6 愛の致死量
敷地に足を踏み入れるまで、廃教会自体がセムヤザには見えていない様子だった。
ここには人払いの結界が張られてるそうだ。
私の頭の中は未処理の疑問であふれていたが、セムヤザは何か確信があるように見えた。
あの自称賢者はそれでも兄を助けてくれたのだ。 聞きたいことだらけだ。
最後にここを訪れてから一年半。 記憶の中の光景と、まったく変わらない景色。
私たちはセムヤザを先頭に、両開きのオーク製のドアを押し開け教会に入った。
整然と並んだ長椅子の向こう。燭台に無数のロウソクが灯る、中央通路の奥の祭壇上に、はたしてあの時出会った賢者がいた。
黒いローブに黒い帽子、とがったアゴに細い目。 高い上背いに、痩せた体。
あの時会った男に間違いない。
建物に入るなりザルカエルが先に声をかけてきた。
「ようやく来てくれたね。セシル。 私はお前をずっと待っていたんだ」
壁に反響した低い声は、あの時の感じとまったく違った。
私は、その場で呼びかけに答える。
「あなたには聞きたいことが山ほどあるわ」
「あの時兄を助けてくれたことは今でも感謝してる。 それで、あなたの目的はなんなの?あなた悪魔なんでしょ?」
「わはははは。 感謝か。 そこの男は、お前に何も教えてはくれなかったわけだ」
首を傾げる私を、セムヤザはたしなめる。
「セシル。 奴と話すことは無い」
そして、腰に差した剣の柄に手を掛けた。
「そう急ぐな。 きさまの顔は覚えているぞ、殺し屋。 どうした? ずいぶん力が減ってるな」
私の記憶と明らかに違う男の様子に、ようやく納得した。 あいつは確かに賢者なんかじゃない。
セムヤザはいつでも飛び掛かれるように油断なく警戒したまま、私を背中にかばう。
悪魔はまるでセムヤザへの興味を失ったとばかりに、私に呼びかける。
「セシル! お前に合わせたい人がいるんだ。 君もよく知る人物だ」
わが目を疑った。
「レディ・オコネン!? こんなところで何してるの? そいつが誰だかわかってないのね? 逃げなさい! 彼は悪魔よ」
ふらふらと現れた人影が、あやうく誰だか分からなかった。自慢の金髪は鳥の巣のように乱れ、ところどころ破れたドレスには、泥と赤黒い汚れで覆われている。
(怪我しているようには見えない。……まさか返り血じゃないでしょうね)
影を纏った壮絶な表情でオコネンが笑う。
「逃げなさい? 誰に向かって口をきいているの。 彼は私の協力者で、優秀なアドバイザーよ。」
彼女が、どれほど今この状況を理解しているのか分らない。
「契約はしてないんでしょうね!? それなら今すぐにげなさい」
目をぎょろぎょろと忙しなく動かし、オコネンは何かをぶつぶつ言っているが、到底意味のある言葉だとは思えなかった。 そして急に爆発した。
「伯爵令息と婚約がまとまりかけてたのに。あと一歩だったのに!! あああああああああああああんたのせいで台無しよおおおおおおおおおおおお!!!!!」
外で見せたことのない日傘のありかを、なぜオコネンが知っていたのかがこれで分かった。
危険な悪魔を前に、彼女の相手をしてる場合じゃない。
オコネンは、ぽつりとつぶやいた。
「殺してやる」
そしてザルカエルに向き直り、
「ふふふふふふ あなた悪魔だったの?」
黒衣の男は答える。
「いかにも」
「私はあなたと契約するわ。 願いをかなえて。 力を頂戴。 私に指図する人、全員を殺す力を」
全て失ったオコネンの姿は、恐ろしかった。
「私に惜しいものはもうないわ! おうちの金も好きなだけ持っていっていいわ。 お父様も破滅すればいいのよ。 婚約者ももういらない! あいつは卑劣な裏切り者だ!!! いくらでもあなたにささげるわ。 さあ破滅させる力を頂戴!!!」
「対価に何でも捧げるわ」
地獄の底から声が聞こえた。
「それでは契約成立だ」
私は契約で音楽を失った。
オコネンが失ったのは「美貌」だった。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!
