2 おじさんも身だしなみが大切にゃ
転移した異世界は本当に長閑な場所だった。遠くに連なる山々、広がる大地と緑豊かな森に清らかな小川。
こんな場所で生活できるなんて、まるで夢みたいだ。
「おっと、感激してる場合じゃないな。まずは住む場所と仕事だ。お約束通りに町から少し離れた一軒家が理想だよな。それとお約束の冒険者登録ってやつだ」
少し先に見える町へ向かいつつ、持ち物等を確認する。
服装はそれっぽい旅人って感じだ。ショートソードも装備している。肩掛け鞄のアイテム袋もちゃんとあるし、回復薬に身分証のカードと当面の生活費もあるな。
「なんだ? このメモ」
財布に紙切れが入っていて、文字が書かれている。
『言葉は自動通訳です。文字の読み書きも同様です。レベルもそこそこありますので、滅多な魔物にも負けないでしょう』
「リグミナも気が利くじゃないか。これなら手数料四割でも文句は言えないな。……ん? まだ続きがあるな」
『そうおっしゃると思いまして、手数料は七割に変更させて頂きました』
「こんちくしょう!!」
思わず叫ぶと、突然半透明のぷにりとした物体が脇の茂みから飛び出てきた。
一抱えはある大きさだ。これまたお約束のスライムだろうか。
目も鼻も口も無いが、そいつが俺を窺っている……気がする。
スライムと対峙していると、先程のメモ書きが振動している。
メモを見ると内容が新たな文章に変わっていた。
『これはスライムです』
「そんなの分かってるわ!」
『取り敢えず、倒しましょう』
「仲間にしたりはできないのか?」
『無理。倒すと魔石が手に入ります』
「そうか。だったら、さっさと倒して生活の糧になってもらおうか!』
『スライムの魔石はクズ石なので、集めてもあまりお金になりませんよ』
「いきなり萎える事を言わないでくれないかな!? それといちいちメモ書きを見るの面倒なので、アドバイスは音声とかにしてもらえません?」
『……これが限界』
それ以降、メモ書きはうんともすんとも反応しなかった。
まったく使えない女神様だなー。
そんな事を思っていると、スライムが飛び掛かってきた。
結構肉厚で、このままだと押し潰されてしまう。
思わず横に飛び退くと、スライムは『どゆん』といった感じで着地する。
見た目通り、かなり重量がありそうだ。
「さて、どう退治するか……」
腰のショートソードを抜き放って構えてみる。
ぶっちゃけ戦いの経験は無いけど、そこらへんは転移時に調整してくれてるはずだ。
再びスライムが飛び掛かってくる。
動きは鈍重なので簡単に避けられる。
すれ違いざまに切り裂くと、あっさり退治できた。
「結構、呆気ないもんだな」
足元に転がった奇麗な石を回収。
これが魔石なのだろう。
宝石とまでは言わないが、俺からすれば十分奇麗な石である。
とてもクズ石とは思えないな。
その時だった。
「誰か助けてーー!!」
近くで女性の悲鳴が聞こえた。
これは異世界人と初遭遇のチャンスじゃないか!?
って、こうしちゃいられない。
悲鳴の上がった場所へ駆けつけると、冒険者らしい女の子が座り込んでいて、その周囲を数匹のスライムが取り囲んでいた。
スライム達は『どゆんどゆん』といった感じでバウンドしながら、女の子へにじり寄っていく。
これは恐怖だろう。
女の子を含めて向こうは俺に気づいてなさそうだ。
奇襲を仕掛けよう。
先ずは最初の一匹を袈裟斬りにする。
次は横に薙ぐように、その次は突き刺す。
そんな感じで一気に始末する事ができた。
これだけできれば上等だろう。
「君、大丈夫?」
座り込んで放心している女の子に声を掛ける。年齢は十代半ばって感じか。
それによく見たら、猫耳と尻尾があるじゃないか!?
これが異世界、なんて素晴らしいんだ……。
耳と尻尾をモフらせてほしいが、流石にセクハラになりそうなので自重しておく。
「あ、ありがとうございますにゃ……」
おおう!
素晴らしい語尾!
俺的には全然ありです!
「って、足を怪我してるのか」
「スライムの溶解液を食らってしまったにゃ……」
溶解液って、めちゃくちゃ怖いんですけど!?
