番外編3
ウィングフィールドの飛竜隊、その飛竜たちの長であるイーズテイルはいたずら者だが勇猛である。単騎であっても魔獣に飛び掛かりしとめることができる。
だが、今やそのいたずらぶりも勇猛さも、見る影もなかった。
「ギュワ~、ギュギュワ~」
卵を孕んだ番が餌を食べないのだ。いろんなものをせっせと狩ってきても、見向きもしない。焦燥にかられる。うす暗い竜舎のなかで途方に暮れる。
そんなとき、後ろから声がした。
「大丈夫よ」
振り向けば、大きく開かれた扉から陽光を背にした細い人間が立っている。
「ギュワ!(クラリス!)」
「いろんな薬草を持ってきたわ。好みの薬草を選んでもらって、それを擦り込みましょう」
人間の中でも大柄な竜騎士すら、飛竜たちからしてみれば脆弱だ。クラリスは竜騎士はおろか、人間の中でも子供と同じくらい細くていかにも弱弱しい。
けれど、今、飛竜の目には誰よりも大きく、頼もしく思われた。
そして、根気強く薬草を選び、その葉や花を擦り込んだ肉を、番は食べた。
「良かったわね」
「ギュワ、ギュギュワ(うん、ありがとう)」
イーズテイルだけでなく、飛竜たちはクラリスを大いに頼りにし、好み、気遣った。力こそすべての世界であっても、脆弱ゆえにないがしろにされることはなく、むしろだからこそ大切にされた。
なお、救世主であるクラリスから後光がさして見える飛竜たちだが、実はそれは竜騎士にとっても同じだった。
そして、常に飛竜と相対する竜騎士たちもまた、いつまで経ってもクラリスの華奢さを感じる。比較対象が飛竜なのだから、当然である。
飛竜からも竜騎士たちからも丁寧に扱われる辺境伯夫人は、その夫からも壊れ物を扱うように丁重に接せられたのだった。
「すべてにおいて素晴らしい方ではありますが、あなたの大丈夫だけは信用できません」
それは子供が生まれた後、より顕著になった。
出産はクラリスの体力大いに奪った。一時は命の危険すら危ぶまれた。
そうして生まれて来たサイラスの愛らしさに大いに感銘を受けた飛竜たちは次々に番をつくり、卵を孕んだ。
イーズテイルの子供もじきに生まれてくるだろう。
「ギュワギュワ(楽しみだなあ)」
飛竜たちはカールとクラリスの子供サイラスに興味津々だ。
飛竜たちは自然と赤ん坊のサイラスを繊細に扱った。
頑丈な竜騎士とは違って細いクラリスよりもずっと小さいニンゲンだ。
元気いっぱいに、うごうごと手足を動かし、飛竜を見てぱあっと笑う。
だから、飛竜たちはついつい鼻面を近づけてしまう。
そうして、辺境伯カールの息子サイラスが横たえられたゆりかごを、しょっちゅう飛竜たちが囲んだ。
飛竜たち、特に彼らの長であるイーズテイルは特殊な技能でも持っているのかというほど敏感に、サイラスの気配を察知した。
サイラスが外に連れ出されたら一番に駆け付ける。ほかの飛竜たちも我先に近づく。飛竜たちの身体はあまりにも大きく、サイラスが横たわるゆりかごはあまりにも小さいので、近づける固体は限られるのだ。クィルターは出遅れても、小柄さを利用してうまく飛竜たちの間をすり抜けて最前列を確保する。
そうして、飛竜たちは順番にサイラスにてちてちと小さな手で叩かれていくのだ。ごくまれにきゅっと掴まれることがある。
「だぁぁだ」
「ギギュュワ!」
後頭部から長い首、背を伝って尾の先までむずがゆさが走る。この「きゅっ」は飛竜たちの間で人気のスキンシップである。
さて、最前列にいたウォルターもまた、サイラスに叩かれた後、どうしたものか、鼻がむずむずし始めた。