頭の周りから、真っ黒い煙を上げてオコネンは突然のたうち回る。
髪はドロドロに溶け、顔が焼け爛れたちまち崩れだす。
手足をでたらめに振り回して、長椅子を蹴散らしてそのまま部屋の壁にぶつかってひっくり返った。
がぼがぼと喉のあたりをかきむしり、オコネンは床で跳ね回っている。
一目で彼女を助けることは不可能だと確信した。
「ばかなことを!!」
すべてを黙って見ていたセムヤザは「セシルは、ここにいてくれ」と言い置き、鞘を払い、銀の直剣を下段に構えて、通路をまっすぐ、正面から悪魔に突っ込んでいった。
2歩で悪魔に肉薄し、
「はああああああああ」
振り上げたセムヤザの剣は、悪魔が手に持つ黒い杖に阻まれた。
がっちり受けとめた悪魔は、つばぜり合いをしながら余裕の声で、
「あの時の貴様の槍はどこへやったんだ? 質にでも入れたか?」
「黙れ! お前を殺すのはこの剣で十分だ」
上に下に銀の閃光が幾度も翻り、そのたび剣から火花が上がる。
一瞬飛びのき、さらに速度を上げてセムヤザが迫っていく。
「らあああああああああああああ!!」
二人は、互いの位置を何度も入れ替えながら攻防を続ける。
私の目には、ほとんど互角に見えたやりとりは一瞬で傾いた。
「死ねええええええええ!!!」
黒い影が、セムヤザの背に組み付いた。
「ざまぁみろセシル!! お前の男は終わりだああああああ!!」
黒い塊は、勝ち誇るように吠えた。
一瞬生まれたセムヤザの隙を見逃さず、悪魔が杖を逆手に持ち替え無慈悲に振り下ろした。
杖の先から生じた鋭い黒い影は、セムヤザの肩を貫き、セムヤザを押さえつけていたオコネンの首に突き立って止まった。
その場で釘付けになった二人は声さえ上げなかった。
「ああああああ!!」
私は気付けば走り出していた。
黒衣の悪魔は、二人まとめて足で蹴散らし杖を引き抜く。
壁際まで吹き飛んだセムヤザの下へ、急いだ。
「たわいないな」
セムヤザの頭に手をまわし、すぐさま傷を手で押さえる。 回復呪文を唱えるが噴き出す血が止まらない。
「……すまない。 油断した。 君は逃げてくれ」
私は取り合わず、着ていたドレスの片袖を破り、傷口に当て、抜き取ったベルトを使って止血する。
セムヤザが胸のポケットから取り出した、透き通ったポーションを私は受け取った。 それをすぐさま肩全体に振りかけると血の勢いが完全に収まった。
見る間に傷は、埋まったが、皮膚の下から黒い煙がうっすら立ち上っている。
セムヤザに肩を貸し、体を起こす。
セムヤザは私の耳元に唇を寄せ、
「僕が時間を作る。 先に君が逃げてくれ」と、小声で指示する。
セムヤザは剣を手繰り寄せると、再び戦う構えを見せた。
(どうにかしてセムヤザ連れて逃げなきゃ)
辺りを見回すと、動くものがあった。
ごほごほと湿った咳の源を見れば、顔のわからないオコネンが倒れていた。
口の部分に空いた真っ黒の穴が笑みの形を作る。 血だまりの中で、おそらくこちらを見ていた。
彼女が何を考えているのかついに分からなかった。
そして程なくしてその黒い塊の動きが止まった。
倒れた祭壇を元通りの位置に直し、そこに再び立った黒衣の悪魔が呼びかけてくる。
「さて、セシル! お前のお兄さんの種明かしをしようか?」
さえぎるようにセムヤザが叫んだ。
「聞くなセシル!! さぁ逃げてくれ!!」
セムヤザに背を押され、一歩踏み出そうとして私の足は止まった。
(……ユーベルの話?)
セムヤザは何かさらに言おうとしたが、たちまち黒い煙の勢いが強くなり、声が出なくなる。
私は、セムヤザの傍らに戻る。 悪魔の目を見つめたまま視線が剝がれない。
「私が力を貸してやると言ったら、ユーベルは眠るお前を担いできたよ。 最後は這いつくばってな!」
(なんの話?)
「お前が目を覚まさなくなった日の話だよ!」
「奴に大切なものは何かと聞いたら、夢はダンジョンで身を立てることだ、と答えたので、それなら二度とダンジョンに立ち入らないことを条件に、眠る妹に癒しをほどこすことにしたんだ」
「奴は自分の足を自分で切ったぞ。 そこにある錆びた糸ノコで」
恐ろしすぎて悪魔が指さす先をみることはできない。
「やつは下手でなぁ。 切り口がひどくて私が血をとめたんだ。 お前たち二人を家までとどけてあげたのも私だよ。 お前のお兄さんはずいぶん私に感謝してたよ」
「そしてやつの苦痛は、私の力の発達に大いに助けになった」
膝から力が抜け、へたり込んでしまう。
「……でもあなたは。……兄を、助けてくれたはず」
「わははは まだ気づかないとは!
下界のあらゆるポーションが無効だった病をお前の小さな回復で癒したのだと?
