3 僕を信じて
王城のおひざ元。ヴァンルード広場に面した、大きな三階建ての鮮やかな青色の二重勾配の屋根をもつホテルの前で馬車が止まった。
深い絨毯のエントランスを通り、セムヤザは、応対した受付にまたしてもメダルをみせていた。
ほどなくして現れたベルボーイの案内をうけ、長円の周り段になった石造りの階段を上り、奥まった客室にたどり着く。
ゆったりとしたレースのカーテン越し、遠く海が見える。
(ずいぶん布の多い部屋ね)
ローズピンクの絨毯に、色をそろえた調度品。 見上げた天井の上には豪華なシャンデリアが輝いていた。
隣の部屋にはこれまたカーテンごし、馬が寝返りうてるほどの大きなベッドがあった。
ピカピカ光るリネンのシーツ。主寝室は、白を基調に薄い緑のアクセント。
幾何学的なモールディングが施されたバルコニーは、寄宿舎の私の部屋より大きかった。
スイートルーム。これ知ってる。スイートルームだわ。
ポーターが荷物を運び終わり、ようやくセムヤザと二人きりになった。
「こんな高そうな服を着て、貴族が通う宿で私たちいったいぜんたい何してるのかしら?」
見るとセムヤザは、テーブルの上に置かれた小さな木桶の中で冷やされていたワインの栓と格闘していた。
二つのグラスにワインを注ぎ、グラスの片方を受け取る。
「さっきの種明かし」
セムヤザは胸元から例のメダルを取り出すといたずらっぽく笑った。
「これオコネン子爵家のメダルなんだ」
「……? つまりどういうこと?」
受け取ったワインに口をつける。
(あら、おいしいわね)
「今君が飲んでるワインも全てレディ・オコネンの父上のおごりってこと」
言葉を理解するまでに、さらにワインを一口飲むだけの時間がかかった。
「……盗んだの?」
困惑。
セムヤザはにっこり微笑み、
「いや彼女の御父上は僕に借りがあるんだ。 以前たまたま仕入れた薬草がどうやら値打ちものだったみたいで、それを切実に欲してた彼に譲ったんだよ。 それで彼の金庫の一部は僕のために開かれてるってわけ」
私を指さしながら、
「君は、レディ・オコネンに貸しがある。 そして僕は、オコネン卿に貸しがある。 親子二代の貸し借りの清算はこの後の茶会で済んで、全員幸せ」
さしずめこれは前祝ってこと、とセムヤザ。
私から半年間も隠れてどこで何してたんだか。
彼の言った言葉の半分も理解はできなかった。 そして思い出す、
仕立て屋で完成品のドレスがすでに準備されていた――
突然笑いがこみ上げる。
「この服は、レディ・オコネンから巻き上げたってわけ?」
セムヤザは肩をすくめた。
「そういうことなら私も少し楽しむくらいじゃ罰はあたらないわね」
「やっと君らしくなってきたね」
二人そろって大笑いした。
「さぁごはんにしようよ。僕も朝からなにも食べてなくて倒れそうだったんだ」
情けない顔で微笑むセムヤザ。
呼び鈴を鳴らすとあらかじめ準備してあったのか、給仕がワゴンを引いて、次々に出来立ての料理を運んできた。
マナーも気にせず二人だけの食事。
普段学園の食堂でとる食事を思い出す。シチューと黒パン。もしくは部屋に買い置きしてある塩気の強いビスケット。
それに引きかえ、ふわふわの白いパンにたっぷりのバター。
アスパラガスが浮いたなめらかなスープ。
クリームで煮た柔らかい鳥は、香りのいいキノコと合わせて絶品だ。
うまぁ
この肉は鹿かしら? 絶妙な火加減で見た目以上に柔らかい。 野趣あふれる肉のうまみに、スパイスが効いていい香り。
セムヤザいわく「肉もソースもさっぱりなんだか分からないけど、とってもおいしいね。 君との食事はいつだって湯気までおいしく感じるよ」
豪快に切り分けた赤みの肉をほおばりながら、屈託なく笑うセムヤザ。
何も変わってない。嬉しくてため息が出るほど、なんにも。
「あんたてっきり、普段からこんな食事してるのかと思った。」
「え?まさか。一人の時はだいたいパンかじるくらいだよ」
ふふふ
「ほんとにあなた外では紳士が板についてるのね。今日は驚きっぱなしよ」
