序章 残酷なる世界の最後の希望
遥か世界の果て、荒廃が広がっていた。
蒼涼たる砂漠の中、ボロボロのマントを纏った一人の男が遠くから歩いてくる。翡翠のように流れる瞳、童話に登場するような金髪が、舞い上がる砂塵の中に浮かぶ。彼の手には金銀の輝きを放つ剣があり、それを砂地に深く突き立て、重い足取りで前へと進む。
彼の目的地は、世界の果てにある星術陣。
その時、耳に声が届いた。最初は雑音だったが、次第に鮮明になる。
「……幻、本当にそれをするつもりか?」
男は答えた。
「心は決まった。止めるな。」
歩みを止めずに進む。
「だが、お前は何を失うか分かっているのか!?」
「誰よりも分かっている。だからこそ、そうする必要があるのだ。」
吹き荒れる強風がマントを翻し、銀白の鎧と、鱗と鋭い爪に覆われた左手を露わにした。
「なぜそこまで固執する?そんな必要はないだろう。戦争は終わった。失われた命は戻らない、それが結末だ!」
「いや、まだ終わってはいない。」
星術陣に立ち、呪文を唱えながら、手のひらに力を集める。それは徐々に小さなブラックホールへと凝縮されていく。
「誰にも同じ過ちを繰り返させはしない。だから、俺が戦争を止める。」
その力を地面に押し当てた。
「残酷な世界よ、俺が最後の希望となる。これこそが『奇跡』と呼ばれるものだ。」
瞬間、強烈な白い光が男を飲み込んだ。
彼の肉体は完全に消滅した。
「……はあ……それがお前の決意か……」
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**2**
**クロックタワー(時計塔)。**
臨沂市①に位置する超科学試験区画。市の四分の一を占めるこの地は、魔法体系発展の頂点であると同時に、全国屈指の先端技術都市でもあった。
(①:本文中は架空の都市)
そんな街の中で、十六歳のごく普通の高校生・上条伏嗣は、魔法学院へと続くスマートストリートを、心身ともに疲れきった様子でゆっくりと歩いていた。
「はあ……本当にここには戻りたくないよ……」
上条伏嗣は不承不承に嘆いた。今日は魔力値と魔法能力の測定を受ける日だ。
「同感ね。ここに来るたびに、私のゲーム時間を大幅に奪われるんだから。」
彼のそばで、一人の少女が肩を並べて悠々と歩いている。
腰まで届く長い髪は、空から摘み取ったような淡い青色で彩られていた。その髪色に調和する空色の瞳は、湖面のように静かだった。
彼女は上条伏嗣の実の妹、上条香鈴。彼女も兄と同じ目的でここに来ていた。
この場所には辛い思い出が多すぎたが、上条がこれほどまでに拒否感を示す主な理由は、どうしても受け入れがたい一つの事実だった。
「計算能力:90」
「客観的歪曲度:0」
「人格完全度:100%」
「総合評価 魔力値:0」
測定器が機械的な声で、無感情に結果を告げる。
そう、上条伏嗣は紛れもない「ゼロ」レベル魔術師。簡単に言えば、完全なる普通人だった。
「この機械、絶対に故障してるって!どれだけ修理してないか見てみろよ!」
「ちっ!」
魔法の家系に生まれながら魔力が皆無。家族全員が本物の魔法使いなのに、自分だけが生まれつき何の才能も持たない。
「ううっ……どう考えても悲劇だよ!」
何度も測定を繰り返しても、魔力値の大小を決めるのは「客観的歪曲度」というデータだけだった。
不運にも、上条はこの項目だけが「ゼロ」で、他は正常値。しかし他のデータは魔法能力の強さを評価するためのもので、基礎魔力すらない上条には全く意味がなかった。
「実は養子なんじゃないか……この家で俺だけがよそ者なんじゃないか!」
上条は悔しそうに愚痴をこぼした。魔法の基礎理論と実践を必死に学び、大量の薬物を投与すらしたが、無駄だった。ないものはやっぱりなかった。
隣で測定を受けていた妹の香鈴が慰めた。
「ないんだったら、普通の人だけが味わえる楽しみを満喫したら?少なくとも私みたいじゃないから…」
そう言いながら、香鈴の声は次第に小さくなり、何か考え込んでいるようだった。
上条が香鈴の前のスクリーンを見る。
「計算能力:85」
「客観的歪曲度:70」
「人格完全度:95%」
「総合評価 魔力値:395」
中級魔術師。
「香鈴、お前が姉になってくれないか?」
上条は諦め顔で香鈴に笑いかけた。
「うん、考えておくわね……あ、私は次の検査に行かなくちゃ。伏嗣くんはそのまま帰ってて。またね。」
香鈴は上条に手を振り、方向を変えて、遠くの閉ざされた金属の部屋へと歩き去った。
