27
3階から1階へ下り、職員室のドアをノックしてから入る。
入って右の、入口から一番近い席を見ると、男性教師に猫なで声を使っている先程の女教師の姿があった。
思わず顔を歪めそうになった時、私たちの姿に気づいてくれたおかげで私は顔を歪めることはなかった。
「あら、玲青くんも手伝ってくれたの?」
「こっちに用があったので」
「ありがとうね。重かったでしょ?」
「全然。むしろ軽かったくらいです」
「本当?」
先生の視界には、友人たちと同じように私は入っていなかった。
いや、排除されていると言った方が正しいか。
異性に鼻を伸ばすくらいデレデレして、仕事を頼んだくせに同性の私には見向きもしないし、お礼だって言われない。
この先生はこういう先生だって理解していたけど、彼が隣にいる時にそれをやられるといつも以上に腹が立つ。
劣等感と、クソみたいな大人を目の当たりにして体がカァッと熱くなって、頭の中が怒りの一色に染まる。
唇を結ぶことも許されず、頑張っていつもの自分を演じろ、と自分に言い聞かせて一歩後ろに下がる。
「私はこれで失礼します」
勇気を出して言ったのに、先生はずっと彼だけを見ていて私の言葉には耳を傾けない。
失望から私は目を伏せて先生と彼に背を向けた時、彼が「ただ」と口を開いた。
私の耳に届いた彼の声は、あの日の放課後に聞いた悪寒が走るくらいの冷たい声に似ていて、喉がひゅっと鳴ると同時に思わず振り向いてしまった。
「女の子一人にこの量は重すぎますよ。せめて二人に頼んでください」
「そ、そうね……」
先生は苦笑いを浮かべた後、ちらりとこちらを見た。
「もしまた白石さんに頼むなら、僕にも頼んでください」
やめて。
もう、やめて。
「こういう仕事僕好きなんです。遠慮なく言ってくださいよ」
先生から向けられている視線に耐えられないから、 これ以上変に私を巻き込まないで。
「あの、先生?」
「……分かったわ。次からはそうするわね」
「お願いします。じゃあ、失礼します」
彼が先生に会釈をしている姿を横目で見てから、私は逃げるように先に職員室を後にした。
うざい、うざすぎる。
気持ち悪い、気色悪い。
未成年を、ましてや生徒を狙ってるなんて気持ち悪いし、勝手に嫉妬されて敵視されて超絶
気分が悪い。
恋愛だの、愛だの本当にくだらない。
そんなものなんかがあるから人は醜くなる。
もちろん、その中に私も入っている。
そもそも家族という血の繋がりがある関係ですら、愛というものが存在しないのだから、他人同士に愛なんかが生まれるわけがない。
いや、家族だって他人か。
近くに誰もいないことを確認してから我慢をしていた舌打ちをし、こめかみに手を添えて階段へと歩き出せば、職員室から出てきた彼が「ねえ」という声を共に手を掴まれて引き留められた。
彼の声は無駄に通る。遠くにいた生徒たちが、私たちの存在に気づいて騒ぎ始める。
きっと、手を掴んでいるから余計騒いでいるのだろう。
誰かが見ているとなれば、カラオケの時のように手を振り払うことは出来ない。かといって下手なことを言って見ている人たちに聞こえた時、どう対処していいのか分からない。
盛大に溜め息をつきたいところをグッと堪え、仕方がなく彼と目を合わせた。
「なに」
「遠回りして帰ろうよ」
「無理」
二文字ではっきりと断ったのに、彼は手を放そうとしない。
いつまでも手を掴まれたままじゃ、本格的に変な噂を流されそう。
彼だって、それは困るはず。
「授業遅れる」
「帰る道をこっちに変えるだけだから遅れないよ」
親指で自分の後ろの道を差す。
そっちの道は、陽斗先輩と帰った日のことを思い出す。
何故か彼に睨まれて、余計な一言まで言われたことも思い出してしまう。
「早く決めなよ。注目の的になるのが嫌なんでしょ?」
彼は本当に私と仲良くしたいの?
