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ちょっと楽しいが帰りたい

 ここまでのあらすじ。


 マンションに一人暮らしの俺、深夜の自宅で光る球に吸い込まれ転移。

 なお三十代半ばのおっさん、リアル美青年受肉済み。



「………キッツ」


 昨晩、寝る前に吸い込まれて、そのまま寝て、現在はたぶん翌朝の8時ごろ。俺はいつも朝食をしっかり食べて出社するので、こんな状況でも空腹を訴えはじめる腹時計がそう教えてくれている。


 ひとまず、目の前の問題から一つずつ解決していこう。

 無駄に長くなってしまった紺の髪を適当な紐で束ねて、俺は改めて変わり果てた我が家の探索を始めた。



 一つ階を降りて、キッチン周りから設備を見直してみる。

 階段を降りたところのすぐ、木の幹側に湧き出る水場。そこから一歩左に進めば、足元が石畳に変わる。円形の部屋の壁に沿って並ぶどっしりとした木製の机は、調理台か。机の上には綿棒とかハケとかの調理道具、机の下には大小の鍋やボウルが重なっている。

 その横に、レンガを積んだ箱に金属の板で蓋したみたいな台。金属の扉がいくつかあって小さいタンスみたいな形をしている。日本のと違って縦長だけど、多分、竈門なのだろう。上の方には作り付けの棚がいくつか、調味料やハーブっぽいものが並ぶ。

 調理台と竈門の間の壁に一つ、ポストみたいな上開きの扉。これもオーブン的なやつかなと思って開けてみたら、下へ真っ逆さまなダストシュートだった。……ゴミは一体どこへ?

 最後は半円状の台に覆いかぶさるような煙突が上についている、大きな暖炉。鍋を吊るす金具や、肉をセットして回す道具などが置いてある。

 ……見ればなんとなく使い方がわかるけど、使いこなせるかどうかは別問題だな。


 暖炉の先から床が木製のフローリングになり、温かみのあるダイニングエリア。石側の壁に、なんていうか、窓のない出窓?みたいなスペースが作られていて、コップやジョッキ、食器の数々が飾られるように並んでいる。

 六人掛けの大きなダイニングテーブルを通り過ぎて部屋の奥、階段の反対側の端は木の壁に仕切られた食料庫。扉が無いのになぜか室温が明らかに低い。綺麗に並んだ棚には野菜、果物、肉、魚と色々あって……え、ナマモノ?マジかよ。でも生臭くもなんともない。葉っぱが敷かれただけの剥き出しのブロック肉は驚きの暗赤色、ドリップも無し。真空パックもびっくりの保存状態である。なんなんだこの葉っぱ。

 原理がわかるまでは怖いので、とりあえず見るからに食べられるものを……と床に並ぶ壺の蓋を開けた瞬間、更なる衝撃が走る。


「塩昆布だ!!!!!!!」


 俺の大好物、塩昆布!!!!!!!!!


 ここまで徹底してファンタジーヨーロッパ調のデザインだった中、唐突に現れる塩昆布!蓋を開けた途端に漂うミスマッチな潮の香り!横に並ぶ壺も全部塩昆布!!間違いない、日持ちするからって業務用パックを安く箱買いしたやつだこれ!!

 一気に、「ここは俺の家なんだ」という実感が湧く。そして安心したせいか、ドッと腹が減る。



 朝食にしてはちょっと遅い、ここはヨーロッパ風にブランチと呼ぼう。本日のブランチは、キャベツ風くるくる葉っぱ野菜の山盛り塩昆布添え、クリームチーズっぽい何かの塩昆布乗せ。適当に千切って洗って水を切っただけの謎野菜はキャベツよりやや苦いが、それが昆布の旨味とよく合って美味い!匂いを嗅いで、勇気を出して食べてみたチーズも、なめらかさには少し欠けるけどコクが深くて悪くなかった。

 昆布の旨みを噛み締める。流石に醤油とかみりんは無いだろうからか、口に入れた時はちょっと塩辛さが立つけれど、弾力のある昆布は噛めば噛むほど旨味が滲み出て上質。

 水場から直接コップで掬っただけの水も、思い切って飲む。透き通った舌触りは間違いなく軟水のそれで、ほっと安堵のため息が漏れた。


 胃を中心に体がぽかぽかして、ああ緊張してたんだなと悟る。人間って単純なもので、衣食住の確保ができるとこうも楽観的な希望的観測ができるんだな。さっきまでは思いもつかなかった考えが、自然と浮かんでくる。


 突然知らない場所にいて、自分の姿も変わっていた。

 ここがどこだかわからなくて、誰に連れてこられたのかもわからない。

 別に、「今すぐ帰りたい!!」と叫んで絶望するほど元の生活を充実させていたわけではない。

 とはいえ「帰れなくてもいいや」と言うには……無断欠勤、契約不履行、家賃滞納、失踪事件、それとも不審死ーーー責任のあるいち社会人としてゾッとするものがある。それにもちろん、親や兄弟、友達や恋人、同僚やご近所さんにだって申し訳ない。

 スマホもテレビも無い。医療サービスや社会保険がどれほど充実してるかもわからない。昨日までの常識や実績が一つも使えない未知の場所なんて不安しかない。だからうん、帰れるのなら、「普通に帰りたい」。



 まぁ、でも。それでも。いや、だからこそ。


「よし、魔法使いになろう」


 来れたんだから、帰れるはず。来る時の方法はどう考えても魔法めいていたから、あの時の逆に帰る魔法を探せばいい。そのために、魔法を研究すればいい。

 うん、これぞ、一石二鳥!