それなら奇跡でもおこしたのか?
あれは私の掛けた呪いだよ。 しかるべき手順を踏まねば解けまい。
そうだ私がかけて、私が解いてやったんだ!」
悪魔が語る言葉の意味がわからない。
「お前が危篤になったのも、同様だ! 本当に似たもの兄妹だ。 愚かなところがよく似ている」
ようやく自由になったセムヤザが、私の目をのぞき込み、声を絞り出した。
「セシル。 悪魔の言葉を真に受けちゃだめだ。 全て嘘なんだから」
悪魔は、大声でさらに続けた。
「親切な私は、ユーベルと別れた時に『もうここへ来てはならん』と言い含めたんだ。
しかし、やつは再びのこのこ現れた どうやらお前の回復の力は、私が授けたものだと最初から確信しているようだったぞ。 勘のいいやつめ。 どこかの誰かとは違うな」
わははは
「やつは『半年前に妹がここに来たか?』と私に聞ききに来た。
だから先に教えてやったんだ。
この教会は地下にコアがある。 私が手づから作り上げたダンジョンだとな。
奴は二度とダンジョンへ入らないという契約を自分の足で破った。 一本しかない足で」
「だから命を貰ったんだ」
開けたままになっていた教会のドアが、大きな音をたてて独りでに閉じた。
悪魔は嗤う。
「さあ! そこにいる恋人を助けられるのはお前だけだ!
お前の命を差し出せば、その男を逃がしてやるぞ。 もちろん呪いも解いてやる。
契約する気になったら、次の間に来い! せいぜい悩むがいい だが時間は無いぞ」
そして霞んで消えた。
◇◇
あの日、回復魔法を覚えて兄を癒して。
この世界に来て、生まれて初めてまともな事をやった気でいた。
初めて役にたったと思った。 音楽はうしなったけど、やっと人間らしいことをできた気でいた。
はじめててがらをたてた。
幼いころに私たちの母親が死んだ。
からだの弱い足手まといの私を抱えて、働き続けて、ある日倒れてそれっきり。
布団の中で最後に「ごめんね」って。
愛してくれた兄は、急に死んだ。 私に一本の日傘を残して。 死に目にも会えなかった。
そしてセムヤザは、私に関わったばっかりに空へ帰れなくなった。
あたしは どこで なにをしていたら よかったのかな そればっかり考えてる人生だった。
(……負けるもんか)
音の絶えた二人きりの廃教会の翼廊で、長椅子に二人、腰をかけて。
燭台のあらかたが、散らばり、照明はほとんど残っていない。
天井に空いた穴から差し込む月明りが、祭壇の奥の崩れた聖餐台を照らしていた。
私は、隣のセムヤザに告白する。
最初からあなたがいたこと気付いてたよ。 あなたが、木箱の陰で私の演奏を聞いてたこと。
天使みたいにかわいい男の子がいると思った。 まさか天使さま本人だとは思わなかったけど。
あなたが翼を失ったきっかけになった音楽。 あれはロックっていうのよ。
ちっぽけな私が、唯一持ってる小さなナイフ。
私は、ままならい苦難だらけ、死だらけの世界を心の底から憎んでた。
私を放っておいてくれ、糞世界って。
だからあの日。 たまにある体が自由に動く日。 ギター抱えて旧市街地に行って、弾いてた。
ギターはここで見つけたの。 すごいほこり被ってたけど、なぜだか弦がすべて無事で。
(負けるもんか)
自由のうたを歌いに。 奴隷は枷を解かれて、囚われた魂を天に解放するの。
理不尽と悲しみの中に誰もとどめておけないことを確認するため。
あなたのうたを歌ってたって言ったわね。 そういう事ならよくわかるわ。
誰しもが、心の中に大きな書庫を持ってるの。
そこには膨大な音楽があって、あなたが聞く日をまってるの。
あなたがはじめから持っている音楽をあなたが聞きに来る日を。
ある人にとっては、それが本であったり、あるいは絵画だったり。
あなたにとっては音楽だったのね。
初めて聞く音楽。それがどれほど刺激的だろうが、退屈だろうがそれはあなたの音楽なのよ。
そして私は自由のうたを歌うの。 歌を失った今でも。 それが私の全て。
あなたは今も天とまっすぐ繋がってるわ。 自由ってたぶんそういうこと。
全てから自由になったあなたは、それでもすべてと愛で繋がってる。
今ならわかる。
母も兄もセムヤザもそして私も。 いろんな人が、何か色々失って。
でも
――それでも。
私は私の選択を誇るわ。 あの日兄を助けた女を、私は祝福する。
私はユーベルを祝福する。 妹を助けるために、その時命をかけた兄を。
自身の手柄のためじゃない。 だまされたから行動したんじゃない。 無知故の蛮勇なんかじゃもちろんない。
ただ愛のため。
理不尽な世界でひたすらあがいて。
自由で。
私は、セムヤザ あなたを祝福するわ。
神の言いつけを、「あなたが信じた神の誇りのため」に背いて、そのことで命を狙われて。
それでも神に祈るあなたを祝福する。
――腹の底にあった、世界への憎しみが愛で消えた。 セムヤザがいるこの世界で、ほどけて――
神様!!! あんたどうせどこかで見てるんでしょう!?
