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できれば来月には帰りたい

 チチ、と小鳥の囀り。風に揺れる葉擦れの音。さらさらと流れる水音。小さく擽るような細かな音がたくさん重なるのは、ここで暮らす虫や小動物たちだろうか?柔らかい木漏れ日に瞼を照らされて、俺は心地よく眠りから目覚めた。

 目覚めて、顔を覆った。


「なにこれ…………」


 右、石壁。左、巨木。

 ガラスのない窓から木漏れ日が差し込むベッドは確かに寝心地最高だった。通販で買った上下セットのマイクロファイバーシーツにそっくりの手触り、野生味溢れた毛皮模様でなければまだ勘違いできたのに。

 ベッドは木の幹の一部だった。ウロっていうのかこれ?ポケットみたいに迫り出している部分に、何かふかふかしたものを詰めて毛皮を敷いたような寝床。

 木があるけど、ここは室内だった。大きい円と小さい円を二つ並べてちょっと重ねて、小さい方が石ブロックの壁、大きい方が巨木って感じ。煉瓦積みされた石ブロックが木の幹に吸い込まれるように消えていて、接着面がびっくりするくらいピッタリして隙間がない。謎技術。

 ベッドのすぐ横に衣装掛け、石壁側に机や本棚が並ぶ間取りは俺のワンルームに近いが、素材が全然違う。流木をスライスした一枚板みたいな机、めちゃくちゃ高そう。棚も木の枝の形をそのまま活かしたような逸品だ。衣装かけに至っては木の幹から生えた枝にそのまま吊るされてる。もちろんスーツなどではなく、黒とか紺とかのマントやローブだ。

 机の上には羽ペン、水晶玉、魔法陣の描かれた羊皮紙。本棚には箔押しの分厚い背表紙がずらり。壁を走る麻紐には草やら花やらが吊るされて、奥の棚には瓶や鉱石がずらり。


 混乱や恐怖より、興味が優ってきた俺は、そっとベッドから足を下ろしてみる。これって、もしかして、もしかして。


「魔法使いの部屋………」


 思い描いたようなその風景に、呟いた声は上擦っていた。いやいや、仕事どうすんの?家族に連絡は?そう冷静に突っ込む自分をそっと端に追いやって、ペタペタと室内を歩く。


 面積はワンルームとさほど変わらないだろう。見慣れない石壁は圧迫感があるが、窓からたくさん陽光が差し込んでいるので狭苦しくはない。秘密基地みたいでときめきが勝る。

 机は触れてみると、無骨な見た目と裏腹にでもワックスで艶出しされたような飴色の表面で、つるりとしていた。書き物に困ることはないだろう。

 ワンルームで言うとキッチンがあった方に向かってみると、ちょうど流しのあった位置に水があった。もちろん水道ではない。木の幹からベッドと同じポケット状のウロが出来ていて、木の中からチョロチョロと流れ出た水が溜まっている。なにこれどういう仕組み?流れ込む水量と同じ分、どこかに排水されているようで、水量はずっと一定のまま。苔もカビも生えてないな、とわかるほど透明なそれは飲めそうな気がするくらい綺麗だ。

 反対の石壁側は小部屋になっていて、トイレ。多分トイレ。紙もないし水もない穴の空いた段差のある小部屋だけど、多分トイレ。穴の先がどこに続いているかもわからないけど、多分………トイレ。


「………うん」


 うん。

 色々スルーして、突き当たり。ワンルームで言うと玄関の位置には階段があった。木の幹にそのまま取り付けたような木の板が螺旋を描いて、上と下に伸びている。……下?

 階段横の窓から、頭を突き出してみる。


「うわ!?」


 ここ、塔だった!高い!地面が遠い!!

 首を捻ってみるが、巨木があまりにデカすぎてスケールがバグってて正確な距離感は掴めない。

 周りは森だった。果てしなく森。その木々もデカくて、この位置から見上げても空を遮るように葉っぱが生い茂っている。

 窓から頭を引っ込めて、上に通じる階段をちょっと上がってみると、カランとした空き部屋だった。天井部分は葉のついた枝が多く突き出ていて、最上階っぽい雰囲気。階段状の枝は屋上まで続いて上がれそうだったけど、高いし、ちょっと怖いので引き返す。