あいつら、そんなにエグい攻撃してくるのかよ。
えっと、回復薬を持っていたな。
サクッと猫耳っ子の足に回復薬を掛けてあげると、一気に回復した。
猫耳っ子は信じられないといった感じで、俺を凝視している。
「えっと、何かな?」
すると、突然ひれ伏してしまった。
「助けていただいた上に、こんな貴重な薬まで使っていただいて、感謝のしようがありませんにゃ!」
「別にいいってば、たまたま通り掛かっただけだし!」
というか、回復薬は貴重なのか。
安易に使うべきではなかったか。
まあ、使ってしまったのは仕方ない。
「ですが、アタシはお礼できる程お金を持ってませんにゃ……。今日だって薬草採取をしていてスライムに襲われてしまうぐらいで……」
「あー、本当にそういうのいいから! 薬だってたまたま手に入ったのが余ってたんだし」
「余ってるだけで、他人に回復薬を使う人はいませんにゃ! それも獣人のアタシになんて!」
ふむ。
彼女の話し振りからすると、あまり獣人の地位は高くない世界なのだろうか。
まあ、長くオタク人生を送ってきた俺からすると、獣人や亜人こそ至高の存在。
崇めてこそ、差別して見下すなんてあり得ない!
「気にしないでって。それよりもう立てるかい? 俺はこれから町に行くから、良かったら一緒に行こう」
猫耳っ子に手を差し伸べると、彼女はボロボロと泣き始めてしまった。
って、こんなところで泣かれても困るんだけど!
通報されたら完全に駄目な光景だよね!?
「なんで……なんで……アタシに優しくしてくれるのにゃ……」
「そりゃあ、目の前に困ってる人がいて、自分に助けられる力があれば助けるだろうよ」
俺にとっては当たり前の事でも、この世界では違ったらしい。
「あのう、お金でお礼はできないけど、せめてアタシの身体で……」
そういうのはいけません。
それに可愛そうなのは無理です。
俺としては、もっと大人の魅力が溢れた……って、嗜好が元のまんまじゃねえか。
俺、若返ってるはずだよな?
「駄目だよ。もっと自分を大切にしなくちゃ」
月並み過ぎるセリフだなー。
もっと気の利いた返しはできないものだろうか。
だけど、猫耳っ子は感動してくれてるみたいだ。
「おじさん、強い上に優しいのですにゃ。アタシ感動したにゃ!」
「ははは。照れるなあ……」
って、待て。
今おじさんって言われなかったか!?
あの女神に若返らせろって言ったよな!?
「あ、あのさ、手鏡とか持ってない?」
「あるにゃ。おじさんも身だしなみが大切にゃ」
猫耳っ子から小さな手鏡を借りて自分の顔を映す。
……終わった。
元のままのおっさんの姿じゃねえか。
あのクソ女神、覚えてろよ。
絶望に打ちひしがれて地面に手をついていると、猫耳っ子が心配そうに背中をさすってくれる。
「あ、あの、アタシ的にはおじさんも結構イケてると思うにゃ?」
その気遣いが逆につらい。
まあ、ここでクヨクヨしてても仕方ない。
別にモテてハーレムを作りたいって訳でもないし。
そんなこんなで、猫耳っ子と町へ向かう事にした。
ちなみに、彼女はミユという名前だそうだ。
「クラタさん、薬草採取まで手伝ってもらって助かったですにゃ!」
「いいって。俺も薬草について教えてもらえたし。また機会があったら教えてくれないか?」
「もちろんですにゃ! クラタさんには一生返せないぐらいのご恩があるにゃ!」
そういうのはやめて!
「それはそうと、クラタさんが採取した薬草は品質がいいにゃ。何か特別なスキルを持ってるのかにゃ?」
そんなのがあるのか。
何も説明を受けていないから、その辺の事は分からないんだよな。
あれから女神のメモ書きもまったく反応が無いし。
ミユの案内で無事に町へ入ると、これまた平和な町だった。
ここはセービルの町というらしい。
活気がそこそこあり、商店もそれなりに充実している。
そんな町の中をブラブラ歩きながら、途中の建物の窓ガラスに映る自分の姿を見て再び肩を落とす。
ピチピチした十代に戻りたかったのに!!
まあ、今更騒いでも仕方ないか。
気を取り直して、まず異世界テンプレ的に冒険者ギルドに登録しないとな。
生活費も稼がないといけないし。
「ミユ、冒険者ギルドに案内してくれないか? 冒険者登録をしようと思って……」
「ええ!? クラタさんって、冒険者じゃないにゃ!?」
ミユが絶句している。
まあ、スライムを簡単に倒せる一般人はいないって感じなのかな?
