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Blue sky  作者: 立花くろは
第一章 夜陰
17/33

16


 トイレに逃げて来たとはいえ、長い間この空間にいれるわけではない。

 あの時は逃げることに必死だったとはいえ、トイレに行くとは言わずに購買に行ってくるとか、家族とちょっと話してくると嘘をつけばもう少し一人でいれる時間が作れたというのに。


 今の時点で帰るのが遅くなっている。感情に流されなかったらもっと上手く出来たのにと後悔をしながら盛大に溜め息をつき、常にポケットに入れているティントを取り出して個室から出た。


 鏡の前に立ち、教室に戻ってもまだ彼がいたらどうしようと考える。

 彼がまだいるのなら私がトイレに逃げ込んだ意味がないし、個室を出た意味もなくなる。彼が私に少しでも申し訳ないという気持ちがあるのなら自分の席に戻っているだろうけど、彼にそんな感情が生まれるだなんて到底考えられない。


 はぁ……と深く長い溜め息をついてから死んだ魚のような目をしている自分を見つめて、少しだけ視線を落とす。薄くなっている唇に自分に合う色をちょんちょんと乗せていると、笑い声と共に勢いよくトイレのドアが開いた。

 驚くこともなく、最初に顔だけそちらに向けて後から目で追えば、私と目が合った女子たちは一瞬にして借りてきた猫のように大人しくなった。



「こんにちは」


「こ、こんにちはー……」


「今退きますね」


「えっ、大丈夫! むしろ私たちが……ね?」


「そうそう」



 ティントの蓋を閉め、ポケットにしまってニコッと笑みを浮かべながら彼女たちの横を通り過ぎてトイレから出た。すぐさま立ち去るのではなく、立ち止まって中の様子を伺っていると、「なんか悪いことしちゃったね」なんて言う声が聞こえてきて少しだけ気分が良くなった。


 悪意しかない世の中ではないということを改めて再確認できた。でも、これから私は教室に戻るんだと思ったら再び憂鬱が心を押し潰してきて、もう一人の空間ではないというのに思わず溜め息が漏れてしまった。



 教室に向かう間、楽しそうに笑っている人とすれ違う度に、自分だけが別の世界にいるような感覚を覚える。


 どこにも居場所がない。拠り所がない。弱音を吐く所も、本来の自分でいられる場所もどこにもない。いや……ある。あるんだけれど、それをいつも受け入れないのはいつだって私で。そんな奴が劣等感を抱いたり、悲劇のヒロインを気取ってるとか可笑しい話よね。


 また面倒くさいメンヘラが発動するや否や、ブレザーのポケットの中でブルッとスマートフォンが揺れた。



 歩く速さを落として、ポケットからスマートフォンを取り出した際に通知画面で、[ましろちゃんの友達にカラオケ誘われたんだけど、ましろちゃんも行くよね?]という文が表示されていた。



 テスト前だというのに、カラオケ……? という冷めた気持ちと、いつの間にそんな話になっていたんだと、私がいなくなったからそういう話が出来るようになったのか、と一瞬にして心が黒いモヤで覆われる。けれど、カトクを送ってくれた相手の名前を見たら、そんなモヤなど一瞬にして消え去っていった。


 だが私は、今の段階では誘われていない。きっと教室に戻っても誘いなどは受けないだろう。そうとなれば相手が期待している返事など出来るわけもなくて[誘われたら行きます]と、馬鹿正直に返信をするしかなかった。



 この文章を見て、あの人はどう思うだろうか。

 優しいあの人のことだ。きっと申し訳ない気持ちが生まれるだろう。


 想像出来る反応に自分自身も申し訳ない気持ちが生まれるが、こうでしかアピールできないなんて、私はどれだけ幼稚なのだろう。


 でも、誘われていないのに行きますだなんて言えるわけがない。放課後になっても誘われていなかったら私は嘘をついたことになるし、私から「一緒に行ってもいい?」だなんて言えるわけもない。



 選択肢なんて端から存在しない。

 馬鹿正直に答える以外、残されていなかった。



「誰から?」



 教室に入ろうとした瞬間、凪沙の声が聞こえて勢いよくスマートフォンから顔を上げた。

 凪沙と絵麻が腕を組んで教室から出て行こうとしている時に鉢合わせたみたいで、二人の様子を見るからに私を探しに行こうとしていたところだろう。二人から目を逸らして教室の中を覗けば、私の席にはもう彼の姿はなかった。


 それだけで鼻から吸う空気が軽くて、思わず安堵の溜め息が漏れた。



「妹から。同級生の男子から何か貰ったんだって」


「あの子もモテるよね。流石ましろの妹」


「そんなことないよ」


「相変わらず妹と仲良くて羨ましいよ」


「……そんなこと、ないよ」


「私も妹がほしかった」


「わかるー。同じ服とかシェアしたいよね」


「絵麻はパシリたいだけじゃないの?」


「それは凪沙でしょ!」



 二人の前で妹と会話なんてそんなにしたことがないというのに、仲が良いだなんてよく言えたな。

 他人の家族ほど興味ないものなんてないから、仲が良いなんて言葉が出てきたのかもしれないが、妹の世渡り上手のおかげでそういう印象を与えているのが正解なのだろう。


 どちらかが異常なほど良い印象を与えていれば、片方が変なことをしていても印象は薄れる。世間一般だとそれは姉の役目だというのに、私は何一つと姉らしいことが出来ていない。


 きっと、あの子の姉にはなりたくない。その自覚が早かったから。



 あぁ、なんでこんな人間になってしまったんだろう。

 なんで感情なんて生まれてしまったのだろう。


 今日も自分が赤点ばかりを取る出来損ないという自覚をしては、込み上げる嗚咽を必死になって噛み殺した。



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