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第16話 召喚の儀

「失礼します。自然学部自然学科1年の蒼守唯斗です。神村先生とお話しさせていただきたく、来ました」


「こんにちは。よく来てくれましたね。そちらのソファに座ってください」


 神村先生にメールを送ってから1週間が経過した。アポを取り、約束の日時に研究室に足を運んだ俺を、先生は優しく出迎えてくれた。指示通り、ソファに腰を下ろす。


「いやあ、最近はとても寒くて、大変ですよね。お茶でいいですか?」


「ああ、はい、お構いなく」


 先生は湯呑みに温かいお茶を注ぎ、俺の手元にそっと置いた。テーブルを挟んで先生もソファに腰を下ろす。


 講義を受けていたとはいえ、面と向かって話したことはない。緊張する。俺の緊張を見て取ったのか、「リラックスしてください」と言って先生は笑った。その言葉で少しだけ緊張が解れた。なんとなく、いい人そうだ。


「それでは、本題に入りましょう。メールでなんとなく事情は把握していますが、改めて、一から事情を話してもらえますか? 長くなって構わないので、話したいことは全て話してください」


 俺は息を整え、話し始めた。去年の11月に猫を拾ってから、綾香と離れ離れになるまでの出来事を話した。変に話を省略するのはよくないと思っていたから、クリスマスのデートのことも含め、話すと恥ずかしくなってしまうようなことも隠さず全部話した。


 先生は真剣に俺の話を聞き、時折メモをとっていた。ようやく俺が話し終えた時、話し始めてから実に1時間以上が経過していた。それほど綾香と過ごした日々は濃密だったんだな、と俺は思った。


「なるほど……」


 先生は腕を組み、視線を落とし、考え込んだ。俺は先生の言葉を待った。かちっ、かちっ、と時計が秒針を刻む音が聞こえる。


「よく分かりました。まずは、包み隠さず全て話してくれてありがとう。私は、蒼守くんの話を全て信じます」


「え……?」


 俺は思わず目を丸くした。


「え、え? 信じてくれるんですか? そんなにあっさり」


「はい」


「どうしてですか? いや、信じていただけるのはありがたいです。ただ、あまりにも突拍子のない話で信じていただけないことしれないと思っていたので……」


 颯太が俺の話を信じたのは、綾香が神様の力を目の前で見せつけたからだ。今回はそういうわけではない。何で先生が俺の話を信じてくれるのか、とても気になった。


「蒼守くんの話は、作り話にしては出来すぎています。わざわざアポを取ってまで研究室に来て、嘘の話をするというのも考えにくい。それに……多くの学生が私の講義に興味を示していない中、蒼守くんは毎回真剣に私の話を聞いてくれました。なので、私は蒼守くんを信用します。蒼守くんが愛導乃大御神、いえ、三毛山さんに再会出来るよう、協力しましょう」


 はああ、と俺は思わず安堵の息を漏らした。真面目に授業を受けていたことが、ここで繋がってくるなんて。全ては繋がっている、人生に無駄なことはない、とつくづく実感した。


「学生からすればあまり想像出来ないかもしれませんが、こちらからすれば真面目に講義を受けている学生と、そうでない学生は一目で分かります。おっと、そんな話はどうでもいいですね。本題に入りましょう。結論から申し上げると、私は蒼守さんに極めて重要な情報を提供することが出来ます」


「ほ、ほんとですか!?」


「はい」


 思わず拳を握りしめる。期待に胸が膨らんだ。


「召喚の儀、という言葉をご存知ですか?」


「いえ、初耳です」


「でしょうね。神話学の世界でもマイナーな言葉ですから。召喚の儀、というのは、文字通り神様を召喚する儀式のことを指します。全国的に有名な儀式、というわけではなく、正式に儀式が成功したという記録は僅かに3件。長い長い歴史の中で、召喚の儀が成功したのはたった3回ということです。神話学を専攻する人の中でも、召喚の儀自体を全く知らない人が大半です」


「なるほど」


「記録によると、過去に召喚の儀が行われた場所は、京都府、島根県、そしてこの千葉県です。千葉県の南部に、黒帝山(くろみかどやま)という霊峰があるのはご存知ですか?」


「名前はなんとなく聞いたことがあります。たしか、立ち入り禁止の場所でしたよね?」


「そうです。日本屈指のパワースポット、心霊スポットであることに加えて、あまりにも不思議な現象が多発し、異形の存在が何度も確認されたことから、安全保護の観点から20年前に政府が一般人の立ち入りを禁じました。許可なく黒帝山に侵入すれば逮捕されます。それほど黒帝山は危険というわけです。ここからが重要なのですが、その、千葉県で召喚の儀が行われた際、召喚された神様の名前は、信光輪乃大御神だった、と記録されています」