「男子三日合わざれば刮目すべしってね。 だからちゃんと僕のこと見てくれなきゃだめだよ」
得意げに胸を張る男の子。
最高の空間に、最高の味。目の前には昔馴染みの男の子。
デザートのたっぷりクリームの乗ったケーキをつつきながら。私たちは会えなかった半年を埋めるだけ話し続けた。時間を忘れて笑いあう。あるいは、急き立てられるように。
いつまでもこうしていたい。
微笑む間にも胸の底にある悲しい物語を巧みに躱して。
楽しい時間は瞬く間に過ぎて、食後のハーブティーも飲み干した頃。
大きく伸びをし、改めてすべてを見渡す。こんな暮らし、夢のようだ。
本当にこんな時間を過ごすのが夢だった。
あの頃の私に聞かせてあげたい。
――13歳。セムヤザと出会ってだいたい1年が過ぎて。
このころもともと悪かった私の体調が急に悪化して、生死のさかいにいた。昼も夜もわからない暮らし。
記憶は常におぼろげで、ほとんどよく覚えてはいない。
そして何日か経ったある日、私は突然元気になって、代わりにに兄が片足になった。
夢から覚めた私に、包帯を巻いた兄がかけた言葉を忘れない。
「セシルが治ってよかった」兄はそれでも、いつもの穏やかな顔で笑ってた。
最愛の家族が大怪我をした。事情を全然教えてくれなかったけど、絶対ダンジョンで無茶したのがわかった。
その後、傷ついた兄はダンジョンの夢を諦め、それでも工房の仕事を休まなかった。私は相変わらず家で兄の手伝いの針子仕事を続けた。
セムヤザは、時々現れて何か理由をつけてはお金を置いていった。
うれしかった。 本当に心の底から感謝した。 しのびなかった。 みじめだった。
弱い私を必死に守る親代わりの兄と、いつも気にかけてくれるセムヤザ。
守られるだけの私。 だから、私は――。
兄が義足に慣れた頃、取引先から紹介され医術士の路を目指してみるかと提案された。
否やは無い。兄の足を治してあげたかった。
そこからはあっというまだった。
あたしの思い出。
あたしの15年の人生。
目の前で微笑む素敵な男の子に、私はゆっくり語りだす。
「医務室で目を覚ましてから、今まで夢みたいで嬉しかった。 初めて化粧して、すばらしいドレスを着て。 こうして素敵な食事をしてる。 目の前にはあなた。」
(そろそろ夢から覚めなきゃ)
鼻の奥がツンとする。
「返しに行こう」
セムヤザはわずかに首をかしげ、
「え?」
「この服よ」
「あなたにこれ以上迷惑をかけられない」
絶対泣いちゃだめだ。
「たぶん見切りをつけるいい機会だったのよ。今季かぎりで学園をやめるし。 ここでの食事代くらい、きっちり働いて返すわ。」
どうかこの笑顔が、自然に見えますように。
「日傘なら、もう一度オコネンに頭を下げて頼んでみる。花婿探しに忙しいみたいだし、醜聞をきらう時期でしょ? もしかしたら飽きっぽいあの女のことだから、あっさり返してくれるかもしれないわ」
明日からは、つらい現実。
私が生きるための頼みの綱。 最後の砦。 回復士の道を、失った。
(自分の手で台無しにしちゃった)
それでも。 今日が人生最後でもいい。 この思い出さえあれば、凍える夜もぐっすり眠れる。
もうお荷物でいるのは嫌だ。
報われなかった今までのすべてと、今日の思い出はたぶん釣り合ってる。
目の前で静かに微笑むセムヤザ。
絶対今この時だけは、涙を見せてはいけない。
「だから、返しに行こう」
ゆっくりセムヤザは立ち上がり私の手をとり、
「ぼくを信じて」
深く抱きしめられる。
「お願い。今日だけでいいんだ」
まるで傷つきおびえ切った森の動物に話しかけるように。
「僕を信じて」
絶対涙は見せられない。
◇◇◇◇
私が十分落ち着いたころ、
「行こうか」と、セムヤザが言った。
私は、静かにうなずいた。
馬車で移動する間、私たちは手をつないでいた。
あたたかな無言の中で。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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