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10.神罰の光

 ――何もない夜って、ほんとうに気持ちいい……。


 吹き戻す荒々しい夜風が女神の総身をなぶっていく。

 心に折り重なっていた淀みはすべて、風が連れ去ったらしい。

 女神となったアリアンヌは、かつてない清涼な清々しさを味わっていた。


 すっきりした、と。


 城下に生きていたはずの十数万という人々の命が消え去ったというのに。

 アリアンヌの心は、暗闇の中にありながら晴天を映すように、晴れやかであった。


 あれほど気にかけていた城下の人々の暮らしや命といったものは、もはや毛筋ほどの価値も見出してはいなかった……なぜなら。


 ――命なんて……また、産めば、いいじゃない。

 わたしは創世の女神なのだから。


 さて……コマース殿下は、どうなされるおつもり?

 諦めてわたしの元に戻ってくださる……なんてことは、きっと無い。

 あのご気性ですもの。

 それに、殿下はおっしゃった。女神は人の敵、だからわたしを滅ぼすって。

 でも、どうやって? 何を以って?

 頼みの綱の子供たちは、もうわたしの手の中だというのに――


 アリアンヌの眼は、魔鋼防壁で隠されたコマースとパトリシアの姿を見通していた。見えているのだ。分厚い魔鋼の壁などガラス窓同然にして。

 窓越しに睦まじく手を取り合う男と女の姿を、アリアンヌは見ていた。


 ――罰を与えなくては、いけないよね。

 悪さをする子供たちは、躾けをしないと。

 だってわたしは、女神。人間たちを創ったお母さんなんだから。

 あなたのためなの、殿下。これから起きることは、神罰。

 わたしを捨てて、そんな蛮人の南方女の手を取った罪を、深く悔いて。

 神に創られた分際で、わたしに弓を引くなんて、あってはならないことなの。


 王宮はね――最後のさいごまで、残して差し上げます。

 ここから世界が平らかになるのを、じっくりとご覧になって――


 ふと、遠く見渡す先に見える山間に、小さな泉と滝があるのをアリアンヌは見つけた。幼い頃の辛い日々の思い出が、去来する。


 ――意味も分からず、父親に命じらるまま。

 寒風吹きすさぶ中、打ちつける滝の流れの真下で、意味も分からずやらされた週に一度の厳しい水行。

「お前は女神の巫女になるのだ。母のように心を清めねばならん」

 出世の欲に淀み濁った眼で、父は言った。

 お母さまが生きておいでなら、きっと正しく、導いて下さったのに――


 見守るユースチフの視線だけが、幼い娘の身体を支えてくれた。

 今となってはあんな荒行、ひとつも意味などなかったと分かってしまう。

 女神像の力を覚醒させるのは、巫女の純粋な祈りの心。

 そして、受け継いだ血筋の力だけ。

 操者になるのに必要なのは、身に受け継がれた血の記憶さえあればよい――


 左手を持ちあげた。手のひらを突き出す。


「いやな思い出……消えて」

 静かにそう唱えると、女神像の手先がまばゆく閃き――次の瞬間、泉のある辺りの土地は巨大な火球に包まれ、消滅した。

 差し渡し一キロメートルほどの土地が、ぽっかりと丸く、抉られていた。

 どれほど高い熱量を伴ったものか、大地は焼け溶けどろどろになり、闇夜の中に血のかがやきを放っていた。


 しばらく熾火となった大地の様子を楽しんでから、アリアンヌは振り返った。

 神像が安置されていたそびえる絶壁と、ふもとの大聖堂のあたりに眼をこらした。


 ――女神さまの御心に、お近づきになるのです。

 そんなことを言って、怯える少女を女神の頭上、断崖の頂きに置き去りにした司祭の男がいたっけ――たしか今では、大司教様でいらっしゃるとか……。


「あなたなんて何の意味もない、最初から必要のない人間なのに」

 王宮に背を向け、アリアンヌは大聖堂のほうへと体を向けた。


 両手を広げる。

 手のひらを、身体の前で打ち合わせた。

 大聖堂のあたりに、横なぎの光がひらめく。

 遅れて鼓膜を締め付けるような甲高い金属音が鋭く一瞬響き、大気を震わせた。

 女神が背を預けていた断崖絶壁が、失せていた。

 大聖堂を中心にした半径二キロメートルほどの土地が、断崖や丘陵を含めてすべて平らに、押しつぶされたのである。


「新しいお家、建てなくちゃね」

 面白そうに、アリアンヌは呟いた。

 まるで子供が砂遊びの城作りを楽しむような口調だった。


 次は――と、辺りを見渡すアリアンヌの耳に、〝女神の声〟がふいに届いた。


[警告:遺失していた男神器官の一部が起動しました。現生人類による強制起動と推測。エネルギー充填率の上昇を確認――]


 男神の器官? なんだろう、殿下が口にしていた<神の鉾>のこと?

