摩天楼
この物語はフィクションです。実際の団体、個人などとは一切関係がありません。
私は、とあるビルの最上階にいた。
そこには、私以外に数人の男女が佇んでいる。皆、顔見知りというわけではないが、不思議な結束感があった。
「あなた、私たちはどうなるのかしら」
そのうちの一人の白人女性が、紺色の上下のスーツを着た白人男性に話しかけた。
その白人男性は問い掛けに対して、オフィステーブルに備え付けられている椅子に腰かけ、口の前に手を組んだまま何も話そうとはしない。
白人男性の暗い表情に合わせたかのように、私たちがいるフロアも照明が点いておらず、昼間ではあったが薄暗かった。
この世界は人の特徴や性格に合わせて自然と、魔法のように衣装が変わる。
例えばパン職人がいたとしよう。
パン職人は、職場の工房に行く時、その人に合わせた好きな格好で家を出ることになる。
しかし工房に着くと、たちどころにその普段着はパン職人らしい、白い上下の作業着とエプロンに変わる。
そういう世界であるから、自然と服装にはその人が裕福か、裕福では無いかの違いが出てくる。
そういう尺度で見るならば、紺色の(おそらくは)シルクのスーツを着た白人男性と、彼に話しかけてた黄色いフォーマルチックなビジネス用のトップとスカートを履いた白人女性は、間違いなく富裕層であるし、白いポロシャツとカーキ色のパンツを履いたアジア人の私は中流程度である。
そのフロアにいる人のうちの一人が、外の状況を知りたかったのか、設えられた大きな液晶テレビの電源を点けた。
すると、その画面に大きく、白人男性の顔が映し出された。間違いなく、紺色のスーツを着た、彼の顔である。
ニュース番組であろう。画面上にはそれらしく文字が羅列されていたが、他国から来た私は英語が読めず、正確に読み解くことはできなかった。しかし、テレビから流れてくる音声と周りの反応を見るに
──この白人男性にとって良い情報ではない
ということだけはわかった。
とたんに、背中に寒気が走った。
私自身、こんな薄暗い場所に押し込められている彼に同情しないでもない。ましてや、ここはビルの最上階。言ってみれば、街の中の孤島である。マスメディアにも取り上げられている現状では、逃げる場所はどこにもない。
私から見て、彼は少なくとも犯罪者ではなかった。ならば何故、ここまで糾弾されているのか?
私は一種の使命感に駆り立てられて、下層階へと急いで降りて行った。
そのビルの一階、エントランスにまでたどり着くと、私は動顚した。
人々がフェスティバルに来たかのように、騒ぎ立てているのである。今まで彼らが着たことも無いような艶やかな衣装に身を包み、大声で快哉を叫んでいる。辺りにはジンやバーボン、ワインやシャンパンなど種々の酒瓶が山のように積まれ、テーブルやソファなどの家具を勝手に持ち込んで、紙吹雪を舞わせていた。
人々は歓喜故にこういったことをしているのだろう。しかし、私から見たそれはむしろ、狂気に見えた。
私はもみくちゃになっている狂乱の人々の波を搔き分けて、ビルの外に出た。
すると、向かい側に立ったビルの大きな入り口で、見慣れたスポーツ団体のユニフォームを着た集団が、盛大にシャンパンファイトをしているのが見えた。
──そういえば
私は思い出した。
このスポーツ団体は、あの紺色のスーツを着た白人男性を排斥すべきだと、組織として言っていたではないか。そのことは私の住んでいる地域でもニュースとなったことがあった。だからこそ、その主張の勝利を祝っているのだ。
しかし、私はこのビルの屋上で、彼らがどんな風に過ごしているのかを伝えなければならない。そういった使命があるのだ、と思って、ここに来たのである。
かの集団の中に、見慣れた顔があった。
彼は、私と同じ国の出身のはずである。もしかしたら、この狂乱の中にあっても、冷静に私の話を聴いてくれるかもしれない。