 しんこうりんのおおみかみ。俺は大きく息を呑んだ。


「あ! 綾香のお母さんの神様!」


「そういうことです。ちょっと待っていてください。ここからは資料を使って説明します」


 先生は本棚から、古びた分厚い書物を取り出した。


「この本は、各地の神話の体系や、細かな伝承、伝説をまとめた本です。黒帝山の辺りは昔から聖域として認識されていたそうで、それにまつわる伝承が幾つか語り継がれています。その内の一つに、『黒帝山で召喚の儀が行われ、神が降臨した場合、将来同じ場所に、その神の娘である神が降臨するであろう』という伝承があります。……私の言いたいことが分かりますね?」


 全身に鳥肌が立つのを感じながら、俺は頷きを返し、口を開いた。


「つまり、その黒帝山に行き、召喚の儀を実行すれば、綾香を召喚し、再会出来るかもしれない。そういうことですよね?」


「はい」


 喜びを隠せない俺に、「待ってください」と先生は言葉を被せた。


「先程私は、召喚の儀が成功したのは僅かに3回、と言いました。おかしいと思いませんか? 神様を召喚出来るかもしれない儀式なんですよ? 古の時代から、多くの人が興味を持ち、こぞって儀式をしたはずです。なのに、成功したのはたった3回。何故か? 実は、召喚の儀は極めて危険な儀式なんです。最悪、儀式を行った人が死ぬ、と言われており、信憑性は低いですが儀式に挑んで死んだ人の名前が記録された名簿も発見されています。つまり、危険な儀式であるが故にそもそもやる人が少なく、加えて成功確率が低いため、成功したのは僅かに3回、ということなんです」


 言葉を失う俺を見て、先生は沈痛な面持ちを浮かべた。


「この事実を伝えないのは間違ってると思い、伝えさせていただきました。どうしますか? この事実を聞いても尚、召喚の儀を実行したいと思いますか?」


 先生はじっと俺を見つめて言った。


 死。俺は、綾香に再会するために、死ぬことになるかもしれない。


 恐怖を感じる。怖い。死にたくない。まだ二十歳にもなってないのに、死にたくない。


 でも。


「私は、この世界にずっといたい。唯斗とずっと一緒にいたい」 


 クリスマスデートの時、綾香は俺にそう言ってくれた。俺も、綾香とずっと一緒にいたいと心から思った。そんな綾香は今、この世界にいない。もう2度と会えないと思っていた綾香と、再会出来るかもしれないチャンスが巡ってきた。


 やってやる。綾香に再会するためなら、何だってやってやる。ここで逃げたら、きっと一生後悔する。綾香に会いたかった、あそこで頑張っていれば、と後悔する未来が目に見えている。


 俺は綾香のことが好きだ。大好きだ。そんな綾香と再会して、気持ちを伝えるためなら、命だって捧げてやる。それほどまでに俺は、綾香のことが好きなんだ。


 覚悟は決まった。俺は深く息を吸い、吐き、そして口を開いた。


「思います。俺は、命を危険に晒してでも、綾香にもう一度会いたい。そして、気持ちを伝えたいんです。今ここで頑張らないと、絶対後悔するので、頑張ります。怖いけど、頑張ります」


 分かりました、と先生は言った。


「蒼守くんの覚悟、しかと受け止めました。学生が命を危険に晒しに行くのを手助けするのは、大学教授として間違っているでしょう。しかし、私は大学教授である以前に、神話学を愛する者です。蒼守くんを全力でサポートすることを約束します」


「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 俺と先生はがっちり握手を交わした。


「そうと決まれば、早速準備を始める必要があります。黒帝山に足を踏み入れるためには、許可を取る必要があります。一大学生である蒼守くんは本来絶対に黒帝山には入れません。そこで私の出番です。私は、自分で言うのも何ですが、神話学の世界ではそれなりに権威ある人物とされています。私の権威、そして人脈をフル活用し、蒼守くんが黒帝山に立ち入れるようにすると約束します」


「本当にありがとうございます」


「少し時間をください。なるべく早く許可をとれるようにするので。許可がとれ次第すぐにメールで連絡します。いつでも動けるように、準備をしていてください」


「分かりました」


 先生からメールが届いたのは、それから1週間後のことだった。この日のこの時間に、この駅に来てほしい、そこで迎えの人間が俺を黒帝山まで連れて行く手筈を整えた、という内容だった。


 遂に舞台は整った。先生は俺が黒帝山に立ち入れるように尽力してくれた。頑張ってくれた。感謝してもしきれない。次は俺が頑張る番だ。命をかけて、綾香を召喚するんだ。そして、綾香に気持ちを伝える。彼女になってほしい、ずっと一緒にいてほしい、この世界で一緒に生きたい、とお願いする。


 絶対に、やってやる。決意を漲らせ、俺は黒帝山に乗り込む準備を進めた。

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