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第15話 颯太の叫び

 意識が覚醒していく。頭が重い。


 スマホを起動して時刻を確認した。午前10時すぎ。


 体が重い。何もする気力が湧かない。


「……おはよう」


 声を出してみる。前までは、挨拶を返してくれる人がいたのに、今はいない。


 スマホを操作し、写真のデータに目を通す。去年のクリスマス、綾香とデートをした時に撮影した写真を見て、涙が込み上げた。


「綾香……」


 もう二度と会えない人の名前を呟き、俺は泣いた。今の俺には、泣くことしか出来なかった。耐え難い胸の痛みを感じながら、俺は泣き続けた。


 綾香が天上の世界に連れ去られてから、1週間が経過した。


 人は、失って初めて、その大切さに気付く。そんな言葉を昔聞いたことがあった。


 綾香を失って、本当にその通りだと思った。俺は、知らず知らずの内に綾香にどうしようもないくらい依存していた。綾香なしでは生きられない体になっていた。


 朝、寝ぼけ眼をこすりながら、おはよう、と言う綾香。


 朝食を食べる俺を興味津々で見守る綾香。


 出かける時、いつも俺と腕を組んでいた綾香。


 たまにツンデレのテンプレとも言える話し方をした綾香。


 些細なことでころころと笑っていた綾香。


 時に寂しさのあまり泣いていた綾香。


 夜、一緒のベッドで眠り、時にお互いが眠くなるまでたわいもない話をした綾香……。


 綾香と過ごした、一瞬一瞬の記憶が何度も何度も脳内に蘇り、その度に突き刺すような胸の痛みを感じる。


 会いたい、と切に思う。


 もう一度会いたい。抱きしめたい。そして、この想いを伝えたい。


 貴方のことが大好きだと、付き合ってほしいと、ずっと一緒にいてほしいと、伝えたい。


 あれだけ一緒にいたのに、告白するチャンスはいくらでもあったのに、どうして気持ちを伝えなかったんだろう。綾香は天上の世界に連れ去られ、気持ちを伝えることは二度と出来なくなってしまった。


 後悔、自己嫌悪。綾香と一緒に生きられないなら、死んだ方がマシだと本気で思った。自殺を考えたが、そんな勇気は俺にはなかった。死ぬことが出来ず、かといって生きる希望も一切なく、まるで生きる屍のように、日々を過ごしている。


 妄想の世界に浸ろう、と俺は思った。綾香のいない、辛い現実から目を背け、妄想の世界に入り込むんだ。


 そう、1週間前にあんな事件なんて起きず、ずっと綾香と一緒にいられた世界。ある時デートをし、夜景の綺麗な場所で綾香に告白し、綾香は驚きながらも喜んで告白を受け入れてくれる。カップルになり、ますます仲良くなり、やがて結婚して、いつまでも幸せに過ごす……。


 妄想を深めるたびに、氷のように冷たい理性が叫ぶ。綾香はこの世界にはいない。お前は綾香を守れなかったんだ、と。


 辛い。死にたい。綾香のいない世界で生きる意味なんてない。


 また今日も、絶望と自己嫌悪に塗れながら、ただ時間だけが経過していく1日を過ごすのだろう。もうなんでもいい。再び妄想の世界に、綾香と一緒にいられる世界に浸ろう、と思ったその時、どんどんどん、と家のドアを乱暴に叩く音が聞こえた。


 誰だろう。誰でもいい。どうでもいい。動きたくない。無視していると、スマホが振動した。誰かから電話がかかってきているようだ。颯太からだった。


「……もしもし」


「今お前の家のドアの前にいる! さっさと鍵を開けろ!」


「嫌だよ……今は、誰とも話したくないし、何もしたくないんだ。帰って」


「ふざけんな! 俺は今お前と話がしたいんだよ! 早く鍵を開けろ! 鍵を開けるまで、俺はいつまでもここに居座るからな!」


 どんどんどん、と再びドアを叩く音が聞こえる。うるさい。近所迷惑になりかねない。しょうがない、と思って俺はベッドから起き上がり、ゆっくりとドアに歩み寄って施錠を解除した。


