ゴミ箱の中で 3
夜を切り裂くような叫び声で目を覚ました。
ずしりとした闇の中飛び起きたイアは、診察用のベッドに寝ている少年のもとへ真っ先に向かった。やはり声の主はソウだったようで、悪夢を見ているのか彼はベッドの上を転がりながらうなされていた。
すぐそばの窓を開けて月明かりを確保してから、ソウを揺すった。
「ソウ、……ソウ。起きて」
汗だくになっている彼は突然目を見開くと、勢いそのままにイアに抱きついてきた。
「いあ、いあっ!」
そのあまりの力に体が軋むのを感じ拘束を解こうとするが、相変わらず小さな体のどこにそんなパワーがあるのか、ビクともしない。とりあえずコアを制御して痛覚を切った。
「イア、やだよ! 死なないで、イア! いかないで!」
「ソ、ウ。落ち、着いて」
イアは呼吸していないので苦しくはない。ただ、しゃべりづらい。何とかそれだけ伝えると、ソウの目の焦点が徐々にイアを捉えた。
「イア……あ、あれ?」
ようやく彼は正気に戻り、力を緩めた。
「あ、お、俺」
「大丈夫、落ち着いて。怖い夢見たんだね、もう大丈夫だよ。ワタシはどこにもいかない、ここにいるよ」
小さな体を優しく抱きしめて、なるべく穏やかに、何度も大丈夫と告げて柔らかな白髪を撫でた。しばらくそうしていると落ち着いてきたようで、浅く激しかった呼吸が整ってきた。
「どうしたの、ソウ。どんな夢見たの?」
タイミングを見て聞いたその問いに、ソウは一瞬全身を震わせた。
「なんか、よくわかんないけど、イアが……死ぬ夢。血、吐いて……っ!」
再び抱きついてきた体をさすってあやしながら、イアはバカだね、と笑った。
「ワタシはドールだから、もう死なないし血も吐かないよ。なんなら痩せも太りもしないし髪も伸びない」
「でも……っ!」
いつも体温の高い彼の体は冷え切っていて、小刻みに震えていた。それからしばらくあやし続けたが、ソウはイアを失うことに怯えるかのように、決して抱きついた体を離そうとはしなかった。
仕方ない、とイアは嘆息した。
「よし、じゃあ今日はワタシと一緒に寝よっか」
「えっ」
ソウが寝床にしているこの診察用のベッドより、イアのベッドの方が若干広い。イアは窓を閉め、驚いた様子のソウの手を引っ張り、自分のベッドに戻った。先に寝転がって壁の方に寄ってスペースを空け、薄い掛け布団を上げながらポンポンとシーツを叩いた。
「はい、おいで」
「で、でも」
「ほら、早くしないと閉じちゃうよ」
それでも渋っていたソウの腕を掴んで、半ば強引に引っ張り込んだ。腕枕をしてやり、もう片方の手で小さな体を自分の方に引き寄せながら、抱きかかえるようにして布団を被せた。
「はい、もう逃げられません。おやすみ」
「~っ」
最初はイアの腕の中でカチコチに固まっていたソウだが、背中を一定間隔で優しく叩いてやると、だんだんと力が抜け始めた。
「……イア、いいにおいする」
「そう?」
とろんとした声で言われたあと、数分もしないうちに寝息が聞こえてきた。ホッとしながらそれを確認して、イアも眠りに落ちた。
イアが息苦しさで目を開けると、謎の青年に抱きかかえられていた。
「……。……! ……っ!?」
誰、これ。知らない。ふわふわの白髪に顔は綺麗でまつげが長い。なんで、ここワタシのベッドだよね。
怒涛の疑問に思考回路が追いつかず固まっていると、整った顔立ちの青年はその赤い目をゆっくりと開いた。
「あ、おはようイア」
満面の笑顔で気安く朝の挨拶をされたと思ったら、あろうことかそのまま抱きつかれた。
「!?」
青年は何故かサイズの小さい前開きの服を帯を占めて巻きつけていたが、見事に前が空いているのでいわゆる半裸状態だ。そのせいで、美しい顔立ちの割に体の付くべきところに筋肉はしっかりついているのがはっきりとわかってしまった。
「~っ、は、離して!」
苦しいやら恥ずかしいやらで思わず青年を押しのけてベッドから飛び降りると、青年はキョトンとしてこちらを見ていた。
「? どうしたの、イア」
「キ、キミ、誰?」
「ソウ」
こともなげに返した、どう見ても二十代前半くらいの青年の顔をまじまじと見た。確かに言われてみれば、知っている感じがするというか、どことなくソウの面影がある。
「ワタシの知ってるソウは十歳にも満たない子供なんだけど」
「だから、俺子供じゃないってば。……あれ? そう言えばなんか体大きくなってる」
低い声でそう呟くと、青年は自分の体を見下ろした。
「でも、なんかしっくりくる。記憶がないけど、多分これが俺のホントの姿だと思う」
そんな無茶苦茶な。少なくともイアの知る限りでは、体が急激に成長する現象なんて人間にも魔族にも前例がない。
と思ったら、みるみるうちに青年の体が縮んでいく。数秒後にはすっかりいつもの見慣れたソウの姿に戻っていた。
「あーあ、またちっちゃくなっちゃった」
さっきとは全く違う高い声で残念そうにソウは溜め息を吐いたが、そこに深刻さはなかった。
「まあいっか。イア、お腹すいた」
そう言ってソウはベッドを降りると、軽い足音を鳴らしてイアのもとへ駆け寄った。思考を整理しきれていないイアがフリーズしていると、じれったそうに手が握られた。
「イア、早くご飯作ろうよ。また患者が来るよ?」
イアの腰あたりにまとわりつくソウから、さっきの青年の影は一切見えない。
「い、一体なにがどうなって……」
引っ張られて台所へ向かうイアは、状況を整理してみることにした。
(昨日ソウが夢にうなされていたから、起こして、そして同じベッドで寝た。起きたら、成長していた。でもすぐ元に戻った。本人に痛みといった特別な感覚は多分ない。ついでに、悪夢のことももう気にしていない様子)
イアの視線の先では、小さな少年が鍋の蓋を開けながら食料庫を漁っていた。
「昨日のカレー、カレーっていうか辛い鍋だったけど、おいしかったね! まだちょっと残ってたよね、干し肉にそれ浸して食べたい!」
確かにそれは魅力的だ。最近料理の美味しさに目覚めてしまい、つきあいの一口が二口三口になりつつあるイアは思わず思考を中断してしまった。
「それなら鍋は全部食べないで、干し肉もちょっと多めに用意して、余ったら鍋に入れよう。それで、お昼はマリーナさんから頂いたパンと一緒に食べてみよう。色んなダシが染み出して絶対美味しい、はず」
「おお、さすがイア!」
すっかり興味が料理に移ってしまったイアは、結局先ほどの現象を把握しきれずにこの結論に至った。
ま、いっか。とりあえずご飯食べよう。




