旅の始まり
意味も分からず、恐怖の森に落とされて4日目の朝。
心身ともに瀕死の状態で歩き続けて、倒れそうになったところで小さな湖まで辿り着くことができた。
森に落とされてから初めての水をそっと口に含んで、少し休む。ここまで来るのに3日3晩、飲まず食わずで人間の限界を超えた気がする。生きているのが奇跡だ。
サクサクサク……。
枯葉を踏む音だ。何かが近づいているが、もう起き上がる気力も残っていない。とうとう幻覚が見えてきた。
傷ついたペガサスがよたよたと歩いてきたのだ。
もうどうでもいいや……。
「あぁペガサスさん、こんにちは。元気ないみたいね。私も疲れてクタクタよ」
疲労で頭がぼぉ~として、童話の中みたいに適当に話かけていた。
動物と会話が成立することも、もはや気にならない。
「なんだお前、俺が怖くないのか?」
「うん、この森で見た中であなたが一番まともだもん」
当然である。巨大虫に比べればペガサスは輝いて見える。虫に食べられるよりも美しいペガサスの糧になれるなら本望である。
「お前が、東大寺透子か?」
「何で私の名前を知っているの? 不思議なペガサスね」
「俺はこの世界の神であるエニフだ。この魔の森は俺の庭だ。それより、お前はなぜ生きているんだ? ……いや、なぜ生物を殺さなかった?」
ああ、また神様が出てきたよ。私の頭は一体どうなってるんだろ。
「生物? あんなに凶暴なもの殺せるわけないじゃない。怖くて逃げるだけで精いっぱい」
「いや、小さな虫もいっぱいいるぞ」
「私、虫が怖くて触れないの。それに、いくら嫌いなものでも無意味に殺すことはできないし」
「へぇ~、お前は変わった奴だな」
ペガサスが少し驚いたあと、目を細めた。虫を殺さないことがそんなに珍しいことだったのだろうか?
それとも、傷口が痛むの? なんせ馬の表情は読み取りにくいのである。
「ところであなた怪我してるよね? 私を食べるなら食べていいよ。少しは体力の足しになるでしょ?」
どうせ死ぬなら、虫や凶暴な動物に食べ殺されるより、この神様を名乗るペガサスに最期を看取ってもらおう。
それに、日本にいた頃のように問題ばかりの日常にも疲れた。
女神様は不幸と幸福の導線を直したって言ってたけど、その矢先にこんな森に落とされて死にかけているし。
「えらく潔い娘だな。んじゃ少しだけ痛いけど我慢しろよ」
ペガサスは私の首元に顔を埋めた。馬って牙なんかあったかな? まるで吸血鬼みたい。
いや、何かが身体の中に入ってくる……。
チクッ! チュ、チュ――!
……トクン、トクン、トクン、ドクン! ドグンッ!!
体が痛い、熱い……全身が焼けるように熱い……血液が燃える…………!
そのまま私は意識を手放した。今度こそ本当に死んだのだろうか。
********
目が覚めると、馬……じゃなくてペガサスがこちらを覗きこんでいた。既に周りは暗くなっているから、かなりの時間眠っていたようだ。
ペガサスは何だか別人(別馬)のように先ほどまでとは見違えるほど毛並みが艶やかになっている。
白地のペガサスは銀色にも見えるほどに艶やかになっていて、紺色の鬣と相まって幻想的で美しい。
傷はすでに治っているようだ。
「悪い。加減が分からなかった。なんせ人間に力を与えたのは数千年ぶりだからな」
「力?」
そういえば、かなり体が軽い。喉の渇きも空腹もあまり感じない。
「ああ、お前のことを頼まれてな。ステータスボードで確認するといい」
「どうやって見るの?」
「地球とは勝手が違うんだったな。心の中で見ようと思うだけで開く」
『ステータスボード開きます』
名前:東大寺 透子 レベル:1
体力:200/200
魔力:C
防御:S
腕力:C
俊敏:B
属性:無
特殊効果:アイテムボックス(時間停止)/魔法操作自由
ステータスが圧倒的に上がっている。体力がMAX25だったのが、200になっている。それに、『E』と『D』しかなかったものが、最高『S』まである。
レベル1なのに基本スペック爆上がりしている。
