世界のゴミ箱 1
まず目に付くのは、ガラクタの山だった。
大きなものなら車、バス、船、電車の車両、小さなものなら冷蔵庫、テレビ、電子レンジ、ペットボトルやビニール袋なんかがあちこちに山を形成していた。だがそのように原型が判別できるものは少なく、実際の大半は何に使われていたかもわからないコンクリートや鉄くず、色とりどりのプラスチックなんかのゴミの集まりだ。その山は一つや二つではない、この島ではそれはもはや構成単位となり、見渡す限りの景色全てがそれで成り立っていた。
ガラクタは物理的にも化学的にも危険極まりなく、異臭は絶えることがなく、衛生面に問題がない場所を探す方が難しい。そんな島でも、住人はいた。
掘っ立て小屋に住む少女も、そのうちの一人だった。
白衣に包まれた痩せぎすな体は色白を通り越して青白く、背中まで波打つねずみ色の髪を、仕事中は後ろでゆるく一つにまとめている。その容姿はまるで病人のような頼りない印象を与えるが、髪色よりさらに薄い灰色の瞳、そこに静かに宿る理知的な光は強い。
少女は、胸から上が牛そっくりの男と、右半身が銀色のウロコで覆われた男を見上げた。
「お大事に、ゲンさん、シュウさん。もう喧嘩しちゃダメだよ」
異形の男二人は、恥ずかしそうにお互いを見やった。
「わかったよ、イア先生」「世話かけちまってすまねぇ、もう迷惑はかけねぇよ」
そう言って、包帯だらけの常連の患者たちは、こちらに手を振りながら並んで遠ざかった。それを見送りながら、イアと呼ばれた少女はため息をついた。……今月に入ってもう五回はそのセリフを聞いた気がするんだけどな。
ひとまず、これで午前の診察は一区切りついた。イアがあばら屋の玄関先で一つ伸びをすると、不意に声をかけられた。
「いつもご苦労さまだなぁ、先生」
笑いながらそう言ったのは、向かいの小屋に住む、右足が義足の老人だった。
「ありがとう、シンタロウさん。足の調子はどう?」
「おかげさまで、こうやって菜園の手入れが出来ている。問題はないよ」
老人は持っていたジョウロをバスタブの淵に置き、手ぬぐいで顔を拭きながらシワシワの顔をもっとシワシワにして笑った。軒先にズラリと並ぶ、いくつかの廃バスタブを改造して作った家庭菜園は、彼の生きがいだ。
「あー、せんせー!」「イア先生とシンタロウじいちゃんだ!」
高い声に振り向けば、そこにいたのはインコのような鳥の頭をした少年と、全身が紫色の肌をした少年。
「おお、今日も元気だな坊主たち」
「こんにちは、アレックス、イジー。今からサッカー?」
「おう、マレクたちと試合なんだ!」「隣山の奴らには負けねえから!」
彼らが大事そうに抱えていたのは、皮が破けたバスケットボールだった。決してサッカーをするためのボールではないが、ここでのボールの数には限りがあり、何よりここで生まれ育った子供たちはほとんど、球技はサッカーを好んだ。他の球技、例えばバスケットボールはよく跳ねるボールとリングが、野球はバットとグローブが必要だが、サッカーは適当なボールさえあればなんとかなるからだ。
「そっか、がんばれ。大きな怪我はしないようにね」
「うん!」「じゃーなー先生、じいちゃん!」
そうやって元気良く手を振って駆けていった少年たちと入れ替わるように、恰幅のいい女性がやってきた。
「シンタロウさん、イア先生! 二人ともちょうどよかった、差し入れ持ってきちゃった!」
癖の強い赤毛のショートヘアの女性は、左右二本ずつ、計四本ある手の右側の一つを老人に差し出した。
「今朝旦那がガルンを多めに仕留められたから、解体して配ってるのよ! よかったら受け取って!」
「おお、助かります。いつもすみませんなマリーナさん」
