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1 幸運のパラソルと半分の夢

「レディ・オコネン! あたしからくすねたそいつを今すぐ返しなさい!!」 

 魔道学園の学舎の屋上で、私の呼びかけに振り向いたオコネン子爵家令嬢タイナ・オコネンは、それでも余裕を崩さなかった。

 怒りで煮えたぎる私に対して、史上最悪の腹黒女が口を開く。


「あら貧乏人のセシルじゃない。 まだ学園にいたの?」

 

「ワタクシがあなたからモノをくすねるだなんて。 ふふふ。 いったいぜんたい何のお話かしら?」

 腰まで伸びたプラチナブロンドの髪をかき上げ、ひたすらくねくねした動きを続ける目の前のダイコン女に気が遠くなる。

 時刻は早朝とあって、普段は人であふれる休憩所であるこの場所もあたりに人気(ひとけ)はない。

 

 眉を寄せ、芝居がかった表情で白をきるこの女に、引導を渡してやるにはおあつらえ向きの状況だった。


「しらばっくれるんじゃないわよ! 留守の間にあたしの部屋のロッカー漁って盗んでいったそいつの話よ! あなたのご自慢のお父様は空き巣のやり方まで教えてくれたの?」


 修道院で行われた徹夜の実習からへとへとになって自室に引き上げ、いきなり目にした、散々に荒らされた惨状を前に危うくショックで失神しかけた。

 この女が、私の傘を手に持ち学舎へ続く渡り廊下を歩く姿を、自室の窓越しに見つけられたのは、正に偶然で、ここまで追いかけて来れたのも、女神パナキアの思し召しに他ならなかった。


「なんて人聞きの悪い! このパラソルはあたくしのよ!」

 最悪女は、手に持った日傘を大げさに胸に抱き、言いがかりはやめて頂戴と頬をふくらませる。


 平民の私からこれだけ罵倒され、さすがに動揺したようだ。それでもほころびはわずかなものだった。


(この三文芝居にだまされる世の中の男連中全員に乾杯だわ)


「レディ・オコネン。あなたずいぶんあたしの逸失物に詳しいのね。 あたしは一言だって盗まれたものが日傘だなんて言ってないのに」

 

 さすがのこの女も、フィアンセ探しの大事な時期に醜聞はさけたいはずだ。貧乏人から傘を取り上げたなんて噂が広がれば社交界でいい面の皮。


(こいつにとっては暇つぶしの遊びでも、あたしにとっては命の次に大事な品物。ここで逃がすもんですか!)


 古典的な墓穴に勢いを得て私は、畳みかける。


「その首の上に乗ってる軽い帽子置きをよく働かせて考えてみなさい。 レディ・オコネン? 今すぐ返すか、ぶちのめされて泡吹いて這いつくばってるあんたの脇からあたしが拾い上げるか。 二つに一つよ! さあ答えなさい!」


 私も今年で15歳。くすんだ黒髪に人並みの容姿。

六弦(ギター)と引き換えに得た異能。【回復魔法】だけをたよりにこれまでこの貴族だらけの学園で、必死に生きてきた。

 学費で大金を失い、代わりに得た苦痛と侮蔑に満ちたこの暮らしも、卒業後の人生を思いひたすら目立たず、やりすごしてきた。

 だが、それも昨日までの話だ。

 

(まさかこんな私に噛みつかれるとは夢にも思っていなかったことでしょうね)


「レディに対してひどい言い草だわ。 耳が腐るような侮辱はやめてちょうだい。 これだから貧乏人の入学には反対なのよ! 人様の持ち物に対して、物乞いの次は強盗予告? 私が誰だかわかってないみたいね」


 金持ち貴族という絶大な権力を盾に、これまで虫けらみたいに踏みつぶしてきた娘達と同じと考えないことね。


「あんた以上にわかってるわよ。 あんたは泥棒。 平民いじめて楽しんでいられたのも今日までよ」


 最後の家族である兄を失った今の私に脅しは通じない。


(その傘だけは奪われるわけにはいかないのよ。 絶対負けるもんですか)


 先ほどから最悪女が、あたしの後ろの空間に必死に目くばせしているのには気付いていた。

 振り返らなくったって気配でわかる。 


(時間をかけすぎたわね)