 朧げな記憶を、アリアンヌは辿る。しかし、創世機関が知らせる警告が意味するところを、少女は正しく理解しなかった。


    §


「あれはいったい……何をしているのだ?」

 観測器の目を通して見たアリアンヌの所業に、コマースは戸惑った。

 山間の泉を焼失させ、山の土を削り、谷を埋める――すさまじい力の発露だが、行いの意味がまるで分からない。


「あれが女神の力の一端なのだよ。世界そのものを、思いのままに変えてしまう。大気の組成でさえね。人など数瞬かからず屍と化す、毒にも変えられるのだ」

 あの娘がその気になればね――呆れた顔で、ヨルゲンは呟く。

「しかし、それにしては、あれではまるで……」

「そうだ。子供の、癇癪かんしゃくだ。我らの世界は、女神の腹いせに滅ぼされようとしているのだよ――」

「クソッ――おい、まだかっ!?」

 王都を壊滅させた女神の暴風の影響で、<神の鉾>は射出の再調整を余儀なくされていた。女神の起こした〝癇癪〟によって、コマースたちは猶予を与えられたことになり――助かりはしたが、腹立たしいことに変わりはない。


「再調整、準備整いました! いつでも、射出可能っ!」

 発射台の下から、待ち侘びた声がようやくかかった。

 ヨルゲンと配下の者から、真っ黒な板を嵌め込こんだ面当てが一同に配られた。

「これは?」と、パトリシアが怪訝な顔を見せる。

「眼を潰さぬための用心です」

 閃光防御用の特殊な装具を眼に被せながら、ヨルゲンが着用を促した。


 王宮に背を向けたまま佇む女神アリアンヌをたしかめて、コマースは一言「頼む」とパトリシアに促した。

 意を受けて、女の手が<神の鉾>に繋げた射出用端末に置かれる。

 一息ついて――

「男神よ、イきなさい」

 そうひと声発するや、男神の神器は身震いするよう大きく脈動を始めた。

 全身が光まとう。切っ先に輝きが集中していく。

 やがて命を表す螺旋のような白刃の光線が、天に伸びていった。

 細く、長く、天高くどこまでも続いて――<后の月>にまで届いた。

 果てしなく、とめどないエネルギーが射出されていく。

 <后の月>が、まるで命を飲んだかのように輝きを増し始める。

 辺りが明るくなっていく。

 夜明けにはまだ間があり、日は未だ山影に片鱗すら現さぬが、空は真昼の如き輝きで満たされた。


 月を見上げる面当ての奥で、コマースは目を閉じた。

 今日ここに至る始まりの日を、思い返して――


    §


 ――天真爛漫。

 白い衣を着た十歳の娘が、四つ字の言葉をそのままに庭園を駆け回る。

 傍らに佇むのはユースチフ。

 気がつけばアリアンヌのそばにいる、影法師のような少年であった。


 ルスタリア侯爵家の薄暗い蔵書室の小窓から、王子ははつらつとした幼い婚約者の姿を見て、目を細めていた。コマース王子、このとき齢十八。

 青年はアリアンヌの姿に目を止めたまま、傍らに侍る小太りの男に声をかけた。


「アリアンヌの母は巫女の血筋であったな――女神の」

 知っていることを復習するように、王子はルスタリア侯爵レムルスに訊いた。


「よく、ご存じで。部屋の蔵書のほとんどは、亡き妻が結婚の折に持参したもの。妻の実家は絶えましたが、受け継いだ書物は残しておきたいと請われまして」

 高窓からの光が照らし出す古い蔵書棚の由来について、侯爵は王子に語った。


「私にはとても理解の及ばぬ中身ばかりですが……妻の形見です。恥ずかしながら棚の肥やしとしております」


 熱心に蔵書の背を指先で辿る武人然とした若者の様子を意外に感じたのか、レムルスは訝しむように尋ねた。


「創世の神話に、ご興味がおありで?」

「まあな。レムルス侯は神話と言うが、我が国が保有する発掘機獣の数々が、伝承が事実を語るものと教えている。それにしてもこれは……宝の山だな」


 笑みながら独り言ちる王子の指先が、とりわけ古い書物の背で止まった。

 棚からゆっくりと抜き出して、丁寧に頁を繰り始める。

 奇妙な文字と奇妙な絵が描かれた誌面を見る王子の瞳が、せわしなく動く。