 最初の部屋を通り過ぎて、一つ下に降りると、ダイニングだった。窓が大きくて、上の部屋より明るい。木にくっついた水場はここにもある。竈門や暖炉はちゃんと石壁側で、床も石造りだから火事の心配は無さそうだ。テーブルや椅子は温かみのある木製で、綺麗な織物などで整えられている。部屋の奥は仕切られていて、食料棚のスペース。扉もついていないのに、なぜか中はひんやりと涼しい。物色は後回しにする。

 まだ下がある。今度は暗い。棚がいっぱいあって、倉庫のようだ。階段横に手持ちランプがあって、中に入ってるのは蝋燭でもオイルでもLED電球でもなく、石だ。これを灯して入るってことなんだろうけど、使い方が不明なので一旦スルー。

 さらに下の部屋、ほどよい明るさ。クッションの並ぶソファや大きな暖炉、ソファに囲まれたローテーブルとは別に壁側にセットされた一人用の丸テーブルなどがあって、なんだか談話室っぽい雰囲気。上のダイニングも食器があったけど、こっちの棚にはグラスや酒瓶っぽいのが並んでる。すぐ食べられそうなパンやチーズ、ドライフルーツみたいなのも。この階にもトイレがあって、そしてトイレとは別にお風呂っぽい部屋もあった。お風呂!

 暫定バスルームは石壁と木の幹、半々の位置。風呂桶は楕円形のでかい木桶。石壁に作り付けられた棚には小さな木桶や石鹸ぽいものも並んでいる。排水できる石の床に、木の幹から湧き出る例の水がじょろじょろ掛け流しになっている。当然冷たい水だけど、どうするんだこれ?これも一旦スルー。

 階段を降りると、やっと地面だった。階段状になっていた足場の木は根としてそのまま地面に潜っている。木の幹側は全部土なので、日本家屋の土間みたいな雰囲気。石壁側には石のタイルが敷いてあるので、そちらに降り立つ。

 壁に作り付けられた棚には、さっき採取してきたような根っこ付きの草。金具に吊るされたツルハシやスコップ、ロープや鋤などの道具が綺麗に並んでる。土間側に広くて低い水場があるので、外で使ったものを洗って乾かしておけるのだろう。木工の作業台みたいなのもある。

 階段の脇に部屋が続いていたので覗いてみると、部屋というか根っこのトンネルだった。明らかに栽培されていると思われる、キノコや山菜みたいな謎の植物が整然と並んで生えている。なんか光るハエみたいのも飛んでたので、踏み込みはしなかった。そっ閉じしたい所だけど、扉というものが無いぞこの家。

 土間部分に置いてあった革のサンダルみたいなのをお借りして、開かれっぱなしの玄関を潜ってみる。貴重な素材とか神秘の魔術本とかいっぱいありそうだけど、防犯は大丈夫なんだろうか。

 わかってたけど、外は森。玄関周りが少し広くて雑草が少ないくらいで、マジで森の只中だ。道などない。

 振り返ってみると、重厚な石造りの立派な塔。寄り添う巨木は周りの木々よりほんのり高くて、太さは3倍くらいだろうか。塔の上部を覆い隠すほどの枝葉は、森の外からの視線を完全に遮るために繁ったようにさえ見える。上から見ても森にしか見えないはずだ。上から見る人がいるのか知らんけど。

 あ、でも暖炉や竈門を使ったら煙が出るよな?その位置に煙突もあるし。

 そういうの、ぜひ俺を寝かせてくれた家主様にお伺いしたいんだけど、ま〜〜ここまで誰もいないよね。そうだよね。薄々わかってはいた。


 これ、俺の住んでたマンションだ。


 10年お世話になってる、単身者向けのワンルームマンション、502号室。引越しの時、上下左右の住人には一応挨拶した。今時蕎麦も何だから、フェイスタオル持参で。真上の602号室は頑固そうな爺さん。息子夫婦っぽい人たちとよく廊下で揉めてる声が聞こえていたと思ったら、先月ぽっくりお亡くなりになったばかりで空き部屋だった。真下の402号室は料理研究家のおばさんで、タオルのお返しに蕎麦を貰っちゃって笑ったのを覚えてる。

 302号室の人は知らないけど、202号室は間違って届いた宅配物を渡しに行った時にちょっと喋った。姪っ子さんが頑張って描いた宛名がひっくり返って5になっちゃってたんだよな。ワンルーム住まいにしては品の良さそうなおじさんで、お礼に高そうなお酒を貰ったので友達呼んで嬉々として呑んだなあ。

