過去と罪と罰
村長の後味は、これ以上ないほど苦い。三年前、己の身に起きた事態を否応なく想起させる。信念も、理想も、己が信じる勇気と正義が、鼻で笑われ踏みつぶされる。その絶望の色合いは……村長の体験に似ていてが、同時に他者が理解しきれるものではないと、辛うじて同情を口にはしなかった。
個人の情念か、多くの人が掲げる大衆的な美徳か……一体どこに正しさなんてものがあるのか、村長は全く分からなくなる。一つはっきり不幸があるとすれば、どの因果も戦争に端を発している事か。誰もが過去から流れて現代に至るが、傷と苦痛は深ければ深いほど、人の心を歪め捕らえるモノ。多くの傷は時間が癒すが、決して戻らない喪失を負ったならば――
「三年前の戦争と、それで起きた事件は過去の事じゃないんだろう。お前さんにとっても、竜人娘にもそうだ」
「……情けないとでも言うつもりッスか?」
「いいや。ただ……どうしようもないすれ違いがあった。それが悲劇の引き金になったのは事実だ。ほとんどの奴にとっては、村八分も戦争も『乗り越えた』『過ぎ去った』モノでしかない。けれどお前は、それをどうしても許せなかった。自分や竜人娘にとっては、今も疼く古傷……いや違うな。二度と戻らない欠損と言い換えられるかもしれん。お前と竜人娘へ、取り戻せない喪失を負わせながら、忘れて生きている村人を許せなかった。せめて謝罪の一言でもあれば、未来は違ったのかもしれないが……そんな微かな反省の色さえ見せないから、お前は『分からせてやる』と息巻いたのかもしれんな」
それはありふれた悲劇、ありふれた現実。竜人娘は母親を。若者は愛を……時期的に考えれば恋心かもしれないが、ともかく『恋をした彼女の平穏』を失った。直接的、間接的な原因となった村を恨んだ。
だが村は忘れた。何故なら村人は、そこまで致命的な傷を負っていない。体であれ心であれ、軽い傷や不調は時間があれば回復する。戦争に対して、村八分に対して、背負った痛みの差が認識の差を生んだ。
若者はそれを憎んだ。若者はそれを恨んだ。そしてそれを『罪を認める勇気が無い』と解釈したのだろう。彼の基準の中では『罪を認識し、反省し、謝罪すれば許す』ぐらいの感情はあったのかもしれない。だが――
「力ずくの『分からせる』なんざ、一番理解されない行為だと思うがね。たとえ竜人娘目線だとしてもだ」
「…………こうでもしなきゃ、興味も持たないくせに」
「それも現実だ。が、本当に竜人娘を想うなら――なんでお前、彼女を連れて村から逃げなかったよ?」
「……え?」
「竜人娘のトラウマを避け、自分の感情を満たしたいなら……この村に住み続ける選択から、脱却する事も出来たじゃないか。今は戦時下でもないから、村から村への行き来は制限されてない。現に村人の多くは、俺の伝手で脱出している訳だしな」
「こっちが悪くもねぇってのに、尻尾を撒いて逃げろって言うッスか?」
勇気が無いとでも言いたげだが、村長は頭を振った。どうにもここの基準が、若者はズレているらしい。
「……普通そんな簡単に『人を殺す』選択肢は選べねぇんだよ。誰かを害する前に、逃走する方が優先して思い浮かぶんだがね」
「逃げだって傷は残ったままッスよ」
「新しいトラウマ刻み付けるよりマシだろうが。自分の過去が原因で、自分を愛した殺人鬼が……そこまでの事を望んでいないのに殺人事件を起こしたなんざ、今後どんなツラをして生きていけばいいんだよ? それが愛した相手に贈る環境か? えぇ?」
「勇気無き村に死を与えず、自分らに臆病者として逃げろって言うッスか?」
「逃げるのと臆病はイコールじゃねぇし、敵を殺すだけが正義や勇気じゃない」
「だったら何が勇気って言うッスか⁉」
「……誰も分かんねぇよ。そんなの」
ずっと強い言葉で若者を抑えていた村長だが、何を勇気と問われて僅かに口ごもった。激しい反発を予想していた若者は、村長の表情を見て固まった。
石のような硬い表情。そうせざるを得ない現実に触れ、激しく揉まれながら、それでも何とか現実に立ち向かって来た大人の顔――
村長は村長なりに、勇気や正義に思う所があるのだろう。村を率いるための顔ではなく、若者の胸の内を掘り下げるでもなく、初めて彼は内側を吐露した。
「誰かのやった事、起きた事、結果を見てから『これは勇気じゃない・正義じゃない』と非難する。けれど、なら人は何をもって勇気と言う? 何を信じて正義と示す? お前の言い分だって、部分的には正義があるんだろう。蛮勇とはいえ、何の勇気も出さずに人は殺せない。竜人娘は……何も主張せず、ただ耐えて生きていくあり方は、勇気が無いと言えばそうなのかもしれん。だが、人を殺さないのは正しい行いだろう。
俺だって……もっとうまくやる方法は考えられた。未然に防げた可能性もあれば、犠牲者を減らす手段もあったのかもしれん。それを正しくなかった、可能性を信じる勇気が無かったと言われたら……否定は出来んよ」
若者はずっと――村は過去を見ずに、のうのうと生きていると思っていた。紛れもない真実で、自分と彼女の復讐は正当と考えていた。
だが……この時初めて、若者は村長の過去を意識した。三年前やって来たという村長。よそ者で、特に村に愛着があるかも分からない村長。三年前に左遷されたと、今回の事件で初めて聞いた村長……
人間は、他人の過去は気にしない生き物だと……それを憎悪していた筈なのに、若者自身もまた、村長の背景を知ろうとしなかった現実を、やっと少しだけ意識できた。
そこでふと気づく。何故村長は自分を処断しなかった? ここまで核心を持っているなら、わざわざ『一日待つ』と言わずに、即座に牢へ拘束すればよかったではないか。自分の過去や背景を知りたかった? ならば何故、それを『竜人娘の家』の近場で行う必要がある? リスクはあるが、村長が若者の家に押しかけたり、逆に村役場に招く方法もあったはずだが……
不安はない。ただ疑問と微かな好奇心があった。村長は何を考えているのか、理解させようとしていた村人は、ここで初めて理解しようと言葉を投げかけた。




