ゴミ箱の中で 2
「あたしはね、ここへ来たことに後悔してないんだ」
長いおしゃべりの末に、胸のボタンを留めながら、猫背の老婆はしゃがれ声で呟いた。
「ここに来たばかりの時は死んだも同然と思ってたけど、やっぱり生きてりゃいいことあるもんだね。今は毎日をありがたく思うよ」
「ハイジさん」
イアが名前を呼ぶと、人間の老婆は片方の口角を上げて笑った。
「イア先生、ありがとうね。アンタのおかげで今は心が安らかだ」
杖をついて立ち上がり、ハイジはおぼつかない足取りで歩き始めた。玄関先まで見送るため、イアも後ろを付いて歩いた。
「お代は、いつも通り人形でいいかい?」
「うん。ハイジさんの人形は精巧で可愛くて子供たちに人気だから、助かる」
「なぁに、助けられてるのはあたしのほうさ。こんなもんで喜んでくれるんだったら、いくらでも作ってやる。次にまとめて持ってくるよ」
それじゃあね、と手を振って、ハイジはゆっくりと歩き出した。沈む夕日に消えていくその小さな背中を見守っていると、白衣を引っ張られた。
「ねえ、ハイジさんはどこが悪いの?」
道具を消毒してくれていたソウが、いつの間にか背後に立っていた。
「昔からずっと、肺が悪いんだ。若い頃に結核にかかって、適切な治療をあまり受けられなかったみたいで」
小さくなっていくハイジが、遠くで少し咳き込んだ。大昔と違って今は結核の治療法は確立しているが、この戦乱の世界でそれは誰しもが受けられるわけではない。
「じゃあ、なんでこの島に来たの?」
「ハイジさんには旦那さんとお子さんがいたんだけど、魔族に殺されて亡くなったんだって。仇は討ったらしいんだけど、それから生きる気力をなくして、死ぬつもりでこの島に来たらしくて。でも、死に場所を探してるうちにいろんな人と知り合って、仲良くなって、頼ったり頼られたりしてたら死にたくなくなってたんだって」
何度も聞いた話だった。お年寄りの診察の時は大体が長話になってしまうが、ハイジの場合は特に長い。今日はハイジが最後の患者だったこともあったが、診察時間四十分のうち三十五分はハイジの昔話だった。
だが、話をすることで寂しさや不安を紛らわせられるなら、いくらでも話をさせてあげたいし、この島の老人たちの昔話は面白い上にいろいろ考えさせられる。平凡な人生を送ってきた人は一人もいないからだ。
「……でも今日は少し咳が多かったし、少し心配だな。ねえソウ、ハイジさんを送ってきてくれないかな」
結核は患者の咳やくしゃみから感染する危険性があったが、ソウは魔族だ。魔族に結核菌は感染しないことがわかっているので、心配はない。ちなみに、職業上ありがたいことに、ドールであるイアはどんな病気にもかからないし、怪我も瞬時に治る。
ソウはイアの顔を見て少し考えたあと、頷いてくれた。帰り道が心配な患者は、しばしばこうやってソウに送ってもらっていた。
「すぐ帰るから。もう夜になるから、イアは出歩いたりしちゃダメだよ」
「はいはい。気をつけていってらっしゃい」
どちらが年上かわからない会話をして、風のように駆けていくソウを見送った。
表の扉に掛けている札を『診療受付中(笑顔のマーク)』から『診療時間外(悲しげな顔のマーク)』にひっくり返した。それぞれにわざわざマークを付け加えているのは、文字が読めない住人のためだ。家の中に入ったイアは白衣を脱いでハンガーに掛け、ここ二週間でようやく慣れてきつつある食事の支度に取り掛かることにした。今日は別の患者から診察代として貴重なスパイスを貰ったので、カレーのようなものが作れるはずだ。多分。
食料の保存場所となっている作業台の引き戸を開いて、野菜や肉を適当に選んだ。マリーナに結局譲ってもらった包丁とまな板も用意し、さあ取り掛かろうとしたところで玄関のドアがノックされた。
「すまねぇ、イア先生。隣山のオラシオだけど、さっき嫁が釘を踏んじまってよ、治療してもらえねぇだろうか」
ドアの向こうから聞き覚えのある、焦ったような声が響いた。
「ラミラさんが? わかった、ベッドに運んで」
この島では、釘だけでも致命傷になる危険性がある。先程診療時間外にしたばかりだが、迷わずイアはドアを開けた。
その瞬間、顔に衝撃が走った。
「喋るな、抵抗するな」
「……!」
見知らぬ男に口を覆うように乱暴に顔面を掴まれ、額に銃を突きつけられていた。
