ? 私は神様なんだけど」
「綾香が神様だとしても、ここが人間の世界で、綾香の見た目が人間である以上、この世界のルールに従う必要があるんだよ」
綾香は首を傾げた。サングラス、そしてマスクをつけているため表情は読み取れないが、納得いってない様子だ。
「とにかく、切符を買わないと。お金は持ってない? 持ってないなら、俺が出してもいいけど」
出してもいい、と言ったものの、これから毎回それが続くのはしんどいな、と俺は思った。バイトで金を稼ぎ、さらに実家から仕送りをもらっているとはいえ、そこまで裕福というわけではない。
「お金、お金かあ。うーん、ちょっと待っててね」
綾香は両手を擦り合わせ、何やら呪文のようなものを唱え始めた。すると綾香の両手がほのかな光を帯び始め、やがてその光が結実していき、気がつくと綾香の両手には数十枚の一万円札が握られていた。
「えええ!? ちょ、何をしたの!?」
「お金が必要なんでしょ? だから出したんだけど」
こんなところを誰かに見られたらまずい。俺は綾香の腕を引っ張り、駅から少し離れた人気のない場所に移動した。
「こんなに大量のお金、どこから持ってきたの!?」
「持ってきたっていうか、出しただけだよ」
「どういうこと? 意味が分からないよ」
「私は神様だからさ、こういうこと出来ちゃうみたい。自分でもよく分からないんだけど」
俺は綾香の手に握られている数十枚の一万円札を凝視した。恐らく本物だ。しかし、このお金を利用しようとは微塵も思えなかった。出どころが一切不明のこのお金を利用してしまうと、何かよくないことが起きるような気がした。
「綾香、取り敢えず今日は俺が綾香の切符代を払うから、今すぐこのお金を元の場所に戻して」
「え〜、何で? このお金使えばいいじゃん」
「駄目だよ。どこから持ってきたのか分からない。仮に誰かの銀行口座から持ってきていた場合、窃盗になる。犯罪だよ」
「持ってきたんじゃなくて、出したって言ってるじゃん」
「とにかく、このお金は使えない。元の場所に戻して。早く」
語気を強めて言うと、綾香は渋々といった様子で了承してくれた。綾香が両手を数回振ると、数十枚の一万円札は瞬時に消え失せた。プロのマジシャンのマジックを見せられていたような不思議な気持ちになる。
「ほら、行くよ」
俺は駅に戻り、綾香用に切符を買い、改札を通り抜けた。改札に切符を入れ、出てきた切符を受け取るという単純な行為に綾香はとても興奮していた。それだけではない。周りの空間を構成する全てのものに興味を抱いているように見えた。
「そんなに楽しい?」
「楽しいよ! ずっと人間の世界を上から観察してたけど、こうやって実際に見るのは初めてだからさ! わ! 私これ知ってるよ! えーっと、エレブルザーみたいな!」
「エスカレーターね」
「そうそう!」
綾香と一緒にエスカレーターでホームに降りる。綾香はとても楽しそうだった。そんな綾香を見ていると、なんだかこっちまで楽しくなってくるような、不思議な気持ちになった。
「わ! わ! 来た! あれが電車だね! すごいね! あんなに大きいものが、人を乗せて動くなんて信じられないよ!」
綾香は興奮しっぱなしで、俺の左腕をぐいぐいと引っ張っている。
「綾香、落ち着いて。電車を見てそんなに興奮してる人、いないから。怪しまれちゃうよ。あと、電車の中では静かにね」
「分かったよ。いやあ、それにしてもすごいなぁ」
到着した電車に乗り込み、綾香と一緒に座席に腰を下ろす。車内にはそれなりに人がいた。
「ねえねえ唯斗、あの2人ってさ、カップルってやつかな?」
綾香は右斜め前方を指差し、俺に小声で耳打ちした。指差した方向には、肩を寄せ合って座る若い男女の姿があった。
「うん、カップルだね。綾香、指を差すのは失礼だからやめよう」
「分かった。カップルってことはさ、お互いに愛し合っているってことだよね? なんか、いいよね、そういうの」
「……うん、そうだね」
ずきんと胸が痛み、思わず声のトーンが下がる。それを敏感に感じ取った綾香が、「どうしたの?」と声をかけてきた。
「いや、羨ましいなって思って。俺は多分一生ああいう風にはなれないから」
「どういうこと? 何でそう思うの?」
「今まで失恋続きで、上手くいってないからだよ。俺に魅力がないから、女性に相手にされない。きっと俺はこの先も上手くいかない。結婚したい気持ちはあるけど、多分無理」
「今まで上手くいってないからって、何でこれからも上手くいかないって決めつけるの? なんか、唯斗暗いよ。そんなの駄目だよ。明るくいかないと」
サングラス越しに綾香はじっと俺を見つめる。
