コロナ禍の世界ってこんな感じだった。
「手打ちでっか」
「そうや。姐、お前も分かっとるやろ。彼我の戦力差は圧倒的や。お前、大阪の5000を相手に喧嘩続けるんか?」
「こっちはおとうちゃんを取られてますんで? 相手が5000だろうが1億だろうが、関係おまへん」
「…流石やな。しかしな、ワシもガキの使いで来とるんと違う。お前んとこも30人からヤッとるんや。…バランスシートが合う、とは言わんがな? 手打ちの話が持ち込まれた意味を考えて欲しい」
「聞けまへんな」
「姐。強情張るなよ。…お前んとこの若いもんの将来も考えたったらどうや。懲役に行ってるもんの、帰る場所も必要やろ。このままじゃ、あんた、大阪だけやなくて、全国の極道衆からそっぽ向かれることになる」
――
「山田、手打ちや」
「手打ちでっか…」
山田は複雑な表情で、亡くなった組長の奥さんである麻朝の顔を見た。まるで日本人形のように整った顔は血の気が失せたように青白く、表情を読ませなかった。彼は、どんな言葉を掛ければ良いのか、まるで分らなかった。
手打ちとなる抗争のきっかけは些細な事だった。山田が所属する鉄鍋組の開いた盆に、大阪の串屋組の若衆が現れ、イカサマをした。――イカサマが発覚した若衆は徹底的に焼きを入れられ、串屋組の前に投げ捨てられた。
翌日、串屋組の若衆の手によって、鉄鍋組の事務所が銃撃された。そこからはやったやられたやったやったやったやりすぎた組長やられた、とそんな話であった。
「若い者頭である、あんたが組の跡目を継ぐのは当然の流れや」
「はい」
「しかしな、おとうちゃんの仇は取らんとあかん。鉄鍋組の面子に関わる」
面子。
山田は渋い顔をした。確かに面子は大事だ。生き馬の目を抜くこの極道社会において、舐められることは死を意味する。縄張りは侵食され、鉄鍋の看板を下ろすことにもなりかねない。
或いは、他の組織の傘下に入らざるを得なくなるかもしれない。
しかし、30人からの命を奪ったのだ。誰も鉄鍋と関わろうなどとは思わないだろう。というか、30人からの命を奪ったが為に、組員など殆ど残っていないし、懲役も無期やら死刑になりそうな気配が濃厚であるからして…。ただでさえ絶望的なこの状況で、更に、組長の仇など取るような真似をしたら、鉄鍋の代紋どころの話ではない。何せ、話は手打ち破りとなるのだから、確実に鉄鍋組は消されるだろう。
「姐さん、仰ることはごもっともですが」
山田はネクタイを引き締めながら、腹の底から声を出した。
思いの他、低い声になってしまった。
「何や?」
が、返す姐の声は、それよりもなお低かった。
自他ともに認める百戦錬磨の山田ですら、そそくさと帰宅したくなる声だった。
「あの、手打ち破り、と言うのは、どうかな、と」
「大丈夫や。手打ちになる前にヤるから」
何が大丈夫なのかはさっぱり分からなかったが――。
姐は唇の端を微かに歪めた。
「手打ちする前に相手方と話をする」
「それは、大丈夫なんでっか?」
「大川のおじさんが立会人や。何も危ないことはない」
「はあ。それなら安心でんな」
「その話し合いには、ワシが行く」
山田は頬を引き攣らせた。
手打ちの交渉である。つまりは、まだ、抗争中なのだ。例え、第三者が立ち会っていたとしても、それを含めただまし討ちである可能性は十分に考えられた。
何より――
「…いや、姐さん、流石にそれは。組長亡き今、この組の実質的なトップは姐さんです。しかし、対外的には若い者頭のワシが出るのが筋やおまへんか?」
「あんたじゃあかんのや」
「何でワシじゃあきまへんのや」
姐は喉を鳴らした。笑った。
「あんたじゃ銃を持ち込めんやろ。ワシなら持ち込める。ボディーチェックも、女なら緩くなるやろうしな」
「姐さん、まさか」
「流石に向こうも、名代を出すような真似はせんやろ。来るなら組長が来る。それが最大のチャンスや」
戦慄が走った――相手方からだまし討ちされる可能性は考えていたが、こちらがだまし討ちをするとは想像すらしなかった。
容易に想像がつく。三人しかいない応接間、串屋組の組長が弾かれる。ついでに仲裁を買って出た大川のおじさんも――撃ちそう。何事か、と大川のおじさんの若い衆が室内に入ってくる。勿論、それも撃つだろう。姐はその後どうするのだろうか――
「あきまへんで、姐さん、そんなことをしたら、生きて帰っては」
「だから、あんたを残すんや。ええな、山田」
「姐さん、あきまへん! あきまへんで…!」
山田が何を言おうと、既に覚悟を決めた姐の意思は揺らがなかった。
そして、話し合いは、翌週の月曜日と決まった。
「姐さん、話し合いはズーム会議でするそうです。手打ち式も、ズーム会議で…」
その報を聞いた姐は、煙管の吸い口からゆっくりと煙を吸い込み――、吐き出し、「さよか」と一言だけ答えた。
関西の方には怒られても仕方がない。