「命令が無視された瞬間、撃つ。わかったら頷け」
何が起きたのかわからないまま頷くと、男は素早くイアの背後に回った。あっという間にイアは口をテープのようなもので塞がれ、後ろで手を拘束された。
「跪け」
上から肩を無理矢理押さえつけられ、床に膝をついた。顔を上げると、屈強な三人の男がイアを見下ろしていた。男たちはゴミの島には似つかないパリッとした黒いスーツを身にまとっていて、ひと目でここの住人ではないことがわかる。
「イア先生! おい、乱暴しねぇって言ったじゃねぇか!」
その後ろで、四人目の男にくってかかっているオラシオが目に入った。
「喋るなと言ったはずだ」「ぐっ!」
男の一人がオラシオを殴り、イアの横に放り投げて並ばせた。彼も手を後ろで拘束されていた。
「うう、すまねぇイア先生……! 突然こいつらに襲われて、抵抗はしたんだが女房と子供を人質に取られちまって……」
小声でそう言われたが、テープが邪魔で喋れないイアはただ頷いた。そういう事情があるのならば仕方がない。両目と額の三つの目にうっすらと涙を浮かべて、顔のあちこちを赤く腫らしているオラシオを責める気にはなれかった。
責めるとしたら、オラシオと家族を利用してまでイアの家に押し入り、イアを縛り上げているこの男たちだ。……まあ、その理由は検討がついているが。
「お前がイアか。ドールというのは本当か?」
どうやらリーダーらしい男に聞かれたが、答える気のないイアが黙って男を睨みつけていると、男の手がイアの首筋に伸ばされた。
「……確かに、脈はないな」
手を離した男は、次に内ポケットから何かを取り出した。それがナイフだと気付き、イアは顔をしかめた。
「なっ、や、やめろ!」
オラシオは叫んで男に飛びかかろうとしたが、周りの男たちに上から押さえつけられてそれは叶わなかった。イアはその間にコアを制御し、痛覚を切った。
二の腕に添えられたナイフが、ためらいもなく素早く横にスライドした。
だが、ぱっくりと切れたブラウスの下に露わになった二の腕には、血どころか傷一つ存在していなかった。
「ドールに間違いないな。それも、正規版だ」
男は、納得したように頷いた。
ドールの体は、言わば本当の体ではない。人間の死体にコアが埋め込まれて定着した瞬間、死体は別次元に保管される。そしてその死体の情報を基に複製体が生成され、コアをアンカーにこの次元に展開される。
だからドールは傷を負っても瞬時に本体の情報を読み取って、復元する。触覚、つまり痛覚もコントロール出来るので、痛みを遮断することもできる。これらの人間離れした身体が、ドールが『兵器』と呼ばれる理由の一つだ。
そして男が正規版、と付け加えたのも理由がある。軍用の正規版と違って、違法に作られている愛玩用や奴隷用の劣化版ドールならば、死体の別次元での保存は行われない。つまり死体そのものを利用することになるので、怪我を負えば再生はせずに永遠にそのまま傷が残るからだ。
「……!」
何かを考えるようにこちらを見下ろす男の顔を見ていて、イアは気付いた。彼の……いや彼らの顔は、恐ろしく昏く冷たい。機能が停止したかのような顔筋は、僅かな感情さえ映していない。まるで止まれと命令された機械のように。
注意深く観察していると、男の唇が動いた。
「正規のドールなのに、お前はあっさり捕まった。戦闘能力に長けている上に魔法が使えるドールではありえない弱さだ。そして俺を『睨んで』いるその目には、確かに感情と推察できるものがある。お前が特別なドールであることは間違いなさそうだな。……おい、連れて行くぞ」
「!」
リーダーの男の言葉に頷いた他の男たちが、両脇から腕を掴んでイアを無理矢理立たせた。
「もし暴れたら、こいつを殺す」
体当たりでどこまでやれるか、と算段していたイアの思考を読んでいたかのように、オラシオの首にナイフが添えられた。ヒィ、と空気を吸い込むような悲鳴を上げたオラシオを見て、イアは抵抗を諦めた。
(でも、このままじゃダメ。何とかして隙を作るか、誰かに知らせるかしなきゃ)
おとなしく連れて行かれるつもりはないが、今は圧倒的に不利な状況だ。背後から銃を突きつける男たちの指示にひとまずは従って玄関から外に出たとき、遠くから声がした。
「……イア?」
「!」