「ギュワギュワギュワ! ギュワギュワ!(サイラスの方を向いてしないでよ! 吹き飛んじゃうよ!)」
鼻の穴をうごめかすウォルターにイーズテイルが鋭く言い放つ。その警告に、押し合いへし合いしていた飛竜たちはさっと飛びのく。ウォルターはイーズテイルの言いつけ通り、サイラスとは違う方向に長い首を向けてくしゃみをした。
「ギュワックシュ!」
神がかったタイミングで彼の竜騎士オズワルドが通りかかった。よりにもよって、ウォルターが鼻先を向けたところへ。
「~~~~~~っ!!」
自分の騎竜の唾を頭から浴びてびしょ濡れになったオズワルドは棒立ちになる。
「ウォルター!!」
「ギュワ~(ごめ~ん)」
サイラスが歩き出した。
城から出ればいつも飛竜が鼻先を近づけてくる環境にいたサイラスが靴を履いて両手を掴まれよろよろと歩くのを、飛竜たちは遠巻きに見守った。
サイラスがよろけたとき、「ギュワッ」と身じろぎする飛竜たちを、竜騎士たちが落ち着かせる。
歩幅も小さく、すぐに疲れてしまうのでそんなに歩けない。だから、飛竜たちはその場にとどまって長い首を左右に振るだけでその動きについていけた。
人間の子供の成長は早い。
サイラスがひとりで歩けるようになった。
飛竜から好かれるサイラスもまた、とても飛竜を好んだ。だから、天気の良い日はたいてい外に出たがった。
その日も竜舎にほど近い場所に乳母車で連れて来られたサイラスは、乳母が目を離したすきにひとりで歩き出す。
本来なら、竜舎の近くに竜騎士以外が立ち入ることは辺境伯夫人のほかは禁じられている。そして、サイラスも暗黙の了解でもうひとつの例外となりつつあった。
さて、サイラスの気配に聡いイーズテイルはこのときも真っ先に駆け付けた。
サイラスは歩くのが楽しい様子で、馴染みの飛竜がやって来ても歩みを止めなかった。そこで、イーズテイルはいっしょに散歩することにした。
クィルターも加わって、ゆるゆるとサイラスと同じ方向へ移動する。イーズテイルにいたっては、「ゆるゆる」というよりも「じりじり」という態であった。
元気いっぱいのサイラスは大好きな飛竜たちに挟まれて、ご機嫌でよちよちと歩いた。
と、イーズテイルが長い尾を前にしならせ、振るった。
にぶい音がしてサイラスの進行方向に差し掛かろうとした飛竜が吹き飛ばされる。
「ギュワッ! ギュワ、ギュワギュワギュワ。ギュワ、ギュワ(痛っ! ああ、サイラスがいたのか。悪い、悪い)」
ごろごろと転がった先で長い首をもたげた飛竜は、サイラスが歩いているのを見て事情を察して怒りの矛先をおさめる。
竜舎にほど近いせいか、飛竜がうろうろしていて、今度はまだちょっと遠いから大丈夫ではないかという距離にいる成竜に、クィルターが噛みついた。文字通り、長い尾が邪魔だとばかりにガブッといった。
「ギュワァァァァッ!!(痛ッてぇぇぇぇぇッ!!)」
イーズテイルとクィルターのいたずら飛竜ふたり組のうち、前者はいたずら者だからこそ人間への加減を知っていた。後者はいたずら大先輩に言い含められていた。竜騎士はともかく、クラリスやサイラスになにかあっては大変だと聞いてクィルターは真剣に力加減というものをイーズテイルから学んでいた。
だが、今回の相手は飛竜だ。しかも自分よりも大きい成竜だ。加減は無用とばかりに渾身の力を込めた。
それは頑丈な飛竜にとってもとんでもない痛みを与え、大音声の鳴き声を上げた。
驚いたのはサイラスだ。
飛竜たちは「身体が小さいから大きい声で鳴かれたら驚く」というカールの言葉をしっかり覚えて気を配っていた。
だから、サイラスは飛竜の尋常ではない鳴き声を初めて聞いて驚き、怯えた。