「オホン」


 これ見よがしの咳払い一つついて、あたしの目の前に割り込んできたのは、オコネンの周りをいつもぶんぶん飛び回るアブの一人だった。


「ごきげんようミス・セシル。 なにか二人の間で行き違いがあったようだけど僕に話してくれないか? ここでは人目があるし、どこかで冷静に話し合おう」

 さぁ。行こうか。と、突然つかまれた肘を私は、強引に振り払う。


 この男の名前はたしかマイケルといったかしら。あたしと同じ平民なのにいつも見下したような笑顔を浮かべる金持ち息子君。

 学園卒業後にオコネン子爵家の家臣として取り立ててもらうべく点数稼ぎを必死に続けるとりまきの一人だ。


 趣味は筋トレで、頭髪が墓石みたいな黒の角刈り。サイズの合わない開襟シャツのボタンの隙間からご自慢の筋肉をチラつかせるいけすかない自称紳士に言ってやる。


「あんたは引っ込んでなさい! その有刺鉄線みたいな胸毛をこっちに近づけないで!」


 次に何か口を開く前に鼻先に指を突き付けると、ヨタヨタたたらを踏んで角刈り男はお仲間のもとへ遠ざかっていった。

(マッチョのマッチョな正義感でマッチョにさわがれるとこじれるだけなのよ!)


 目を白黒させてはふはふ言ってる自称紳士のまわりには、普段口やかましい取り巻き達が青くなって身を寄せ合っていた。


(ついに勢ぞろいね)


 あたしはオコネンに向き直ると、

「さあ逃げられないわよ」


 ようやく私の覚悟を悟ったであろう泥棒女が口をひらく、

「これはあたくしのパラソルよ! 学園の品位について今すぐ学長と話をしたいわ!」 

 

「追い出したいならそうしなさい。 そんな脅しで引き下がるもんですか」


 兄からの入学祝の贈り物。 

 思えば日傘を外で使ったのはたったの一度きりだった。入学式の帰り道、仕事場に戻る兄を乗合馬車に見送ったあの日。青いパラソルを手の中でくるくる回して、兄と並んで歩いた思い出が、はるか昔のことに感じる。 


「……あたしは昨日の晩から仕事してて疲れてるのよ。 今渡せば大事にしないですむから。 謝罪もいらない。 返してくれるだけでいいの。 そしたら、すっかり忘れてあげる」

 

 気付けば学園での生活も一年がたつ。 我がことながら、よく我慢した。

 貧乏という名の死神をかいくぐり、なかなか位階の向上しない医術士としての腕前に対して与えられる馬に食わせるほどの大量の課題に必死で食らいついて。 

 ――それなのに。

 ほんとうに治してあげたかった義足の兄は、この春天国の母の下へいってしまった。

 私の幸せの青い傘。大事な兄からもらった大切な思い出。


 なにも持たない私の最後のよすが。


「だいたいあなたお金持ちなんだから、自分で買ったらいいじゃない。 ほかのものならあげられるけど、それだけは無理なの。あたしの宝物なのよ。 銀貨2,3枚の傘で意固地にならいで」


 (頼むからこれで聞き分けて)


「ふふふ。 なんだ、そういうことか。」


 ん?


 先ほどまで追い詰めていたはずの目の前の女が、急に大きく見える。


「あなたこの傘の価値も知らずに自分のものだって言い張ってたの? いったいどこから仕入れた傘だとおっしゃるつもりだったのかしら?」


 レディ・オコネンが、嗜虐的な笑みを深くする。


「価値を知らない? 私にとっては世界に一つしかない傘だってさっきから言ってるでしょ!」


「あなたの呆れた無知さ加減に免じて特別に教えてあげるわ。 あたくしのこの傘はねぇ。 金貨100枚したの。 それだけ用意したら売って差し上げてもいいわよ?」


おーほっほほほほほほ


 ふざけた高笑いを聞いて、再び私の怒りが爆発した。

「いいかげんなこと言ってけむに巻こうったって逃がしゃしないわよ! それは兄の形見なの! お願いだから返して!」



 普段は無口の平民(あたし)の突然の反乱を前に、先ほどまで隅で固まっていたレディ・オコネンの取り巻きの一人が、にやにや顔で間に入ってくる。


「ミス・シャミナード。あなたさっきからなんの証拠もないのに、オコネン様に一方的に言いがかりをつけているけど、オコネン様の傘があなたのものだという証拠はいったいどこにあるの?」 