「……颯太、そんなに乱暴にドア叩かないでよ」


「悪い、少しやりすぎた。おい、唯斗、ちゃんと飯食って寝てるのか? 顔色がものすごく悪いし、目の隈だって酷いぞ」


 俺の家に入ってきた颯太は、俺の顔を見て心配そうに言った。


「ちょっとね……食欲が湧かなくて、眠れてないんだ。なんか、鬱っぽくて。バイトも休んでる。何もする気が起きないんだ。もう、どうでもいいんだよ。生きる気力も、生きる意味も、今の俺にはないからさ」


「……ふざけんなよ」


「え?」


「ふざけてたこと言ってんじゃねえよ馬鹿野郎!」


 颯太は叫び、思い切り俺の頬めがけてパンチを繰り出した。避けられずもろにパンチを喰らい、俺はベッドに倒れ込んだ。


「何もする気が起きない? もうどうでもいい? 生きる気力も生きる意味もない? いい加減にしろ! お前にとって、三毛山さんはその程度の存在だったってことかよ!」


「颯太……」


「何で諦めてるんだよ! この世界には、理屈じゃ説明出来ないことがある! 前に三毛山さんが、超能力で唯斗の体を浮かせた時に確信した! 理屈どうこうの話じゃないことが、この世界では起きる! なら、三毛山さんにもう一度会う方法がどこかにある! きっと、いや絶対にある!」


「そんな……無理だよ……天上の世界に連れ去られた綾香に、もう一度会うなんて……」


 颯太は俺の胸ぐらを掴み、捻り上げた。


「前に三毛山さんは唯斗に言ってたよな。ポジティブに生きようって。この世界は意外と上手くいくようにできてる、だからポジティブに考えろ、って。三毛山さんの言葉を思い出せ! 何で今、ポジティブに考えねえんだよ! もう一度三毛山さんに必ず会える、って思って、立ち上がれ!」


「……でも、俺なんかに、そんなこと……」


「出来る! 唯斗なら出来る! 三毛山さんに出会って、お前は変わった! 自己肯定感が低くてネガティブな性格から、自分に自信を持つポジティブな性格に少しずつ変わっていった! きっとそんなお前に三毛山さんは惹かれて、一緒にいたいと思ったんだよ! ここで前みたいにネガティブに逆戻りしてどうするんだよ! しんどい時こそ前を向け! 希望を抱け! 命がある限り絶対諦めるな!」


「…………でも」


「でもじゃない! やるしかないんだから、やるんだよ! 三毛山さんのことが好きなんだろ! ずっと一緒にいたいと思ってるんだろ! なら、なんとかもう一度三毛山さんに会って、気持ちを伝えろ! きっと三毛山さんもそれを待ってる! 唯斗から告白されるのを待ってる! これは唯斗にしか出来ないことなんだ! 三毛山さんを助けられるのは、この世界で唯斗しかいないんだよ!!!!!」


 俺は目を見開き、大きく息を呑んだ。まるで、巨大な金槌で脳天を思い切りぶっ叩かれたような、強い衝撃を感じた。


 このままじゃ、駄目だ。


 もう一生綾香には会えないと、勝手に決めつけていた。でも、本当に会えないかどうかなんて誰にも分からない。やる前から、出来ないと決めつけるなんて、死ぬほどかっこ悪い。そんな消極的な姿勢を綾香は望んでない。


 やらなきゃ。綾香にもう一度会って、想いを伝えるために。出来るか出来ないかじゃない、やるかやらないかだ。絶対、綾香に告白する。絶対にやってやる。負け犬のまま、死んでたまるか。


「……颯太、ありがとう。おかげで目が覚めたよ。綾香にもう一度会うために、死ぬ気で頑張るよ」


「唯斗……やっとやる気になってくれたんだな」


 颯太は俺の胸ぐらを掴んでいた手を離した。


「唯斗から送られてきたメッセージを見て、このままだと唯斗が前に進めない、それどころか最悪自殺しちゃうんじゃないかって思って、今日ここに来た。ドアを叩いたり、殴ったり、乱暴なことをしてしまった自覚はある。ごめん」


「ううん、いいんだよ。そうでもしてくれなかったら、俺はきっと目を覚ませなかったと思うから」


 先程まで生気を失っていた体に、急速に力が漲っていくのを感じる。


 もう俺は、妄想の世界に浸って、悲しみの涙に暮れることはしない。前を向いて、綾香と再会するためにただひたすら努力するだけだ。


「颯太。綾香に再会するために頑張るから、協力してほしい」


「勿論だ」


「ありがとう。それで、具体的にこれからどうすればいいと思う? 天上の世界に連れ去られた神様と、再開する方法なんて調べても絶対出てこないと思うし」


「それに関しては俺に一つ考えがある。唯斗、神村先生に相談するのはどうだ?」


「神村先生……ああ、神話学入門の」


「そうだ。あの人は神話学が専門だろ? なら、神様の情報についても詳しいんじゃないか? 講義でもけっこう面白い話してた気がするし、もしかしたら三毛山さんに再会するためのヒントを得られるかもしれない」