聞き慣れたその幼い声を認識した瞬間、声が出せないのも忘れて「来ちゃダメ!」と叫ぼうとしたところで────重力がでたらめな方向にはたらいた。
気が付けば、イアは家から少し離れた場所で、小さな体に身を預けて地面に座り込んでいた。
「!?」
再びひっくり返った事態の処理に頭が追いついていない中、両腕から自分のものではない腕が二つ、ボタリボタリと地面に落ちた。黒いスーツごと切り離された、男たちの腕だった。同時に、手を縛っていた縄が解かれた。というよりは、突然弾けるようにちぎれたと言ったほうが正しいか。
一瞬で移動したこと。男たちの腕が音もなく切り離されたこと。これらの事象の原因はただ一つ、魔法が使われたのだ。
となると次の疑問は誰が使ったのか、ということだ。起き上がろうとしたが、後ろから肩を強く抱かれていてそれは適わなかったので、仕方なく見上げるような格好で、口のテープをはがしてくれた幼い魔族の少年の顔を確認した。
「ソ、ソウ。これ、キミがやったの?」
「あいつらに、何かされたの?」
ソウは質問には答えず、その代わりに恐ろしく静かな声音が降ってきた。だが、家の方向を真っ直ぐに見つめるソウの瞳には爛々と炎が宿っていた。
「う、ううん。連れて行こうとはされたけど」
チリチリと皮膚に突き刺さるような感覚は、彼の感情をそのまま伝えているような気がした。
「でも服、切れてる」
ソウはイアの方を見ようとはしなかったので一瞬何のことかわからなかったが、そう言えばドールの確認のために腕を切られていたことを思い出した。
「ああ、これ。大丈夫、すぐ治ったし痛くはないから」
落ち着いてもらうため、そして心配させないためにわざと明るく言うと、肩を掴む力が一瞬だけ強くなった。
すると、空いていた方のソウの手が、こちらの様子を半信半疑で窺っている男たちに向かって伸ばされた。
「まずは、足」
かざされた手がギュッと空を握り締めると、その動作に合わせて男たちの足が不自然に折れ曲がった。いや、折れ曲がったどころではなく、足というものの存在が認められないほど、その部分は『平たい何か』に変わり果てていた。
「な……!?」
イアの叫びに遅れて、男たちがバランスを崩して地面に倒れこんだ。
魔法は不可能を可能にするが、万能ではない。そう言い切れる理由として、魔法を構成する二つの要素がある。一つはイメージの力、そしてもう一つは魔力の量だ。つまり『こうしたい』と思ったことに対して、どれだけ鮮明な想像ができるか、そしてそれを実行するためのエネルギー、魔力の量がどれほどあるかで精度が大きく異なってくるのだ。どちらか一つが不足していても、魔法は展開できない。自分の想像の及ばないことはできないし、魔力量が不足していても現実に十分は作用させられない。
今の魔法は恐らく、男たちの足が潰れるイメージをして、それを展開したはずだ。イメージはさほど難しくはないが、注目すべきは魔力の量だ。大の男四人の足を一瞬で潰すなんて、たった一人の幼子が操る魔力の量としては破格だ。しかも、直前に瞬間移動と腕を切り落とす魔法を使っておいて、である。
(ソウ、キミは……)
思わず少年を見つめると、小さな口が動いた。
「……なんか、おかしい」
イアもその理由にはすぐに気付いた。男たちの足からは、血が一切出ていないのだ。よく見れば、切断された腕からも出血は確認できない。それに、こんな目にあっているにも関わらず、こちらを見上げる男たちの表情はどこまでも感情が浮かんでいない。こちらに対する敵意もなければ、痛みを感じている様子もない。普通ならば激痛でのたうちまわるか、失神してもおかしくない状況であるはずなのに。
「もしかして、こいつら」
「うん。多分ワタシと同じ、ドール。再生しないし魔法が使えないみたいだから、正規のドールじゃないけど」
ようやくソウの手から抜け出し、イアは彼の隣に座った。
男たちが正規の軍用ドールならば、今頃イアは魔法で転送されてとっくにこの場所にいない。口をテープで塞いで縄で縛って連れて行く、という古典な方法をとっているあたり、恐らく劣化版か民間用に簡易化されたドールだ。
「ふーん。でも、俺のすることは変わらないよ」
無慈悲にもソウが再び手をかざしたので、イアはそれをそっと握った。
「もう、必要ないよ」