ガルンとは、この辺りでよく獲れる野生化した家畜用魔族だ。見た目は小ぶりな牛で、味も牛に近い。性格も比較的温厚で繁殖力も高いため、この島の住民が最もよく食べる食材の一つだ。
「イア先生には、はいこれ!」
「! カリーバだ、ありがとう。すごく助かる」
手渡されたビニール袋に入っていたのは、真っ黒なモグラのような魔物だった。このカリーバは酒臓と呼ばれる内臓に純度の高いエタノールを有する。また皮膚のヌルヌルした分泌物からは数種類の抗生物質が採れ、その他にも薬効を示す物質が様々な部位から採取できるため、『生きる薬箱』と呼ばれる。イアにとっては欠かせない魔物だ。
「この辺の住人は『カリーバが獲れたらイア先生に渡せ』ってのが合言葉だからね、気にしないでよ!」
「ううん、カリーバはいくらあっても困らないから。ホントにありがとう」
「いいのよ、先生にはうちの息子が散々お世話になってるんだから! シンタロウさんからも貴重なお野菜やハーブなんかをいただいてるし、お互い様よ!」
そう、この島に貨幣は流通していない。住人は基本的に物々交換で生活していた。
高度な文明の片鱗が存在するのに、その生活は驚くほど原始的だ。なぜこんないびつな文明の島が存在するのか。それは、この島の成り立ちが全てを語っていた。
────世界のゴミ箱。世界地図に載っていないここカダミア島は、そう呼ばれていた。
大昔から受け継いできたとある負の遺産。それを地下深くに今でも貯め続けるこの島は、いつの日か島自体にもこの世のありとあらゆる不要なものが集まるようになった。
カダミアはどの国にも属さず、それゆえに誰もが何でもかんでもモノを捨てられる。その有用性からここは世界に黙認され続けてきた。
やがてモノだけでなく、人間もやってくるようになった。自ら進んで来た者、誰かに連れて来られた者。十人十色の事情や過程を抱えた人間が、世界の終着点であるこの島に腰を据え、生活するようになった。
魔族という、地球には存在しなかった種族が到来して久しい今でも、それは変わらない。
突然異次元より現れたと言われる魔族は、『この世界を支配する』という明確な意志を持って侵攻を開始した。あっという間に世界各地が戦火に包まれ、このまま黙って滅びるわけにもいかない人間と魔族が全面戦争に突入するのに、そう時間はかからなかった。
だが人間の科学力と魔族の魔法、両者が拮抗して事態は進まなくなり、戦争を開始した年から三桁の年数が経った今も、カダミアは役目を果たし続けていた。どこにも属さない、というカダミアのスタンスは、魔族に対しても有効だったのだ。
つまり、この島に人間だけでなく魔族も住み着くようになった。やがてその混血が生まれるようになり、今では住人の半分がその子孫たちだ。だが、住人の種族が大きく変わってしまったというのに、それがどうしたと言わんばかりに、相変わらずこの島は全てを受け入れ、ただ有り続けた。
だからゴミ箱の中で、人や魔族や混血たちは今日も生き続けている。
「あらっ、イーライさんたちのところにも配る予定だったんだわ! 私行かなくちゃ!」
マリーナは思い出したように二本の手をポンと合わせると、もう二本の手でガサガサとビニール袋を抱え直した。
「おっと。私も、もう少し菜園を手入れせにゃ」
「ワタシも、午後の診察の準備をしなきゃ。それじゃ、シンタロウさん、マリーナさん、なにかあったら呼んでね、すぐに駆けつけるから」
それは頼もしい、と二人から同じ言葉を受け取って、イアは診療所兼家の中に入った。と言っても、家具は必要最低限しかない。真ん中にテーブル、右に作業台、その奥の仕切りの向こうにあるイアのベッドとクローゼット。左側は仕事のスペースになっていて、デスク、椅子が二脚、薬品棚、診察用ベッド。どれもこれも適当に拾ってきた物なので例外なくボロボロで、それをちまちま修理しつつ使っていた。
