番外編2
隙間なく石を積み上げた壁は大きく崩れ、分厚い扉がひしゃげいてる。周辺には残骸が散らばっている。
壊された竜舎を前にして、幼いサイラスは声もない。
右往左往する竜騎士は口々に、「見つかったか」「薬草園へは確認しに行ったか」「近くの森まで範囲を広げよう」などと慌ただしい。それがいっそう、惨状を物々しいものにしていた。
「これを、クィルターが?」
「そうです。申し訳ございません。わたしの話し方が悪かったんです」
マーティンが大柄な体を縮めて頭を下げる。
その向こうに石壁にくっきり刻まれた爪痕が見える。
恐ろしい。
人間なんてたやすく切り裂いてしまえるだろう。
でも。
「僕も探すよ」
「いえ、サイラスさまのお手を煩わせるわけには」
サイラスとて失意にあるのだから、とマーティンが気遣う。
それに、現辺境伯夫人が嫁いで来る前にはこんなことは日常茶飯事だった。だが、サイラスにはこの飛竜の荒っぽさは衝撃的だろう。なにしろ、飛竜たちはとてもとてもサイラスを丁重に扱うのだから。
「でも、きっと、僕が一番見つけやすいと思うんだ」
「それはそうでしょうが、」
ならば、誰かをつけるというマーティンの気遣いを固辞する。自分ひとりの方が、クィルターも姿を現しやすいだろうから、と言って。
サイラスはクィルターが行きそうな場所へ向かう。
ここでなければ、もっと先の小川の近くだ、と思っていたら木立の中の岩の陰にいた。しょんぼりと長い首をしおたれている。
「やっぱり、ここにいた」
『ギュ……(サイラ……)』
言い差して口をばくんと閉じ、ふい、とそっぽを向く。
閉じる前にぞろりと並んだ鋭い牙が見えた。
でも、サイラスは知っている。クィルターはどれほど怒っても、サイラスにその牙を剥くことはない。
飛竜は人と比べて長命だ。
サイラスの成長とクィルターのそれに大きな差が出て来る。
いくら人よりも大きな身体を持つ種族とはいえ、幼竜であるクィルターは大人を背に乗せて高高度を飛ぶのは危険である。特に、竜騎士は大柄で分厚い筋肉をまとう。そうでなければ、空高くの低温、風にひっきりなしでさらされる状況に耐えられないからだ。
そんな竜騎士を、まだ小さい飛竜が背に乗せて高く飛ぶのは無理だ。
そう、サイラスは父から、クィルターはマーティンから言い含められた。
サイラスを背に乗せて空を飛ぶ。
そう約束してからクィルターははりきって父ウォルターや母クィンに飛行を教わっていた。
なのに。
あまりのことに、クィルターは鳴きわめいた。その悲痛な声は、竜舎にほど近い辺境伯のカントリーハウスのみならず、隣接する街にまで届いたという。
「諦めるのはまだ早いよ」
『ギュ?(え?)』
サイラスは企みを笑みにのせる。このことをクィルターに話すために、単独で探しに来たのだ。でも、クィルターがその気にならなければ話は始まらない。
「あのね、クィルター」
知らず知らずのうちに声を潜めていたサイラスに、なんだなんだとクィルターが顔を近づける。幼子ふたりのひみつの話は、次第に熱を帯びていった。
「身体が成長するまで間の訓練として、幼竜の背に乗る?」
「はい、そうです」
いつもは公の場でしか使わない敬語を用い、父カールをまっすぐに見つめる。これまでになく緊張した。こういうとき、ほんとうに心臓がどくどくと鼓動するのを感じるものなのだという発見をした。
「辺境伯として、いずれ竜騎士になるのでしたら、早いうちに訓練をするのが良いと思うのです」
「ああ、そうだな。そして、身体が小さいうちは幼竜の背にも乗れる、か」
父はなぜサイラスがこんなことを言い出したかをすぐに察したらしい。
だめかな、とじわじわと腹の底から失望が這い上がって来る。
「いいだろう」
カールの言葉に、サイラスはぱっと破顔する。
「だが、問題は幼竜だ。竜騎士を持つ飛竜と同等の訓練を受けなければならない」
それが、クィルターにできるか、とカールが目顔で問う。
「できます! クィルターはやるって言ってました!」
「わたしに話す前にクィルターに持ち掛けたな?」
ぐいと前かがみになって顔を覗き込んでくるカールに、サイラスはあっとなる。
「まあ、いい。確かに良い案だ。幼竜がその気になっているのなら問題の大半は片付く」
それだけ、竜騎士団は飛竜に左右されるということだ。
「これが上手くいけば、あるいは―――」
クィルターはいたずら竜の渾名を呼ばれなくなるほど、がんばった。
サイラスを背に乗せて飛ぶのだ。
それは制限期間がある。サイラスが大きくなるまでの間だ。人間はあっという間に大人になる。
父ウォルターや母クィンに単なる飛行ではなく、どんな風に竜騎士を乗せて飛ぶか、どんな風な指示をだされたらどんな風にするかを教わった。
『ギュワ、ギュワギュワギュワ(いいか、こういうときのこういう指示は無視しろ)』
『ギュ? ギュワ?(え? いいの?)』
『ギュワ。ギュギュワ、ギュワギュワギュワギュギュワ(ああ。こういうとき、こういう指示通りにやったら人間ともどもオダブツだ)』
