90 おまけ 温泉へ行こう・11
あの後、女将から凄く怒られた。正直納得がいかないのだが、女将にセクハラまがいの事をしてしまったのは事実である。
それが、俺自身の意思によるものかどうかは別として。
ちなみに、諸悪の根源のエーシャは宿を出禁一歩手前の状況になった。
危うく母子で出禁になるところだったようだが、あのガイラさんが女将に平謝りをして、どうにか首の皮一枚で繋がったらしい。
そして、俺とエーシャは何故か布団部屋で一夜を過ごす事になったのである。
「おとうさん、女将が凄く怒ってましたね」
「何を他人事みたいに言ってるんだよ。全部お前のせいじゃないかよ」
狭い布団部屋の中で、膝を抱えるようにしてエーシャと並んで座っている。
何が悲しくて、こんな狭い部屋で一晩過ごさなければいけないのだ。
まあ、最初は進んで布団部屋で寝ようとしたけどさ。
「だって、おとうさんが女将の事を口説いて期待させておき、結果が『犬歯を見せろ』ですもん。その上、口の中に指まで突っ込もうとしてますし。セクハラどころじゃありませんよ」
「だから、誰のせいだと思ってるんだよ!」
「飲み過ぎたおとうさんが悪い?」
「このやろう!」
「いひゃい! 頬っぺた掴まないで!!」
しばらくエーシャの頬っぺたを伸ばしてやった。
「うう……ひどいですよ。リグミナさんがDVだって言う気持ちが分かりましたよう」
「お前が俺に妙な薬を盛らなければ良かったんじゃないかよ」
薬が混入してるとは知らずに、俺にお酌をしてきた女将は完全に被害者である。
「……だけど、女将の犬歯は綺麗だったなあ」
「おとうさんは、歯フェチなんですか?」
尋ねられて、ふと気づいた。
俺って、歯フェチなのか? なんだか、とんでもなくアブノーマルな気がしてきた……。
「大丈夫ですよ。私の父は下着フェチでしたから。パンツとかショーツとか」
「いや、そんなのと比べるなよ。親父さんには悪いけど、それは変態だろ」
「失礼ですね、父は下着姿を見るだけで満足派なのですよ!」
何が満足なのかは分からんが、フェチの世界は奥深いものだ。
「それはそうと、こんな狭い部屋で私とおとうさんが二人きり。これで何も起きないはずがありませんね!!」
「じゃあ、お休み」
「ちょっと! こんなにも魅力的な私を無視して、横にならないでくださいよ!!」
「すやあ」
「もう寝てるし!!」
こうして、温泉宿の初日は過ぎていくのであった……。
翌朝。
流石に女将がやり過ぎたと謝ってきた。
「そうですよ! 私達は、お客様──もがぁ!!」
エーシャの口を塞ぎ、こちらも頭を下げる。
「いえいえ、俺も随分と失礼な事をしてしまいまして……なんと謝ったらいいか」
「いえいえ、こちらこそ。お客様をこんな部屋に押し込めてしまうなんて、女将としてまだまだ未熟です」
互いに『いえいえ』と言いながら頭を下げる。
傍から見れば、シュールな光景だろう。
「こんな部屋だと思うなら、途中で解放してくれれば良かったですのに」
そう言って、エーシャが不機嫌そうに頬を膨らました。
君はお子様かね。
「実はそう思って、後で布団部屋の方に伺ったのですが、お二人とも熟睡してまして、起こすのが忍びなかったというか……」
普通に狭い布団部屋で熟睡してしまったのだ。
逆にあの狭さが落ち着いて寝られた理由なのかもしれない。
余談だが、エーシャは物凄い寝相だったと女将が言っていた。
「女将には色々失礼な事をしてしまったし、今日は宿の仕事を色々手伝わせてください」
「え!? そ、そこまで気を使っていただかなくても結構ですよ!」
「どうせ今日は暇でしたので、何か力仕事でもあれば手伝いますよ」
宿は三泊の予定である。
どうせ温泉街をぶらつくだけなら、仕事でもしてた方がいいと思ったのだ。
我ながら、旅行先でまで働くとは思わなかったけど。
「そうですよ。おとうさんは暇人で有名なのです。どうぞこき使ってやってください」
「お前も働くんだよ!!」
「いやあ! おとうさんが横暴です!!」
俺達のやり取りに女将は呆れていたが、俺が強引に頼み込んでお手伝いをする事になったのである。
「おとうさん。あの女将って強く押せば、なんでも言う事を聞いてくれそうですよね。今夜にでも夜這いをかけてみてくださいよ」
「お前は俺に何をやらせたいんだよ……」
エーシャが暴走しまくりで不安しかないのだが。
朝食の席では、女神会に乗り込んでいたリグミナが戻ってきていた。
そして、開口一番に自業自得だと言い出しやがる。
「ホント、ソウジってば私がいなければ全然駄目よね~」
「ぐぬぬぬ……」
勝ち誇ったように上から目線で言われて腹が立つが、女将にセクハラ事件は事実なので何も言い返せない。
まあ、主にエーシャが原因なのだが。
朝食後、ミユ達が泊まっている部屋に我が家の面々が集まって食後の一服。
俺はその横で自分の荷物の整理をしていると、背後からミユが覆い被さってきた。
「クラタん、クラタん、今日はどうするにゃ?」
ミユさんや、いつも変わらない君は素敵だな。
「今日は宿の仕事を手伝うから、みんなと自由行動しててくれ」
「じゃあ、私はおとうさんの代わりに遊んできますね!」
「お前も働くんだよ!」
「ひどい! 虐待です!!」
エーシャはともかく、みんなそれぞれ自由に行動するようで各々支度を始めた。
そんな中、フィルデがモジモジしながらこちらを窺っている。
「フィルデは出掛けないのか?」
「ひゃ、ひゃい!!」
思いっきり挙動不審である。
しかも顔が真っ赤だ。昨晩、酒を飲んでまだ残っているのか?