お昼の時間を過ぎたらまた患者はやってくる。薬や備品なんかの補充を今のうちにしておこう、とイアが足を進めたとき、複数の足音が近づいてくるのがわかった。
「せんせー!」「イアせんせー!」「開ーけーてー!」
さっきのサッカー少年たちとは違う、彼らより更に幼い声に気付いて、イアは再びドアを開けた。
「ウーゴ、アルバ、ナズナ。どうしたの?」
玄関先に立っていたのは、犬の耳と尻尾を持つ少年と、トカゲのような尻尾を揺らす少年と、至って普通の人間の少女だった。近所に住む見慣れた教え子三人組は、全員が肩で息をしていて、切羽詰った様子でわあわあ騒ぎ出した。イアはすぐにその理由に気付いた、ウーゴがもう一人、四人目となる誰かを背負っているのだ。
「先生、こいつ診てあげて!」「全然起きないの!」
背負われていたのは、同じくらいの体格の子供だった。俯いて顔はよく見えないが男の子のようで、なぜか服は着ておらず、総白髪の隙間からは短い角のようなものが二本生えていた。
「魔族か混血の男の子か。わかった、とりあえず中に運んで」
診察用のベッドに誘導しつつ、まず呼吸の有無を確認する。確かにぐったりはしているが、呼吸は深く落ち着いている。見たところ、大きな外傷もない。
「この子は誰? いつ、どこで、どんなふうにこの子は倒れたの?」
適当な毛布をかけてあげながら、バイタルサインを測る準備をしつつ子供たちに問うと、またわあわあと喋りだした。
「わかんねー、全然知らねーやつ!」
「浜辺に遊ぶもの拾いに行ったら、こいつが倒れてたんだ!」
「だから私たち、とりあえずイア先生にお願いしようって!」
つまり、身元不明の少年で、倒れていたのをついさっき発見したということか。ありがとう、と返しながら、イアは少年の肩を叩く。
「聞こえる? ……キミ、聞こえるかな!?」
少し強めに呼びかけると、んん、と少年は唸った。だが開眼はしない。イアはまず少年の瞼を指で開けて眼球の状態を確認するとともに、色をチェックする。虹彩は鮮やかな赤色、つまり純潔の魔族である証だった。
人間と魔族では体の構造も違うし、さらに魔族は様々な種が存在する。だからその種に合った治療を施さなければならない。ほぼ人間の姿で二本の角が生えているということは、第二種一型の魔族だろう、記憶から正常バイタルサインを引き出す。
体温計を少年の脇に挟んで、それを固定しながら首の頚動脈に触れて脈拍を確認する。その後血圧を測り、イアはカルテに記入しつつ首を傾げた。
「……うーん、特に異常は見つからない。残念だけど、今の段階でこれ以上の検査はできない」
「ええー!?」
「イア先生でもわかんないの!?」
「起きないなら勝手に起こしちゃダメなのか!?」
一斉にブーイングの嵐が巻き起こるが、イアは苦笑してしゃがみこんだ。
「ごめんね。もっと大きな病院なら詳しいことがわかるんだけど、ここには設備がないから、もうどうしようもないの。手の施しようがないから、この子を信じて、意識の回復を待つしかない」
『ええー!?』
再び唇を尖らせた子供たちに、イアは人差し指を唇に当てて見せた。
「しー。今この子に必要なのは、静かに寝られる場所だよ。そんな風に騒がれたら、この子も起きたくなくなっちゃうよ」
やんわりと諭すと、子供たちは慌てて自分の口を手で押さえた。
「うん、おりこうさんだね。この子はとりあえずこのまま安静にさせておいて、それでも起きなければまた詳しい検査をしてみるよ」
子供たちは何か言い足りなさそうな雰囲気だったが、イアが黙って見つめていると、やがて思い思いに頷いた。イアは笑って、三人の頭を撫でて立ち上がった。