私は彼に向かって大きく手招きをした。
彼は此方に気づいたらしい。すぐに、こちらに近寄ってきた。
「○○!○○!どうか私の話を聞いてくれ!」
彼は間違いなく、その言葉に反応した。此方に顔を向けたのを見計らって、私はビルの中の状況を、そして彼の白人男性の状況を話した。
「彼は孤独の中にある!このビルから出られなくなっている、どうか助けてくれないか!」
その言葉を聞いた途端、彼は顔を歪め、私に向かって唾を吐き出しそうな表情をしてからシャンパンファイトの中に還っていった。
──嗚呼
私は嘆いた。たとえ地縁が有っても、この狂乱の渦を断ち切る端緒は掴めなかった。
それでも、まだ諦めてはいけない。
そう思ってビルの裏手に回ると、防護服を着た集団がビルの壁面に大きな機械を設置しているのが見えた。
私には最初、それがボイラー設備のように見えた。しかし、ここまで大きなボイラーを屋外に設置するはずなど無い。
よくよく見ると上部には赤と緑のランプがあり、そして配線のような物とタイマーのような物まで見えた。
私は周りの状況も鑑みて
──まさか
と思った。
これは時限爆弾ではないのか。
このビルの周りでの狂乱が収まって人々が立ち去った後に、ビルの麓でこれを爆発させ、そしてこのビルごと、彼の白人男性を葬ろうというのではないのか。
──ダメだ!そんなことは許されないはずだ!
このビルの最上階には彼の白人男性の他にも、何人もの人がいるのだ。
彼の家族もいる。彼と関わりの無い人もいる。
いくら恨んでいたとしても、こんな暴力的な行為によって、その人たちごと抹殺してしまおうなどという行為が許されるものか。
ダメだ、ダメだ!こんな愚かな行為は絶対に止めなければならない!
そう決心した私は、ビルのエントランスに戻った。
そこでは未だ、人々が酒を呑み交わして彼の白人男性に勝利したことへの祝砲を鳴らしている。
しかし、彼らは多分、その裏で恐ろしい計画が進んでいることを知ってはいまい。
彼はこの人々に恨みを抱かれるようなことをしたのかもしれない。当然の報いだと考える者も多いかもしれない。
しかし、この社会が理性的な解釈と道徳と社会構造を以って存在している限り、彼は一時の感情の昂揚と人々の狂乱の中で排除される存在であってはならない。
私は英語というものが喋れない。しかし私の拙い英語で、声を張り上げて彼らが居ることを伝えなければならない。
「Any people staying upstairs !」
大声でそう言った。下手な英語だったが、気を引くことはできたのかもしれない。
しかし大多数に対しては周りの歓喜の声によって届くことはなく、声が聞こえたであろう目の前のグレーのスーツを着た黒人男性も
──なんだ、この変人は
という侮蔑の目で私を見た。
しかし、それでも私は構わなかった。最上階にいる彼らを助けなければならなかった。
──「people」では届かない
そう思った私は言葉を変え、そしてさらに声を張り上げた。
「Human is staying upstairs. A few !!」
私自身、この言葉がどんな意味になるのかはわからない。だが、突発的に、感覚的に出た擬製英語だった。
私は何度となく連呼した。それでも、周りは聞く耳を持たない。
そうこうしているうちに、私の着ていた服が白のポロシャツとカーキ色のパンツから、いつの間にか勲章が幾つも付いた軍服に変わっていた。
もしかしたら、私の言葉に気が付いた何人かが、私のことを独裁者の手先の将軍に見立てたのかもしれない。
そんなものは構わない。
私は彼らを救うため、声を上げ続ける。
絶対に彼らを救おうと、そう心に決めたのだから。
「Human is staying upstairs. A few !!」
この物語は、私が見た夢に若干の脚色を加えて書いたものです。
皆様も、こんな感じの夢を見たことはあるでしょうか?