 もはや、あいまいな決着は無くなった。

「もちろん証拠ならあるわ」

 

 レディ・オコネンの眉が上がる。初めて動揺を見せたわね。


 私は奪われた傘に向かって指をさす。

「持ち手にあたしのイニシャルが刻んであるの。『セシル・シャミナード』 なによりの証拠よ。さあ見せて頂戴!」


 その場にいた全員の視線が傘に集まる。


 レディ・オコネンの持つ日傘の持ち手にはたしかに『C.C』の刻印があった。


 そしてあたりが静まり返る。


 「ぷ」


 全員が火が付いたように笑い出した。


 あはははははははははは


 (……急に何よ?)あたしには何のことだかわからない。


 取り巻きの一人が軽蔑しきった表情で、

「あーおかしい。 『C.C』これはブランドロゴよ。 ふふっ。 なぁんにもご存じないのね」


「え?」

 兄からは、無くさないようにセシルの名前を入れておいたと確かに聞いた。


 レディ・オコネンが、勝ち誇った表情で近づいてくる。

「こんなに笑ったのは久しぶりね。 見世物としては楽しかったわ。 二度と話しかけてこないで頂戴」

 

 私に背を向け歩み去るそぶりを見せたレディ・オコネンが、突然何か名案を思いついたように、

「あ! ここから飛び降りたら差し上げてもいいわよ。 欲しいんでしょ? えーとあなたのイニシャルだったかしら?が入った傘を」


「……嘘じゃない」

 私は、食いしばった歯の間から返事をしたが、意図せずそれはささやきのように消えた。


「貧乏なお兄さんが頑張って働いて買ってくれたんでしたっけ? 支払いは全部銀で済ませたの? ずいぶん大きなお財布をお持ちなのね?」


 取り巻き共が、どかんとウケる。


 今度こそ歩み去る集団の背中が(にじ)んで見えた。 


 完全にやり込められてはいたが、それでも私の闘志は消えなかった。

 

 思いついたのは意外でもない解決策だった。







 ぶちのめす 



 

 「おんどりゃあああああああああああああああああああ」


 頭の中の一部。冷静なセシルは言う。

(きぞく ぶっとばせば しばりくび かな) 

 かまうもんか、傘を抱いて死んでやる。



 こぶしを振りかぶり 走って 走って


 大声に反応した取り巻きがのけぞる。

 尻もちをつくマイケル。

 道があいた。

 とっさのことに反応できないオコネン。

 覚悟しろ!


 どてっぱらを貫かんとした私のこぶしは、何か見えない壁につかまり、オコネンの体の手前で唐突に止まった。 


「え?」


 オコネンの胸元に吊り下がっていたペンダントが激しく光を放つ。  


(金持ちってそんなのもってるんだ)

 

 防御の護符が発動し、私は容赦なく吹き飛んだ。


 ずええええええええええええええええええええええええええええええええええ

 

 屋上から中庭目掛けてきりもみしながら宙を飛ぶ。

 あたしの足の下を転落防止の柵が過ぎていった。

 居合わせた野次馬の驚く顔が遠ざかる。

 

 あたしが部屋を出た時にすれ違ったはずのシスター・ルサージュと目が合った。

 きっとこの屋上まで続くあたしの鼻息を追いかけて 『廊下のはたを歩いて』 今頃到着したんだろう。


 宙を舞う間。すべてがひどくゆっくりに感じる。

 眼下の中庭の景色がまぶしい。光りを浴びたプラタナスの葉の黄金色の輝き。一斉に咲いたオキザリスの紫色の素敵な絨毯。

 通り抜ける風にキラキラ揺れる中央池の水面がぐんぐん近づいてくる。


 万年睡眠不足のあたしは、この美しい中央池を見下ろすたびに、「たまった洗濯物を両手に抱えて洗剤被って、あそこでジャブジャブやれたら楽なのに」と夢想していた。





 あたしの夢は半分だけ叶った。

 

 盛大な音とともに頭から池に突っ込んで、それきりあたりは静かになった。





ここまでお読みいただきありがとうございました。


少しでも楽しんでいただけたのなら、幸せです。


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