それはさておき。
冒険者ギルドに到着でございます。
「おおう、これぞ冒険者ギルドだ!」
中に入ると冒険者達が飲み食いしている姿や、掲示板に依頼が貼られていたりする。
実際に目の当たりにすると、テンション上がるなー。
受付窓口はあそこだな。
数人の受付嬢が対応しているのが見える。
「アタシは向こうで依頼達成の報告をしてくるにゃ」
「ああ、案内ありがとうな」
ミユと別れ、空いている受付に向かう。
「すいませーん」
「はい。今日はどのようなご用件でしょうか?」
営業スマイルで対応してくれたのは、ミユより少し年上に見える若い受付嬢だ。
いいところのお嬢様っぽい雰囲気である。
「えっと、冒険者登録をしたいんですけど……」
言った途端に受付嬢の表情から営業スマイルが消えた。
そんでもって、周囲の冒険者達も微妙な表情に変わる。
中にはあからさまに俺を見下すように嘲笑する奴もいるぐらいだ。
あー、なんとなく理解してしまった。
年齢制限ってやつだな。
確かにおっさんの俺は、ここでは場違いらしい。
ベテラン冒険者の風格を醸し出してる奴ですら、俺より年下に見えるし。
先程のミユの反応もこれだったんだな。
だが、ここは伊達におっさんをやってる訳ではない。
こんなピンチはいくらでも切り抜けてやる。
「あ、前に別の町で冒険者をやってて引退したんだけど、復帰しようかと思いましてね。俺も若くないし、危険なクエストとか狙ってませんよ」
無論、口から出任せの嘘である。
全くの未経験者では無い事をアピールするのだ。
多分、生活に困った中年が冒険者になって大怪我を負ったり、死んだりする事が多いと思われる。
「そ、そうでしたか。ではこちらの書類にお名前と必要条項を記入してください。それと登録料をお願いします」
思ったより、あっさり信じてもらえたな。
そして、俺に向けられる周囲の視線も幾分厳しさが消えた。
「クラタ・ソウジさんですね。変わったお名前ですけど、もしかしてイヅナ国の生まれですか?」
しまった、こっちの世界風の名前を考えておくべきだったか。
ミユにも名乗ったし、もう手遅れっぽいけど。
それはそうと、イヅナ国って何処の国だ?
もしかして、俺の住んでいた国みたいな文化圏の国なのだろうか。
よく分からないけど、適当に話を合わせておこう。
「え、ええ……そんなところです。大分前に旅に出たので、もう色々と忘れてしまいましたけどね」
「そうですよね。あんな遠くの北の大陸ですもの。随分と長い間、旅をされたのでしょうね」
どうやらイヅナ国とやらは、ここから相当離れているみたいだ。
今後はこの世界の地理も把握しておかないとな。
「ではクラタさん、この水晶板に手を乗せてください」
「はい」
おお! これまたお約束の展開である。
これで俺の能力が判明するんだな。
「ええっと、能力は全てDですね……逆に珍しいというか」
まあ、そこそこの能力で構わないと女神リグミナに言ったからな。
ここでオールAやらSとかだったら、話が変わってしまう。
「それと、固有スキルですが……ドロップ品の価値向上ですか。これは普通に珍しいですね!」
その辺は流石に仕事をしてくれたみたいだな。
「後は……ブースト? こちらは初めて見るスキルですね。というか、固有スキルを二つも持っている方なんて、とても珍しいですよ?」
そんなものなのですかね。
しかし、ブーストとやらの効果はなんだろうな?
名前からすると、能力の底上げみたいなものだろうか。
それから細々とした説明を受けた。
「これがクラタさんの冒険者カードです。元冒険者との事ですが、ブランクがあるので最初はFランクからですね」
こいつが冒険者カードか。
Fランクは最初の一ヶ月間に最低二件のクエストを達成しないと、資格をはく奪されるそうだ。
それをこなせば、Eランクに昇格だとか。
まずはそこを目標にしよう。
「改めまして、私はアイニと申します。これからよろしくお願いしますね。クラタさん」
アイニと名乗った受付嬢がニッコリ微笑む。
きっと俺が若かったら、コロッと惚れてしまってたんだろうなー。
悲しいかな。俺はアイニぐらいの娘がいてもおかしくない年齢なのである。