私のこと、この世界に呼び出しといて殺し屋を差し向けた無礼を許してあげる!!
そのかわりこいつはあたしのもの!!!
あなたの代わりにすべてを祝福するわ! 胸張って天国に待たせてる人のところへいってやる!
ざまぁみろ!!!!!! これがあたしだ!!!!!
私は、日傘を捧げて神前に聖約した。
そして、傷ついたセムヤザに再び回復魔法を詠唱する。 私の中の疑いようのない力を全て込めて。
そして講堂の闇を引き裂く、目を開けていられないほどの青い光に辺りは包まれた。
思えば当然のことだった。 以前の私は、こころの底で神を憎んでいたから。 この世界自体を恨み信じなかったから。
悪魔にもらった異能なんかじゃない。 これこそ私自身の力だ。 私が世界から授かった力だ。
――セムヤザの肩から細く立ち上っていた黒い煙が消えた。
驚いたような顔で、わたしを見つめるセムヤザの頭に手を回し、深く口づけをする。
「っっっ!!!」
目を開けたままガチガチに固まっていたセムヤザが、息継ぎの隙間に、「あふぅ」と言って目がとろんとなった。
(まるで女の子みたいな反応ね)
長い時が過ぎて。
私はセムヤザの腕の中で問いかける。
「あなた気付いてる?」
セムヤザは目をしばたたかせて、
「なんのこと?」
「あなた何握ってるの? あたしの背中にあたってるわよ」
慌てて抱擁を解くセムヤザ、がおもしろい。
二人で確認すると、セムヤザの手の中に純白の聖槍があった。
唖然として手の中の槍を見ていたセムヤザが口を開く、
「……前よりちょっと短いな」
私は、笑って
「もうもめるの? せっかく和解できたのに?」
セムヤザは慌てて、
「いや もちろん違うよ。 ……それにやっぱり空へはまだ帰れないみたい」
「まぁ目前の課題をまずはこなしましょう」
「出てきていいわよ! ザルカエル!」
黒衣の悪魔が焦って出てくる。
「ここは私のテリトリーだ!! いったい何をした!!!」
セムヤザに向かって、矢のような黒い影を伸ばした黒衣の悪魔の攻撃を、私はかばった。
腕の横を通り抜けた悪魔の突きは、セムヤザが私をとっさに抱き寄せたことで、薄く肌をかすめただけだった。
もちろん私は、その間ずっと後ろ手でセムヤザに回復を仕掛けていた。
「ザルカエル! あたしの回復の行使をさまたげたわね!! 契約違反よ!!」
黒衣の悪魔は細い目を見開き大声で、
「違う!! そんな契約はしていない!!!」
「妨げたことは認めるのね。 『あたしは音楽を失い、代わりに回復をさずける』そういう話だったでしょ?」
「授けた時点で私の義務は果たされた!」
私は、挑発的に笑う。
「契約に従い授けた力の行使を妨げるのは、契約の趣旨に反するんじゃなくて?」
「反していない!!! へ理屈を今すぐやめろ!!!」
(やっとこちらのペースになった)
完璧な悪魔にほんのわずかな迷いが生じた。
(これでいい)
意を汲んだセムヤザは音もなく駆け抜けた。 そしてぎりぎりまで背に隠していた聖槍を、下から悪魔に突き刺す。
「ぐあああああああああああああああ」
セムヤザの一撃は黒衣の悪魔の心臓を正確に貫いた。
断末魔を上げ、黒い塵になり消えゆく悪魔に、
「これで契約は白紙ね」と、あたしは告げた。
ダンジョン化した教会が晴れていく。
セムヤザは、ようやく警戒を解いた。
あたしは、セムヤザに駆け寄り抱きしめる。
「あなたはこれから私の物 私はこれからあなたの物 何か文句がある?」
セムヤザはにっこり笑って、
「……ないよ。 ずっと、ないよ。 初めて会った時から。 そうだったらいいなって思ってた。」
ここまでお読みいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたのなら、幸せです。
ブックマーク及び、下部の☆☆☆☆☆を押して評価ポイントを入れていただけると嬉しいです。