いつになく、ウォルターが真剣な表情で言う。人にはわからない状況というものがあるのだと学ぶ。
『ギュワ、ギュワギュワギュワ(とにかく、生き残ることが大切ですからね)』
クィンもウォルターと同じようなことを言った。
『ギュワ。ギュワギュワ。ギュワギュワ、ギュギュワギュワ(そうか。僕がサイラスを守るんだ。人間ではわからないことを、僕が察知しなくちゃならないんだ)』
『ギュワ(そうだぞ)』
『ギュワギュワ、ギュワ(あなたならできるわ、クィルター)』
サイラスもまた、通常よりも早い段階から竜騎士となる訓練を受け始めた。
彼の年齢ならまだ基礎体力をつけることに重点が置かれる。けれど、サイラスもクィルターも、もはやあまり時間が残されていないという気持ちはいっしょだった。
「飛竜の背に乗ることは、急いてどうにかなるものではないぞ」
『ギュワギュワ(焦るな焦るな)』
人間と飛竜の父ふたりに言い含められながらも、サイラスとクィルターは励んだ。
そして。
ふたりはついにいっしょに飛ぶことが叶った。
何度もふたりで見上げた高いたかい空ではなかったけれど。
胸に突き上げて来る感情のまま、風を全身に浴び、人竜一体となって空を飛んだのだ。それはとても素晴らしい経験で、ふたりの心にいつまでも残った。
サイラスとクィルターの飛行は前者が竜騎士に叙任されるまで行われた。
そして今、クィルターは成竜の背に乗って高く舞い上がるサイラスを見上げる。
けれど、クィルターは悔しくない。なぜなら、じきに生まれて来るサイラスの子供もまた、クィルターが訓練に付き合うからだ。
サイラスは叙任式の前日、クィルターと約束した。クィルターが成竜となるまで、サイラスの子孫たちを訓練すると。
「そうしてくれると嬉しい。クィルターとの飛行訓練の許可をもらったときに父上がおっしゃったんだ」
辺境伯の短命の定めを覆すことができるかもしれない、と。
カールの父も祖父も、短命だった。代々の辺境伯はその定めから逃れられない。
だが、幼いうちから飛行訓練を積み重ねていれば、より素晴らしい飛行技術と飛竜の操術を身につけることで、寿命を延ばすことができるかもしれない。飛竜の気持ちを察することができ、それが延命につながるかもしれない。
「そうなったら、僕は僕の子や孫がクィルターの背に乗って空を飛ぶのを、見ることができるかもしれない」
サイラスはそれはもう、嬉しそうに言った。
クィルターはなにがなんでも、友人の願いを叶えようと思った。そうしたいとクィルターこそが望んだのだ。
そして、その願いは叶う。
クィルターは代々の辺境伯の子孫である子供たちを、真っ先に背に乗せた。それが、クィルターの誇りだ。
カールが希望したとおり、サイラスはとても長命だった。
なお、父カールや叔父ふたりも驚くほど長く生きた。辺境伯の弟は飛竜を持たないが、それでも竜騎士としての訓練を受け、飛竜の世話もする。危険はどこにでも潜んでいる。
『ギュワギュワギュワ! ギュワ、ギュワ!(そんな命令出すんじゃない! こっちだ、こっち!)』
『ギュワギュワギュギュワ! ギュワギュワ、ギュワギュワギュギュワ!(そんなことして落っこちたらどうするんだ! お前たちになにかあったら、クラリスとサイラスが泣いちゃうだろう!)』
当然のことながら、長命だったとしても、人間として、である。
背に乗せていた子供たちは次々にあっという間に大きくなって、空高く舞い上がる。そして、クィルターたち飛竜をおいていってしまう。
それでも、飛竜たちは人間を愛し、ともに生きようとした。
みんなそれぞれ違う輝きを持ち、精いっぱい生きた。飛竜たちは傍らで見守り、ときに力を貸す。短いからこそ眩いのか、彼らの生は飛竜たちを惹きつけてやまないのだ。
「だあ、だあ」
産まれて間もない辺境伯の子供がクィルターの鼻先に手を伸ばす。ぺちぺちと叩かれて、クィルターは悟る。
ああ、この子は自分の竜騎士だと。
子どもが成長し、竜騎士の叙任を受けたとき、クィルターは成竜にようやく届くかどうかという頃合いだったが、それまで多くの子供たちの訓練に付き合った経験を認められ、飛竜隊の一員となる。
その子は辺境伯の中興の祖と称された辺境伯夫人の名前をもらった子供だ。
彼女と違っておてんばだが、同じくやさしく好奇心旺盛で、なにより粘り強い。
サイラスの願いを叶え続けたクィルターは、サイラスの望みを受け継いでいった子孫のひとりとともに、ふたりの約束を果たす。
高いたかい空へ。ふたりいっしょに。
そして、今日も辺境伯領には飛竜が飛び交う。
青く高い空を自在に飛ぶのだ。
評価、感想、いいね、誤字報告、
ありがとうございます。
番外編を書いた後、彼らの「その後」をふと思いつき、また書きました。
本編後も彼らは彼ららしく精いっぱい生きているのだな、と教わった気がします。
楽しんでいただけたら幸いです。




