2 計画
その女は森本夕慈と名乗った。光来と同じクラスだという。曰く、入学式のさなか、スペシャルゲストたる天使長の演説が始まった途端に席を立った光来に目をつけ、後を追ってきたらしい。
「天使長に一瞥くれるあの目……はは、体調不良なワケないだろ、あれは」
「……フン。天使長殿の気色悪い喋り方で気分が悪くなっただけだぜ」
夕慈はからりと笑った。発言内容はなんだか嫌味っぽかったが、あっさりと話すので不思議と嫌ではなくむしろどこか爽やかな印象さえ抱いてしまい、なんとなくこそばゆい気持ちになった光来は顔を背けた。
しかし夕慈は構うことなく続けた。それも光来にとって人生を変えるような計画を、ただ“遂行するべきもの”として、淡々と。
「私は、ある目的のために『天使守護隊本部』へ侵入したいと思ってる」
「!?」
光来は思わず背けた顔を振り、夕慈に向き直った。
一般の人間に守護隊本部へ入る正式な手段は無いーーつまり、法を犯して侵入することは確定している。
光来は思った。天使国は得体の知れない国だ。そんなことが明るみになったら天使達は何をしてくるかわからない。もしかしたら、命だって危ういかもしれない……。
光来は夕慈の表情を正面から見つめた。そしてその表情に、光来の背筋を何か冷たいものがぞくりと駆けた。
全てわかっている。
光来は直感させられた。
全てわかった上で、“何のことはない”ーーまるでそういった表情だった。
……いや、それすら考えていないかもしれない、全く意に介していないのだ、夕慈にとっては“考える”必要がないほど心の臓に根差した計画……光来にそう思わせるほど夕慈の眼差しには変わりがなく、実にフラットで、例えば散歩の予定を話すときのような口ぶりだったのだ。
「……どうして」
わからないことは山のようにあったが、光来はかろうじてひと言疑問をこぼした。夕慈はやはり軽やかに微笑んで言った。
「聞いてくれるか、ありがとう。じゃあ順番にいこう。まず“動機”……これはある人間を助けるためだ」
「……!」
光来の眉がぴくりと動いた。脳裏に過ぎる兄の笑顔……光来は無意識に夕慈と自分を重ねた。
まさか、コイツも? 光来はそう考えたが、夕慈は構うことなく続ける。
「次に“方法”、これは長くなるから……お前が協力してくれるなら教える」
「……」
「最後にお前を選んだ“理由”、まあ色々あるが、お前が天使に対して特別前向きな気持ちを持っていないだろうと思ったからだ。むしろ恨みでもありそうだけど」
なんて身も蓋もない勧誘だ。光来は怪訝な表情になっていることを自覚していたが、取り繕う素振りすら見せずに思案した。
入学式でのたった一瞥だけで俺の天使に対する感情を見抜いて屋上までついてきたのだとしたら、コイツにはまあ多少人を見る目があるのかもしれない。が、それだけだ、それ以外が終わっている、どう考えても無謀かつ危険極まりない計画のくせに、その“方法”は自分に協力すれば教える、だと?
「……ふッ、誰が乗るかよそんな話」
「フゥン……」
そう吐き捨てた光来に対して夕慈は、口元に手をやって少し考える仕草をしてみせるとすぐに口を開いた。
「お前にも『天使国』に助けたい人がいる……違うか?」
「ッ! なんで……!」
「おっ、図星か? さっき“動機”の話をしたとき表情が変わったからな。はは、お前ってわかりやすい奴だな」
「はぁ!?」
「あはは、そんなキレんなよ。どのみち死のうとしてたんだろ? 付き合ってくれよ、私の無謀な計画にさ」
「ハア!? お、俺はただ死のうとしてたんじゃなくてッ……ああっもう!!」
光来はむしゃくしゃして太ももを殴った。
『どのみち死のうとしてたんだろ』!?
こいつ、デリカシーが無さすぎるだろ!! クソ、女でさえなけりゃ殴ってるとこだったぜ!!
そんな様子の光来を前にしても夕慈は微塵も動じず、やはりからりと笑って言った。
「なあ、まだ死んでくれちゃ困るよ。手を貸してくれ、南光来。お前とならやれると思うんだ」
「ーーっ!」
光来は思わず押し黙った。デリカシー皆無な台詞を言い放ったかと思えば、今度は真っ直ぐに自分を求めてくる。どちらもおよそ初対面の人間に対する距離感ではないはずなのに、光来は心が揺さぶられるのを感じていた。
「はあ……」
光来は深くため息をついて空を見上げた。陽射しは燦々と降り注ぎ、眩しくてうざったい。
す、と頭を戻すと夕慈と目が合った。夕慈はすぐに、ニッと綺麗な歯を見せて笑った。
「よし! じゃあ放課後、天崎駅前ビルの2階にある『ニードル』という喫茶店に来い。周りの人間にバレないように私と時間をずらすこと、いいな」