56 あの時の惨状は思い出したくもないです……
階段を上りきり、ようやく宿に到着した。ここが温泉街で一番上にある宿だそうだ。
さぞ見晴らしが良いのだろうな。
宿は立派な佇まいで如何にも老舗旅館といった趣だ。
前の世界で普通に見掛けた和風建築なのだが、こちらではイヅナ式建築と呼ばれる建物らしい。
やはり、イヅナ国とやらは、俺の故郷と似たような風習と文化の国なのかもしれないな。
実際、エーシャが予約した宿の従業員達は全員イヅナ国出身との事だ。
「それにしても、よくこんな立派な宿を当日にとれたな?」
「うふふ、実は昔からお世話になってる旅館なのですよ」
エーシャがサプライズ成功とばかりに、いたずらっぽく微笑んだ。
多分、商売であちこちに行く際に利用する常宿なのだろう。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
出迎えに現れた着物姿の美人女将が丁寧にお辞儀をする。
その女将はキツネ耳の獣人だ。後ろに控える仲居の少女達も全員がキツネの獣人だった。
「当日の予約で申し訳ないですけど、よろしくお願いしますね」
「いえいえ、エーシャ様にはいつもご贔屓にして頂いてますから、気になさらないでください」
「ありがとうございます。いつも無理を聞いてくださって助かりますよ。……ところで、母はあれから来てませんよね?」
「……え、ええ、あれからはご利用になっておられません」
にこやかだった女将の表情が瞬時に強張る。
「あの時は、本当に母がご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
「いえいえ、エーシャ様はどうぞお気になさらずに! その分、沢山補償も頂きましたし!」
エーシャと女将が頭を下げ合ってるけど、これはいつ終わるんだろうな。
というか、補償って穏やかじゃない単語も出てきたのだが。
「クラタん、アタシお腹すいたにゃ……」
「私もです、ソウジ様……」
ケモ耳コンビのお嬢さん方が二人して俺に寄りかかってくるし。
階段ダッシュ勝負なんかするからだぞ。
「あら、いけません! お客様をお待たせしてしまいました! あなた達、エーシャ様ご一行をご案内して!」
女将が声を掛けると、仲居のキツネっ子達がすぐに動き出す。
統率の取れた動きで、ちゃんと指導が行き届いているのだろう。思わず感心してしまう。
「それでは、お部屋にご案内しますね!」
中学生ぐらいの年齢だろうか、仲居の少女が人好きのする笑顔で俺達を案内してくれる。
荷物が少ないので、案内係はこの子一人だけだ。
それにしても、動きに無駄が無いし、ハキハキと喋るので好感が持てる子だな。
そんな事を考えてると、エーシャがジト目で俺を睨んできた。
「おとうさん、あの子に良からぬ事を考えたら駄目ですよ」
「そんな事考えるか! そもそも、普通に俺の娘みたいな年齢の子だろうよ」
「クラタん、アタシなら手を出して構わないにゃ」
「いえ、私にこそ手を出してください! ソウジ様!」
「二人とも悪ふざけをしない!」
しがみついてくる二人の頭をぺしんと叩く。
「うにゃあ! クラタんに暴力を振るわれたにゃ! DVにゃ!」
「親にもぶたれた事が無かったのに……!」
まったくこいつらは……!
