世界のゴミ箱 2
結局有益な情報は得られないまま、次の日を迎えた。ただ幸運なことにソウはすっかり元気になり、事情を知った近所の住民にドッサリと貰った食料の中から、干し肉を選んだ彼は夢中でそれをかじっていた。意識不明で運ばれた翌日に選ぶ食べ物としては少々豪快すぎる気もしたが、それは人間の場合の話だ。魔族である彼ならば心配はいらないだろう、生命力が強いのも魔族の特徴だった。
イアは診療所を午後から休業し、ソウを連れて浜辺へとやってきた。小さな港であり子供たちの遊び場でもあるこの場所は、住人の努力のおかげでゴミの少ない場所になっている。しかし何かの廃液やサビのようなもので、砂浜や浅瀬の部分はところどころ暗い色を混ぜ込んだような何とも言えない色に変色していた。それでも、ガラクタの山には見いだせない自然が感じられる貴重な場所だ。
その砂浜に突き刺さるようにそびえ立つ、一番目立つゴミが、鉄くずの塊と化している飛行機の残骸だった。彼を拾ってくれた三人組の話からすると、このそばでソウは倒れていたらしい。
「どう、何か思い出せそう?」
イアの問いにソウはキョロキョロと辺りを見渡したが、やがて小さく呟いた。
「……ダメだ。何も、思い出せない……」
目に見えて意気消沈したソウだったが、他にもやり様はある。イアはしゃがみこみ、目線の高さが逆転したソウを見上げた。
「それなら、これから周辺の住民に聞き込みに行けばいいよ」
「……うん」
返事は返ってきたものの、今にも消えてしまいそうだった。イアは苦笑して、いいこと教えてあげる、と人差し指を立てた。
「実はワタシ、一昨日の夕方にここに来てるんだ。子供たちに散歩に行こうって引っ張られて」
「え? 一昨日って……俺がここで見つかる前日? それの何がいいことなの?」
「だって、間違いなくその時ここにキミはいなかった。そして、キミが保護されたのが昨日の昼。ってことは、一昨日の夕方から昨日の昼にかけて、キミはここに連れてこられた、もしくは自分でここに来た、ってことになるでしょ。ということは?」
答えを促すように問いかけると、ソウがハッとしたように顔を上げた。
「そっか。時間が限定されたから、情報が集めやすくなったんだ」
「そういうこと。皆に『この子は記憶喪失なんです。何か知りませんか』って闇雲に聞いて回るより、『一昨日の夕方から昨日の昼までの間、変わったことはありませんでしたか』って聞くほうが、効率よく情報を集められる。賢いんだね、ソウ」
イアは思わず破顔し、ソウの白髪をくしゃくしゃと撫でた。
「っ、ちょ、やめてよ! 子供扱いしないでよ!」
ソウは眉間にしわを寄せ、頭を振ってイアの手から逃れた。おとなしい子かと思っていたが、意外にも自立心が強いようだ。
だが、子供扱いされて全力で抵抗するところがまだまだ子供というか、可愛らしい。思わず、イアはソウのおでこを指で軽く弾いた。
「何言ってるの、ちんちくりんなくせに。そういうセリフは、ワタシの背を抜かしたら受け付けます」
「っ!」
ソウは、悔しげにおでこを押さえた。
「ふふ。さて、じゃあ聞き込みに行こう。情報は鮮度が命」
立ち上がったイアはソウの手を引いて歩こうとしたが、彼の足は動こうとしなかった。
「ソウ? どうしたの」
すねてしまったのだろうか。やりすぎたかな、と少し反省して、イアは再びしゃがみこんだ。だが下から覗き込んだその表情は、へそを曲げているというよりは何かをこらえているようなしかめっ面だった。
「……イア、ごめんね。俺お金も持ってないから治療費とかしばらく払えないし、今日だって俺のせいで午後の診療所を休業させてる。聞き込みに付き合うのだって大変だろうし、俺、たくさん迷惑かけちゃってる……」
イアは胸中で苦笑した。別に迷惑とは思っていないし、休業したのも聞き込みをすると決めたのもイア自身で、それはイアの責任だ。何より、それは子供がしなくてもいい心配だ。だが先ほどの態度からするに、それを言っては彼の自尊心を傷つける危険があった。
だからイアは顎に手を当てて、しばらく考える素振りを見せた。
「うーん。じゃあ、ソウには記憶が戻るまでうちで働いてもらおうかな。ちょうど男手が足りなかったし、アシスタントさんが欲しかったんだよね」
「!」
「ソウが住み込みで手伝ってくれると、すごくありがたいんだけど。どうかな?」