ステータスボードは通常は自分のものしか見られないけど、鑑定魔法を使うと、他人のステータスも見れるということだった。
「防御だけは最高レベルにしておいた。他のステータスは自身で鍛錬して上げていく必要がある」
「あの、ステータスって?」
ステータスの数値は、『F E D C B A』まであって、生まれたての赤ん坊が『F-(マイナス)』ぐらい。一般の大人が『E』、中堅冒険者が『DからC』ぐらい、『B』はベテラン冒険者のAランクに匹敵するらしい。
そして『S』は今は人間界では存在しないらしい。
レベルについては、主に魔物や生物を殺した時や、魔法や剣術や肉体が強くなれば自ずと上がっていくとのことだった。
そして、魔法についても簡単に教えてくれた。
この世界にはいろいろな属性の魔法が存在するらしい。
主に「水・火・風・土」と「光」、その他「闇・聖」があるが、一般的な人間は適正属性が1、2個だそうだ。
私の場合は、「属性無し」で想像する全ての魔法を使えるようになっているらしい。
ステータスの『魔法操作自由』のおかげだ。
魔法を使う時はやりたいことを頭に浮かべて、気を発する。簡単なようだけど、イメージをきちんと浮かべないと上手く発動しないらしい。
咄嗟の時に発動しないと命取りになるので、普段使用する魔法は何度も練習する事を勧められた。
慣れるまでは、トリガー(魔法発動のきっかけ)となる言葉を発した方がいいかも知れないなと言われた。
魔法の使用を重ねていくと、魔力のステータスも上がるらしい。
また、アイテムボックスというものもあり、異次元に繋がる空間への入り口を作って、そこに荷物等を入れるというもの。
魔法で入り口を開閉でき、アイテムボックスに物を入れても重さは一切ないということ。
アイテムボックスを使える人間はそう多くないようで、異次元に繋げる扉を具体的にイメージできる人間が少ないらしい。
しかし、私の場合は自然に使用できる上に、ペガサスと同じものだからアイテムボックス内に入れたものは時が止まるらしい。
「もしかして、時間が止まるってことは、温かい物は温かいまま、冷たい物は冷たいままってことなの?」
「ああ。中に入れた物は腐ることはないから、なかなか便利だぞ」
試しに、落ち葉をアイテムボックスに何回か出し入れしてみたがスムーズに使えた。本当に便利だ。
「一つ言っておくけど、この世界はお前のいた場所とは違って危険だ。この魔の森以外の魔物や猛獣は、躊躇することなく殺せよ。殺さないと殺される。そして、人間にも当てはまる。卑しく強欲で悪しき心を持った者達が多い。弱ければ死ぬ」
とても物騒な世界なようね。
でも、地球でも日本は平和だったけど他国では戦争、内戦やテロが多い国もあったから一概に地球は平和だったとは言えないな。
平和な日本でも私だけいつも空からの鉄パイプや暴走車に遭遇していたから、私の不幸体質が治ったんなら何とか生きていけそう。
その後、魔法の操作やこの世界のことを簡単に教えてもらった。
魔法なんて初めてだから不安だったけど、想像以上に簡単に発動できた。
日本でRPGゲームや異世界ものの小説を沢山読んでいたからかな?
エニフからのチュートリアルと魔法の練習が一通り終わると最寄りの人間の住む地域まで送ってくれることになった。
最寄りの地域までは、ここから山を9つ程越えなければならない。
エニフはぶっきらぼうだけど根はやさしいのか、私がこの先困らないようにと色々と世話を焼いてくれた。
ちなみにペガサスの姿は仮の姿らしい。
単に馬に翼が生えた姿がかっこいいから気に入っているらしい。
ペガサスの背中に乗って飛べるなんて、御伽話のようで夢心地だ……と思っていたのも束の間、猛スピードで空を駆け抜けるため景色どころではなかった。
結界のようなものを張っていたようなので、不思議と振り落されることはなかったけど、もう少し空の旅を楽しみたかった。
この世界に来てから数日目の朝、やっと人間が住む地域の街道に到着した。
「んじゃ元気でな」
「エニフ、本当にありがとう!」
「ああ。いつかどこかでまた会おう」
こうして私の異世界放浪の旅が始まった。