高級宿に来てテンションが上がってるのだろうが、少しは大人しくしててほしいものだ。
そんなやり取りを見ていた仲居の少女がクスクスと笑った。
「エーシャ様のお連れの方は面白いですね」
「ええまあ、今回は母がいないので多分大丈夫ですよ」
「あの時のお母様は凄かったですよね……。今でも私達の間で語り草になっていますよ」
「まったくもって、お恥ずかしい限りです」
恐縮してるエーシャなんて初めてみたかもしれない。
よっぽど凄い母親なんだろう。少し気になる。
「なあ、エーシャ。お前の母親って人は何をやったんだ?」
「うう、それを聞くのですか?」
「アタシも知りたいにゃ」
「私もです!」
二人からも興味津々の顔で迫られたら、流石のエーシャでもタジタジだ。
だが、丁度いいタイミングで客室に到着。
「こちらが紺の間です」
仲居の子に案内されて客間に入ると、そこは予想していた通りに畳敷きの広い和室だった。
「うにゃあ! 畳敷きにゃあ!」
ミユさんや、いきなり転がるのはみっともないぞ。
それはそうと、畳なんて何処で知ったのだろうな。この世界では見た事が無かったぞ。
「あ、フィルデさん。ここはスリッパを脱いでくださいね」
「なんですと! エーシャ殿、ご指摘ありがとうございます!」
やはり、フィルデの反応を見る限り、畳敷きってのは一般的では無さそうだな。
早速ミユとフィルデは部屋のあちこちを探索したり、窓から見える庭園を目の当たりにして感嘆の声を上げている。
後は俺の部屋だな。流石にここよりは狭いだろうが、落ち着く部屋だといいな。
「ところで、俺の部屋はどこだ?」
「おとうさん、何を言ってるのですか?」
エーシャが訳の分からないって顔をしている。
俺の方こそ訳が分からないぞ。
「いや、女子と一緒の部屋に泊まる訳にはいかないだろう」
「は? 何を今更。ミユさん達と同じ屋根の下で暮らしてるじゃないですか」
「それと今回の事は全然違うだろ」
「違いませんよ。部屋は一つしか取れなかったのですから、素直に同じ部屋で寝てくださいよ」
こいつは……!
でも、予約なしで当日の宿泊だ。本当に部屋が一つしか取れなかったのかもしれない。
「お部屋ですか? 御一人様用のお部屋が空いてますけど……」
「あなた、余計な事は言わないでいいですからね! はい、部屋に案内してくれてありがとうございました! これ少ないですけど受け取ってくださいね!!」
「あ、あのちょっと! こんなに頂けませ──」
怒涛の勢いでエーシャが、仲居の子に心づけを無理矢理渡して追い出してしまった。
しかも鍵まで掛けてるし。
「エーシャ、あの子困ってたぞ」
「いいんですよ、母が掛けた迷惑料も込みですから」
「その母親って、何をやったんだよ……」
「そうだったにゃ! 何をやったにゃ?」
「エーシャ殿のお母上の事ですから、押し入ってきた盗賊を返り討ちにして大活躍をしたのでしょうね!」
フィルデさんよう、君は少し想像力が逞し過ぎだぞ。
「いえ、普通に酔っ払って他のお客さんと乱闘騒ぎを起こしただけです。あの時の惨状は思い出したくもないです……」
エーシャがそのまま両手で顔を覆った。
きっと大惨事だったのだろう。俺達は何も言えなくなってしまう。
「ま、まあ、生きてれば人生そんな事もあるさ……」
「エーシャ、ドンマイにゃ」
「申し訳ありません! 私の配慮が足りないばかりに……」
「ですので、母みたいに出禁になりたくなければ、この宿では飲酒は厳禁ですからね!」
エーシャがピシャリと言う。
出禁になるなんて、よっぽどだったのだろう。
「今更だけどさ、こんな高級宿に泊まって大丈夫なのか? 旅費はそんなに無駄遣いできないぞ?」
「ご心配なく。おとうさん達は護衛なのですから、旅費や経費は全て私持ちですよ」
「おお、エーシャが太っ腹にゃ!?」
「エーシャ殿は神ですか!?」
「うふふふ。その分、おとうさんには体で支払ってもらいますからね」
「おお、クラタんが重労働の刑に処されるにゃ!」
「ソウジ様だけには働かせられません! 私もお付き合いします!」