今より嫌われたいのかと思うほどの態度。
それに、私はちゃんと伝えた。無理だと。それを勝手に訊かなかったことにして、私の意見とは真逆な意見を言わせるように最悪な状況を作り上げている。
最初から私に選択肢などない。
カゴを奪われた時から答える資格も与えてくれない。
ここでも簡単に流されてしまう。
私の世界というものは、本当に生きづらい。
「……分かった。ついていく」
科の鳴くような声でそう言った私を見て、彼はまたほくそ笑んだ。
怒ることすら疲れてしまい、周りに人がいようがどうでもよくなって盛大に溜め息をついた。
その様子を間近で見ていた彼は、私が爆発寸前ということに気づいたのかそれ以上挑発的な態度を取ることもなく、掴んでいた手を放して先に歩き始めた。
無言のまま教室に着けますように、と願った矢先、数歩しか歩いていないのに彼は歩みを止めてこちらを振り向いた。
「隣」
「なに?」
「隣歩いて」
隣を歩け、なんて今まで一度も言われたことがなかったから、声が出ないほど戸惑ってしまった。
陽斗先輩も黒木先輩も隣を歩くのではなく、私の少し前を歩くのが当たり前だったし、友人たちと歩いていても私は必ず一歩後ろにいる。
私にとって、それが当たり前だった。
その当たり前を覆すことを言った人物が天王寺玲青ということも気に食わないし、真剣な表情を浮かべながら隣を歩けと言われた瞬間、何故か胸に違和感を覚えたのも気に食わない。
私は「分かった」の一言も言うことはなく、渋々彼の隣まで行った。
何故かお互いに歩調を合わせて歩き始めたが、ノートを運んでいる時は耳を塞ぎたくなるほどベラベラと話していたくせに、今は一言も話さない。それならどうして遠回りをして帰ろうと誘ったのだろう。どうして、隣を歩けと言ったのだろう。
別に何かを話してほしいわけではない。むしろ無言の方が有難いのだけれど、先程とは違って笑顔を浮かべるわけでもなく真顔で何かを考えている彼のその姿は、本来の姿が垣間見えている。そのため、空気が非常に重い。
家の中と勘違いするくらい、重苦しくて仕方がない。
「白石さんはさ、Blue sky好き?」
重苦しい沈黙を破ったのは勿論彼だった。
ただ、今にも消え入りそうな声で呟くもんだから思わず目を見開いて彼を見ると、窓から見える青く澄んだ空を見ていた。
突然訊いてきた意味も、英語で言った意味も分からないし、少し苦し気な表情で空を見ているのも分からない。
諸々と理解できないことばかりで眉間にしわを寄せていると、視線を空から私に移した彼は、期待をしているような目でこちらを真っ直ぐ見つめてくる。
私は勿論、その理由も解らなかった。
「好きでも嫌いでもない。興味がない」
「好きか嫌いかで答えて」
「しつこいんだけど」
「いいから答えてよ」
一番最初に言った言葉が答えなのに、と盛大に溜め息をついた。
「雨で靴が濡れるのは嫌だから、Blue skyが好きなんじゃない?」
嫌味を含ませて適当に答えると、自分が答えを催促したというのに「へえ」と興味なさそうに返事をした彼をつい冷たい目で見てしまう。
初めに言った言葉こそ、私の本音。
空を好きだとか嫌いだとか、生まれてこの方一度も思ったことがない。
常に俯いて歩いている奴が空などに興味を持つわけがない。
たまにぼーっと夜空を眺めるくらいで、昼間に空を見上げることもないし、空を綺麗だと思ったこともない。
空なんか見なくても、気にしなくても生きていけるくらい私の人生に空など必要がなかった。
「そっかぁ、白石さんは好きなのかぁ」
「人の話しをちゃんと聞いてたら、好きなんて判断はしないと思うけど」
どんな耳と脳のつくりをしているんだ、とまた彼に対して嫌気を差していると「俺はね」と彼が口を開いた彼の雰囲気がまた変わった。
「俺はね、Blue sky大っ嫌い」
彼がそう呟いた瞬間、またあの悪寒が背中に走った。
ただ、本来はナイフとなるぽつりと放たれた言葉は、どうしてか悲哀に満ちていた。
そんな彼を見て、私は何故か息を止めてしまっていた。




