ゴージャス♨三助 湯あたりよ永遠に編
ゴージャス♨三助 湯あたりよ永遠に編
白い湯気がもうもうとはだか湯の湯船から上がっている。
湯気は天井にぶつかり、水となってぽたりと落ちてくる。
ぽたり、ぽたり。
けれども本来をれを背中に受けて、♪つーめてえな、はははん♪と鼻歌う客もなく、
ただ、ただ、洗い場のタイルに落ちてゆくだけだった。
おや、はだか湯の番台に、鶴亀万蔵の姿はない。
今、番台を守っているのは、誰だ、了こと風呂井三助だろうか。
「あーあ、客が来ねえなあ」
そうぼやいているのは風呂井三太郎、この物語の主人公だった。
「ごほん」
三太郎は咳をした。咳をしても一人は、山頭火の句だったかしらん、
違うぞ三太郎、それは尾崎放哉の自由律俳句の句で、、、
「あーあ」
三太郎は番台の上で大あくびをした。
三太郎は目をしょぼしょぼさせながら、ひとりごちた。
「ケロリウイルスか」
時は2080年、ケロリン桶を介して感染する新たなパンデミックがケロリウイルスだった。
21世紀後半にしぶとく生き残っている銭湯は、長らく使用されてきたケロリン桶を廃棄し、昔ながらの木の桶を使い始めた。
しかしそれは銭湯オーナー、客双方ともに不評であった。
重い、汚い、カビが生えるといった三重苦を新たに導入された木桶は背負わされていた。
「ねえ、この話を読んでくださっている皆さん、未来の銭湯はこんな感じになってますよ」
三太郎は第4の壁、つまり、物語の外の人に、つまり読者へ向かって語り掛けた。
三太郎は続けた。
「皆さんは暢気に銭湯を楽しんでいるでしょうが、こちら側は惨憺たるもんです、なんたって客が来ないんですから」
そのとき、三太郎の後ろからがらっと引き戸のあく音がした。
そこに異様な風体の老婆がいた。
両手首についた、自動消毒用アルコール噴霧器、おでこについたエアーカーテン発生装置、自己消毒マスクで防備している。
まるですべてのウイルスを虐殺するための装備を身に着けていた。
三太郎は内心恐れた。
「ケロリウイルス以外の細菌も皆殺しにしてしまって、生態系のバランスは崩れないのだろうか」
「三太郎さん」
老婆の発した声は聞き覚えがあった。
「もしかして、絆サクラさん?」
「そうよ」
絆サクラはうなづいた。
二人が付き合っていたのは何年前だろう。
三太郎が今70歳なので、50年以上前になる。
初恋は実らないというが、三太郎がはだか湯で三助修行をやって、絆サクラは大学の経営学部に進んだ。
三助と大学生、住む世界の違う二人が初恋を実らせるのは困難だった。
いつしか、二人は連絡を取らなくなった。それで終わりだった。
そんな絆サクラがなぜ、50年を隔てて、はだか湯に現れたのだろうか。
「はだか湯も閑古鳥が鳴いているようね、客が誰もいない」
絆サクラが50余年ぶりの再会に感傷の様子もなく感想を漏らした。
「うん、そうなんだ、絆さんが来ていたころのはだか湯とは違う」
三太郎は取り付くしまのない絆サクラに、まだ未練があるのか、昔のことを入れて語った。
「今時ケロリウイルスの感染リスクを冒してまで、実態のある銭湯に来るもの好きはいないは」
ノスタルジアと現実主義の間に言葉もなく二人は立ち尽くしていた。
「で、今日は何しに来たの」
沈黙に耐え切れなくなったのは三太郎のほうだった。
「今日はねえ、私のやってるVR会社、仮想だなんて言わないでの銭湯部門に、データを取りにやってきたのよ」
絆サクラは来湯の目的をあっさり告げた。
絆サクラは番台の横を通って脱衣所へ上がった。
「絆さん、そこは男湯」
まあ、いいか、客は誰もいなし、来る見込みもない。
三太郎は番台から降りて、絆サクラにくっついていった。
「三助おじさん、いや了おじさんはどうしたの」
「父さんは、いま老人ホーム」
「源蔵おじさんは、ご健在?」
三太郎はかぶりを振った。
「源蔵さんは100歳で、天命を全うしたよ」
「そう、皆そういう年齢ね」
「次は誰がリタイヤするのかしら」
時とは冷酷なものだ、誰しも生まれ老い死んでゆく。途中どんなことが起ころうとも、偉大な発明や、政治の結実があっても、三太郎のようにはだか湯の洗い場に住み、三助として生きようとも、やがて死んでゆく。
それは誰にも変えることはできない。
ガラッと扉が開いてまたなつかしい顔が現れた。
「お前はボブじゃあないのか」
「やっ、お前は三太郎、まだここにいたのか」
ボブはマッチョな格好で大胸筋をぴくぴくさせていった、
「また奇妙な果実を出していいのかい」
絆サクラは時を超えてキャッと叫んだ。両手のひらを格子にして、ボブのはだかを逃さないように。
またがらっと音がして、新たな来訪者が現れた。
まだ若い、20代そこそこだろうか。
「どちら様で」
若者は三太郎や、絆サクラ、ボブたちがまぶしいほどの若さで声を張った。
「私は北京の呉学明の息子で呉鄭明と申します」
「ああ、呉さんの息子さん、お父上はご健在ですか」
呉鄭明はかぶりを振った。
「父は寄る年波に勝てず、共産党の用意した養護施設。桃源郷で余生を過ごしております、まさにその名にふさわしい場所で、そこには入れたものは、死にたくないと申しておりますので、私も安心です」
「はあ、桃源郷ね、行ってみたいものだ、それで今日は何の用で」
「父が申すに、日本の三助の技術はすごい、きっと役に立つので学んで来いと」
三太郎は番台の上であぐらをかいた。
「するってえとお前さんは、呉さんの跡をついで、あかすりサービスをおやりなさる」
呉鄭明は顔をつるっと撫でで
「中国共産党の力は強力です、長い物には巻かれろと日本でのいうじゃありませんか」
三太郎は呉鄭明の現代っ子らしい割り切りに舌を巻いた。
「こうなったのは何かの縁だ、サクラさん、50年余ぶりにはだか湯に入っていきなよ、
俺が流すからさ」
絆サクラは昔に戻ってアヒル口になって一刺し指を口に当てて答えた、
「そうね、私三太郎さんに流してもらうの初めてかも」
意外や意外、絆サクラは快諾した。
三太郎の絆サクラの上に湯気が天井からぽたりと背中に落ちてきた。
「あー、気持ちいいわ、三太郎さん覚え出る、昔原宿のカフェで燕のひなを見たのを」
「そうだね、何もかもが懐かしいよ」
ボブは年だし、呉鄭民は若いので都市食ったカップルに興味はなさそうだった。
ブクブクぶく、やがて絆サクラは湯船に沈んだ。
「湯あたりだ」
三太郎はそう叫ぶと絆サクラはを洗い場の上に寝かせて、手ぬぐいで仰いだ。
「絆さん」
三太郎の呼びかけに、絆サクラがゆっくり目を開いた。
「三太郎さん、やはり実態の銭湯は気持ちいいわ、私はこの気持ちよさをうちの会員につたえるわ」
絆サクラは両手を天井に挙げて叫んだ
「湯あたりよ、永遠に、だわ」
三太郎の握るデッキブラシが年相応にしなびていた。
了