 創世の女神と男神を描いたものとは分かる。

 だが、広く伝わる人の似姿とは違っていた。

 まるで魔鋼で作られた鎧をまとったような、不可思議な威容。

 素朴な筆致でもない。精緻な学術書の図版のような筆運びであった。


 コマースが目にした文字――それが、アリアンヌが女神像の中で見た文字と同じものであると、このときの王子には当然ながら知る由はない。

 だが、勘の鋭い青年である――


「レムルス侯、蔵書をすべて引き取りたいのだが――構わんな?」

 意外な申し出であったが――埃にまみれた妻の形見が、娘と王子との婚約を上回る思わぬ出世の糸口になるのではと、レムルスの口は珍しく滑らかに動いた。


「もちろんでございます。お国の役に立つのであれば喜んで献上いたしますぞ」

 こうして翌日には、ルスタリア侯爵家の蔵書室の棚はその大半を、空にした。


 ――ヨルゲンの書斎に手土産の蔵書を積み上げ、コマースは満面の笑みで書物の表紙を指先で叩いてみせた。

「どうだい先生、気に入ってもらえたか?」

「おうおう、気に入るも何も……宝の山だね、これは」

「期待通りだ。眼の色変えて喜ぶと思っていたよ。まあ、俺もだが――」


 創世神話にまつわる世界の真実が紐解かれる、瞬間だった。

 アリアンヌの実家、侯爵家の書庫で眠っていた古代の書物は語る――


 神を作ったのは、自分たちと同じ〝人〟であったと。

 人間は、機械の神によって世界に囚われた存在であると。

 女神像と失われた男神像の正体――創世機関。

 そう呼ばれる太古の巨大な機械人形により繰り返される、破壊と創世のサイクル――世界が滅ぼされ、再び作り変えられてきた悠久の歴史。

 人もまた同じ。初めてではない。

 六番目の人類として、自分たちが創り直された存在であると知った――


 いずれまた、世界は神の意志により滅びを迎える。

 神が神話に語られるような超越した存在であれば、受け入れたのかもしれない。

 しかし真実は、同じ人の手による滅びなのだ。

 たとえそれが、今生の自分の身に降りかかることではないとしても。

 コマース・ユールレヒトには、受け入れがたいことだった。

 戦で力を試し合い、勝ち負けで互いの処遇が決まるのならば納得もしよう。

 だが、顔も知らぬ遠い過去の人間が創った運命になど、従えるものか。

 俺たちは、世界の奴隷ではない――


 それから、すべてが変わった。

 戦う意味、他国の力を吞み込む意味――女神の巫女アリアンヌとの、婚約も。


 偽りの神のくびきから世界を解き放つ。

 世界の人々の力を束ね、神を殺す。

 だが、素直に聞かされて、仰せのままにと従う国々でもあるまい――

 であるからこそ、すでに進められていた侵略戦争を利用して大陸世界を統一し、その武力を我がものとしてきたのだ。

 すべては創世の神を滅し、世界を人の手に委ねるためにと――


    §


「落ちるぞ、月の雫が……神罰の光よ、女神の身を焼くがいい……っ!」

 震えるコマースの声に、月が応えた。


 <王の月>に寄り添う<后の月>の輝きが、その身の底、下方の一点へと集まり始める。巨大な雫とも形容すべき、今にもたれ落ちそうな塊へと変じていく。

 ――ぼとりと、垂れた。

 粘るように滴る光の塊は、やがて極太の柱となりながら、加速し、膨大な熱と風を伴って大気を突き破り、遥かな下方、地上へと伸びていった。

 引き裂かれた大気が悲鳴を上げる。

 雲が爆ぜる。大地が震えた。熱風が王宮を襲った。

 光の柱は巨大な鉄槌となり、暴力の塊と化していく。

 天より落ちて打ち据える先は――女神の身体その一点。

 極大の轟音とともに、光が地に触れたとたん。

 瓦礫の荒野と化した城下は、さらに変じて地獄のかまどとなって燃え上がった。

 天より下った灼熱の柱は、女神アリアンヌの総身を包みこみ、すべてを焼きつくさんと飲み込むのだった。

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