 言われてみれば、神話学が専門の神村先生に、神様である綾香について相談するのは、至極真っ当な行動と言える。


 思えば、前から綾香が神様の世界に戻るための情報を調べては上手くいかずを繰り返していたが、ネットの情報など当てにせず真っ先に先生に相談すればよかったのだ。何故それが今の今まで思いつかなかったのだろう、と俺は不思議に思った。


「言われてみれば、そうだね。何でもっと早く先生に相談しなかったんだろう」


「本当だよな。俺もつい最近、先生に相談すればいいじゃん、って思いついたからさ。灯台もと暗しってやつか? まあとにかく、今は一刻も早く先生に相談するのがベストだと思う」


「分かった。じゃあ今から大学に行こう。颯太もついてきてくれる?」


「おいおい、待てよ」


 ベッドから立ち上がりかけた俺を颯太は手で制した。


「いきなり先生のところに押しかけるつもりか? それは駄目だろ。向こうは社会人で色々予定があるだろうから、急に押しかけるのはよくない。非常識な学生だと思われて、話を聞いてもらう前に嫌われたりしたら最悪だ」


「あ……たしかに」


「焦る気持ちは分かるが、落ち着け。こういう時こそ冷静に行こう。まずはしっかりアポを取らないとな。日時を調整して直接会って話がしたい、ってメールでお願いしようぜ。大学のサイトから先生のメールアドレスは分かると思うからな」


「分かった、早速やってみるよ」


 俺はパソコンを起動した。先生のメールアドレスは調べたらすぐに出てきた。


「えーっとまずは件名だよね。そうだなぁ、大事なお願い、とか?」


「弱い。もっと攻める必要がある。沢山メールをもらってる人は、件名だけ見てメールに読む優先順位をつけるんだよ。後回しでいいや、って思われたら嫌だろ? 一刻も早く先生と話がしたいだろ? なら、件名から攻めるべきだ。やりすぎと思うくらい攻めていいと思う」


「分かった。じゃあ、


『【極めて重要】愛導乃大御神という神様に会うための情報をいただきたい件 自然学部自然学科1年 蒼守唯斗』


 これでどうかな?」


「いいと思う。突拍子もないけど、目を引く件名ではあるからな。これでも後回しにされたらその時はその時だ。次は本文だな。これは、あまり長すぎない方がいいと思う。書きたいことは沢山あると思うが、長ったらしく書いたせいで、読む気が失せられたら最悪だ。短く簡潔に要件を説明して、信じて欲しいこと、どうしてももう一度三毛山さんに会いたいことをアピールすればいい」


「よし、やってみるよ」


 その後、颯太と相談しながらメールの文章を考え、そしてメールを送信した。


「よし、後は返事待ちだな。何か進展があったらすぐに連絡してくれ」


「分かった」


「じゃあ俺は帰るよ」


「颯太、本当にありがとう」


 俺は颯太に深々と頭を下げた。


「颯太のおかげで目が覚めた。前を向くことが出来た。颯太が俺を殴って、叫んでくれてなかったら、目を覚ませなかったと思う。本当にありがとう」


「いいってことよ。俺だってもう一度三毛山さんに会いたいからな。あんなにかわいい女子ともう二度と会えないなんて寂しすぎる。じゃあな。ちゃんと飯食って寝ろよ」


 颯太は去っていった。綾香に再会して気持ちを伝える、という目標ができ、力が漲った俺の体は、急速に空腹を訴えた。思えば最近食欲が湧いてなくてまともに食事をとってなかった。


 カップラーメンやご飯、残り物の惣菜など、あるものを手当たり次第に胃袋に収め、満腹になって眠くなったので眠り、起きると夕方になっていた。パソコンをチェックすると、先生から返信が届いていた。慌ててメールを開く。


 届いたメールには、『事情は分かりました。対応可能な日時を複数提示するので、都合のいい日時を選んでください。私の研究室でじっくり話しましょう』と書いてあった。俺は思わずガッツポーズをした。

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