上条は彼女の後ろ姿を見送った。香鈴が完全に視界から消えても、上条はしばらくその閉鎖室をぼんやりと見つめていた。
彼はうつむき、開いた自分の右手を見た。
「虚無理論」。彼の体内に潜む未知の力。
(……一体……)
その時だった。
「おい!お前、このクソガキ!」
「うわっ!」
突然現れた二人の男が、上条の腹部を強く蹴り上げ、彼を地面に叩きつけた。
「……ああ……痛たたた……」
突然の攻撃を受けた上条は、苦しそうに起き上がり、地面に打ちつけて混乱した頭を揉みながら、その二人を見上げた。
全く見覚えのない顔。しかも、いかにも不良少年という出で立ちで、上条と同じ高校生のように見える。
「てめぇ、何見てやがる!ぶん殴るぞ!」
背の高い方の不良が先に口を開いた。
「小賢しいこと言ってんじゃねぇよ!ぶん殴って黙らせりゃいいんだ、丁度腹の虫も収まんねぇしな!」
そばにいたもう一人の不良が同調した。二人は左右から上条を押しやり、狭い路地へと追い込み、壁際に追い詰めた。
「……ッ!」
二人は壁際で上条に拳と足を浴びせ、腹や顔面を蹴りながら、嘲るように罵声を飛ばした。
「魔力値ゼロ?マジで笑えるわ!」
「非魔術師がクロックタワーになんて入れるわけねぇだろ!こっそり入り込んだんだろ!今は魔法の時代だ、お前みてぇな無能が生きてるだけで地球の資源を無駄にしてる!全員死ねばいいんだよ!」
「お前が生きてて何の意味があるんだ?さっさと死ねよ!ここで恥さらすな、クロックタワーの顔を潰すなよ!」
上条は黙って耐えた。
彼は魔術師ではない。本来ならクロックタワーに入ることすら許されない。ただ家族の事情で特別に許可を得ていただけだ。今ここにいるのも、定期検査を義務付けられているからに過ぎない。
これも全て彼のせいだ。もう魔力を得る可能性がないと分かっていながら、かすかな望みを抱いてここに来たのだ。だから、こうなるのも当然の報いだった。
才能のない彼が、他人から蔑まれるのは日常茶飯事。そんな視線はもう何度も経験している。慣れている。
ただ耐えればいい。終わるまでじっと耐えればいいだけだ。
「ハッ!お前の家の二人もたぶん無能のクズだろ!家族全員死ねよ!弱者に生きる権利なんてねぇ!」
……
「お前らみてぇな下賤な種族、進化してねぇ猿が、俺らと同じ権利を持つなんておこがましいわ!大人しく森に帰れよ!触るだけで手が汚れそうだ!」
……ただ耐えれば……それでいい。
「そうだ、お前のそばにいたあのガキ、知ってるよな?あれを捕まえて、お前の目の前であんなことやこんなことしてやったら……どんな顔するんだろうな!ははははははは!」
「だったら早く行こうぜ、あの小娘がもがく姿が見てぇよ!」
……
次第に、上条は彼らの嘲笑や暴行に反応しなくなり、彼らも徐々に手を止めた。
上条は地面に丸まり、微動だにしない。まるで息絶えたように見えた。
「べっ!」
不良少年は上条に唾を吐きかけ、すぐに路地を出て、香鈴を探しに行こうとした。
彼らが去ろうとしたその時、
「ん?」
一人の不良が不審そうに振り返った。
彼が見たものは―――
打ちのめされて地面に倒れているはずの上条伏嗣が、ゆっくりと立ち上がっていた姿だった。
彼らの真後ろに。
「おーい、小猿さん、意外とタフじゃねぇかよ!」
不良は嘲笑しながら、再び上条に向かって大股で歩み寄った。
しかし、
「?」
何かがおかしい。
思わず足を止めてしまった。
目の前の無能力者は、もはや以前の彼ではなかった。まるで人が変わったかのように、放つオーラが全く異なっていた。彼はゆっくりと顔を上げ、鋭い眼差しで二人を見据えた。その右目は、オレンジがかった赤い奇妙な光を放っていた。
彼の右手には、**漆黒の紋様**が広がり始め、新たな枝分かれを繰り返しながら、絡み合い、ついには右手の腕全体にまで及んでいた。
彼はゆっくりと口を開いた。
「もし、ケンカがしたければ、喜んで付き合うぜ。」
「おかしいぜ、マジでおかしいぜ。」
背の高い不良は独り言のように繰り返したが、それでも上条に向かって歩き出した。そして、歩みを次第に速めながら、呟くように唱えた。
「サンダーボルト!」
巨大な球形の稲妻が、彼の掌の前に突然現れた。彼は右拳を振りかぶり、上条の顔面に向かって力いっぱい殴りかかろうとした。
この一撃には絶対の自信があった。低級魔法とはいえ、相手は魔法すら使えない超がつく落ちこぼれだ。しかも、この一撃に対して何の防御もしていない。だからこの一撃で、軽く気絶、重ければ即死。