みんな楽しそうだなー。どうでもいいけど、ミユとフィルデの考えてるような労働じゃないと思うぞー。
楽しそうなお嬢さん達を横目に、夕飯前の温泉と洒落込むとするか。
そそくさと支度して部屋を出ると、背後から三人が追い掛けてくる賑やかな声がしてきた。
「おとうさん、一人で温泉とか卑怯ですよ!」
「そうにゃ! アタシと混浴するにゃ!」
「いえ、試合には負けましたけど、勝負に勝った私こそが混浴の権利があります!」
まったく騒々しい。高級旅館が台無しじゃないか。
そのうちエーシャも出禁になりそうだ。
「ええっと、大浴場はここか。……ん? 張り紙がしてある?」
「おとうさん、それなんの貼り紙ですか?」
気配も無く俺の隣に来るエーシャが怖い。
驚く間もなく、ミユとフィルデも俺の両脇から顔を覗かせる。
君達は普通に現れる事ができないのだろうかね。
「混浴露天風呂は、違法行為が多発してるので当分の間は使用禁止だとさ。男女別の室内風呂は普通に使えるみたいだぞ」
「ええ!? それじゃあ、おとうさんと混浴ができないじゃないですか!?」
「そ、そんな……アタシの努力はなんだったのにゃ……」
「ふ、ふふ……ふふふふ……天は私達を見放したのですね……」
まあ、普通のハーレム物だったら混浴展開は必須だっただろう。
それにしても、違法行為ってなんだろうな。宿に迷惑掛けるなよって感じだ。
ショックで固まってるお嬢さん方を横目に、男風呂の脱衣所へ向かうと、そこにも貼り紙がしてあった。
「ええっと、下着の盗難に注意してください……だって!?」
まさか、男風呂でそんな事があるのだろうか!?
そういえば、前の世界でも入浴施設でそういう事件が起きるとか聞いた事があるぞ。
確か同僚が体験した事だと話していたのだが、飲み過ぎて終電を逃したのでサウナ付き簡易宿泊所に泊まったそうだ。
寝る前にサウナで汗を流していたら、隣に座ってきた男が同僚の顔を見つめながら自家発電を始めたので、生きた心地がしなかったとか……。
いかん、いかん! 変な事は考えては駄目だ。
ここは異世界なのだ。そんな事はまず起きないだろう。
そういえば、俺も異世界初日に冒険者ギルド併設のサウナで変な奴に会ったな。
奴隷商のアルジットも俺の乳首を狙ってきた事もあったぞ。
思い出したら怖くなってしまったじゃないかよ!!
くそう、やっぱり混浴がベストだったのか!?
混浴をスルーしようとした俺に罰が当たったのか!?
◆◆◆
「ふー、温まりました。やっぱり温泉っていいですね」
「体の芯からポカポカにゃ~」
「風呂上がりに、このフルーツ牛乳ってのが素晴らしいですね!」
俺とは対照的に、お嬢さん方は温泉を満喫していたようだ。
浴衣姿が眩しいなあ。
「あれ? おとうさんどうしたのですか? そんな青い顔をして」
「ちゃんと温まらないと駄目なのにゃ!」
「それではフルーツ牛乳が楽しめないじゃないですか!?」
「あ、ああ、ちゃんと入って温まったぞ……」
嘘は言っていない。
周囲を警戒し続けたままで、落ち着かなかったのだ。
髪を洗ってる時なんて、無防備になるから気が気じゃなかったぞ。
「ならいいのですけどね?」
「そんな事より、そろそろ夕食の時間だろう?」
「確かに!」
「そうだったにゃ!」
「楽しみですね!」
色気より食い気が勝る年頃ってやつだろうか。
三人がきゃあきゃあ言いながら駆け出して行ってしまった。
こうして見てると、普通のお嬢さんにしか思えないよなあ。
俺達が部屋に戻って直に夕食の準備が始まる。
今回は部屋食だそうだ。
仲居のキツネっ子達が、てきぱきと支度をするのに見惚れてしまう。
「むふふふ~ご飯が楽しみにゃ~」
「私は好き嫌いはありませんから、なんでも来いです!」
そこのケモ耳コンビは初っ端からテンション上がり過ぎだろうよ。
エーシャは慣れているのか、普通に食前酒を飲んでるし。
「……って、お前さっき飲酒禁止とか言ってなかったか?」
「うふふ、細かい事をおっしゃる殿方は嫌われましてよ?」
あ、こいつもう酔ってやがる。