しゃがんだまま上目遣いでお願いをすると、出会ってから初めて、ソウの顔に明かりが灯った。
「わかった! 俺、イアの助手になるよ!」
これまでイアが一方的につないでいた右手に、ソウからギュッと力が込められた。
「ふふ。ありがとう、助かるよ。これから宜しくね」
「うん!」
イアは手をつないだまま立ち上がり、ソウと歩き出した。
アシスタントが欲しかったのは事実だが、さすがに子供にはさせられない作業の方が多い。もちろん男手としてカウントするつもりもない。それでも、今のソウには『自分が必要とされている』ことの安心が必要だと判断し、提案した。
それは功を奏したようで、ソウの足取りは見違える程軽くなっていた。元気になったソウに半ば引きずられるようにして、イアは近所をしらみつぶしにあたって、話を聞いてみた。
だが、夕方になってもいい情報は得られなかった。再び肩を落としたソウを宥めつつ、イアは彼と帰路についた。
「まあ、これからゆっくり探せばいいよ。手がかりがなくても、何かの拍子に記憶が戻るかもしれないしね」
「……うん」
自分たちの足元から伸びる、大小二つの長い影を追うようにトボトボと歩く。ゴミ山の隙間を縫うように設けられている未舗装の道は、一応それなりに整備されて歩けるようになっているが、足元に注意していないとたまに取り除きそこねたゴミに躓いてしまう。だからこの島の住人は皆、下を向いて歩きがちだ。
だか、彼がうなだれて歩いているのは多分そのせいだけではない。イアはなんとか元気づけようと色んな言葉をかけたが、そのどれもが徒労に終わった。
(情けない。こんな小さな子一人元気にできないなんて)
医者と教師まがいのことをやっているので子供の扱いは心得ている方なのだが、やはり子供という生き物は思い通りにはいかない。なんだかこのままでは自分も落ち込んでしまいそうだ。イアはアプローチの方法を変えてみることにした。
「ねえ、ソウ。キミの好きな食べ物って何?」
「え?」
キョトンとして、赤い相貌がイアを捉えた。
記憶に関する手がかりは、今は一旦置いておく。今できることは十分にやっているし、ソウは一応病み上がりだ。これ以上根を詰めすぎるのは良くない。ならば、今は楽しいことや好きなことをさせて、気を紛らわせるのがいいだろう。
そもそも自分は、この少年のことをよく知らない。よく知らない相手を芯から慰めるのは難しい。だったら、これから知ればいい。それに、色々な情報を引き出せればそれだけで記憶につながる材料になるし、気を紛らわす行動の中にもヒントがあるかもしれない。
だが、さすがにソウは首を横に振った。なにせ記憶がないのだ、好物のことも覚えていなくとも仕方がない。
「そっか。なら、今何が食べたい?」
ソウはうーんと唸ると、ポツリとこぼした。
「あったかいもの、かな」
実に曖昧な表現だった。料理と呼ばれるものの大半は加熱調理されているものだ。しかし料理の知識が乏しいイアは、引き出しの少なさゆえに一つしか思い浮かばなかった。
「よし。なら、今日は鍋にしよう」
「鍋?」
「うん。鍋なら、材料を切って煮込むだけで多分なんとかなるから」
昨日肉や野菜を大量にもらえたし、食材には困らないだろう。
「鍋と調理器具はマリーナさんに借りるとして、食器もなんとかなる。煮沸消毒に使ってるカマドもあるから火も確保できる。問題は調味料だな、マリーナさんかシンタロウさんに分けてもらえればいいけど」
ブツブツ呟いたところで、ハッとしてソウを見下ろした。
「ど、どうかな、鍋。ダメ?」
これでダメと言われれば、イアは他の料理のレシピをご近所さんに一から教わる必要があった。何を隠そうイアは料理に不慣れだったので、できれば料理のテクニックが必要ない鍋の方がありがたかった。しかし、ソウが食べたくなければ意味がない。恐る恐る聞くと、彼はフルフルと首を横に振った。
「イヤじゃない。っていうか、食べたい。なんか俺、お腹減ってきた」
その言葉に応えるように、彼のお腹が鳴った。少し恥ずかしそうに俯いたソウに気付かれないように笑って、イアは小さな手を握り直した。
「よかった。じゃあ、早く帰ろう。早速キミには料理の準備とか色々手伝ってもらうことになると思うけど」
「うん」
