イア・グレーン 1
「イアせんせー、開けて! また拾ってきた!」
少し汗ばむような陽気になってきて、ソウが来てから一つ目の季節が過ぎようという頃、診療所の外からウーゴの元気な声が響いた。
「今度は何。猫の死体とかはもういらないからね」
いつものことなので、渋々ソウがドアを開けてくれた。さて、今日はせめて生モノじゃなければいいんだけど。カリーバから抽出した成分を精製していたイアは蒸留装置から目を離さずにソウの報告を待った。
だが、いつもとは違う慌てた様子でソウが叫んだ。
「イア、大変!」
振り向けば、ウーゴの背中で誰かがぐったりとしていた。急患だ。
イアは素早く火を止め、二人に患者を診察台に乗せるように指示して診察の準備にとりかかった。人間の中年男性は、濃い茶髪で銀縁メガネをかけていて、ひょろりと背が高い。くたびれた灰色のスーツを着ていて、しばらく剃っていないのか、無精ひげが目立った。恐らくカダミアの人間ではないだろう、ここへたどり着いて数日、といったところだろうか。
「ウーゴ、この人はいつ、どこで?」
「ソウの時と一緒だよ! ついさっき浜辺で見つけたんだ!」
「ありがとう。……すみません、聞こえますか?」
イアが肩を叩いて呼びかけると、彼はすぐに目を覚ました。
「ここは病院です。自分の名前はわかりますか?」
「ああ、私は倒れてしまったのか。ご迷惑おかけしました、私の名前は……」
そう言って体を起こそうとした男性は、何故かイアを凝視して固まった。怪訝に思いつつも、イアは彼を手で制した。
「まだ起きないでください、安静にしてくだ……っ」
イアの言葉は、中途半端なところで止まった。急に肩を掴まれたからだ。
「若すぎる……! 本当に、君は……!」
鬼気迫る、というよりは、悲痛ともとれる叫びだった。危険を察知したソウが男の手を払い除け、素早くイアを遠ざけた。
だがそれを意に介さず、男はただイアを見て複雑な表情で呟いた。
「イアくん。いや……イア・グレーン、博士」
「? 確かにワタシはイアだけど、博士じゃないよ」
「……そうか、君は覚えていないんだな。失礼だが、脈を測らせてもらってもいいだろうか」
「!」
初対面で脈拍の有無を知りたがるということは、彼はイアをドールだと知っている。
「お前も、イアを誘拐するのか!」
以前に誘拐犯を撃退してくれたソウが、彼を完全に敵だと認識して手をかざした。
「ゆ、誘拐なんてしないよ。僕はただ、イアくんが本当にドールになってしまったのか知りたいだけだ」
「信用できない」
背後にイアを庇ったまま、ソウは頑なに首を縦に降らなかった。
「変な動きをしたら、すぐに殺してもらっても構わない。お願いだ、確認させてくれ」
「いやだ」
両者が睨み合うように顔を付き合わせていると、ウーゴがおずおずと手を挙げた。
「あ、あのー。おれおしっこしたいし、帰ってもいいかな」
場違いなその提案に、張り詰めていた若干空気が緩んだ。イアは思わずふっと息を吐いて、目があった彼に向かって頷いた。
ホッとした表情で逃げるように出て行ったウーゴを確認してから、イアはソウの肩をそっと掴んだ。
「大丈夫だよ、ソウ。その代わり、いざという時は助けて。ね?」
眉間にしわを寄せてしばらく考えていたが、ソウはその場所を離れた。お礼を言ってから、イアは念のため痛覚を切って男に腕を差し出した。
失礼、と男はイアの手首に三本指を当てた。しばらくそのままでいたが、やがてゆっくりと指が離れた。
「やはりそうなのか……では、君はあの後……!」
そう言って、今度は涙を流して俯いてしまった。
一体この男は何を言っているのだろうか。そして、何が目的なのだろうか。さすがに敵意をなくしたソウと二人で顔を見合わせて戸惑っていると、男が袖で顔を拭いてから顔を上げた。
「驚かせてすまなかった。僕は、クラウス・ドーレス。マジックコアを研究していた者だ」
「ではクラウスさん、なぜカダミアへ?」
「ここに自律思考型のドールがいるという噂を聞いて、入手したそのドールの写真を見て、半信半疑で来た。そのドールはあまりに、僕の昔の同僚に似ていたから」
「!」
「これを見て欲しい」
そう言って、クラウスは懐から二枚の写真を取り出した。一枚目に写っていたのは、この診療所の前に立って手を振っているイア。恐らくは患者を見送っている時に撮られたものだろう。そしてもう一枚の古い方に写っていたものは、若い頃と思わしきクラウスと、イアにそっくりの少女。
「イア、これって……!」
横から覗き込んできたソウを見て、次にクラウスを見た。
「新しい方は自律思考型と噂されているドールの写真。古い方は、僕の昔の職場で撮ったものだ。それは両方とも君だよ、イアくん」
断言されて、もう一度イアは写真に目を落とした。いつ撮られたのかは知らないが、新しい方に写っているのは診療所があるので間違いなくイアだろう。一方古い方は、周りに写るのは知らない人ばかりだ。しかし、この写真の白衣を着た少女と自分はあまりに酷似している。
「生前のキミは若干十三歳で生物化学の博士号を取得し、同年に国立研究所に籍を置いた非常に優秀な研究員だった。しかし、それから数年後に……」
そこまで言って、クラウスは震えながら俯いた。
「……僕の口から聞くより、全ての始まりの場所に行ってみるべきだ」
空を飛べるソウに抱えられ、生まれて初めてカダミアを出て(といってもカダミアに来る以前の記憶はないのだが)、クラウスの言う全ての始まりの場所である名も無き孤島にやってきた。意外と近く、一時間もせずにたどり着けた。
小さな孤島の中央に建っていたのは、研究所らしき廃墟だった。ここでかなり大きな戦闘があったようで、地面や壁がえぐれていたり、建物の一部が消失していたり、壁には弾痕が走っていたりした。クラウスの言葉が正しければ、これがマジックコアを研究していたという施設だろう。
ふと、既視感に襲われた。もっと言ってしまえば、懐かしいという思いさえあった。
「どうする、イア。俺はこのまま帰ってもいいと思うけど」
つないだ手にギュッと力が込められて、イアは不安そうにこちらを見上げる一対の赤を見下ろした。イアの戸惑いと緊張が伝わってしまっていたらしい。
「大丈夫、心配してくれてありがとう。中に入ってみよう」
無理矢理笑顔を作って、ふわふわとした気持ちのままガラス戸のなくなった玄関をまたいだ。周りを見渡すと、ますます既視感は強まった。リノリウムの床、入場証をかざす機械、いくつかのドア、奥に見えるのはガラス張りの中庭。
それらを見ると同時に掘り起こされた記憶の中の光景は、経年劣化し散らかっていて薄暗いこと以外は目の前の光景と合致していた。
(本当に、ワタシはここにいたの?)
フラフラと歩みを進めると、とある一つのドアが無性に気になった。
震える手で、そこを開ける。