「キミたちは、この子を助けてくれたヒーローだよ。ありがとう」
『……!』
子供たちの表情が、得意げなものになった。
「さて、ワタシは仕事に戻らなきゃ。この子が気になるなら、また明日にでも見においで」
「うん、わかった!」「またね、イア先生!」「またねー!」
そう言って、子供たちは来た時と同じように嵐のように去っていった。あとには、イアと眠り続ける少年が残された。
「ろくな設備がなくてごめんね。ここでは機器に頼った医学的検査は、どうしても限られちゃうんだ」
本来ならば意識障害の患者に対しては、最低限でも血液ガス分析、血糖検査、血液検査、心電図検査、胸部X線検査や頭部CT検査等を行わなければならない。だがそのほとんどが、専用の機器および電力を必要とする。なんでも揃うカダミアといえど、ほぼそれらはゴミとして捨てられている。壊れた精密機器を直せる住人は非常に少ない。それにもし使える状態で入手できたとしても、安定的な稼働は難しい。発電所も何もないこの島で電気を得る方法は、とても限られているからだ。
体温計や血圧計を片付けながら、イアは少年を見た。ふわふわとしたくせっ毛の真っ白な髪に、やや褐色の肌。それだけ見ると人間そのものだ。しかし、彼の目は通常の人間には持ちえない色彩を持ち、額の髪の生え際からも二本、黄色みがかった角が生えている。それらは人間との決定的な種族の差を表していた。
魔族は平気で何百年と生きる生物だが、二十くらいまでは人間と同様に成長し、そこからゆっくり年をとっていく。だから、十歳にも満たないように見えるこの魔族の少年は、見た目通りの年齢と思っていいだろう。
職業柄、この付近の住人はほぼ把握している。先ほどの三人組も知らないと言っていたし、この子がこの地域の住人ではないことは確かだ。新しくこの地へやって来た、誰かの連れ子だろうか。
(……ううん)
イアは小さく頭を降った。それならばこの状況で保護者が近くにいないのはおかしい。まだ右も左もわからないであろうこの子の歳を考えると、自ら来た、ということも考えにくい。それに、この子が倒れていたという浜辺は、外部から気付かれずに出入りがしやすい。さらに、この子は何一つ身にまとっていなかった。これらの状況を考えると、ある結論を考えずにはいられなかった。
(捨てられた、のかな)
あまりによくあることだった。カダミアでは、モノも人も魔族もそうでない者も、皆一様に捨てられていく。
だが、ここへ捨てられるのは大人や老人が多く、子供は珍しい。子供は金になるからだ。特にこの子は寝顔だけでわかるほど整った顔立ちをしている、いくらでも買い手はつきそうなものだが。
いずれにせよ、この子が目を覚まさなければ状況は進まないのは確かだった。
でも、もし捨てられていたとして、目を覚ましたら、この少年はそれをどう思うのだろうか。
彼にこれから待ち受けている非情な現実を思うと、もしかすると、このまま起きない方が幸せなのかもしれない。イアは思わず少年の頭を撫でた。予想通り、手に馴染むような柔らかな髪の感触と温かさが伝わってきた。
「ん……」
「!」
それがきっかけになったのか、少年は一つ身じろぎをして、まぶしそうに目を開いた。
ゆるゆると開かれた瞼から、血に濡れたように深い赤の瞳が覗いた。その大きな瞳は目尻がつり上がっていたが、眉が少し垂れているせいかキツい印象は受けない。だがその猫のような顔立ちは幼いながらに華やかで、素直に美しい少年だと思った。
「起きた? ワタシが見える?」
どこか惚けたように視線をさまよわせていた少年は、イアが軽く振った手を見ると、緩慢に頷いた。
「ここは病院だよ。自分の名前はわかる?」
