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本日、二度目の投稿です。
ご注意ください。
ひっきりなしに揺れる狭い馬車の中にふたりきりという状況であるのに、クラリスは窓の外を眺めるのに夢中になってあまり気にならなかった。
ずっと王宮の奥宮から出ることなく暮らしていたので、目にするものすべてが珍しい。
「身体はつらくありませんか。具合が悪くなったらすぐに言ってください。辺境までの道のりは長い」
対面に座る大柄な男性がそう言い、クラリスは彼の顔を見上げて頷く。
「大丈夫です。王都から出るのは初めてで、とても楽しいです」
王都を囲む壁を出た後、延々と平原の風景が続いていても、見ていて飽きない。
「では、外を眺めたままで良いのでわたしの話を聞いてください」
馬車に同乗するのはウィングフィールド辺境伯カールであり、これから向かう辺境伯領について話し出した。
クラリスはカールの話の方に気を取られ、窓の外へ視線を戻すことはなかった。
カールは茶色の髪、太い眉、大きな目、高い鼻、大きな口と全体的に大ぶりだ。男前だが、不愛想なので近寄りがたい雰囲気がある。
「何分、辺境育ちの田舎者なので、王宮育ちの王女殿下にとって不躾なことも多々あると思いますが、どうかご容赦願いたい」
馬車に乗り込む前にカールはそう言った。
「わたくしは王宮から出たことがありませんが、華やかな場にも出席したことはありません。どうぞお気になさらないで」
クラリスはそう返しながらも、それ以前に、自分は王室にいたことすらも忘れ去られていたのではないかと考える。ほとんどいないもの扱いされてきたので、王女が降嫁することによって辺境伯領になんらかの恩恵が受けられると思っているのであれば、期待外れとなってしまうかもしれない。
クラリスとしてはそのことが心配だった。せっかく王女を娶ったのに、なんの得もないのだ。
カールは覚えていないかもしれないが、実はクラリスは以前に一度彼と会っていた。
そのとき、ふわりと風が舞い上げた薬草の葉か莢かなにかが髪についたのを、そっと取り去ってくれた。大柄な身体に似つかわしく大きな手指で、けれど壊れ物を扱うかのような丁寧な仕草だった。
髪についたのが花弁ではなく、また、立派な騎士に見合うような見目麗しい容姿をしていないクラリスだったが、そのひと幕は大事にしまっておいてたまに引っ張り出しては眺める宝物の記憶だった。
クラリスは二年前にカールと出会った。まだ彼が爵位を継いでいなかったころだ。
カールはどうも、王宮で顔を合わせづらい相手から逃れるために横道に入ったらしい。見るからに鍛えている騎士らしからぬ言葉に、クラリスは親しみを感じたものだ。ともあれ、脇道に逸れたら、人が来て、まずいと思ってどんどん奥へ進んでしまったのだと言う。
「良い香りがする方へ向かうと、衛兵どころか侍女や下男すらいない宮に畑があったもので、つい見入ってしまいました」
カールが迷い込んだのは奥宮にある薬草畑だ。クラリスはちょうど薬草の手入れをしていた。ドレスの裾どころか袖までも汚れていた。
「クラリス・エルドレッドです」
名ばかりのエルドレッド王室を口にしたら、騎士服を身にまとったカールは慌てて礼をした。
「そんな大層なものではないのですわ」
御覧の通り、忘れられていない者扱いされているのだと笑うと、ウィングフィールド辺境伯子息カールと名乗った騎士はなんと返せば良いものか分からないという風情だった。
王宮どころか奥宮の敷地から出たことがないクラリスも、さすがに国とその周辺のことについては教育を受けている。ウィングフィールド辺境伯領は魔獣が跋扈する瘴気の濃い森と隣接する地であり、国の守護を担っている。かの地は飛竜という強力な力を擁している。
そんな辺境伯子息は痩せっぽっちのクラリスの何人分もの大きさ、厚みがあった。堂々とした騎士が、ひ弱そうなクラリスを見かねてか、水汲みや水撒きを手伝ってくれた。
「我が領では辺境伯の家族と言えど、なんらかの仕事を担います。畑仕事や家畜の世話をすることもあります」
なにより、飛竜たちの世話は竜騎士の最優先課題であるという。
「まあ、そうなのですね。どうりで手際が良いはずですわ」
クラリスの土が潜り込んだ爪や傷がある指を見ても、カールは嫌な顔をしなかったのは、そのせいなのだと分かった。そして、畑仕事や家畜の世話に混じって「飛竜の世話」という竜騎士ならではの言葉が出て来るのに、面白みと同時に強い力への憧れが生じる。
カールは去り際に、薬草園に植えられた草のひとつをほしいと言った。
ふわりと風が巻き起こり、一斉に薬草が揺れる。その複雑に入り混じった香りを嗅いでいるうちに、育て方を教えたり、種や苗は渡すことはできないが、手折ったものならば良いだろうと考えた。
「内緒ですよ」
そう言ってカールが欲しいと言った薬草を手にして差し出した。カールは不愛想な顔を緩め、大きな手で受け取る。
木漏れ日の中、精悍な顔がほころぶのに、思わず見とれた。