「びぇぇぇぇぇぇっ」
サイラスはその場に突っ立って空へ向けた顔をくしゃくしゃにして大泣きした。
イーズテイルとクィルターはぴゃっと飛びあがった。
「ギュ、ギュ、ギュワワ?(ど、ど、どうしたの?)」
クィルターは慌てふためきながらサイラスの様子をうかがう。
「ギュワ、ギュワ、ギュギュワ(怖くない、怖くないよ、サイラス)」
イーズテイルが必死になだめるのに、ようやっとクィルターは自身の失策を悟った。
顔を真っ赤にして泣き続けるサイラスに、イーズテイルとクィルターは長い首をたわめておろおろと角度をしきりにかえる。その頻繁さが彼らの焦りを物語っていた。
「どうしたんだ、サイラス」
騒ぎを聞きつけて大股でやって来たカールがひょいと我が子を抱き上げる。乳母は少し前からサイラスがひとりで歩いていたのに気づいたが、両側を飛竜が陣取っていたため、怖ろしくて近づけないでいた。
「あぁ~! ああぁ~!」
泣き声は訴えかけるものに変わり、カールにきゅうと抱き着いて首筋に顔をうずめる。
サイラスの背中をやさしく撫でながら、カールは視線を飛竜たちに向ける。
「大丈夫だ、イーズテイル、クィルター。サイラスは驚いただけだ」
「ギュギュワァ(良かったぁ)」
「ギュワ、ギュギュワ? ギュワギュワギュワ?(サイラス、もう大丈夫? お散歩の続きする?)」
しかし、幼児は大泣きすれば体力を消耗する。サイラスもまた、最も安心する場所である父の腕の中で、うとうとと微睡みはじめた。
ほっと安堵しつつもどこかしょんぼりするイーズテイルとクィルターである。
だが、ふたりは翌日、ふたたび満面の笑みでよちよち歩いて近づいてきたサイラスによって、元気を取り戻すのだった。
さて、クィルターに噛みつかれた飛竜である。
「ギュギュワワ? ギュワ、ギュワギュワギュワギュワ?(ひどくないか? 俺、サイラスの散歩の邪魔をしてなかっただろう?)」
「ギュワ、ギュワギュワギュワ。ギュギュワギュワ?(みんな、サイラスには過保護になるんだよ。それはお前もだろう?)」
「ギュワギュワ!(分かっているよ!)」
薬草が入った水桶に鼻先を突っ込み、がぶがぶと飲み干した後、ばっと顔を上げる。顎を水で濡らしながら吠えた。
「ギュギュワ! ギュワ、ギュワギュワ、ギュギュワ!(ちくしょう! クラリス、薬草入りの水、もう一杯!)」
「ギュワギュワ、ギュギュワギュワ(飲みすぎだよ、もうよしておきなよ)」
「ギュギュワ、ギュワギュワ!(飲まなきゃ、やってられないよ!)」
評価、感想、いいね、誤字報告、
ありがとうございます。
今連載投稿している話が、書いても書いても
可愛い不思議生物(人語を解する高度知能タイプ)がでてきません。
出で来ないんですよ!
なので、ギュワギュワを書きました。
コミカル調になったのは、やはりあっちがシリアスだからのような気がします。
クラリスとイーズテイル、そしてサイラスとイーズテイルです。
忘れてはいけないあの竜騎士と飛竜のコンビも。
「ギュワックシュ!」
お約束ですね。
同じいたずら者でもイーズテイルとクィルターは年季が違います。
小さい子って容赦ないですものね。
分かっていても痛いものは痛い。
「ギュギュワ、ギュワギュワ!(飲まなきゃ、やってられないよ!)」
「可愛い不思議生物(人語を解する高度知能タイプ)とコミカルが出てこないなんて。ギュワギュワ書かないと、やってられないよ!」
なお、薬草入りの水は妊婦さんも飲むので、
アルコール成分含有ではなく、気持ちがすっきりするんだと思います。