だんだんと瞳の焦点が、イアのそれと合致していく。少年は瞬きをすると、かすれてはいたがしっかりした高い声で名乗った。
「俺は、ソウ。……多分」
「多分?」
「あんまりハッキリとはわからない。けど、多分ソウって名前だと思う」
少し記憶が混濁しているのだろうか。イアは質問を続ける。
「じゃあ、ソウ。キミは、浜辺で倒れてるのを発見されて、保護された。なんでそうなったのかは覚えてる?」
ソウは首を横に振った。
「じゃあ、名前以外で覚えてることはあるかな」
考え込むように目を伏せたが、眉間にしわを寄せ、再び首を横に振った。
それからもいくつか質問をして反応を窺ったが、自己に関する記憶以外は、意識レベルで言うと正常の範囲内だった。軽く手足に運動を促してみるが、どれも問題がない。
「んー、一時的な記憶障害、かな」
カルテに書き込みつつ、イアは唸った。詳しい検査ができないのでハッキリとは言えないが、体の不調もないようだし、外傷もない。精神的なものだろうか。
「もっと設備の整った病院に行けば、原因がわかるかもしれないけど……とりあえず、しばらく様子を見てみよっか」
そうカルテに書き込んだイアの白衣の袖が、遠慮がちに引っ張られた。
「ねえ俺、これからどうすればいいの?」
そう言って、イアを見上げるソウの表情は少し硬かった。当然だ、自分がどこの誰かわからなくなるなんて、これまでの自分が強制的に放棄されるのと同じだ。不安じゃないわけがない。むしろ、泣き喚いたりしないのが不思議なくらいだ。
安心させようと、イアは得意ではない笑顔を作ってソウの頭を撫でた。
「大丈夫、記憶はそのうち戻るよ。それまではここに居て、ゆっくり体を休めよう」
「……俺、ここにいていいの?」
「うん、キミをほっとくわけにもいかないから。ホントは入院患者は受け付けてないんだけどね。ここはちゃんとした病院じゃないし、ワタシも本当の医者かどうかわからないし」
すると、ソウは不思議そうにイアを見た。
「医者じゃないの? えーと……」
「ワタシはイア。キミと同じ言い方をするなら、多分イアって名前だと思う」
「多分?」
クリクリとした目をさらに丸くさせて、ソウはオウム返しに尋ねた。
「ワタシもね、記憶がないんだ。十五年より前の」
「え!」
「ワタシの記憶は、ゴミの山に囲まれて倒れてたことから始まってる。その時にこの白衣が近くに落ちてたんだけど、胸元の名札に自分の顔写真付きで『イア・グレーン』とだけが書かれてた。だからワタシは、多分イアなんだと思う。知識はあっても医師免許を持っているかどうかわからないから、闇医者、ってことになるのかな」
「そう、なんだ」
納得したように頷いたソウだったが、ふと首を傾げた。
「……ん、十五年前? イアって人間でしょ、十五年前って子供じゃないの? そんなちっちゃな時から医者だったの?」
確かに、イアの外見は十代後半のそれだ。だが、中身はそうではない。
「ああ。ワタシは、ドールなんだ」
「!」
ソウの目が、一段と見開かれた。
「信じられないかな? じゃあちょっと、手を貸して」
イアはソウの小さな手を掴み、指先が彼の首筋に触れるように当てた。
「これが、キミの鼓動。脈打ってるのがわかるかな」
頷いたのを確認し、今度はその指先をイアの首に触れさせてみた。
「何か感じる?」
ソウは少し恥ずかしそうにしていたが、やがてハッとしたようにユノの顔を見た。
「……脈が、ない?」
「ね。それが、ドールの特徴」
ユノは小さく笑った。
────魔法人形、通称ドール。人間が魔族に対抗するために造った兵器だ。
イアは、生きながらに死んでいる。正確には、死体なのに動いている。
ドールとは、半永久的に稼働する人間の死体。言わば、ゾンビだ。そのエネルギー源は、魔族から命と引き換えに抽出するマジックコアと呼ばれるもの。