そして、後ろから彼の目を両手で覆い、視界を遮った。
「なにイア、どういう────」
その瞬間、爆発音が四つ響いた。腕の中で、ソウの体がビクリと跳ねた。
「ちょっ、今のって……」
「キミが見る必要はないよ。もう彼らは、役目を終えたから」
告げると、イアの手から逃れようともがいていたソウはピタリとおとなしくなった。
「それって、もしかして」
返事の代わりに、イアはソウの体を自分の方に向かせて、抱きしめた。
目の前には、惨状が広がっていた。
皮膚や髪の毛や内臓、骨に至るまで、人の外側や内側の肉片が四人分、あちこちに四散していた。損傷が激しいのは首から上と心臓のあたりで、脳とマジックコアが完全に破壊されているのが見て取れた。
両足を潰された以上、彼らは目的であるイアを連れ帰ることができなくなり、さらに逃げることも難しくなったため、残された選択肢は二つになった。イアたちに捕まるか、破壊されるかだ。この場合最も避けたいのは前者で、拷問が効かない上に登録したマスターにしか従わない性質の彼らは自ら口を割ることはないだろうが、解剖されて解析されると情報が漏れてしまう可能性がある。もちろんこの場所にそんなことができる施設はないが、脳やマジックコアを保存してしまえば、後で環境の整った場所で情報を引き出すことはできる。
だから作戦に失敗し、逃走も不可能だと悟った彼らは、自爆を選んだ。
そこに彼らの意思はない。それ以前に、彼らの意思というものはこの世のどこにも存在しない。あるのは、彼らを従えるどこかの誰かの思惑だけだ。
「なんだか、疲れたな」
考えるべきこと、感じることが多すぎて、イアは思わず弱音を漏らした。
それに応えるように、ソウがギュッと抱きついてきた。イアが少しだけ笑って、ありがとうと言おうとしたとき……側面から、物音がした。
ハッとして視線を持っていくが、遅かった。五人目となる黒づくめの男が、ナイフを構えてこちらに突進していた。その切っ先はイアではなく、もっと背の低い人物を狙っていた。
「ソウ!」
咄嗟に彼をかばおうと身を乗り出したところで────男の首が飛んだ。
「よくやったな、坊主」
ドンッと首が地面に落ちる音とともに、しゃがれ声が降ってきた。刀と呼ばれる細身の剣の構えを解いたのは。
「シンタロウさん!」
「遅くなってすまない、イア先生。五人目がいることが気配でわかってたから、なかなか助けられんかった。二人とも大丈夫か?」
「うん、無事だよ。ああ、ホントにありがとう」
「イア先生!」
「無事か、先生!」
次に駆けつけてきたのは、胸から上が牛そっくりの男と、右半身が銀色のウロコで覆われた男。
「ゲンさん、シュウさん!」
「オラシオんちの奥さんと子供は無事だ!」
「一人いたが、追い詰めたら自爆した」
「そっか……ありがとう」
イアたちのやり取りをポカンと見ていたソウは、え?え?と老人と男たちを交互に指差した。
「こりゃ、人を指差すんじゃない。イア先生、ここはワシらが片付けておくから、坊主と一緒にオラシオの家に一応行ってやってくれんか」
シンタロウは残像が見えるほどの速度で刀を振って血を飛ばすと、顎で後ろを差した。そこには、今までどこかに隠れていたらしいオラシオが、申し訳なさそうに縮こまっていた。
「すっ、すまねえイア先生……! 俺、俺は……っ」
膝を付き、肩を震わせてむせび泣くオラシオの肩を、イアはそっと叩いた。
「大丈夫、怒ってないし恨んでもないよ。人質を取られたんなら仕方ない。それより、家に案内して。奥さんとお子さんの様子を見たい」
「あっ、ありがとうイア先生……! こっちだ、お願いします!」
「わかった。シンタロウさん、ここは甘えさせてもらってもいいかな」
笑って頷いた老人を確認し、イアは家からカバンを持ち出すとソウの手を引いてオラシオのあとに続いた。その間にも騒ぎを聞きつけてたくさんの人が集まり、イアたちの無事を喜んでくれた。
急いで隣山へ向かうと、オラシオの妻と子供は家の前で待っていた。抱きつこうとするオラシオをソウに止めてもらってから診察をしたが、どこも怪我はしておらず無事だった。オラシオの怪我を治療し、何度もお詫びとお礼を言う一家に見送られて、イアとソウは帰路についた。
「まさか、シンタロウさんがあんなに強いとは思わなかった」