 1階は庭付きでちょっと高い部屋。通るたびに園芸に精を出してる102号室の庭は印象に残ってた。DYIっていうの?煉瓦とか敷いてあって、ハーブの香りがして、お洒落な庭だった。

 俺の部屋、布団や机、水場とかの位置関係がほとんど同じだった。他の人の部屋は見たことはないけどイメージと合う。流石に全部の階にトイレバスをつけるのは難しいだろうし、変だったんだろう。冷蔵庫や洗濯機も。あの、俺の胸から出てきた光の球に吸い込まれたものが、時代考証されて置き直されたみたいな印象だ。

 そんなの気のせいかもしれないし、今にも家主が帰ってきて泥棒扱いされたりするかもしれないけど。ドキドキと変に高まる心臓を抑えつつ、とりあえず中に戻る。

 もう一つ、確かめなければならないことがあるからだ。


 俺の足にサイズピッタリだった革サンダルを脱いで、階段を四つ上がる。マンション時代は必ずエレベーター使いだった俺にはちょっとキツイはずなのに、息切れひとつしないで5階にたどり着いた。なんだろう、空気が美味しくて体が軽い。

 伸びた枝の天然のクローゼットの前に立つ、俺。肩の高さに吊るされたローブは、ピッタリくるぶしまでのちょうど良い丈感に見えた。今着ているのは灰色の薄いワンピースみたいな服で、多分寝巻きなんだろう。そうやって自分の体を見下ろすと視界の端に映る、キラキラとした青いもの。


 ……まあ、起きた時から見えてたんだけどね、この青いの。ちょっと後回しにしたくて。


 ふー、と息を吐いて、両手を見る。大きさ……は、まあそれほど変わってない、と思う。身長169cm、体重56kg。体格に違和感はないけれど、明らかに違うのは肌の色。

 白い。圧倒的に白い。うっすらピンクなのは血色が透けているからだろうか、こうやって見ると見慣れた日本人の肌がいかに黄色かったかを思い知らされる、ギョッとするような白さだ。指はすらっと丸みを帯びて、骨が飛び出てない。肉付きが良くなった?骨が縮んだ?それに、ああ、ささくれや痛んだ爪のぼこぼこ、乾燥じわなんかがすっかり無くなってるのでやたらと綺麗に見える。シミ一つ、ホクロ一つない作り物みたいな手。だけど俺の意志で動く、まごうことなき俺の手。


「…………。」


 天然クローゼットの奥、腕輪や首飾りなど装飾が並ぶチェスト、その上にはアンティークな鏡が備え付けられていた。

 そこに映り込むのは、白雪姫の魔法の鏡とかでなければ、真実の「今の俺の姿」。


「……ええい、ままよ!」


 意を決した俺の目に飛び込んできたのは、アニメやゲームでしか見たことのないような、チカチカと輝く金と青。


 膝の裏まで届くほどの深い紺色の髪。

 夜空の星を全部集めて固めたみたいなキラキラの金の目。


「…あは」


 乾いた笑いを零す引き攣った表情は、まごうことなく俺そのものだ。

 「私は好きな顔だよ」と言い放ったのは、2番目の彼女だったか。大学時代の初彼女は、「見慣れてくるとイケメン?」とか言いながら小首を傾げていた。交際歴5ヶ月、うち既読スルーされ歴二週間を更新中の現在の彼女、「安心する顔です」とはにかむ笑顔がかわいかったなあ。営業部のエースと歩いてるところ見ちゃったし、もう無理かなあ〜〜。

 ベースの形は間違いなく、そんなどこにでもありそうな俺の顔である。色素が変わるとこんなに変わるものか。瞬きのたびにきらめくまつ毛も綺麗な紺で、なんだか目が大きく見える。

 いや色素だけじゃない。手と同じく白い肌は瑞々しく滑らかで、目の下のクマも、ニキビ跡も、髭も、その剃り跡すらもない。いわゆる赤ちゃん肌?女っぽいというよりは、人形っぽい。なんだか非現実的な、常人離れした容姿だ。

 CGじゃないよな?と触れてみればふっくらと柔らかいけれど弾力のある頬が指を優しく押し返す。ああ、これを手に入れたくて、彼女たちはあんなにも化粧に時間をかけて、高いスキンケアをねだっていたのか……と納得。俺はうっかりできちゃったニキビも愛するタイプだったけどね。来月の誕生日にブランドものの化粧水をプレゼントしたら、まだワンチャンあるかな?



 ……来月、帰れるかなあ。

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