歩調を速めた二人は、鍋の具の種類と何味にするかについて議論しながら診療所に帰り着いた。結局リスクの少ない塩だけの味付けにすることにし、ご近所さんに道具や調味料を分けてもらって、二人で作業台に並んで調理にとりかかった。
「イア、これってこれくらいでいい?」
「あー、うん、多分。それより、全然切れないんだけどこの肉」
「じゃあ俺、その向こうのよくわかんないやつ切っとくよ」
「それはテレッサっていうスライム状の家畜用魔族で、ビタミンが豊富。どうしてもこの島は野菜が不足するからこういう魔族が重宝され……やっと切れた、どうなってるのこの皮」
「うわっ、これすごいブヨブヨする」
「そのブヨブヨにたくさん栄養が詰まってるんだよ。あ、それは鍋に入れるんじゃなくて、生で食べよう。お皿は後ろの棚の……」
「ってイア、お湯吹きこぼれてる!」
「え? あ、しまった!」
とにかく始終騒がしい状態で、それでもなんとか二人は鍋を完成させた。いろんな肉のダシが染み出した、料理初心者二人の渾身の塩鍋だ。
イアはグツグツと煮立つ鍋から具をお椀にどっさりよそって、ソウに手渡した。
「ど、どうぞ」
「……うん」
ソウは神妙な顔つきで、肉をまず嗅いでから、口に運んだ。
「……!」
一瞬フォークが止まったと思ったら、そこからは速かった。ソウは無言のまま食べ続け、一瞬でお椀を空にした。ドキドキして見守っているイアに何度も空のお椀が差し出され、ソウは貪るように鍋の中身を軽くしていく。
「ど、どうかな」
半分以上なくなったところで、おずおずとイアは聞いてみた。するとそこで初めて何も喋っていなかったことに気付いたかのように、ソウがハッとして顔を上げた。
「おいしい! すごく」
言葉は短かったが、その明るい表情と声音が何よりの証拠だった。イアは思わず小さく拳を握り締めた。
「あれ? イア、食べてる?」
イアのお椀が空のままであることに気付いたソウが、驚いたように鍋を見た。
「ごめん、俺ばっかり食べてた。どうしよう、もうあんまり残ってない」
慌てるソウの口の端についた肉の欠片を指で取ってやりながら、イアは微笑んだ。
「大丈夫、全部食べていいよ。ワタシはドールだから、食事の必要はないんだ」
「!」
忘れていた、というようにソウの目が一回り大きくなった。
ドールの動力源は、体に埋め込まれたマジックコアだ。それがある限り、ドールは半永久的に駆動し続けられる。
だからイアはこの十五年間、料理も食事もしたことがなかった。
本当は今日だって、イアの分の食器も用意する必要はなかった。でも、何かの本に『一人より、誰かと食べるご飯の方がおいしい』と書いてあったことを思い出した。だから食べないまでも、食べるふりはしようと思って食器を並べてみたのだが。
「イア……」
食べる手が止まったソウが、悲しそうにイアを見た。そんな顔をさせたくなくて頑張って鍋を作ったのに。イアは焦って、咄嗟にフォークを掴んだ。
「えーと、うん。食べられないわけじゃないんだ。じゃあワタシも少し、食べてみようかな」
「無理しないで」
「無理じゃないよ。体に取り込むことはできないってだけで、悪影響はないんだ。でももったいないから、一口だけね」
イアは体の中にあるマジックコアを制御し、普段展開していない味覚をオンにしてから小さめの肉を口に入れた。ドールはコアをコントロールすることで、五感を自由に操ることができる。
「! ホントだ、おいしいね」
噛んだ瞬間コクのある肉汁がじゅわっと広がり、それがダシと塩味と混ざって風味よく口の中で踊った。シンプルな味付けが素材の味を引き出していて、文句なしに旨い。
ソウの顔からホッとしたように力が抜けた。初めてまともに味覚を機能させたこともあって正直もう一口食べてみたくなったが、それでは料理を無駄にしてしまう。ぐっとこらえて、イアはフォークを置いた。
「ほら、ソウも食べて。ちゃんとテレッサのサラダも食べるんだよ」
「うん」
再び、ソウの怒涛の食事が再開した。だが一心不乱に食べていた先程とは違って、今度はチラチラとイアの顔を見ている。その度に微笑んでやると、彼も少しはにかんで嬉しそうに肉を頬張った。たまに油でまみれた口元を拭いてやりながら、イアは満ち足りたようなくすぐったいような、これまで味わったことのない変な気分になった。
だが、悪くないと思えた。