「……何回も失敗が続くと、どうせ次も上手くいかないんじゃないか、俺は駄目な奴なんだ、って思っちゃうんだよ。すごくかわいくて、さらに神様である綾香には、この悩みは分からないかもしれないけど」
綾香はぶんぶんと首を振り、「違うよ」と言った。
「未来は誰にも分からないんだよ。何が起きるか分からないなら、いいことが起きるって思って行動したほうがいいじゃん。私はそう思うよ。唯斗ならきっと、いい人に出会えるよ。私が保証する。神様のお墨付きだから、自信持って」
マスクで顔は隠れていたが、綾香がにこっと笑ったのがなんとなく分かった。
対照的だ、と思った。俺はネガティブ。対して綾香はポジティブ。綾香みたいにポジティブになれたら、俺の人生は好転していくのだろうか。
「そうだね、たしかに、何が起きるか分からないよね。綾香みたいな素敵な人に出会えるなんて、全く予想してなかったからね。励ましてくれてありがとう。俺は綾香に出会えて、とても嬉しいよ」
正直な気持ちを言葉にした。特別なことを言ったつもりはなかったが、何故か綾香は固まってしまった。
「綾香? どうしたの?」
「……べ、べ、別に、嬉しくなんてないから! 私に出会えて嬉しいって、言ってもらえたことが嬉しいとかじゃないから! 勘違いしないでよね!」
「え? 急に何?」
「何でもない何でもない!」
綾香は両手を胸の前でぶんぶんと振り、慌てふためいているように見える。不思議に思っていると、大学の最寄り駅に到着した。
「この駅で降りるからね」
「う、うん」
「さっきの切符もう一回使うから、用意しておいてね。まさか無くしてないよね?」
「無くしてるわけないじゃん! 馬鹿にしないでよ!」
電車から降り、改札を通り抜けて駅から出る。大学の最寄り駅ということで、俺と同じように通学している大学生が周りに沢山いる。尚も俺の腕をホールドする綾香に、「あのさ」と俺は声をかけた。
「そろそろ腕を組むのやめてほしいんだけど」
「何で?」
「何で、って恥ずかしいじゃん。今まではまだよかったけど、これからはキャンパス内に移動するんだから」
「私は別に恥ずかしくないよ。それに、腕を離したら、唯斗がどこかに行っちゃうかもしれないじゃん。逃げられたら困るから、こうやって腕を掴んで、逃げられないようにしてるってわけ」
「綾香を置いて逃げるわけないじゃん。そんなに俺のこと信用出来ない?」
「唯斗のことは信用してるけど、念には念を入れたいの」
「本当にずっと俺から離れないつもり?」
「勿論」
はああ、と俺は深いため息をついた。どうせここで言い合いをしたところで、最後は綾香の押しに負けるのが目に見えている。
「分かったよ、ただし目立たないようにね」
「うん」
横断歩道を渡り、正門を通り抜けてキャンパス内に足を踏み入れる。
「うわあ、ここが大学か。大きな建物が沢山あるね」
綾香は辺りを見渡し、感心したように言う。
「ここはけっこう歴史があって、有名な大学だからね」
「周りにいる人は、全員ここに勉強をしにきてるってこと?」
「まあ、大体はそうだね。中には、遊びに来てる人もいるだろうけど」
「ふーん」
視線を感じる、のは気のせいだろうか。マスク、サングラス、そして帽子によって、綾香のかわいさを隠し通すことには成功しているはずだ。それなのに、ちらちらと視線を感じる。圧倒的なかわいさが滲み出ているのだろうか。
5分ほど歩き、校舎の中に足を踏み入れ、講義が行われる教室に向かう。これから行われるのは「やさしい神話学入門」という講義だ。
所属している学部を問わず誰でも受けられる普遍教育に分類される講義で、教授が学生に緩く、授業中に寝てても怒られず、レポートの採点も甘くて落単は殆どないという噂が囁かれている授業である。その噂を聞きつけ、俺はこの講義を履修登録したといっても過言ではない。
「綾香、しつこいけど、とにかく目立たないように。講義は90分間行われるけど、その間ずっとじっとしてるんだよ」
「分かってるって」
やがて教室の前に辿り着いた。緊張する。誰かと一緒に教室に足を踏み入れるなんて久しぶりだ。
いや、大丈夫、落ち着け、と自分に言い聞かせる。講義を受ける学生は五十人を超えているだろうが、その中に俺に興味を持っている人なんていない。俺の隣に見知らぬ人間がいたとして、関心を抱く人なんていないだろう。俺はそういう大学生だ。そう思うと、ほんの少しだけ緊張が解れた。
「行くよ」
「うん」
綾香の腕を引いて、ドアを開けて教室の中に足を踏み入れた。いつもと同じように、誰にも見られず、誰にも話しかけられずに教室の隅っこに移動して、授業を受けて帰ればいい。そのはずだったのに。
何かを敏感に感じ取ったのか、教室にいた半分ほどの学生が俺、そして綾香に視線を向けた。背筋が凍った。