 階段を登って、本当は初めて見た時からいじり倒したくて堪らなかった神秘の研究室へ向かう俺の顔は、わりと浮かれていたかもしれない。







 :ミリエルヒ王国魔法騎士団 五等 ローディス


「くそっ、死んでたまるかぁああ!!」


 めちゃくちゃに振り上げた剣が偶然にも魔物の首を跳ね飛ばした時は、自分はなんて幸運なのだろうと思った。しかし、今となってはそれが本当に幸運だったのか、わからない。


《こちら三班!被害甚大につき、一時撤退を…うわぁああ!!》

《一班より本部へ、至急応援を頼む!繰り返す、至急応援を頼むっ!!》

《ぁ、ぁ……、班長が、リカルド班長が、ぁ、》

《本部、応答を!!本部…………》


 俺の配属されていた五班が直面した状況は、分かれて探索に当たっていた他の班でも同様にあったらしい。

 倒れ伏す班長の懐から取り出した通信石は、絶望的な叫びだけを伝えた後、力尽きたように光を消した。それは俺がこの「最後の森」で、完全に孤立したことを示していた。


「なんでこんな……低級の獣系しかいないって、あの調査データは何だったんだよ!」


 全くだ、と憤慨してくれる仲間はもういない。新たな魔物が聞きつけてくる恐れもある。それでも叫ばずにはいられなかった。怒りで奮い立てでもしなければ、動けないのだ。

 震える手で、仲間の亡骸から魔石を集めた。自分の手持ちも合わせて、使えそうなのはたった三片。もともと支給も少ないそれは、あるだけでも感謝するべき貴重なものだ。けれどこの恐ろしい森から逃げ延びるための灯火としては、吹けば消えるような心許無さだった。


「……とにかく、戻ろう。戻ればなんとかなる。隊長もいる。なんとかなる!」


 言い聞かせるように唱えた。

 俺たちは森の入り口に拠点を置いてきている。二等騎士のセリエイ隊長が率いる第五部隊の総員は60名。治療班も食事班も揃った、十分な人員だ。通信はかなり錯綜していたけれど、きっと救援にも動いているはず。

 思い浮かぶのは故郷に置いてきた母と弟。生まれつきの頑丈さを買われて騎士に志願できたことを誰よりも喜んでくれた。二人の笑顔が、恐怖で竦む背中を押してくれるような気がした。


 沸き起こった勇気が消えないうちに、走る。

 襲撃に遭ったのは事前調査の報告にない、大型の鳥系魔物と、虫系魔物。上空からの爪や嘴に盾は使いづらく、硬い殻で守られた体に剣は通らなかった。獣系に備えた装備は役に立たない。

 救いなのは、どちらもそれほど目が良くないことだ。獣系の群れを前に逃げ出すことは愚策だが、森の鳥系は基本的に住処から離れないし、虫系は素早く距離が離れていくものを追うのが苦手だと座学で習ったばかりだ。つまり装備を捨てて軽くなった体で、全速力で駆け抜ければ良い!


(走れ!もっと早く!)


 土を蹴る足に力を込めて、スピードを上げる。

 横の茂みがカサカサと揺れても、頭上の枝がぱきりと鳴っても、構いはしない。


(俺はもっと強くなる!こんなところで、絶対に負けない!)


 脳裏に浮かぶ、強く大きい先輩たちの背中。一度だけ見たセリエイ隊長の剣捌きはあまりに早くて目で追うことも出来なかった、でもそんなあの人たちにいつか追いつく、追い越す自分。それを信じているから走る。


 走る。


 走る。


 ……。


 ……………。


「あ、?」


 がくん、と膝が折れた。

 顔面に触れる土の感触が、どこか遠い。

 ばくんばくんとうるさいのは何の音だ?

 警戒しなくちゃいけないのに、首が上げられない。目を凝らそうにも、眼前の石ころばかりに焦点が合っている。


 ここ、どこだ?あれからどれくらい走ってた?


 ざく、ざく、ざく。

 地面にくっついた片耳が、新しい音を拾った。よく聞こうとすると、今度ははぁはぁと別の音がうるさくて困る。

 ざく、ざく、ばくんばくん、はぁ、はぁ。

 ざく。ばくんばくんばくんばくん、はぁー、はぁー。ざく、ざく。


 ざく。


「ーーーーーーーー」


 今度の音は、うるさくない。川のせせらぎみたいな音。


「……?」


 柔らかいものが触れて、ころんと仰向けにされた。

 そこにあったのはすっかり暗くなった夜の空と満天の星。……じゃなくて、そんな色の、人。


「あ〜………死ぬ?」


 綺麗さに見惚れる間もなく、「生きるわ!!!」と叫び返した俺はそこで気を失った。

のんびり書いてます。

ゆるっと興味持ってもらえると嬉しいです。

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