彼の予想はそうだった。
しかし、次の瞬間、
「パシッ!」
「!」
上条はその幻想を打ち砕いた。
細い右手一つで、彼が渾身の力を込めた一撃を受け止めたのだ。
当然、彼の魔法も防いだ。
「な、なんだって!?」
上条は右手で不良の右拳をしっかりと掴みつけていた。不良は驚きながらも必死に暴れて、ようやくその束縛から逃れた。
「一体どうなってるんだ!?」
不良は驚きの表情で上条を見た。彼がどうやってそれを成し遂げたのか、全く理解できなかった。
一方の上条伏嗣は、ただそこに立っているだけで、微動だにしない。まるでこれが当然の結果であり、最初から予想していたことのように。
彼はうつむいたままで、顔は見えないが、そこからは無形の重圧がむやみに放出されているように感じられた。
「今度は……『異象絶禁』か……」
上条は紋様に覆われた自分の右手を見つめながら、呟いた。
「お、お前……今の見えたか?」
背の高い不良は躊躇いながら、隣のもう一人に尋ねた。
「お、おれには……あの光球が……こ、こいつの指に触れた瞬間に……消えた……だけしか……」
「くそ!何がなんだかわからねぇ!」
不良は罵った。魔力値ゼロの普通の人間が、魔術師である自分の魔法攻撃を防ぐだなんて。これはどうしても受け入れがたい事実だった。
その感覚は、まるでウサギが突然しゃべり出し、この世界は偽物だと告げるような、荒唐無稽で、全く論理の通らないものだった。
「……待て。」
周囲に何か奇妙なものがあることに気づいた。まるで何かが溢れ出しているかのように、彼ら体内の魔力の流れを乱していた。
……
「ッ!」
不良は突然何かを思い出したかのように、慌ててポケットから測定器を取り出し、何も動かない上条に向けた。
さっき、彼らはこれで上条の魔力値がゼロだと確認して、手を出したのだった。
しかし今、そこに表示されている魔力値は――
三万六千七百六十五。
「……」
不良たちは唾を飲み込んだ。
「こ、これ……壊れてるんじゃねぇのか?」
背の高い不良が先に口を開いた。もう一人は何も言わず、ただ測定器のデータを呆然と見つめている。
「ちっ!」
彼は上条を見た。上条は彼らの行動に何の反応も示さず、ただそこに立ち、うつむいたままで、二人の誰にも目を向けていなかった。
「哀れなれ、生命の塵よ!『神炎浄罰』!」
その刹那、上条の足元に巨大な赤い魔法陣が浮かび上がった。血のように真紅に輝いている。
次の瞬間、
突然立ち上る淡い青い炎が、上条の姿を完全に飲み込んだ。
不良たちは激しく跳ねるように燃え盛る炎を見つめ、その内部を凝視した。
その姿は、しばらく経っても再び現れなかった。
爆発音が続き、自分たちが大変なことをしてしまったと後から気づいた不良たちは、慌てふためいた。
「ヤベェ!こんな大騒ぎ、絶対に執行課にバレる!」
彼らは慌てて逃げ出し、この災難の現場から一刻も早く離れようとした。
しかし、その次の瞬間、
彼らは思わず、もはや何の動きもないであろう炎の方へと再び目を向けた。
理由はただ一つ―――
「バッ!」
むやみに拡散するはずの猛火が、その内部で極めて不自然に空洞を穿たれた。
一人の人影が、その中からゆっくりと歩み出てきた。
無傷で。
「てめぇ、一体何者だ!」
背の高い不良は罵りながら、大型術式発動がもたらすかもしれない災厄を顧みず、怒りの声を上げて炎の中の上条に襲いかかった。同時に右拳を構え、前方に青い火球を再び凝縮する。
「ねぇ……おいらはさ……」
長い間沈黙していた上条は、そっと右手で火球に触れ、不良の襲いかかる拳を受け止めながら、ようやくゆっくりと口を開いた。
「お前らみてぇな連中は……」
火球は瞬間的に消えた。不良は驚く間もなく、上条に腕を掴まれ、体を背中側に回される。そして足を払われ、一気に力を込められる。
「心底嫌いだぜ!」
鮮やかな背負い投げ。
背の高い不良は背中から地面に叩きつけられ、その衝撃で気絶した。
「きゃっ……!」
もう一人の不良は、まるで幽霊を見たかのように、腰を抜かして地面に座り込んだ。
上条はうつむいたまま、彼の方向へゆっくりと歩み寄る。
「や、やめろ!近づくな!」
不良は後ずさりした。
不気味なオレンジ色の光を放つ目を上げ、上条は彼の方向を見た。
しかし、彼の視線は不良の上には留まらず、
彼の背後に、いつの間わり現れた人影に向けられていた。
陰鬱だった眼差しも、一瞬で澄み渡った。
「香……鈴……?」
次の瞬間、
上条は気を失った。