魔族に対抗するために、魔族の命を弄んで、同族の死体をも利用する。人間が選んだ狂乱の選択肢の権化、それがドールだった。
「本当に、イアはドールなんだ……でもなんでそんな、生きてる人間みたいなの?」
ソウの言葉は、言い換えれば『なぜドールなのに自分で考えて動けているのか』ということだ。イアは肩をすくめた。
「それは、ワタシにもわからない。記憶がないしね」
通常、ドールは自我を持たない。ドールは『兵士』ではなく、命令に従ってそれを実行するだけの『兵器』だ。
「それに、ワタシは魔法が使えない。欠陥だらけのドールなんだ」
魔族がもたらした、この世界には存在しなかった、魔法と呼ばれるオーバーテクノロジー。それは魔族でも全個体が使えるわけではなく、ある程度の知能を持つ一部の上級魔族のみが操れるものだった。だがその威力は絶大で、上級魔族一体が戦車十台分に相当すると言われており、人間が対魔族において今でも最も手を焼いているものの一つだった。
だが人間はこの数百年間死に物狂いで研究し、それを解明しつつあった。生きた人間に使わせるのは不可能だったし、魔族ほどの威力のものは未だに開発されてはいないが、それでもドールに使わせることには成功した。だからドールには基本的に、魔法が使えるようになる回路が組み込まれている。だがイアの魔法回路は壊れているようで、十五年前に記憶が始まった時点で、すでに魔法が使えなかった。人間の最終兵器とまで呼ばれるドールの身でありながら、イアに戦闘能力はほぼゼロだ。戦えないドールに利用価値はない、そのために捨てられたのだろう、と自分では結論づけている。
「でも、ワタシはたくさんの知識を持っていた。まあ、これも本来ドールには必要のないものなんだけど」
戦闘能力の代わりのように、イアには膨大な知識が詰め込まれていた。
その中には、人間だけでなく魔族に対する医療知識もあった。だからなんとなくこの場所に腰を据えてから、周りの人間や魔族と関わっていくうちに、自然と医者、ついでに教師まがいのことをするようになり、頼られるようになった。ここでは医療知識を持つ者はごく少数だったし、当然法律もない。それで、数年前から無免許(多分)で診療所と私塾を開いている。
「ワタシは、例えば人間には入れないほどの危険な戦場での、救護員だったり参謀だったりを任されるドールだったのかもしれない。それか、もしかするとワタシの魔法回路は壊れてるんじゃなくて、最初から組み込まれなかったのかもしれないね。そういう魔法回路のない愛玩用とか奴隷用とかの劣化版ドールはあるけど、自我を持ってる上に知識に特化したドールなんて、誰がなんのために作ったかはわからないけど」
いずれにせよ、今となっては知る由もない。イアが小さく肩をすくめると、ソウの首が一度大きく横に揺れた。その表情はどこかトロンとしている。
「ああごめん、余計な話だったね。キミは今休息を取らなきゃいけない。これからのことは、また明日考えよう」
「……うん」
ベッドに優しく寝かすと、すぐに寝息が聞こえてきた。だがその顔色は運び込まれた時に比べてだいぶ良くなっている。きっともう彼は大丈夫だ。
イアは最後にもう一度ソウの白いくせっ毛を撫でると、自分のベッドに向かった。そして普段は自分のパーソナルスペースを仕切っているキャスター付きのパーテーションを引っ張ってきて、とりあえず彼を隠した。これから午後の診察があり患者が来るため、目隠しの代わりだ。ちなみにキャスターは片方なくなっているので、高さ調節に石をかませるのも忘れない。
さて、これから来るであろう患者を診つつ、彼についての情報も集めてみようか。