ポツリと呟いたソウに、イアは笑顔を返した。
「もともとは名のある軍人さんで、色々伝説を作った人なんだよ。ワタシは狙われやすいから、よく危ないところを助けてくれてて、もういっそ近所に住みなさいってシンタロウさんやゲンさん、シュウさんが言ってくれて、それで今の場所に家を構えたんだ」
「って、じゃあイアは今までもあんな奴らに狙われてたってこと?」
「うん、やっぱり意思を持つドールって珍しいみたいで。我ながらよくこれまで無事だったなって思う」
カダミアは人間側にも魔族側にも属さない、暗黙の中立国家のようなところだ。
しかし、それでも侵略者はやってくる。それはマジックコアを抽出するために魔族をさらいに来る人間だったり、食料を漁りに来た低級で知能の低い魔族だったり、一時的に避難してきたお偉いさんを無理矢理強奪しに来たお偉いさんだったり、様々だ。
命令に従うだけのドールでありながら自分の感情を持つ、言い換えれば自律思考型のイアは、ドールとしてはかなりイレギュラーな存在だ。そのためちょっとした有名人だったので、たまに研究者や軍事関係者なんかに狙われていた。
そんなときは、シンタロウたちを筆頭に近所の人間や魔族が総出で追い返してくれていた。来る者は拒まず去る者は追わないカダミアだが、この辺りに住む者は皆イアに一度は治療されているのもあったし、貴重な医者がいなくなるのを黙って見ているわけにもいかないだろう。
「我ながらって……のんきだなぁ。俺ずっと思ってたんだけど、なんかイア、自分のことになるとあんまり真剣じゃないっていうか、危なっかしいよね」
「そうかな?」
「そうだよ。さっき五人目に不意打ちされた時だって、俺をかばったでしょ。あんなことされなくても俺対処できたよ。むしろあれで視界を塞がれたんだけど」
責めるように言われて、思わずイアは顎を引いた。
「う。ご、ごめん。だってあれは咄嗟に……それにもしワタシに刺さったとしても、痛覚は切ってたから痛くないし」
「ダメだよ、そういう問題じゃない。もっと自分を大事にして、自分を大事にできない奴は他人も大事にできないよ、きっと」
「は、はい」
ぐうの音も出ない。思わず敬語になってしまうほど、いくつも年の離れた少年に完璧に諭されてしまった。
「全く……これからは、俺がしっかり守ってあげるから」
しょんぼりしていると、握っていた小さな手に力が込められた。いつもならこの小さな騎士の頭を撫でて終わるところだが、今日は完全にソウに助けられた。この子がいなかったら本当に危なかったかもしれない。
イアは立ち止まってしゃがみこみ、ソウの両手を掴んだ。
「ソウ、今日は本当にありがとう。キミがいてくれて、よかった」
「う、うん」
照れたように俯くその姿は完全に年相応の少年だが、あの魔法の完成度はどう考えても異常だった。戦っていた彼の姿を思い出しながら、イアは真剣な表情で続けた。
「あのね、ソウ。これまで一緒に暮らしてきて、キミについて一つわかったことがある。キミは多分────魔族の良家の出身のはず。それも、かなり位の上の」
「え? なんで?」
「そう思った理由は二つ。一つは学力。勉強を教えてて気付いたんだけど、キミは水準以上の教育を受けてる。その年でそれだけの教育がされてるとなると、きっと貴族以上の階級の出自なんだと思う。そしてもう一つは、さっきの魔法。魔族の強さは、ある程度の知能の高さと魔力の量の二つで決まる。特に魔力の量は絶対的で、あの魔法の威力は並大抵の魔族のものじゃない。そして魔族の強さは、そのまま階級を表す。だから恐らく、キミは魔界でもかなり上の方の貴族だと思う」
イアの説明を一通り聞いたあと、ソウはしばらく腕を組んで考えた。
「なんか、貴族って言われても全然ピンと来ない」
「そっか。まあ確かに、貴族だからどうこうって話ではないしね。それに喜ばしくはある、日々を過ごしているだけでもキミのことが分かりつつあるから。こうやって一つ一つ、キミの情報を紐解いていこう」
「うん」
しっかり頷いたソウの肩を叩いて、イアは立ち上がった。
「じゃあ帰ろっか。シンタロウさんたちに任せっぱなしも悪いし、あの人たちの欠片を掃除しなきゃね」
「うえー」
顔をしかめて舌を出したソウの頭を軽く小突きつつ、イアは少しだけ笑ってから彼の手を取って歩き出した。