「あ、あの、ソウジ様にお願いがありまして……」
他の面々が出掛ける準備をしつつ、こちらに耳を傾けているのが丸分かりだ。
「どうした? なんでも言ってみろ」
「昨晩、言ってくれましたよね?」
この時点で嫌な予感しかしないが、酔った俺も悪い。
言った事に責任を持とう。
「私の歯を磨いてください」
「……はい?」
「言ったじゃないですか! 私の犬歯が綺麗なので、歯を磨かせてくれって!!」
言ったような、言ってないような……。
正直あんまり覚えていない。フィルデの犬歯が綺麗だったのはハッキリ覚えているが。
「駄目……ですか?」
そんな上目遣いで頼んでくるとか卑怯かよ!!
「分かった。だけど、俺なんかが磨いていいのか?」
「ソウジ様にお願いしたいのです!!」
「お、おう……」
フィルデのプレッシャーに押されて、つい引き受けてしまった。
さて、いざ歯をブラッシングするにしても、どうやればいいんだ?
「子供の頃にしてもらったみたいにしてください」
そんなわけで、あぐらをかいた膝の上にフィルデが頭を乗せる体勢で歯磨きをする事になった。
「じゃあ口を開けて~」
上から見下ろすように、フィルデの口内を覗き込む。
うむ。歯並びもいいし、虫歯も無さそうだ。普段からよく手入れされている。
「クラタん、マスクして歯医者さんみたいにゃ」
「そこは衛生的な事を考えるとな。間違って俺の唾液や鼻水がフィルデの口の中に落ちたりでもしたら大惨事だろ」
「私はそれでも一向に構いません!!」
いや、そこは気にしてくれ。
「それでは、私はおとうさんの助手をしますね。歯科衛生士というやつでしょうか」
エーシャも案外ノリがいい。
それにしても、こっちの世界でも歯医者ってあるみたいだな。
加護のおかげか、こっちに来てから今までお世話になった事はない。
「おとうさん大変ですよ! この歯はもう抜かなくてはいけません! 麻酔無しで抜歯しましょう!!」
そして悪ノリが好きらしい。
「私の歯って、そんなに悪いのですか……?」
信じてしまったフィルデは涙目である。
「全部エーシャの冗談だよ。ほら、ブラッシングしてやるから、口を開けて」
フィルデが持参した歯ブラシで丁寧に歯磨きをしてやる。
歯の隙間や裏側、そして犬歯をブラッシングするのだが、これが結構楽しい。
「ほら、終わったぞ」
途中で寝てしまったフィルデを起こしてやる。
よくあの状況で寝られるものだと感心してしまったよ。
「うわあ、凄い綺麗になってます!!」
洗面台の鏡を見ていたフィルデが興奮している。
磨いただけで、そんなに変わるものではないだろうよ。
しかし、周囲はそう思わなかったようだ。
「クラタん! 次はアタシにゃ! 早く綺麗にしてにゃ!!」
ミユさんや、そんなに興奮しなくても磨いてやるから、落ち着きなさい。
「ほほう。中々の腕前だな。ソウジよ、我にも頼むぞ」
「ソウ君、私にもお願い~」
「せっかくですし、私もいいですか?」
何故か普通にガイラさんとルネイアナとアイニが続く。
意味が分からん。
「おとうさん、ズルいです! 私もお願いします!! あとマナシエちゃんもです!」
エーシャよ、無理矢理マナシエを巻き込まないでやってくれ。
「……そんで、リグミナはどうするよ?」
何やら羨ましそうに見ていたリグミナに声を掛けてやる。
「ふ、ふん! 特別に磨かせてあげるんだから! 特別だから勘違いしないでよね!」
歯磨きツンデレって、ある意味斬新だよな。
そんな事を考えつつ、結局全員の歯をブラッシングする事になってしまった。
俺は温泉宿に来て、一体何をしているのだろうな。
ちなみにだが、この事を知ったアルジットが大いに悔しがったのは言うまでもない。




