死という名のあなた
焦土とかしたこの場所に昔の光景を蘇らせ、まぶたの裏に映し出していた。
――という名のあなたがいた頃のことを。
戦争が始まってから多くの日が過ぎて、今や年も日付もわからない。
もう記憶も擦り切れている。いつ戦争が始まって、いつここが前線になって、いつ私が見境なく人を殺しこの街を"守る"怪物になったのかすらも思い出せない。
でも微かにあなたとの記憶は残っている。
榴弾やロケットに粉砕され、瓦礫の積もった地面に私しかいない小さなこの街にはもう風を遮るものはない。
それは日の下を自由に行き来し、私を通り過ぎて行く。
あなたは泣き崩れる私の額にキスをして出て行った。
「また会えるよ」
そう言ってあなたは背中を向けた。
何故だか覚えていないが、止められなかった。
寂しげな風の音が遠のいて行く。
小さな思い出の詰まった植物たちを集め起こした焚き火がぱちぱちと音を立てる。
フォルダに溜まった少しずつ写真を削除するように、音を鳴らしては月夜に消えて行く。
抱き縋る私をあなたは受け止めて宥めた。
「大丈夫、何も悲しいことなんてない。
きっと明日もいい日だ。だから――」
そう言って優しく押し離した。
そこからの記憶は飛んでいてよく思い出せない。
でもその先の言葉は多分私にとって嫌なもので、とても寂しいことを言っていたんだと思う。
虚しい灯火がぼやけて行く。
昨日、ずっと昔に二人で選んで、あなたが出ていく前にくれた黒いチューリップを生けていた花瓶が割れた。
あなたとの思い出が入った物はもうほとんど残っていない。記憶も薄れていく。
忘れたくない、でも消えていく。
生きるというのは、孤独というのはこういう物なんだ。
「また会えるよ」
その言葉が私の意思を支えてくれる。
そう言ってくれたから、私は生き続けられる。
手先の震えが止まり、あなたのくれた温もりを思い出す。
ここ最近、寝る度に毎回夢を見るようになって来た。
内容は違えど、全てあなたの夢。
夢のお陰で思い出せた記憶もある。
あなたと出会った時の記憶、あなたとデートをした時の記憶、そして
『本当の記憶』
あなたのくれたチューリップの花言葉は”忘れて”
きっと明日もいい日だ。だから”忘れて”
とっくの昔に気付いていた。けど、あなたがそう伝えたかったと確信するのが怖かった。
忘れることが私の幸せだなんて認めたくなかった。
多分あなたはもうこの世にいない。
あなたはまた会えるなんて言ってくれなかった。
そう言って欲しかったというただの願望が生み出した自分勝手な記憶だ。
忘れるのが怖い。離れるのが怖い。独りでいるのが怖い。
安心するためだけに作り出して、いつしか私の生きる理由になっていた”望み”が無になるのが怖かった。
けど今はもう怖くない。
こうしてまた、――という名のあなたに会えたから。
隣国の暴虐から愛する君を守るために、死への恐怖と立ち向かうために前線へ行った。
きっとあの国の肥大化を恐れて大国が動いてくれる、それまで時間稼ぎをすればいい。
それはみんな分かっていた。だが、同時に自分達は時間稼ぎの捨て駒でしかないということもみんな気付いていた。
そして数年経ち、この戦線で僕だけが生き延びた。
前線で受けた傷を癒すためと、戦後復興へのプロパガンダと言うことで半ば強制的に表彰されに首都へやって来た。
激戦区に送られた民兵団唯一の生き残りと言うことで待遇は手厚かったが、正直言って鬱陶しかった。
病院では退屈な時間が多く、君のことばかり考えていた。
「忘れてほしい」
君にそう言ったけど僕は一時も君のことを忘れなかったし、ずっと会いたいと思っていた。
守りたいから、本当に愛していたからそう言った。忘れることで人は前に進める。
けど僕のことを忘れて生きた君にまた会えば、僕のいない新しい生活や見つけ出した僕以外との幸せを壊してしまうかもしれない。
それだけはダメだ。
君より先に死ぬ気でいたのに、君にとっての”失ったもの”になっているかもしれないのに、今こうして生きている。
忘れられて生きるのは、死ぬことより辛く恐ろしい。
数週間経ち、やっと君と暮らした街の情報が入って来た。
とても人が暮らせる状態ではないと言うので、次は君に不自由がないかを調べようと思い情報を集めたが、街からの避難民リストに君の名前がないことに気付いた。
戦中の混乱でリストアップが完全でないのかと思ったが、街一帯の君以外の住民や重要施設職員の名前は全員載っている。
そしてもう一つ、何故か情報のない敵勢に”未だに”占領されていると言うのが目に入った。
気付けば僕は院長のおんぼろ車を走らせ街へ向かっていた。
あんなにも綺麗に並んでいた住宅が瓦礫のゴミ山となって、もはや地面と言ってもいいほどの状態になっている。
その上、見慣れた軍服を着た味方や敵がそこら中に倒れている。
僕は帰巣本能に従い、かつて僕達の家だった場所へ辿り着いた。
瓦礫の山の頂に君はいた。
色褪せど綺麗で長い髪に包まれた君は柔らかい表情で死んでいる。
陶器の破片を手で握り、ボロボロの服と毛布を被っている。
様子を見るに、最近衰弱死したのだろう。
何故避難しなかったのか。何故戦ったのか。何故忘れてくれなかったのか。
今になって気付いた。
忘れてほしいと言うのは僕の押し付けだった。
覚えていようと努力する君の意思を否定して、どっかの誰かに君の幸せを委ねようとした。
僕はクズだ。
腰に付けたホルスターから拳銃を抜き、自身の頭に突きつける。
もう怖くはない。
死という名の君に会えるから。




